日本の伝統・祭礼・四季・自然・環境


羽黒修験道

修験道とは

はるか昔、日本列島に暮らしていた人々にとって、山は神の宿る聖域であり、子孫を見守る祖霊が鎮まるところと考えられていました。修験道は、そのようなおだやかな山岳信仰に根を下ろしながら、仏教とりわけ密教や道教などの影響を受けてかたちづくられました。修験道は中世以降、聖なる山に分け入って谷を渡り、山々を駈け、山に籠もり、山の神霊を我が身に宿す修行を重ねた山伏たちを通じて、人々に受け入れられてきました。日本の多くの霊山が信仰を集める中で、この東北の地におこったのが羽黒修験道です。



羽黒修験道とは

日本海を望む出羽三山が四季折々の表情をみせるように、羽黒修験道は、四季の峰という季節ごとの修行を行いました。その一つ、「秋の峰」では生まれ変わりの修行を実践し、生きながら若々しい生命をよみがえらせることができるという考えを確立しました。それは中世にまでさかのぼる死と再生の儀礼を現在に伝える日本で唯一の修行といわれます。 修行者は、駈ける山々の風に揺れる草木一本に、動物に、自らに、森羅万象すべてに、宇宙のはたらきが生まれながら備わっているのをみます。ここに認められる自然界の生きとし生けるものと共存し、生命の尊さを学びとり、互いを配慮するという考え方は、多くの人々の心に共感を呼び、さらに人の生きかたを深めることでしょう。 羽黒修験道は、はるかな眼差しと未来に伝えるべき豊かな可能性を宿しながら、今も出羽三山に鼓動しています。



東北の霊場 出羽三山は、推古元年(593)に第32代崇峻天皇の御子であられる蜂子皇子によって開かれた。三山を開かれるまでの皇子の難行・苦行を今に伝えるのが、羽黒派古修験道であり、その最大の修行が秋の峰入である。 期 日 8月26日 ~ 9月1日 



秋の峰入

出羽三山に伝わる古修験道は、人皇第32代崇峻天皇の御子、蜂子皇子を御開祖と仰ぎ、1400有余年の伝統を有する尊い修行の道であります。  蜂子皇子が羽黒山に入られ、難行修錬の末、敬愛、仁愛の心を以て教化布衍せられました尊い修行の道を承け継ぐ羽黒派古修験道の行法は、現在では当出羽三山神社の行事として、古儀を厳修し年々変わることなく行われており、霊域羽黒山吹越籠堂を道場としての修行は、まことに意義深いものがあります。古来、春、夏、秋、冬、四季各々の入峰がありましたが、このたびの入峰は秋の峰であり、昔はこの修行を経て、はじめて修験者としての資格を与えられた程重大なものでありました。  この意義深い入峰によって、御開祖の功徳を仰ぎ、誠の道に徹して、世のため、人のために奉仕し、明るく正しい世の中の建設に寄与せらるる様念願するものであります。

参加要項 1、入峰資格 山駈等の厳しい荒行に耐え得る男子(山伏名を付与される)

1、期 間 8月26日から9月1日まで(7日間)



神子修行

神子修行道場「趣意」 出羽三山は古来東三十三ケ国総鎮護と云われ行の山、浄めの山、修験の山として宇内に冠たる霊山であります。平成五年、御開山1400年を期し、始めて女性の方にも山伏修行の道を開くこととして創設した神子修行は、内外に多大の感銘を与えました。そして、心の時代としての出羽三山の新たなる歴史を刻む幕開けとして、期待され高く評価されております。  御開祖蜂子皇子は皇統を継ぐべき貴い身でありながら遥々この出羽の辺境に下られ、一切の人間的な怨念を捨て去り信仰の道に入られ、只管厳しい修行に明け暮れて宝 の無窮と庶人の幸せを祈られた「仁愛」の精神は、羽黒派古修験道として生成発展し、今日の山伏修行の根源となっております。  この皇子の尊い足蹟を尋ね、有難い遺戒・訓伝に浴し人間本来の真姿を悟り、明るく正しい清らかな世の中の顕現に寄与されんことを希い、神子修行道場は開設されました。

1、参加資格 山駈等の厳しい荒行に耐え得る女子(年令は問わない) 1、期  間 9月6日から9日まで             集 合 9月6日 午前11時  出羽三山神社社務所          解 散 9月9日 午後5時頃  同 右

「 秋の峰入」・「神子修行」<問い合わせ先>出羽三山神社社務所            〒997-0292 山形県鶴岡市羽黒町手向7  電 話 0235-62-2355 FAX 0235-62-2352



出羽三山の概念

出羽三山に限って、その思想、哲学は誠に明快ながら奥深く、壮大、無限で、その考え方はいつの世でも万人に通じる真理があります。 現代にあって益々その存在に目が向けられている奈良の三輪山(大神神社)と同様に、この山形県の古代出羽国でも神体山信仰(神名備型山容=神が鎮座する聖山)、自然崇拝など“敬神崇祖”とされる慣わしがありました。 その基となるのが端山信仰※と云われる習俗でした。 ※端山信仰とは 地元には、古来よりアニミズムとされている端山信仰と謂われる慣習には 死後49日間、人の魂はその家に留まって家族を見守り、その後、生家近くの低いお山(端山)に移り、33回忌(33年間)迄の間、集落の安泰繁栄を見守ります。そして、その務めを終えると、死者の魂はその背後に聳える高山に昇り、より高い次元で神仏のお側に籠ると信じられて来ました。出羽三山信仰では 山中においては現在→過去(死)→未来( 再生)とする流れで、修行の意味付けが構築されています。 つまり、 羽黒山、月山、湯殿山という三山を現世ー過去ー未来に見立て、修行の行程も <現在の自分>ー<祖先・過去>ー<未来・再生>という時空間を体験する修行なのです。 この三山はそれらの何処の場所に立ってもその領域があまりにも広大で、それら全体を一望することは出来ません。従って、理屈のみではこの概念の会得は難しい話になるかも知れません。修験道における行は自らの足で体験してこそ、初めて感得できるものなのでありましょう。



羽黒山 羽黒山参詣道の入り口に建つ、赤い山門が随神門(ずいしんもん)。左右に悪霊の侵入を防ぐ門番の神々(随神)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)と櫛石窓神(くしいわまどのかみ)が剣と弓矢をもって鎮座しています。 明治の神仏分離以前、この門は仁王門と呼ばれ、仁王尊と左大臣・右大臣が鎮座していました。これは元禄8年(1695)に由利郡矢島の領主生駒讃岐守(いこまさぬきのもり)が、家運の繁栄と極楽往生を祈って寄進したものといわれます。 人の世界と、ご神域である山を分かつ、随神門。 ここをくぐるといよいよ羽黒山に入ってゆきます。

 


石段参道

羽黒山の入口、随神門をくぐり参道に入ると、ふっと空気が変わるのを感じるでしょう。敷き詰められた石畳の階段を下れば、遠くからせせらぎが聞こえてきます。参道沿いに立ち並ぶのは、樹齢350年から500年を越す老杉。その中へ歩みを進めると、清々しさに満たされてくる―これが山頂まで1.7km続く、羽黒山の参道。新たに生まれ出るための産道と伝えられる山道です。 (photo by Kagioka Ryumon )



羽黒山中興の祖、50代別当天宥が江戸時代の慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて敷設しました。かつて観音菩薩を祀った由緒から石段には33個の彫り物が刻まれ、すべて探せば大願が成就するとも。山頂までは約1時間。それを見つけながら登るのも一興です。



祓川(はらいがわ)

随神門を下ると、川のせせらぎはだんだん近くに聞こえてきます。祓川(はらいがわ)と呼ばれるこの川は、その名のとおり羽黒山へ登るために身を清めた川。戦後まもなく、まだ山頂まで車道がなかった時代まで、参拝者はみな衣服を脱いでこの川に身を浸し、清らかになって山頂までの生まれ変わりの道を歩いたそうです。



羽黒山五重塔

せせらぎの祓川を越えると左手に見えてくるのが羽黒山五重塔です。高さ29m、三間五層の杮葺(こけらぶき)・素木造り(しらきづくり)で、長い軒は飛び立つ白鳥の翼のように美しく、四季を通してそびえたつ姿は優美。雪の降り積もる塔を見に来る人もいるほどです。平安期平将門の建立とされ、慶長十三年(1608)には57万石の出羽山形藩主、最上義光が修造しました。東北地方における唯一の国宝五重塔です。



南谷

「ありがたや雪をかほらす南谷」松尾芭蕉

三の坂の麓で右へ伸びる道が延びています。400mほど進んだところに、「おくのほそ道」の旅で芭蕉が泊まった別院紫苑寺の跡、通称「南谷」があります。俳聖もこの地を詠んで一句、「ありがたや雪をかほらす南谷」。心の字の形をした「心字池」は夏も涼しげな風を運び、南谷を時間のとまったような苔むす場所にしています。かつて涸れていたこの池に320年ぶりに水が湛えられたのは2000年のことでした。羽黒の若者たちによるNPO法人蜂鼓山社中が中心となったボランティア活動が、羽黒山の聖地を整備してきました。今は羽黒山の隠れた名所となっています(photo by Kagioka Ryumon )



出羽三山神社・三神合祭殿

羽黒山頂の中心に建つのが羽黒山、月山、湯殿山の三神をあわせて祀る三神合祭殿です。周囲には自然の地形に応じて建物が配される山岳寺院特有の景観が広がります。現在の社殿は江戸時代の文政元年(1818)の再建ですが、山伏が滞在する長床(ながとこ)など中世にさかのぼる構造を残した貴重な茅葺木造建築物です。平成12年国の重要文化財に指定されました。



月山旧参道

「木立三里、草原三里、石原三里」

月山旧参道は、羽黒山から月山へ続く道のこと。昭和43年(1918)に麓から八合目に車道が開通するまで、みんなこの道を歩いて月山に登りました。たとえば、『おくのほそ道』の俳聖松尾芭蕉も。 地元では昔から、「木立三里、草原三里、石原三里」と呼びなわされ、羽黒山から月山への約35kmのこの道は標高ごとに風景を変えてゆきます。とりわけ、羽黒山山頂から荒澤寺までの苔むす石が並ぶ道は趣深く、大きなブナの木立は夏に鮮やかな緑を、秋に見事な紅葉を見せてくれます。



月山本宮

標高約1400mの月山八合目弥陀ヶ原湿原から約2時間30分登ると月山山頂に到着します。 月山は標高1984mで、夏でもスキーのできる万年雪があります。吹きつける風は強く、大きな社殿を建てることはできません。そのため自然石を積んだ石垣の中に、一メートル四方ほどの小さな祠をつくりました。かつて「御室(おむろ)」と呼ばれたここに、現在月山神社本宮があります。 祭神は月読命(ツキヨミノミコト)、『古事記』では「夜の食国(おすくに)を司る」とされている神です。『羽黒山縁起』という古い文書には、月山に阿弥陀如来が現れたとあります。阿弥陀如来は死者の国の仏、月読命は夜を支配する神。それゆえ月山は死者たちの住む夜の浄土といわれます。 <開山期間> ●7月1日より9月15日まで  ●月山本宮 参拝時間 朝5:00~夕方17:00 ●月山登拝所要時間/月山八合目、御田原より徒歩約2時間30分、途中八合目、九合目、山頂に山小屋あり、宿泊可(要予約)



その背後に広がるのが雄大な弥陀ヶ原湿原。 その中には「いろは四十八沼」といわれるように、大小さまざまな沼(地塘=ちとう)が散らばっています。



弥陀ヶ原湿原

月山の八合目にある弥陀ヶ原湿原には、この世と思えないほど清々しい景色が広がっています。今は八合目まで車道が通じていますが、かつて一合目から歩いて登った人は、突如として花々の咲き乱れる広大な湿地に到って、さぞ感動を覚えたことでしょう。夏には百数十種の高山植物で埋め尽くされ、毎年多くの観光客が訪れています。 弥陀ヶ原は、阿弥陀如来が祀られていたので「弥陀ヶ原」とも、神様が御田植えをされたことから「御田ヶ原」ともいわれます。御田原参籠所のとなりにあるお社・御田原神社には、稲田の守護神である奇稲田姫神(くしなだひめのかみ)が祀られています。

(photo by Kagioka Ryumon)



月山山頂は、かつて八つの方角(八方)に設けられた八つの登山口(八口)から遠近の旅人を集めた山で、今も多くの登山者が訪れている場所です。山頂に至れば、永い時間になぜそれだけ多くの人々が訪れてきたのかがわかってくるような気がします。



湯殿山神社本宮

湯殿山神社本宮では、参拝に際して現在でも履き物を脱ぎ、裸足になり、御祓いを受けてからでなければお詣りは許されない。俗世とは切り離された神域である。

湯殿山神社本宮 月山から西に尾根づたいに下りること8km、月山の絶頂より流れ落ちる梵字川のほとり、幽邃な仙境に、悠久の太古より、滾々と霊厳とを御霊代として、大山祗神、大巳貴命(大国主神)、少彦名神の三神が鎮まります湯殿山神社(1,100m)がある。



湯殿山総本寺瀧水寺大日坊 仁王門(中門)



湯殿山総本寺瀧水寺大日坊 本堂外観



国指定重要文化財「金銅仏釈迦如来立像」


湯殿山総本寺 大日坊瀧水寺 (ゆどのさんそうほんじ だいにちぼう りゅうすいじ)

弘法大師が開山された寺として知られる湯殿山の総本寺です。弘法大師自作の御本尊と即身仏「真如海上人」、国指定重要文化財「金銅仏釈迦如来立像」を安置し、徳川将軍家の祈願寺で春日局が参詣した寺として、全国に名を轟かす由緒ある寺です。 旧境内には高さ27mの風格ある老杉「皇壇の杉」(おうだんのすぎ)がある。(山形県指定天然記念物)

所在地: 鶴岡市大網字入道11 電話: 0235-54-6301 



皇壇の杉

今から約一八〇〇年前、出羽国大網は12代景行天皇の皇子、御諸別皇子が奥州巡錫の折、旧大日坊境内地に逗留せられ、 大網村、田麦村の境界に海抜七三五米の山に数百羽の鷹がおり、弓矢の風切りにこの鷹の羽根が重要されました。 此の山一帯に大きい網を張り鷹を捕まえ、朝廷に羽根を送り続け、朝廷から大変喜ばれ御礼として此の地を出羽国と 名付けられ、其の山を鷹匠山とされた。此の地に大きい網を張ったので大網と名付けられ、皇子の居住地となりました。 今日でも大日坊旧境内地は大網一番地であり大網の発祥地となっております。 皇子は此の地で御遷化なされ墓所に植えられた杉が皇檀の杉と言われ、山形県指定の天然記念物として保存されています。 大同元年、空海上人(弘法大師)は唐より帰朝の際、これから自分が求める聖地に一寺建立と誓願され、 五鈷と三鈷を唐より投げられたのは有名な伝説ですが、五鈷杵は湯殿山大網の地、皇檀の杉に掛かり、弘法大師五鈷掛の杉とも言われました。 もう一方の三鈷は高野山の松に掛かり三鈷の松と言われております。帰国後、空海上人は大同二年四月八日一番に湯殿山を開山され、 最後は高野山を開山されたのです。 其の昔、湯殿山は女人禁制であり、それを哀れんだ大師は此の地に湯殿山本地仏大日如来(湯殿山大権現)を勧請し祀られ、 月山の麓の聖地に祀った(月山は阿弥陀如来)ので、大日如来の大と阿弥陀如来の阿弥で大阿弥とも付けられた。 大網(大阿弥)は大日坊の事なのです。



かつて、世の平穏を願い、自らの意思によって穀物を絶つ厳しい修行のすえ、土中に作られた石室の中に隠り、生きながら即身仏(ミイラ仏)となったお坊さんたちがいました。全国でも数少ない即身仏。そのうち4体が鶴岡市に祀られいます。

代受苦菩薩真如海上人

真如海上人は朝日村越中山に生まれ、純真な性格の持ち主として育ち、幼少の頃より仏教の教に心をひかれ、 青年時代よりは仏門に帰依出家し一生を捧げました。弱肉強食の不平等社会を仏国楽土たらしめ衆生をすくうことを誓願なされ、 湯殿山大権現を信仰し本寺大日坊を拠点として各方面の教化につとめ、寺を建て慈悲を施して社会福祉につとめられたため、 徳望一世に高く生き仏として多くの人々より尊ばれました。 一世行人を誓い生身のまま土中に入定するまで七十余年の長い間この難行苦行をつみ重ね日本一の即身仏となられました。

即身仏とミイラの違い

一般的に、ミイラは遺体から内臓等を取り出して防腐処理を施すなど人工的にその姿にしたものを言い、 即身仏は、厳しい修行の末に体内から脂肪や水分を落とし、身体内の窒素率を消耗しつくし、 腐敗雑菌の発生を防ぎ朽ちない身となり土の中に入って断食死し、その後数年後に掘り出されたものを言います。 真如海上人は、湯殿山修行の難業苦業(一世行人)の木食の行をつみかさね、 身と口と心の行ないを正して自らを修め慈悲を施して他人を正し現世来世を通じて仏国楽土を築かんとの信仰から、 死後も体を残して人々に仏教を語ろうと決意され、生きながらにして土中に入定し三年三ヶ月後に 弟子や信者の手により掘り出し自然乾燥して即身仏となられました。 ※ミイラとはポルトガル語ではミルラーと言われ防腐剤のことです。



松例祭(歳夜祭)

1400年以上の歴史を持つ羽黒修験道の行場・羽黒山では、古より修験者が春夏秋冬と年4回の 峰修行を行なってきました。 明治の世となり、出羽三山が神の山になると、羽黒山頂の 清僧修験者のみで行なってきた春峰は寺院の崩壊とともに廃絶しました。 しかし残りの夏峰・秋峰・冬峰は、羽黒山麓の門前町「手向(とうげ)集落」の 妻帯修験者や村人たちによって今へと受け継がれてきました。 なかでも冬峰は、手向の妻帯修験者である二人の松聖 (位上と 先途)が、 9月24日から興屋聖に納められた五穀に稲霊の憑依を祈る百日行です。 満願の日となる大晦日には、手向集落の若者衆全員が位上方と先途方に分かれ、松聖の験力を試すさまざまな祭事を行います。それが「松例祭」であり、 大晦日から元旦にかけて夜を徹して行われることから、「歳夜祭」とも言われています。



祭の起源

その一「鳥海山の巨大な悪鬼説」 慶雲(704〜708)の暮れ、28m余りの一頭三面六臂の悪鬼が子分を引き連れ、鳥海山より庄内地方一帯に悪臭を吹きかけ、暴れ回った。 そのため家は壊れ、疫病が蔓延し、亡くなる者の数は幾万人にも及んだ。そこで出羽国を挙げて羽黒本社に祈りを捧げると、 羽黒山の神様である玉依姫命(たまよりひめのみこと)が、秋田県山本郡の郡司の娘に憑き、「神前に種々物(くさぐさのもの)を捧げ、 12人の験者を着座させて一か所にうずくまらせ、雌雄(陰陽)の加持を修しなさい。また松明を堅く縛め、悪の18種になぞらえて鬼形に象り、 これを焼き尽くしなさい。往古、諸々の神が高天原に集って日本国を分けられた時、東路より陸奥国までは羽黒山に遣わされました。 これより天地東西南北の堺に方尺棒を指し、すみやかに先祖の霊を祀り、鬼を日本の外に追い払えなさい」と告げた。 国人がこの神託に従って斎行すると、悪鬼はたちまち退いたという。

その二「文武天皇の追儺行事説」 慶雲3(706)年、疫病が広く流行したため、第42代文武天皇(692~707)が追儺(ついな)行事を行い、 病気や不作を鬼の仕業として追い払ったことに起因するという。

その三「蜂子皇子の焼き払い説」 開祖の蜂子皇子は都よりたずさえてきた五穀の種でこの地に農耕を広めたが、ある時、田んぼに入った農民が原因不明の熱病でばたばたと死んでしまった。 そこで皇子が手向にある聖山に籠って願をかけたところ、百日目に「悪魔を焼き払えよ」とのお告げがあった。それに従い網と綱でツツガ虫(悪鬼)に見立てた大きな松明を作り、 火をつけて焼き払うと、疫病はたちまち鎮まったという。


それでは最後に、羽黒山の麓にある観光案内所・いでは文化記念館から、各観光スポットへのアクセスをご案内します。



羽黒山へ 羽黒山参詣道の入り口・随神門までは徒歩約3分の距離です。ここから羽黒山五重塔まで徒歩約15分。山頂へは徒歩約1時間。詳しくは羽黒山おすすめルート・コースをご参照ください。 車をご利用の場合は、いでは文化記念館から一般道を進み、途中から羽黒山有料道路を経由して、羽黒山山頂駐車場まで約15分です(Google Mapsのルート検索でもご案内しています)。 月山へ 月山八合目駐車場までは約1時間の距離です(Google Mapsのルート検索でもご案内しています)。月山山頂へは片道約2時間半のコースです。詳しくは月山おすすめコース・ルートをご参照ください。 湯殿山へ 湯殿山参籠所前の駐車場へはスーパー農道(庄内こばえちゃライン)、112号線を経由して約1時間20分の距離です(Google Mapsのルート検索でもご案内しています)。駐車場から湯殿山本宮までは歩いて約20分の距離です。約10分おきに出発するシャトルバスがご利用いただけます。片道200円です。 正善院黄金堂へ 距離約2kmの宿坊街をぶらり散策しながら徒歩約20分、車で約5分です(Google Mapsのルート検索でもご案内しています)。 玉川寺へ 徒歩30分、車で約10分です(Google Mapsのルート検索でもご案内しています)。


協力・写真提供

山形県鶴岡市羽黒町観光協会 (いでは文化記念館内) 〒997-0211 山形県鶴岡市羽黒町手向字院主南72 TEL 0235-62-4727(火曜日以外) FAX 0235-62-4729





出羽三山神社

出羽三山とは羽黒山、月山、湯殿山の総称で明治時代までは神仏習合の権現を祀る修験道の山であった。明治以降神山となり羽黒山は稲倉魂命、月山は月読命、湯殿山は 大山祇命、大国主命、少彦名命の三神を祀るが、開山以来、羽黒派古修験道は継承され、出羽三山に寄せる信仰は今も変わらない。

御開山は千四百年余前の推古天皇元年(593年)、第三十二代崇峻天皇の御子蜂子皇子が、蘇我氏との政争に巻き込まれ、難を逃れるために回路をはるばると北上し、出羽国にお入りになりました。そして三本足の霊烏(れいう)の導くままに羽黒山に登り羽黒権現の御示現を拝し、山頂に祠を創建され、次いで月山、湯殿山を次々と開かれました。その後、皇子の御徳を慕い、加賀白山を開いた泰澄や修験道の祖ともいわれる役ノ行者、真言宗の開祖空海、天台宗の開祖最澄などが来山し修行を積んだと伝えられています。

羽黒派古修験道

修験道の概念

日本で発生し成立した山の宗教。神霊の宿る山岳を行場とし、自然崇拝を根幹とする呪術的な日本固有の信仰 (古神道)を、ありのままの自然を究極の仏の世界と捉え、山の大自然の中に身を投じ自然と一体化する(密教)という世界観によって体系づけ、全てに仏性がある(法華経)という自覚と、往生思想(浄土教)を融合し、呪術(陰陽道)を用い、神仙術(道教)を駆使することによって、除災・招福・治病・延寿の呪禁力を発揮する宗教。


月山神社本宮

月山は海抜1,984m、世界でも珍しい半円形のアスピーデ型火山で、頂上の「おむろ」に月山神社があり、月読命を祀る。約千年前につくられた延喜式神名帳にのる名神大社で古い時代から朝廷を始め庶民の信仰が篤く、山形市には南北朝時代の貞治7年の銘のある月山結集碑があり、一村百余人の登拝講中のあった事を伝えている。もと東北唯一の官幣大社で、国の殊遇を受けた。 神社は水を司る農業神として又航海漁澇の神として広く衆庶の信仰をあつめている。



月山八合目弥陀ヶ原】 羽黒より登山バスで約1時間、海抜1400m附近につらなる湿原である。 この湿原は高冷地の為枯草が腐る事なく、何万年となく積み重なり出来た、泥炭層の湿原で6月~7月頃は、一面のお花畑となる。小さな湖沼が散在し、あたかも神々の御田を見るようである。弥陀ヶ原中央には御田原神社がある。

修験道の思想と目的

修験道は現実をそのままを究極の真理とみる現実肯定主義である。そのあらわれとして、修験者の目的は即身成仏(そくしんじょうぶつ)することで、この身このまま現世において悟りを開き、生きとし生けるもののために救いの手をさしのべられる人間になることである。 *近年まで国宝羽黒山五重塔には、自然のままの衆生のあり方を示す三身の額が掲げられていた。  ・法身(ほっしん)-真理そのもの  ・報身(ほうじん)-悟りの結果得た身  ・応身(おうじん)-衆生救済のために仮にあらわれた姿

修験道の語彙

・験-祈祷の結果としてのしるし(即身成仏したことの証) ・修-験を得るために努力精進し、霊験力や呪術力を身につけること。 ・道-修行の方法を研究し、実践するための最高の手段と方法。

出羽三山における権現

羽黒山-・聖観世音菩薩(仏)・伊氐波神(産土神)・稲倉御魂命(穀物神) 月 山-・阿弥陀如来(仏)・月読神(農耕神)  

湯殿山-・大日如来(仏)・大山祇神(山の神)・大己貴命(建国神) ・少彦名命(医薬神) 


古修験道と呼ぶ理由

開祖である能除仙は第32代崇峻天皇の皇子で、大峰修験や熊野修験が開祖と仰ぐ役行者(7・8世紀頃の呪術者)より時代が早く、身分も貴い方である。また修験道の最高の法儀である柴燈護摩は、わが開祖が役行者に授けたものであるという伝承から、羽黒山こそ修験道の根本であるとして「古修験道」と称している。


 
羽黒山大鳥居 南北朝の末期から羽黒山に勢力を得た大泉庄の地頭武藤氏は、政氏の代に羽黒山の別当を称し、子孫にその職を継いだ。政氏は長慶天皇文中元年羽黒山に五重塔(国宝)を再建、その居城大宝寺(鶴岡)に鳥居を建立させ羽黒山一の鳥居としたが、今はなく只鳥居町の名を残している。今の一の鳥居は鶴岡から羽黒橋を渡り、坦々たる庄内平野を横切って、羽黒街道が羽黒丘陵にかかる景勝の地に高さ22.5mの両部の大鳥居がある。昭和4年山形市吉岡鉄太郎の奉納。


五重塔(国宝) 羽黒山は、会津や平泉と共に東北仏教文化の中心であっただけに、数々の文化財に富んでいる。山麓の黄金堂は重文に、山内の五重塔は国宝である。古くは瀧水寺の五重塔と言われ、附近には多くの寺院があったが、今はなく五重塔だけが一の坂の登り口左手に素木造り、柿葺、三間五層の優美な姿で聳り立つ杉小立の間に建っている。現在の塔は長慶天皇の文中年間(約600年前)庄内の領主で、羽黒山の別当であった武藤政氏の再建と伝えられている。


月山・湯殿山は遠く山頂や渓谷にあり、冬季の参拝や祭典を執行することが出来ないので、三山の年中恒例又臨時の祭典は全て羽黒山頂の合祭殿で行われる。古くは大堂、本堂、本殿、本社などとも称され、羽黒修験の根本道場でもあった。 内陣は三戸前の扉に分かれ、正面中央に月読命、右に伊氏波神(稲倉魂命)左に大山祇命,大己貴命,少彦名命を祀る。本社は大同2年建立以来、度々造替を行ない、近く江戸時代に於いては四度の造替が行われた。慶長10年、最上義光の修造を始め、明和5年に再造、29年を経た寛政8年炎上、文化2年再建されたが、同8年またまた炎上した。東叡山では再度の炎上に文化10年荘厳院覚諄を別当に任じ、本社の再建に当たらせ、文政元年1818年完成した。これが現在の本社である。


鏡池 東西38m南北28mの楕円形のこの御池は御本殿の御手洗池であり、年間を通しほとんど水位が変わらず、神秘な御池として古くより多くの信仰をあつめ、また羽黒信仰の中心でもあった。古書に「羽黒神社」と書いて「いけのみたま」と読ませており、この池を神霊そのものと考え篤い信仰の捧げられた神秘な御池であり、古来より多くの人々により奉納された、銅鏡が埋納されているので鏡池という。



鐘楼と建治の大鐘(国の重要文化財) 堂は鏡池の東にあり、切妻造りの萱葺きで、小さいが豪壮な建物である。最上家信の寄進で元和4年再建した。山内では国宝五重塔に次ぐ古い建物である。鐘は建治元年の銘があり、古鐘では、東大寺・金剛峰寺に次いで古く且つ大きい。鐘の口径1.68m(5尺5寸5分)、唇の厚み22cm(7寸1分)、また鐘身の高さ2.05m(6尺7寸5分)、笠形の高さ13cm(4寸4分)、龍頭の高さ68cm(2尺2寸3分)あり、総高2.86m(9尺4寸2分)である。 上帯の飛雲丈は頗る見事な手法で、よく当代の趣味を発揮し、池の間は、雲中飛行の天人や、池注連華を鋳現しているのは、羽黒の鐘にのみ見る所で、全く希有である。また天人の図は宇治鳳凰堂の藤原時代の鐘に見るほか、絶えてその例を見ないという。この鐘は文永・弘安の蒙古襲来の際、羽黒の龍神(九頭龍王)の働きによって、敵の艦船を全部海中に覆滅したので、鎌倉幕府は、羽黒山の霊威をいたく感じて、鎌倉から鐘大工を送り、羽黒で鐘を鋳て、羽黒山に奉ったのであるという。


霊祭殿大天井鎮魂絵 故・熊澤観明画伯染筆奉納 鎮魂絵「天女と神龍」が描かれており、天女に導かれた御霊が龍(昇り龍・降り龍)に守護されて昇天すること願う意味があるという。


湯殿山神社 ~神秘に息づく行の山~

御神体巡拝 三山が神仏習合であった時代、三山を抖擻(とそう)する修行を「三関三渡」といった。羽黒山は観音菩薩(現在)、月山は阿弥陀如来(過去)、葉山や薬師岳は薬師如来(未来)とされ、それらの加護と導きにより現在・過去・未来の三関を乗り越え、湯殿山の大日如来(三関を超越した世界)の宝窟に安住し、即身成仏(生きたまま悟りを開く)の妙果を得るというものである。裸足になってご神体に登拝するのは、大日如来と一体になって感得することである。また湯殿山は神の世界ゆえ、古来より人工は許されず社殿を設けないのである。

御滝神社と滝の行 湯殿山神社の背後から90mの鉄の梯子を下りると、御滝神社の滝壺に出る。滝は梵字川の激流が湯殿山神社の御神体脇を急に落下して、巖を噛んで流れる。昔はこの滝を不動尊として拝したが、今は瀬織津姫神を拝する。この滝から神橋に至る間の両岸には13の末社が祀られ、この末社を巡拝することをお沢駆けと云う。真夏でも肌に突き刺すような雪解け水に滝の行をする行者が多い。


湯殿山神社本宮 湯殿山神社本宮では、参拝に際して現在でも履き物を脱ぎ、裸足になり、御祓いを受けてからでなければお詣りは許されない。俗世とは切り離された神域である。



月山から西に尾根づたいに下りること8km、月山の絶頂より流れ落ちる梵字川のほとり、幽邃な仙境に、悠久の太古より、滾々と霊厳とを御霊代として、大山祗神、大巳貴命(大国主神)、少彦名神の三神が鎮まります湯殿山神社(1,100m)がある。

湯殿山神社大鳥居 平成5年10月竣功


願い牛

 願い牛は湯殿山本宮が丑歳に開山され、また湯殿山が春になると牛が寝そべっているような形に雪解け模様がでることに由来して、牛は神の化身として崇められております。以来、多くの参拝者が訪れ、願い牛を触って祈願していく姿が見受けられます。

 次第に子宝に恵まれない夫婦や、難産の方が牛を触って祈願することで子供授かり、安産で出産できたとの声がありマスコミにも取り上げられました。また、自分の体の悪いところを願い牛のおなじところを触ることで良くなるといわれております。


湧き出づる神湯の音


御 祭 神                            大山祗命(おおやまづみのみこと) 大已貴命(おおなむちのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと) 相殿神 秋葉山大神(あきばやまのおおかみ)    黄金山大神(こがねやまのおおかみ) 明治9年、初代山形県令三島通庸は、県庁舎の建設の地を山形市旅篭町の万日河原 と定め、出羽三山の奥の宮国幣小社湯殿山本宮の口之宮本導寺湯殿山神社より分霊 を勧請、旅篭町雁島に祀りました。 翌明治10年11月、県庁舎が完成開庁すると、周辺には師範学校、警察本部、郡役所、 銀行などが次々と建ち、雁島の湯殿山神社は県庁のみならず、山形中心部の鎮守と仰 がれるようになりました。 明治12年には県社に列せられ、明治25年旅篭町の秋葉山神社を合祀、さらに後年黄 金山神社を合祀してますます信仰を集めてきました。 明治44年山形市でおきた大火のために、焼失。本殿が仮拝殿とともに新たに完成した のは大正4年、拝殿が完成したのは昭和11年のことでした。 昭和54年9月、山形市より新庁舎建築のため湯殿山神社移転の要請をうけ、翌11月 湯殿山移転建設委員会が発足。56年9月には地鎮祭が行われ、着工以来1年7ヶ月現 在地に新社殿、末社市神神社、神門、社務所参集殿の造営が完成しました。 今や県都山形市の鎮守として仰がれ、尊ばれています。

昭和12年頃 雁島の地の湯殿山神社

協力

出羽三山神社

〒997-0292 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7

TEL.0235-62-2355 FAX.0235-62-2352




外国人の人気NO.1は伏見稲荷大社!

その伏見稲荷大社は京都府伏見区にあります。旅の口コミサイト「トリップアドバイザー」が発表した「外国人に人気の日本の観光スポット」2016では3年連続で第1位に上がっております。

そうした傾向は一つのブームとなり、最近では国内の観光客も世代を越えて、そのご利益とスピリチュアル体験を求めてご参拝が増えているそうです。

Foreign popular NO.1 Fushimi Inari Taisha!

The Fushimi Inari Taisha Shrine is located in Kyoto Fushimi-ku. It is up to the review site, "TripAdvisor", "a popular Japanese tourist spot to foreigners" was announced first place for the third consecutive year in 2016 of the journey.

Such a tendency is to become one of the boom, recently also beyond the generation domestic tourists, It is said that an increasing number of your visit in search of the divine favor and spiritual experience.

伏見稲荷大社とは

全国に3万あるといわれている稲荷神社の総本宮で、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)を主祭神として佐田彦大神,大宮能売大神,田中大神,四大神 の五柱の神が祀られています。

伏見稲荷の始まり

711年秦伊侶巨(はたのいろこ)が稲荷山の三ヶ峰にそれぞれ神を祀ったのがはじまりです。伏見稲荷大社は松尾大社と並び秦氏の氏神でもありました。



伏見稲荷大社の見どころ

・「千本鳥居」と「楼門」

幾重にも続く朱塗りの千本鳥居は日本でも独特の幻想的な宗教的景観装置です。まず伏見稲荷大社に着いて表参道を進んで行くと、そこには楼門が現れます。その大きさは京都市内の神社の正面にある楼門としては最大規模で、1589年豊臣秀吉により建立されました。

・おもかる石

おもかる石とは、奥社奉拝所の右後にある2基の燈篭の頭にあたる宝珠のことですが、燈篭の前で願い事をしてから、この石を持ち上げます。すると、それが思っていたよりも軽ければ願いが叶い、重ければ願いが叶わないという謂われがあります。

・奥社奉拝所

千本鳥居を抜けると、こちらは伏見稲荷大社の奥社奉拝所となります。ここから稲荷山へのご登拝入り口があります。

※本来、この奉拝所とは稲荷山そのものが御神体であり、その神々を遠くから拝するところです。 外国人の間ではウォーキングができることでも人気があり、ここから稲荷山へ登る方が多く見られます。 伏見稲荷大社の御利益

お稲荷さんとは宇迦之御魂神を主祭神とする五柱の神のことを指していて、五穀豊穣,商売繁盛,交通安全に御利益があるとされています。その中でも特に商売繁盛を願って参拝する人が多いようです。

伏見稲荷大社の参道は2つ

表参道と神幸道の2本があります。

自家用車利用の場合と、京阪「伏見稲荷駅」から訪れる場合には「神幸道」から参拝することになります。またJR「稲荷駅」から訪れると伏見稲荷大社の正面から表参道を通ってのご参拝となります。こちら側には露店などの土産物屋はなく、沢山の土産物屋や食堂は裏参道に集中しています。

伏見稲荷大社の境内の広さ

お稲荷さんの境内は、京都のいわゆる「東山36峯」の一番南に位置する稲荷山が大部分を占めています。その西麓一帯を含め約26万坪(約87万平方メートル)が境内です。因みに甲子園球場は約1万2千坪(約3万9千6百平方メートル)です。

付記「千本鳥居」ができた秘密

実はこの朱塗りの千本鳥居は参拝者が奉納し続けてきた賜物なのです。元々は伏見稲荷大社に御参拝後、願懸けして願いが叶えばお礼として鳥居を奉納してきたのです。この信仰は鳥居をくぐることによって願いが「通る」という意味で、江戸時代から始まったそうです。

因みに朱色は、古来、魔除けの色とされてきましたが、伏見稲荷大社では稲荷大神様のご神徳である豊穣のお力を表す色と説明されています。

これからも伏見稲荷大社は人々が幸せを求める「庶民の信仰の社」であり、「神様と自然と人とが共生する社叢・稲荷山」であるように私達国民は願っています。 

協力

伏見稲荷大社

〒612-0882 京都市伏見区深草薮之内町68番地

TEL(075)641-7331 FAX(075)642-2153



<私のZIPANG日本への思い>

2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。

このチャンスに、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いをしてみたくなりました。

狙いは従来とは少し視点を変えて、異なる地域固有の風土美、四季折々の自然美、暮らしの中で育まれた衣食住文化の美、ハレやケの美、地方に埋れている伝統芸能、伝統行事、風習の美、ものづくりなどに見る技の美等について、ZIPANG 日本の心を少しでもお伝えできればと・・・

ささやかですが、サイトを通じて、平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところであります。

もしもこのサイトに同じ思いをお持ちの皆様から、素敵な情報や画像をお寄せ戴ければこの上ない喜びです。以下のEメールアドレスへご連絡下さい。

E-mail  aromajinja@gmail.com ( ZIPANG 2020 編集部 )

2020, will be held the Olympic Games and Paralympic in Tokyo.

On this occasion, for the little-known beauty of the spiritual culture and national land of Japan to the people of the world I think that if we help to re-discover.

Climate, nature of the four seasons, of food, clothing and shelter cultural beauty, traditional arts, events, customs, beauty, etc. of the work of making things,

Through the site, peaceful country, a strange country, if the interest is more depth or round to ZIPANG Japan, is where I want secretly.



高山祭

春の高山祭(山王祭)は日枝神社の例祭で毎年4月14日・15日に開催されます。また、秋の高山祭(八幡祭)は櫻山八幡宮の例祭で毎年10月9日・10日に開催されます。高山祭とはこのふたつをさす総称で、日本三大美祭のひとつに上げられています。

祭の起源は飛騨の領国大名金森氏の時代(1585年から1692年)、屋台の起こりは1718年頃といわれ、巧みな人形の動きを披露するからくり奉納や、仕掛けが施された戻し車など、匠の技が生きています。

高山祭には動く陽明門とも称される「祭屋台」が春には12台、秋には11台曳き揃えられ、その豪華絢爛な姿を披露してくれます。また、総勢数百名におよぶ祭行列は、闘鶏楽や裃姿の警固など伝統の衣装を身にまとい、お囃子や雅楽、獅子舞に先導され祭地域をまわります。夜になると各屋台はそれぞれ100個にもおよぶ提灯を灯し、艶やかに夜の闇を飾ります。飛騨人の意気が高まる高山祭。高山の揺るぎない誇りです。

春の高山祭(写真・上)

 毎年4月14日・15日

秋の高山祭(写真・下)

 毎年10月9日・10日

※協力:高山市



世界遺産 白川郷

日本の原風景ともいわれる美しい合掌造りの集落が評価され、1976年重要伝統的建造物群保存地区として選定、1995年には五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。国の内外から多くの観光客が訪れ、毎年2月頃の週末には夜間ライトアップも行われています。

高山市街地から行ける添乗員付きの直行バスツアーで世界遺産白川郷を満喫できます。





「大和七福八宝めぐり」

「大和七福八宝めぐり」は大和の七福神と大和信仰の原点である三輪山を参り、八つの福宝をいただくおめでた詣りです。   七福神はインド、中国、日本と三国にわたる福の神です。縁を結べば「七福即生」の御利益があります。また、三輪山は日のいづる山として仰がれる大和の信仰の原点で、参拝すれば七福がさらに倍増し、「八宝円満」の御利益をいただけます。 この「七福神+大和一之宮」の八宝巡りは1日で回ることも可能ですので気軽に出かけてみましょう。それぞれ趣の違うお寺、神社があなたを迎えてくれます。


大神神社

三輪明神 「七福倍増の福宝」

三輪山は日の昇る山として古来の人々に信仰された我が国の信仰の原点であり、我が国最古の聖地です。この三輪山はお山自身がご神体で三輪明神として信仰されています。 三輪明神は福寿増進の神として知られており、七福神の七福を倍増させ八宝円満に導く御利益があります。



長谷寺

大黒天 「財宝の福宝」

大黒天はもとはインドの戦いの神で強い力をお持ちです。日本において大国主命と神仏習合し、福徳の神となりました。 長谷寺には本堂脇に古くから大黒堂があり、4尺5寸もの大黒さまが祀られて広く信仰されています。 金運の神として知られるとおり、財宝の徳を授けられます。



信貴山朝護孫子寺

毘沙門天 「家門隆昌の福宝」

毘沙門天は、仏法を守護する最強の守護神で、四天王の一人として北方を守護します。 またの名を多聞天ともいい、多くの願いをお聞き下さる福の神でもあります。 信貴山は、聖徳太子が毘沙門さまを感得された、日本最初の毘沙門天出現霊場です。 その威厳あるお姿さながらに、家運が開け、家門が子々孫々に繁栄するご威徳を頂戴することが出来ます。



当麻寺中之坊

布袋尊  「家庭円満・子宝の福宝」

布袋尊は、中国後梁の時代の実在のお坊さまで、本名を契此(かいし)といいます。常に布の袋を担いで諸国を歩き、人々に福を授けて回ったことから「布袋さま」と呼ばれるようになり、弥勒菩薩さまの化身仰がれました。 弥勒信仰の篤い當麻寺では、最古の僧坊である中之坊に、古くから布袋さまが祀られています。 特に子供たちに慕われたことから子供の病や子宝に霊験があるといわれ、またその円満な相好にあらわされるとおり家庭円満の御利益があらたかです。



安倍文殊院

弁財天 「愛嬌縁結びの福宝」

七福神の紅一点弁天さまは、インドの水の女神です。美しいお姿で知られていますが、八本の手に多くの武具・法具を持つお姿でも表されるとおり、困難に立ち向かう強い力もお持ちです。 平時は穏やかな女神さまで、美しい琴の調べに象徴される技芸の徳の他、愛嬌縁結びの神さまとして親しまれています。安倍文殊院では金閣浮御堂にお祀りされています。



おふさ観音

恵比須天 「商売繁昌の福宝」

恵比須天は、いざなぎ・いざなみ二神の第三子で名を夷三郎といいます。七福神唯一の我が国古来の神さまです。 もと漁民の神として、海運守護、大漁の徳をお持ちの他、特に商売繁昌の霊験があらたかで「エビスさん」として知られています。



談山神社

福禄寿神 「開運出世の福宝」

福禄寿は、その名の通り福・禄・寿の三徳の神さまで、鶴亀を連れたおめでたいお姿で描かれます。 あらゆる福寿の神として知られていますが、特に幸福を招来する人望の徳を授けられます。



久米寺

寿老神 「長寿延命の福宝」

寿老神は不老不死を象徴する神さまで、玄鹿(くろしか)を伴う老人のお姿で表され、生命を司る南極星の精(寿星)としてあがめられています。 長寿延命と共に、健康の徳を授けられます。


協力

大和七福神八宝霊場会



「開山から七百有余年 鶴岡市名刹玉川寺 と 国指定名勝 玉川寺庭園」


緑滴る蓬莱式庭園を心ゆくまで眺望したくなるのは、この大広間の緋毛氈が敷かれた広縁が眼に飛込んで来たときでしょうか?

今回ご紹介したいのは

鶴岡市名刹玉川寺(ぎよくせんじ)、羽黒山の出羽三山神社参道入口の直ぐ麓にあり、コースを抱き合わせで巡ると素晴らしい体験になるでしよう!

当寺は鎌倉時代(1251年)に曹洞宗の道元禅師の高弟、高麗僧の了然法明禅師によって開山されたと伝えられています。

その庭園は大きな池を中心とした池泉廻遊式蓬莱庭園で、1987年に国の文化財名勝に指定されました。

  

ふと此処は京都?と錯覚する程の洗練と風格があり、静謐な美しい自然に囲まれながら頂くお抹茶はまた格別な境地に遊ぶひとときです。



玉川寺の由来

出羽三山のふもとにある玉川寺は、凡そ七百有余年前の鎌倉時代(1251年)に曹洞宗の開祖道元禅師の高弟だった了然法明禅師によって開山されたと伝えられています。

了然法明禅師は朝鮮高麗の生まれで、中国の径山寺で修行され、日本に渡来し羽黒山に参詣しての帰途、観音堂を拡めて禅刹の基礎を築かれました。

その後、室町期に至る約二百年間の歴史は審かではないが、享徳二年(1453年)新潟県の村上にある耕雲寺の南英謙宗禅師が、庄内の領主・藤原氏の懇請により玉川寺を再興し、現在に至っているという古刹です。

御本尊はに霊験あらたかな聖観世音菩薩を祀り、近郷に多くの末寺をもつ曹洞宗寺院では日本でも古い旧蹟であります。

荘内平和観音三十三霊第十七番礼所にもなっています。



玉川寺庭園は1450年代に作庭され、1650年代の改修を経て今に伝えられています。自然の山から流れ落ちる滝を配し、大きな池を中心とした池泉廻遊式蓬莱庭園は石組も鋭く、地方稀に見る名園であります。1987年に国の文化財名勝に指定されました。



玉川寺主な見どころ

国指定名勝 玉川寺庭園

全国でも珍しい九輪草の純群落

出羽海部屋を創設した出羽の海金蔵の顕彰碑

県内最大規模の玉川遺跡展示場



初代出羽の海の碑

日本相撲史の一頁を飾った出羽海は玉川の出身で、現在の出羽海部屋の創始者である。生誕200年の昭和34年に建立された。



玉川遺跡展示場

昭和27年以来数回にわたり発掘調査された県内最大規模の玉川遺跡は、玉川寺に近く、数多くのヒスイ製の勺玉が出土され、その一部を展示してあります。



花の寺

玉川寺は四季折々花に囲まれ、誰言うとなく『花の寺』と呼ばれるようになりました。 春のサクラ、初夏のツツジ・クリンソウ・ハナショウブ、秋にはハギ・シュウメイギクの花が、境内に咲き誇ります。 全国でも珍しい九輪草(くりんそう)の純群落があり、境内一面に咲く赤、白、桃色の花が群がり咲く光景はまことに美しい(見頃は5月中旬~6月初旬)。

坐禅会

玉川寺では「禅」に興味をもっている方々に、実際に「坐禅」を体験できる坐禅会を行なっている。 物質は裕福でも精神は貧しい人が多いといわれている現代。心の満足を得るには坐禅は最適であると思います。最近は、外国人の方たちが、日常生活の中で「ストレス解消」「癒し」など坐禅を上手に取り入れておられます。できるだけ多くの人に真の禅を理解していただきたく活動しています。

協力

国見山玉川寺

〒997-0121 山形県鶴岡市羽黒町玉川35 TEL 0235-62-2746

Design Office キャットミント 



世界無形文化遺産 ” 壬生の花田植 "

「サンパイ」「囃し方」「早乙女」そして、壬生の花田植のもうひとつの主役は「飾り牛」

花田植の誕生

中国地方一帯では太鼓をたたき笛を鳴らして田植唄を歌いながら大勢で田植をする民俗行事が残されており、「はやし田」、「田ばやし」などと呼ばれ、その歴史は中世にさかのぼるといわれます。

田植作業を行いながら、そのまま稲作の平穏と豊穣を祈って「田の神」を祭る稲作儀礼であり、同時に苦しい田植え作業に従事する者の慰安や、当時の農村における数少ない娯楽としての要素を持つ一大行事でした。

土地の大地主の中には所有地の田植の植え終わりに、たくさんの人々を集めて、盛大に囃し田を行う者があり、当時から壬生の囃し田として近郷各地に知られる一大催事でした。この囃し田に参加する牛には豪華な花鞍を更に造花で飾り、太鼓や笛の音にあわせて、着飾った早乙女達が苗を植える。この様子があまりにも華やかであるところから花田植と呼ぶようになったと云われています。



地域一体での保存活動

時代の波に押され、一時期行われない時もありましたが、農村における稲作文化の原点ともいえるこの催しを、永く後世に伝えてゆこうとする活動に発展し、川東田楽団、壬生田楽団を中心に当時の人々や町の商家の組織が主体となって毎年行うようになり壬生の花田植として今日に及んでいます。 昭和三十年代までは芸北地方一帯から数十頭の飾り牛が集まり、囃子方(大太鼓)や早乙女など二百人をこえる規模で、行われていたと云われます。 地域で取り組んできた保存活動と牛を使った代掻き作業や、早乙女の手による田植えなど機械化前の農耕文化の一端を現在に伝えるその内容、その催しの規模などが評価され2011年(平成23年)11月27日川東の囃し田と壬生の囃し田が一緒になって「壬生の花田植」となりユネスコの無形文化遺産登録となりました。



煤竹を割って作った陰陽のササラを持って音頭をとる「サンバイ」が指揮し、「囃し方」は大太鼓や小太鼓、笛や手打鉦で囃し、菅笠、かすりの着物にたすき掛けの「早乙女」が田植歌を歌いながら早苗を植えていきます。

サンパイ

田植えの総指揮をとる人を三拝(サンバイ)と呼び、田の神様とも言われる役柄です。

サンバイさんは、絣の着物に袴姿で菅笠をかむり、ササラと呼ばれる打楽器(三拝竹:編木)を打ち鳴らしながら朝歌、昼歌、しまい歌など数百もあると言われる田植え唄を歌って、花田植の指揮をとります。

囃し方

囃し方は、大太鼓・小太鼓・手打鉦と篠笛で構成し、ササラを持つサンバイの指揮にあわせて賑やかに打ち鳴らします。

大太鼓を腰にして拍子に合わせて体を大きくくねらせながら一斉に打ち鳴らす音は迫力があり、時折桴(バチ)を投げ上げて隣に受け渡す技は壮観です。

早乙女

早乙女は、苗代で育った苗を取り、田植えをする女性のことを言い、サンバイの音頭に合わせて田植唄を歌いながら田圃に早苗を植える花田植における主役の一つです。

絣(かすり)の着物にたすき掛け、豆絞りの手ぬぐいに菅笠を被るあでやかな出で立ちは、飾り牛とともに華やかな田園絵巻を演出します。

手には手甲(てっこう)、足には脚絆(きゃはん)をつけて田圃に入ります。



飾り牛

花田植における主役は早乙女と囃し方であるが、もう一つの主役飾り牛の存在はこの催しを支える重要な要素です。

使われるのは、この日のために調教を重ね、農耕牛として活躍した時代と同じ「手綱」での誘導が教え込まれた黒毛の牛であり、金色の鞍や造花で華やかに飾られることから飾り牛と呼ばれます。

昔は二十頭を超える牛が参加していたというが、近年では北広島町内各地や安芸高田市など周辺市町から12~13頭が出演しています。

牛はトラックに載せられて壬生神社境内に集合。赤・青・緑・黄の布を掛け兜や龍を象った金襴豪華な花鞍を装着され、首玉と呼ばれる赤い布袋に綿を入れた飾りをつけて出番を待ち、商店街を道行き(行列)して会場に向かいます。

十頭を越える飾り牛の行列は壮観であり、本番前の見せ場の一つとあって沿道には多くの見物人が繰り出します。

先頭の牛を主牛(おもうじ)と言い、この役を務めることは大変名誉なこととされています。ひと昔前までは屈強な雄牛がこの役をが務めることになっていたが、最近は体格の良い雌牛がこの役を務めます。



今は、雌牛が先頭ですか?なるほど!確かに威風堂々として立派な雌牛です。

でも、男としては何か少し寂しい気分です・・・

最後に世界無形文化遺産 ” 壬生の花田植 "のこれまでの歴史を紹介いたします。

これまでの歴史

昭和34年10月30日

川東の囃し田が広島県の無形民俗文化財に指定を受ける

昭和50年4月8日

壬生の囃し田が広島県の無形民俗文化財に指定を受ける

昭和51年5月4日

壬生の花田植が国の重要無形民俗文化財に指定を受ける

平成23年11月27日

川東の囃し田と壬生の囃し田が一緒になって「壬生の花田植」となり一緒に世界無形文化遺産に登録される

壬生の花田植開催のご案内

開催日

6月第1日曜日

開催場所

広島県山県郡北広島町壬生


アクセス


協力

北広島町観光協会

〒731-1533広島県山県郡北広島町有田1122(道の駅舞ロードIC千代田管理棟内)

TEL:0826-72-6908 IP電話:050-5812-6908 FAX:0826-72-6905

E-mail:kankou@khiro.jp



「まさに桃源郷! 下呂温泉の山むこうに日本で最も美しい村があります~貴方もきっと武陵の漁夫の気持ちに~」


日本のほぼ中央、南飛騨の山間、南北28km(七里)に10の集落がつらなり、 馬瀬川が貫いて流れる森と清流の里。

 「馬瀬七里十里五十淵」という不思議な言葉を口にすると、岩と淵瀬がつくる 変化に富んだ水辺の風景と、自然と調和した暮らしが浮かんできます。

歴史環境

馬瀬川の源流にある竜馬峰(高山市)は、天駆ける竜馬が眠ると伝えられ、「飛騨」の語源となったとも言われています。 馬瀬地域の南端にあたる西村地区は、下呂温泉の幸田地区と郡上を結ぶ街道が通り、古くから人の往来がありました。平安時代末期には、源義平(悪源太・源頼朝、義経らの長兄)が平治の乱に敗れて馬瀬の地に落ち延び、再起を期して兵を募集したと古い社の縁起に伝わります。江戸時代は、集落に口留番所が置かれて、飛騨と美濃を行き来する人や物資に税を掛けました。大屋根の益田づくり民家や繭蔵など、養蚕で栄えた名残が残り、山村ながらどこか余裕が感じられます。

生物多様性

馬瀬川には天然あまごやイワナをはじめ、最近では少なくなったゴトチ(ヨシノボリ)、カジカなどの魚類が見られます。動物は、野生のサル、シカ、イノシシによる獣害に悩まされており、環境の変化によって増えすぎた野生動物個体数の調整や、人間との共生が模索されています。植物は、渓流魚付保全林に固有の植物があり、非常に貴重です。夏には集落の外れから西村ダムにかけてホタルが乱舞します。




日本で最も美しい村

全国の釣りファンが憧れる馬瀬川と、緑あふれる水源の山々は自然環境、歴史文化が優れた地域として、「日本で最も美しい村」連合に加盟しています。  「全国水の里百選」や「水源の森百選」、「平成の名水百選」などにも選ばれ、2003年には、世界中から美しい街づくりに取り組んでいる都市や農村を選ぶ「ネイション・イン・ブルーム2003」で銀賞を受賞しました。

 




自然との共生「馬瀬地方自然公園」「馬瀬里山ミュージアム」

馬瀬の人々の暮らし全体を「馬瀬地方自然公園」と呼んでいます。 フランスの地方自然公園制度の精神を取り入れ、自然と共生しながら、農村の持続可能な発展をめざす、住民と行政が協働した新しい自治の取り組みです。外の価値観で測るのではない「幸せのモノサシ」がここにはあります。

平成26年には、美しい村のモデル集落である西村地区を、集落まるごと「馬瀬里山ミュージアム」に指定しました。 里山ミュージアムでは、集落や川で、さまざまな体験観光プログラムが開かれ、 グリーン・ツーリズムの舞台として、地域活性化を図っています。



日本一おいしい鮎は、日本で最も美しい村生まれ!

馬瀬川の鮎は、味、香り、形がよいことで有名です。平成19年に「全国利き鮎会 in TOKYO」でグランドチャンピオンに輝きました。これは、高知県で行われる全国利き鮎会が10周年を迎えたことを記念して、同大会の暦年チャンピオン・サブチャンピオン17河川から全国一を決めた大会です。  上質なコケを食べて育った鮎は「香魚」とも称され、スイカに似た甘い香りをほのかに放ちます。そのハラワタは微かな苦みを伴った甘さです。



馬瀬がめざす「味の景勝地」

日本の農山漁村は、自然生態系のみならず、里地と都市と両方の生活基盤を守る重要な役割を担っています。伝統文化や景観の形成はその表われと言えます。 効率一辺倒の大量生産品に押されるだけの日本の農畜産業ではありません。良品に関心を示し、購入というかたちで支持してくださる方々が日本に、世界にいらっしゃいます。「味の景勝地」が中山間地域で営まれる農畜産業や沿岸部でなされる漁業の価値を高めます。上流域での健全な農地の営みが豊かな海と海岸の風景を保持する自然界の循環もそうした価値を裏付けます。魅力的な「食」と、それを生み出す傑出した「風景」とが一体を成し、生活者、旅行客に信頼と安らぎを提供します。

馬瀬の美しい農村風景と、人々の営みが生み出す卓越した味は切り離すことができません。 フランスには、魅力的な食と風土景観を合わせて保護し、地域活性化に取り組む「味の景勝地(SRG)」制度があります。馬瀬は、熊本県阿蘇地域、新潟県佐渡島などと協働で、日本版「味の景勝地」をつくるために、味と地域のブランド化について研究と実践を行っています。




源流の村

馬瀬川は東海三県の水瓶です。馬瀬川の下流には、東海三県約1,100万人に生活用水や農業、工業用水を供給する「東海の水瓶」岩屋ダムがあります。馬瀬地域には、名古屋市を中心とした多くの人々に生命の水を届ける源流の村として、水源を守る矜持があります。

渓流釣りの名人が「魚は森を見てとれ」と言うとおり、馬瀬川の鮎と美しい村には深い関係があります。 森は湧水を生み、魚の棲み場や餌となる昆虫を生み、水と土は川に流れてプランクトンやコケを育てます。馬瀬は森林面積が95%を占める山村ですが、実にその1/4以上を魚を育てる「渓流魚付き保全林(けいりゅううおつきほぜんりん)」に指定して、守る取り組みを行っています。



農村生態系「エコバリーシステム」の村づくり

 平成のはじめ頃、旧馬瀬村が進めた観光開発により、釣り客が年間4万人程度だった馬瀬に30万人もの観光客が押し寄せました。その一方で、環境の悪化を懸念した人々により、馬瀬川の生態系を軸にした地域づくりが始まりました。 水源の森は豊かな水を生み出します。 山水は丹精込めた棚田を潤し、人々は山里の恵みを朴葉に包みます。  里をめぐる水は、馬瀬川に流れて豊かなコケを育て、渓流魚のふるさとになります。 森・農地・川・人が共生する農村生態系「馬瀬川エコリバーシステム」が、おいしい鮎と美しい風景を育てます。

美しいい水を守るために 

鮎の良さは水の良さ。いいコケをたっぷり食べた鮎はスイカの匂いがします。水を守るために、間伐を進めて健康な山をつくる取り組み、丹精込めた農業の取り組みと共に、釣り客にも、マナーを守って自然と共生する魚釣りを楽しんでもらいたい。馬瀬川周辺に公衆トイレを整備し、指定場所以外でのキャンプ、バーベキューは禁止するなど、人にも魚にも気持ちよい川づくりに取り組んでいます。

美しい農村景観を守るために

 馬瀬に誇りを持って住み続けたくなる村づくりは、美しい景観をつくっていくことです。道路を覆って日が差さないヒノキ林を間伐して、森に隙間をつくってやることで、冬には雪解けも早くなり、樹間から馬瀬川の風景が眺められるようになっています。荒れた農村風景にしないため「草刈コンテスト」を行って、美しい集落を維持しています。こうした取り組みが、「日本で最も美しい村」として認められました。

ホテルが取り組む地産地消

 美輝の里では、丹精込めて棚田で栽培された「まぜひかり」を食事で提供しています。また売店でも販売していおり、馬瀬のお米はとても美味しいと評判が高く、お土産として買い求められています。食事やお土産だけでなく、春の田植え体験、秋の稲刈り体験を行っており、馬瀬の暮らしに触れることができます。また温泉を湧かすのには、ペレットボイラーを使い、下呂市内から出た木くずを市内のペレット工場で、固形燃料にし、燃料の地産地消によって、年間約400トンのCO2削減に貢献しています。



人々の暮らし

川漁師・鮎取り隊 女性農業グループ Iターン移住者

馬瀬川の子どもたちは、川漁師に憧れ、馬瀬川で遊んで育ちます。 鮎漁を嬉しそうに語る笑顔は、幸せそのもの。 ここには、馬瀬川を通して大人になる、素直でポジティブなエネルギーがあります。  初秋の馬瀬川で、落ち鮎をかがり火と松明で網に追い込む馬瀬川火ぶり漁(写真左上)では、夕闇の川に潜り、 鮎を追う勇壮な姿を見ることができます。

 自称「日本一小さな道の駅」道の駅馬瀬美輝の里の直売所を運営するのは、女性グループ「さんまぜ工房」の皆さん。 馬瀬の味を伝えるため、商品開発に取り組んで生まれた郷土の味覚、朴葉すしやねずしの販売は、予約がすぐ埋まる人気商品。定番のお土産も手作り商品が並んでいます。

 馬瀬の自然と人の素晴らしさが忘れられず、岐阜市からⅠターンで移住しました。 古民家を手入れして、馬瀬ライフを楽しんでいます。火ぶり隊の川漁師仲間にも入れてもらいましたが、さすが、子どもの頃から馬瀬川で遊んだ地元っ子にはかないません。でも、火ぶり漁の鮎講座や紙芝居で、都会から来た人たちに、馬瀬鮎と自然を守る人々の思いを伝えていきたいと頑張っています。



外国人に日本の田舎を見てもらいたくて

 鮎釣り客で賑わった馬瀬には、山村ながら開放的な雰囲気があります。外国人バックパッカーが村を歩き、沢のぼりや森林冒険プログラム「森のニンジャ」を楽しんでいます。大人も外国人も童心に返ります。



南飛騨馬瀬川温泉「美輝の里」

 つるつる美肌のアルカリ性単純温泉を15種類のお風呂で楽しめる温泉施設「南飛騨馬瀬川温泉美輝の里・ホテル美輝」。高台に位置する露天風呂は、夜には満天の星空が広がります。早朝の露天風呂は、馬瀬川から立ち上る川霧が山あいの集落を包んでいく様子が見えて幻想的です。

 つるつる美肌のアルカリ性単純温泉を15種類のお風呂で楽しめる日帰り温泉施設「南飛騨馬瀬川温泉美輝の里・スパー美輝」は飛騨最大級のお風呂が自慢です。

以前、馬瀬を訪ねた折に聞いたのですが、昔から飛騨では「小坂おんなに馬瀬おとこ」ということばがあるそうです。

是非、温かい馬瀬の人々と触れ合い自然の空気に癒されてみて下さい。

協力

南飛騨馬瀬川観光協会 岐阜県下呂市馬瀬西村1508-1

TEL 0576-47-2841/FAX 0576-47-2333



比較的交通手段が不便のように思われている地方程、ひっそりと伝統美を保ち、日本の美意識の原点を体感させてくれる生きた教えがあります。

神在月に訪ねてみよう!夜を徹して演じられる石見神楽。

百聞は一見に如かず。物凄い迫力!

余りのエネルギーに日本人ならば、何かが目覚める!

「神無月」と一般に呼ばれる10月(旧暦では11月頃)は、出雲では「神在月」と言われ、日本全国から八百万神が集まる特別な月。古くから神にゆかりのある島根に位置する界 出雲から足を延ばして、石見地方に残る伝統芸能「石見神楽」を鑑賞し、神話を感じる秋のご滞在をお楽しみください。

The Kannazuki

October called "Kannazuki" and in general (around November in the lunar calendar) is said to be "Kamiaritsuki" in Izumo, a special month in which eight million God gather from all over Japan. Extending the leg from Izumo field which is located in Shimane with Yukari to God for a long time, to watch the traditional arts, "Iwami Kagura" remain in the Iwami region, please enjoy the autumn of your stay to feel the myth.

石見神楽

石見神楽の起源は古く、日本神話において天照大御神が天の岩戸(写真)に隠れられ、アメノウズメが、かがり火をたいて舞ったというのが起源とされています。

石見地方では、今では毎週末には各地で「石見神楽」の定期公演が開催されていますが、秋祭りの夜になるとあちらこちらの町の神社で神楽囃子が聞こえ「家内安全・五穀豊穣を願って神様にお神楽が奉納される。楽しみの少なかった昔は、村人たちの娯楽でもあったようです。

Iwami Kagura

Iwami origin of Kagura is old, Amaterasu in Japanese mythology is hidden Iwato (photo) of heaven, Ame-no-Uzume-no-Mikoto is, because waited want the bonfire has been the origin.

Iwami in rural areas, but are now held regular performances of "Iwami Kagura" in various places at the end of every week, heard Kagura musical accompaniment at the shrine of the here and there of the town when it comes to the night of the Autumn Festival hope "my wife safety and bumper crops Once upon a time God in your Kagura was less of. fun to be dedication on is as was also the villagers of entertainment.  




大蛇

高天原を追われた須佐之男命(すさのおのみこと)が出雲の国 斐の川(斐伊川)にさしかかると、嘆き悲しむ老夫婦と稲田姫に出会う。理由を尋ねると、八岐(やまた)の大蛇が毎年現れ、既に7人の娘が攫(さら)われ、残ったこの稲田姫もやがてその大蛇に攫(さら)われてしまうと言う。  一計を案じた須佐之男命は、種々の木の実で醸した毒酒を飲ませ酔ったところを退治する。 そのとき、大蛇の尾から出た剣を『天の村雲の剣(あめむらくもつるぎ)』と名づけ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)に捧げ、稲田姫と結ばれる。

ド迫力の大蛇が須佐之男命を相手に火を噴き暴れまくる!



日本武尊

日本武尊の東夷征伐を題材にした神楽です。九州の豪族熊襲(くまそ)を平らげた日本武尊は、父、景行天皇に報告しますがすぐさま東の国を平定するよう命ぜられ、東国へ出発します。道中、伊勢の宮に参拝し、叔母君大和姫に会い天の村雲の剣と火打ち石を賜ります。

一方、駿河(するが)の国にすむ兄ぎし、弟ぎしたちは、天皇の命令に従わないため征伐されると聞き賊首(ひとこのかみ)に教えを請います。「この野には、人々に害を与える大鹿がいる」と欺き、日本武尊が大野に入ったところを、八方より火を付け焼き殺そうとしますが、宝剣が自然と抜け出て、草をなぎ払い守袋の中の火打ち石で迎え火を付けて
日本武尊は難をのがれ、兄弟たちは退治されてしまいます。



道返し

常陸(ひたち)の国に住む武甕槌命(たけみかづちのみこと)が異国より攻めてきた大悪鬼と戦います。命と闘った後に鬼は降参し、九州高千穂の峰に有る千五百穂の稲穂(米)を食えと命令されます。石見神楽では珍しく、鬼が許され国土が平穏になるという神楽です。

神と鬼が共に太刀を持って戦うのが特徴的な演目で、鬼面が泣き顔だったり、牙が沢山生えているもの、目が光っているもの、口から火をはくものなど、団体によって工夫が沢山。神楽ファンにも人気の演目です。



八幡

武勇の神、八幡宮の祭神である八幡麻呂を讃える演目です。 九州宇佐八幡宮に祀られている八幡麻呂という神様が、異国から飛来した第六天の悪魔王が人々をつぎつぎと殺害しているのを聞き、神通の弓、方便の矢をもって退治します。正義(神)対、悪(鬼)。石見神楽の代表的な展開の神楽です。

くるくる回るぜ!石見神楽の真骨頂!勇壮に戦い舞う姿が、心地よい!

同じ八幡でも、神は男っぽい面、美顔面や面をつけない素面だったり、鬼も般若や男鬼・黒鬼・赤鬼など団体によって異なります。見比べてみるのもオススメです!



恵比須

この神楽は、出雲の国美保神社の御祭神、恵比須様が磯辺で釣りをしている御姿を舞ったものです。 にこやかに鯛を釣る恵比須様の様子が面白おかしく、心の和む演目。

恵比須様は昔から漁業、商業の神様として崇拝されています。 恵比須様のコミカルな動きは子ども達にも大人気!

鯛釣りの前に撒き餌(まきえ)とみたてて、福飴を撒いちゃいますよ。



アクセス



協力

石見観光振興協議会事務局 〒697-0041 島根県浜田市片庭町254 
島根県西部県民センター商工労政事務所内 TEL.0855-29-5647 FAX.0855-22-5306
島根県西部公式観光サイト 「なつかしの国 石見」http://www.all-iwami.com/

アジア文化造形学会 会長、東北芸術工科大学 名誉教授、
風土・色彩文化研究所 代表 日原もとこ

※写真提供

株式会社 アイ企画
〒697-0006 島根県浜田市下府町1689-6
TEL0855-25-5021 FAX050-3458-1046 master@ai-fit.com

島根県浜田市 西村神楽社中



雷滝

別名裏見の滝。長野県の北部に位置する高山村。志賀高原の中央部から車で約30分、県道より142メートル奥に位置し、付近の川幅29メートル左岸壁の高さ40メートルである。滝は珪化されて堅くなった凝灰角礫岩でできていてこの岩肌の侵食によって作られている。侵食の速度は割合に遅いが、次第に上流に向かって後退する傾向が見られる。ひさし状に出た滝の岩場をくぐると滝の裏側を見ることができるので、雷滝は裏見の滝ともよばれており、雷のような轟音と共に落差30㍍の滝壺に流れおちる様は豪快そのものである。そのまま滝の向こう側に進むと、水煙を立てて谷底に落ちる滝の全景がみられる。マイナスイオンを満喫でき癒される。流れ落ちる水量とその豪壮な眺めは名勝にふさわしいといえる。

松川渓谷は温泉の宝庫、この辺りは秘湯が点在しており、七味温泉のように乳白色のお湯の温泉もある。お勧めです!

お問い合わせ

高山村役場

〒382-8510 長野県上高井郡高山村大字高井4972

電話 026-245-1100 FAX 026-248-0066



日本の棚田百選に選ばれた癒しの名勝地「鬼木棚田」

鬼木は虚空蔵火山の裾で馬蹄形に開けたところですが、その斜面には石垣で畔を築き、棚田が段々に重なっています。最近の圃場整備で、田の広さや形は耕作に便利となりましたが、下の開田から見上げると山裾まで何十段重なっているでしょう。始めて見る人は、その見事さに目を奪われます。日本の「棚田百選」に選ばれた名勝地で、四季の変化は訪れる人の心をなごませてくれます。

 また、9月には「鬼木棚田まつり」が開催されます。100体超が出展される案山子コンテストや棚田ウォークラリー、枝豆収穫祭など楽しいイベントが目白押しです。

「鬼木棚田」のある長崎県東彼杵郡波佐見町鬼木郷は嬉野と有田の境にあります嬉野温泉で湯を浴び有田で有田焼をご覧になることも出来る見どころいっぱいの地域です。毎年9月に行なわれる「鬼木棚田まつり」出かけられては如何ですか。現地には、見学者の方たちの為の展望台もあり、ご自由に見学も出来ます。

交通アクセス

波佐見有田ICから車で10分、嬉野ICから車で20分、JR川棚駅から車で20分

お問い合わせ

長崎県観光連盟 0956-85-2290
 


世界農業遺産[能登の里山里海]の代表的な棚田 白米千枚田

“日本農業の聖地”がここにある

世界農業遺産「能登の里山里海」 白米千枚田は世界農業遺産「能登の里山里海」の代表的な棚田として、年々注目を浴びています。千枚田は「日本の原風景」と呼ばれ、2011年6月、日本で初めて世界農業遺産に認定されました。 昔ながらの農法が現在も行われており、日本古来の農法「苗代田」を復活させました。実際に種籾から苗を育成し、稲作を行う取り組みを行っています。

白米千枚田(しろよねせんまいだ)は石川県輪島市白米町にある棚田です。 日本海に面して、小さな田が重なり海岸まで続く絶景は、日本の棚田百選、国指定文化財名勝に指定され、奥能登を代表する観光スポットとして親しまれています。 水田一面あたりの面積は約18平方メートルと狭小で約4ヘクタールの範囲に1004枚の典型的な棚田風景が展開し、古くより「田植えしたのが九百九十九枚あとの一枚蓑の下」「越中富山は田どころなれど能登は一枚千枚田」等の古謡が唄い継がれています。

世界農業遺産(Globally Important Agricultural Heritage Systems(GIAHS):ジアス)は、2002年(平成14年)、食料の安定確保を目指す国際組織「国際連合食糧農業機関」(FAO、本部:イタリア・ローマ)によって開始されたプロジェクトです。 創設の背景には、近代農業の行き過ぎた生産性への偏重が、世界各地で森林破壊や水質汚染等の環境問題を引き起こし、さらには地域固有の文化や景観、生物多様性などの消失を招いてきたことが挙げられます。 世界農業遺産の目的は、近代化の中で失われつつあるその土地の環境を生かした伝統的な農業・農法、生物多様性が守られた土地利用、農村文化・農村景観などを「地域システム」として一体的に維持保全し、次世代へ継承していくことです。 国際連合教育科学文化機関(UNESCO(ユネスコ))が推進する世界遺産が、遺跡や歴史的建造物、自然など「不動産」を登録し保護することを目的としているのに対して、世界農業遺産は、地域のシステムを認定することで保全につなげていくことを目指しています。 認定地域は世界各国に広がり、2015 年12月末現在で15ヶ国36サイトとなっています。 参考:国際連合食料農業機関(FAO)ホームページ(英語)

日本では、「能登の里山里海」(石川県能登半島、2011年6月)、「トキと共生する佐渡の里山」(新潟県佐渡市、2011年6月)、「阿蘇の草原の維持と持続的農業」(熊本県、2013年5月)、「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」(大分県、2013年5月)、「清流長良川の鮎」(岐阜県、2015年12月)、「みなべ・田辺の梅システム」(和歌山県、2015年12月)、「高千穂郷・椎葉山地域の山間地農林業複合システム」(宮崎県、2015年12月)などが認定されています。

ご協力・お問い合わせ

わじま観光案内センター
〒928-0001 石川県輪島市河井町20部1-131

TEL:0768-23-1100FAX:0768-23-1856 E-mail: wajimaguide@gmail.com



白米千枚田は世界農業遺産「能登の里山里海」の代表的な棚田として、年々注目を浴びています。千枚田は「日本の原風景」と呼ばれ、2011年6月、日本で初めて世界農業遺産に認定されました。 昔ながらの農法が現在も行われており、日本古来の農法「苗代田」を復活させました。実際に種籾から苗を育成し、稲作を行う取り組みを行っています。

千枚田の見どころ 白米千枚田では毎年4月末頃から棚田に水が引かれはじめ、5月のはじめに田植えが始まります。 棚田の水面に映る空は鏡のように輝き、一見の価値あり。 夏には稲の瑞々しい緑と日本海の青のコントラストや、夕日に染まる棚田も絶景です。 秋の収穫期には春先の田んぼの様子から打って変わり、黄金色の稲穂が棚田を彩ります。たわわに実った稲穂がざわざわ、と風に揺れる様子は変わらない「日本の原風景」といえるでしょう。

白米千枚田では平成28年10月15日(土)から平成29年3月12日(日)にかけて大規模なイルミネーションイベント「あぜのきらめき」が開催されます。棚田のあぜに21,000個のソーラーLEDを設置し、毎晩イルミネーションが楽しめる光のイベントです。 日没後、辺りが暗くなるにつれ点灯してゆく様子はとても幻想的です。 また、期間中にはクリスマス・バレンタインデーなどの特別イベントも開催しております。



イルミネーションは色が変わるLEDを設置し、一面ピンク色からゆっくりと黄色に変わりながら灯り、30分ごとに切り替わります。 多くのボランティアがひとつひとつ丁寧に植えた光が作り出す美しい光景をぜひご覧ください。写真は魅惑の棚田 【NO.033】



使用するLED装置は通称「ペットボタル」と呼ばれています。ペットボトルは地元企業の協力により、昼間の太陽光エネルギーで充電、暗くなると自動で発光するしくみにになっています。 また、この21,000個のペットボタルは「ほたるびと」と呼ばれる多くのボランティアが設置しています。毎年「ほたるびと」を募集しております。今年度の募集につきましては決定次第ホームページ等で告知をされますのでご注意ください。写真は魅惑の棚田 【NO.032】

ご協力・写真提供:輪島市交流政策部観光課

お問い合わせ

輪島市交流政策部観光課 〒928-8525 石川県輪島市二ツ屋町2字29番地 TEL:0768-23-1146

 



国宝 犬山城は木造建築

国宝犬山城は、室町時代の天文6年(1537)に建てられ、天守は現存する日本最古の様式です。木曽川のほとりの小高い山の上に建てられた天守閣からの眺めはまさに絶景。周辺には犬山城下町の古い町並みや、多くの観光施設があります。ぜひ歴史の荒波を生き残った、国宝犬山城をご覧ください。

犬山城の歴史

築城 天文6年(1537)

天文6年(1537)、織田信長の叔父、織田信康によって木之下城より城郭を移して築いたといわれています。木曽川沿いの小高い山の上に建てられた「後堅固(うしろけんご)の城」で、以後、中仙道と木曽街道に通じ、木曽川による交易、政治、経済の要衝として、以後戦国時代の攻防の要となりました。



国宝 犬山城は戦国合戦の舞台

名称:国宝 犬山城

通称:白帝城

立地:平山城

天守構造:望楼型・三層四階地下二階・複合式天守

天守の高さ:約19m

築城年:天文6年(1537)

築城者:織田信康(織田信長の叔父)

廃城年:明治4年(1871)

指定文化財:国宝(天守)

主な城主:織田氏・池田氏・石川氏・成瀬氏

所在地:愛知県犬山市犬山北古券65-2


地下一、二階(穴倉)

天守の出入り口があり、天守を支える石垣や太い梁をみることができます。

一階

中央部に第一の間、第二の間、上段の間、納戸の間の4室に分けられ、それらを武者走が取り巻いている。

二階(武者走)

中央が武具の間で武具棚が備えられ、その周囲を武者走りが巡っている。

三階(破風の間)

南北に施されている唐破風は成瀬氏によって増築されたといわれている。 東西には入母屋破風が施されている。

四階(望楼)廻縁(まわりえん)

回廊は成瀬氏による増築とされ、高欄(こうらん)と廻縁(まわりえん)がまわる望楼(ぼうろう)となっている。


天守の構造(概略)

天守の高さ 約24メートル(内石垣の高さ 約5メートル)

3重4階(及び地下2階:石垣中)南面に付櫓がつく

1階:上段の間・武者隠しの間・納戸の間

城主の居間とされ、床が高く畳が敷き詰められ、床・違い棚が設けられた書院造りの間です。これは、江戸時代(文化年間)の改造と考えられています。その北は、万一を警護する武士の詰所となっており、東は、納戸の間が配されています。それらをとりまいて武者走りの板の間があります。

2階:武具の間

中央が武具の間で、西北東の三方に武具棚が備えられています。

3階:破風の間

唐破風は、元和~貞享の七十余年の間に、成瀬氏により増築されたといわれます。南北に唐破風、東西に千鳥羽破風が設けられています。

4階:高欄の間

回廊は、成瀬氏による増築とされ、高欄と廻縁がまわる望楼となっています。


木曽川うかいと犬山城(左側の頂上)


※協力:国宝犬山城 愛知県犬山市犬山北古券65-2 TEL.0568-61-1711(管理事務所)




駿河湾と富士山を一望できる石積みの棚田

石部(いしぶ)棚田は、伊豆半島の西側の先端に位置する静岡県松崎町にあります。標高120~250mに広がる約370枚、4.2haの田んぼは、東日本では珍しい石積みの棚田。眼下に駿河湾を一望でき、晴れた日には、富士山・南アルプスを望むことができる絶景の棚田です。

平成12年に、耕作放棄され、茅で覆われていた4.2haの棚田を再生し、集落活性化の起点として活用されています。

平成22年には、「第16回全国棚田(千枚田)サミット」が開催されました。



松崎町は、平成24年2月23日の富士山の日に「世界でいちばん富士山がきれいに見える町」を宣言しました。

この宣言が行われた雲見海岸からは海に浮かぶ牛着岩(うしつきいわ)越しに富士山を望むことが出来ます。



石部の棚田(石部南)

『蛇石火山の地下水と棚田』

約140万年前の噴火でできた蛇石火山の裾野にある棚田。

火山噴出物の割れ目やすき間にたくわえられた地下水が湧き出してこの棚田の水源になっています。

江戸時代後期に山津波によって崩壊しましたが、20年間にわたる過酷な作業のすえ復田しました。

一時は使われなくなっていましたが、保存活動により現在は静岡県棚田十選に選ばれるほどの美しい棚田が維持されています。

栽培されている古代米からは焼酎(百笑一喜)も醸造されています。


協力:松崎町役場

          松崎町観光協会

          伊豆半島ジオパーク

お問い合わせ

松崎町役場

〒410-3696 静岡県賀茂郡松崎町宮内301-1
TEL:0558-42-1111FAX:0558-42-3183 

松崎町観光協会

〒410-3611静岡県賀茂郡松崎町松崎211
TEL : 0558-42-0745 FAX : 0558-42-2092


アクセス(松崎町)

電車

東京---------------伊豆急下田-----------松崎町

  <スーパービュー踊り子2時間40分>       <バス50分>

東京-------三島---------修善寺----------松崎町

  <新幹線55分>   <伊豆箱根鉄道32分>   <バス1時間45分>

名古屋------三島---------修善寺----------松崎町

 <新幹線1時間45分> <伊豆箱根鉄道32分>   <バス1時間45分>

清水港---------土肥港--------松崎町

   <駿河湾フェリー65分>   <バス40分>

東名沼津I.C.--------三島-----------------松崎町

新東名長泉沼津I.C.-----三島-----------------松崎町

<国道1号線30分>        <伊豆中央道経由国道136号1時間40分>

<東駿河湾環状道路15分>

アクセス(松崎町)



三角の本館と鏡池 山形市の東側の丘陵に広がる東北芸術工科大学のキャンパス 


東北芸術工科大学 サスティナブル10とは?

サスティナブルタウンのための10の提言とは

「サスティナブルタウン」とは、地球規模の環境問題へ対策を行ないながら、経済的にも持続的に発展する「まち」のこと。東北の資源を活かし、21世紀に相応しい「サスティナブルタウン」を地域とともに考え、実現に向けて取り組むために、東北芸術工科大学 建築・環境デザイン学科では、「サスティナブルタウン」を推進するため、10の提言をまとめました。そして、この提言を広く普及するため、カードを作りました。

現在、どの市町村でも取り組まれている環境問題ですが、東北地方には東北ならではの環境問題への解決方法が必要と考え、「東北のサスティナブルタウンのための10の提言」をつくり、10の具体的なテーマを掲げ、大学が実施までの具体的なお手伝いをしていきます。将来の私たちやその子孫の暮しのために、東北のほかの地域でも 活動を広く展開したいと考えており、連携のお申し出を随時広く募集しています。

また、サスティナブルタウンのための10の提言カードは、ご希望の方に無料で発送しております。詳しくは、建築・環境デザイン学科準備室までお問い合わせ下さい。

建築・環境デザイン学科準備室

TEL:023-627-2189

FAX:023-627-2144

サスティナブル10カードの使用方法

サスティナブルタウンのための10の提言カードの使用方法

このカードは、「サスティナブルタウン」についてのコミュニケーションを助ける道具(ツール)です。自治体や住民、そのほかの団体など、「サスティナブルタウン」を目指そうとする一般の方や学校の生徒さんが、必要なことをお互いに話し合うときに、カギとなる項目の確認をしたり、問題の発見をやさしく導きます。

使い方は色々です。ミシン目で切り離し、10枚のトランプのようなカードにします。例えばワークショップの場合、カード毎にグループに分かれてテーマを彫り下げ、話し合いやアイデアの発表を行ないます。

自治体では、「まち」には何ができていて、何ができていないのかを、カードで確認することができます。

学校では、これからの社会について、カードの説明を用いて勉強することができます。また、そのまま普及啓発のポスターとして掲示することもできます。

このカードをきっかけに、様々な立場のより多くの人びとがサスティナブルな社会のために話をすることで、私たちの未来が変わっていくはずです。10の提言から色々なアイディアや活動が生まれることを期待し、その具現化のお手伝いを一緒にしたいと私たちは考えています。

協力:東北芸術工科大学 

〒990-9530 山形県山形市上桜田3-4-5

TEL:023-627-2000(代表) FAX:023-627-2185




日本の棚田百選に選ばれた岐阜県恵那市の坂折棚田

幾何学模様の棚田は、周辺の里山と調和し他には類を見ない美しい景観を楽しむことができます。 

石積みの美しい棚田(千枚田)。四季折々変化する景観は素晴らしく心が癒される

今から約400年前、戦国時代から江戸時代に入るころから、知恵と汗で築かれた棚田(千枚田)。自然石を積み上げた石垣でその高さは1~3m。幾何学模様の石積みは周囲の里山と調和し、他には類を見ない美しい景観である。

 


優れた石積み景観の坂折棚田の保全と自然豊かな里山の保全に取り組むこととし、棚田オーナー制度や棚田トラストなどの実施により都市住民の参加を促し、地域住民との共同作業による棚田地域の農業の継続を通じて棚田の保全を図るとともに、各種の交流事業及びボランテイア活動よる里山の環境保全を進める。

 また、都市住民等との交流拠点及び棚田・里山文化の伝承拠点として、棚田地域内の旧「本柘植家」を『棚田屋敷なごみの家』として整備を進め有効活用を図る。

 保存会が目指す方向としては、遊休農地及び今後耕作放棄されることが予想される農地を活用し、最近高まっている社会的な自然回帰、農村回帰に呼応し、都市住民との交流を促進し、体験から半定住、定住に繋げ、地域の活性化を図る。

 新たに組織された地域協議会との連携により、農地の保全、地域活性化、環境保全等のまちづくり事業を推進し、中山間地域の活性化を図ってまいります。

 


田の神様灯祭り

近年、「自然」と人の「生活」が離れてきています。自然と共生してきた暮らしを人工的な空間で閉ざすことになりました。日常生活から自然を排除してしまっている現在です。

 自然を大切にする認識を失わないようにとイベントが始まりました。棚田の空間は山・川・森林・農地・宅地といった要素がすぐ隣接しています。

また、郷土芸能の演奏や提灯行列を行い、参加型イベントでもあります。このイベントを通じて地元に経済的効果を生み出し、地域への活力を与えるきっかけとしての側面もあります。

坂折棚田のある中野方町に限らず飯地町・笠置町をも含めた地域連携イベントです。過疎化が進む田舎では、単独地域ではなく周辺地域を含める連携した取り組みを行っていくことがこれからの時代は必要です。

行事内容

・ろうそく1,000基による棚田の灯り

・田の神へ田植えの無事完了した報告のお詣り

・一年の豊作と雨ごいを祈願した祈祷

・点灯式

・地元(中野方町・飯地町・笠置町)による飲食出店

・中野方めれた囃子・飯地太鼓といった郷土芸能の披露、またプロによるコンサート

・提灯行列や着物着付け体験(岩村ふるさと小町)による来訪者参加型イベントの実施

(参加者募集中!当日の応募も可)



NPO法人 恵那市坂折棚田保存会では主に

1.棚田の景観保全

2.都市農村交流

3.棚田ブランド開発

4.文化伝承

などを行なっています。



協力・お問い合わせ

NPO法人 恵那市坂折棚田保存会

岐阜県恵那市中野方町782-1

TEL.0573-23-2032 FAX.0573-23-2046


アクセス(坂折棚田)




札幌市の取り組み「カラーユニバーサルデザイン」 


広報印刷物等制作時にかかる色の配慮について

札幌市ではこれまでも、すべての人に分かりやすい「ウェブアクセシビリティ」に基づいたホームページや、点字版・音声版の広報さっぽろの作成、札幌で生活や観光をする上で必要な情報に関する多言語版のホームページの開設など年齢や身体的な状況、国籍などを問わず、誰にでも分かりやすい情報提供を行うことに努めてきたところです。

今回新たに、人によって色の感じ方が異なることに配慮し、情報を正しく伝えるための指針として「広報に関する色のガイドライン」を作成しました。

このガイドラインでは広報印刷物などを作成する際に、できるだけ多くの人に見やすく分かりやすい情報を提供するためには、使用する色についてどのようなことに気をつけたらよいのかなど、「カラーユニバーサルデザイン」についてまとめています。

「誰もが安心して暮らし生涯現役として輝き続ける街」を実現するため、札幌市が率先して「カラーユニバーサルデザイン」に対応していくことで、オール札幌での取り組みに広がっていくことを願っています。

カラーユニバーサルデザインとは

色覚の個人差を問わず、より多くの人に利用しやすい製品・施設・環境・サービス・情報を提供するという考え方を「カラーユニバーサルデザイン」といいます。

カラーユニバーサルデザインで最も大切なことは、誰にでも分かりやすい色の使うことですが、下記3つのポイントに配慮することにより、多くの人に情報が正確に伝わるようになります。

1.できるだけ多くの人に見分けやすい配色を選ぶ

2.色を見分けにくい人にも情報が伝わるようにする

3.色の名前を用いたコミュニケーションを可能にする

より多くの人が「使いやすい」「分かりやすい」と感じる、もの・環境・サービスを設計(デザイン)しようという「ユニバーサルデザイン」は、色使いに関しても同様です。カラーユニバーサルデザインは「色を使って表現してはいけない」「色使いを限定する」ものではなく、情報を効率よく正確に伝えるためのものです。

協力・お問い合わせ

札幌市総務局広報部広報課

〒060-8611 札幌市中央区北1条西2丁目 札幌市役所本庁舎11階

電話番号:011-211-2036 ファクス番号:011-218-5161

さっぽろ広域観光圏推進協議会(札幌市観光企画課)

電話番号:011-211-2376





松崎出身で江戸時代に左官の名工として名をあげた、入江長八の作品がご覧いただけます。入江長八は、23歳で江戸へ出て、狩野派の絵を学びながら、彫塑の技を修めて、これを左官の業に応用し、漆喰とコテで絵を描く長八独自の芸術を完成させた人物です。

長八は、江戸で精力的に仕事をしていましたが、当時の江戸は火事が多く殆どが焼失し、残った作品も震災・戦火で失われてしまったため、現存する作品は、松崎町に残る作品を除くと、極めて少数です。

記念館は、浄土真宗西本願寺の末寺である浄感寺内にございます。 といいますのも、長八が浄感寺再建(弘化2年)にあたり、江戸から弟子2名を引きつれ、寺内に残した天井絵・彫刻・漆喰細工などが作品となっているからです。

どうぞ、稀少な入江長八の作品をご覧ください。

松崎町は、平成24年2月23日の富士山の日に「世界でいちばん富士山がきれいに見える町」を宣言しました。

なまこ壁

伊豆松崎町には、古き良き時代に建築された「なまこ壁」の住家や土蔵が多く残されています。

なまこ壁は

1.保湿、防湿、防虫

2.火災、盗難予防

の目的で造られたもので、多額の経費と多くの労力を要しています。

(上の写真)近藤家のなまこ壁は、江戸末期に建築されたものです。


明治商家 中瀬邸

明治初期、呉服商家を営んでいた依田家は、わずか数代のうちに財をなした大地主でした。

現在は町が譲り受け、総合案内所やジオパークビジターセンターとして活用しています。

館内には、当時の呉服商の再現、観光案内、地場産品の販売、喫茶などが設けられています。お気軽にご利用ください。

<営業時間>

9:00~17:00(年中無休)


伊豆の長八美術館は、左官の名工入江長八の偉業を後世に伝えるため昭和59年にオープンしました。

長八の漆喰鏝絵は、左官の技術に日本画の狩野派の技法を取り入れ、西洋のフレスコに勝るとも劣らない独特な壁画技術として芸術界でも高く評価され、また美術館の建物も「江戸と21世紀を融合した建物」として注目されています。

 長八美術館を設計した石山修武氏は、同美術館が受賞の対象となり、建築界の芥川賞といわれる「吉田五十八賞」を受賞しました。

伊豆の長八美術館

静岡県賀茂郡松崎町松崎23

<電話番号>

℡0558-42-2540

<営業時間>

9:00~17:00(年中無休)

協力

松崎町役場

〒410-3696 静岡県賀茂郡松崎町宮内301-1 TEL:0558-42-1111FAX:0558-42-3183 

松崎町観光協会

〒410-3611静岡県賀茂郡松崎町松崎211 TEL : 0558-42-0745 FAX : 0558-42-2092

 


大自然の奇跡「白馬三段紅葉」

秋の終わりの初雪が降った後、秋晴れの冷えた空気の白馬村で見る事が出来る奇跡の絶景「白馬三段紅葉」

初雪の白、広葉樹の紅葉の赤、針葉樹の緑色の三色が織りなす「白馬三段紅葉」が見られることがあります。

その風景は幻想的で、緑・紅葉・雪を同時に見ていると、まるで日本の四季が同時に訪れたような光景を目にする事が出来ます。

大自然が作りだす美しい秋の奇跡をお楽しみ下さい。 / 見頃:10月中下旬〜11月上旬の初冠雪後



白馬五竜

「白馬五竜」に架かるゴンドラリフトテレキャビン。秋にはまるで紅葉の中を空中散歩しているような感覚を味わえます。また、白馬五竜スキー場山頂より小遠見山山頂へと続くトレッキングコースでは秋風を感じながら、真っ赤に染まった紅葉の中を散策できます。トレッキングルートからは武田菱の雪形で有名な五竜岳が目前に迫り、その勇壮な姿を肌で感じる事が出来るでしょう。小遠見山山頂に広がる360°のパノラマをお楽しみ下さい。



白馬八方尾根

八方尾池まで続く八方尾根自然研究路の広がる「白馬八方尾根」。スキー場内のゴンドラとリフト2機を乗りつぐとあっというまにそこは標高1820m。空気の澄んでいる日には南アルプスから富士山まで見渡せる壮大な景色が広がります。また、八方尾根は位置的にも白馬三山に最も近く、素晴らしい紅葉のみならず、山々の稜々とした岩肌なども見ることが出来ます。圧倒的なスケールで広がる大パノラマを思う存分堪能してください。



白馬大橋

“日本の道100選”に指定されている絶景ポイント「白馬大橋」は白馬村の北部に流れる松川にかかる橋です。橋上からの眺めには、景色をさえぎるものは無く、清らかな雪解け水の流れる川とその周りに広がる紅葉をバックに壮大な白馬三山がそびえたっています。川の周辺には芝生がひかれた休憩ポイントもあり、天気のよい日には家族でピクニックなどいかがでしょうか?川の流れの音をBGMに爽やかな秋風の中で紅葉を満喫できるお勧めのポイントです。



夏が終わり、本格的な冬に向かっていくひとときの間、白馬村の山々はまるで燃え上がるように紅葉一色に包まれます。また、初雪の頃になると山頂に積もる雪の白色、山腹に残る紅葉の赤色、山麓に広がる針葉樹の緑色が重なる「白馬三段紅葉」が見られることもあります。広大な山々に広がる紅葉と、乾いた草木の香りは多くの人々を癒し続けています。


白馬の歴史 (古代~大正)

古代の白馬村

 古代、白馬村の地は信濃のうちにあっても、やや特殊な文化環境にありました。今から約6000年ほど昔、縄文時代前期末に、白馬岳に産出する滑石が各地に運ばれて、当時盛行した人々が身体を玉類で装飾する習俗の源となったこと、また白馬岳周辺の蛇紋岩が広く石斧の材料として使用されたこと、また弥生時代以降、村南部の湿地帯を取りまく段丘上に米作りの集落群が起こり、古墳時代に入るとそれらの集落の支配者たちがこぞって墳墓を築いたために、現在においても有数の古墳地帯となっていることなどです。

 また、ここは姫川により糸魚川と通じ、白馬山塊に産するヒスイが縄文時代から古墳時代までこの谷から運ばれていきました。後年千国道と呼ばれる街道は遥かな縄文時代にその姿を現し始めていました。

平安~鎌倉時代の白馬村

 今でも白馬・小谷地方を「小谷四ケ庄」と呼ぶ人もいますが、今から800年程昔、この辺りは「千国庄」と呼ばれ、六条院領でした。六条院とは、白河上皇が長女都芳門院婿子内親王の御所として建てたもので、内親王の死後はこれを寺として多くの荘園の寄進が行われ、千国庄もその一つとされています。

 建久元年(1190)の「新見文書」に「六条院領信乃国千国御庄内、於他里、飯守所」という記録があります。飯守は飯森、所は荘園の政務を司る「政所」で、当時相当の文化があったものと思われます。白馬岳のオオサクラソウの伝説もこの頃の華やかな文化の名残りの一つでしょう。

戦国時代の白馬村

 戦国時代初期の頃の四ヶ庄は、前期六条院領でしたが、その実際の支配者は土地の豪族仁科氏の士族であったと言われています。重文の本殿をもつ沢渡神明社については、創立年代は不明ですが、ここには弘安6年(1286)の銘のある懸仏二面(重美指定)が現存しており、この懸仏は大町市社の神明宮に現存する懸仏と同一のものであることから、そのような推測をすることができます。そしておそらく、それは沢渡氏だったでしょう。沢渡氏は永く今の三日市場大屋敷周辺に居住していたようです。すでに応永7年の大塔城合戦に沢渡五郎が大町以北の人として参加した記録があります。

 延徳2年(1490)といえば大塔合戦から90年後ですが、仁科氏の士族飯森十郎盛春により長谷院が開かれます。これから天正に至る約100年間は四ヶ庄盆地の本格的な戦国の世となり、現在語り継がれている幾つかの城跡もこの頃に築かれたもので、幾回かの合戦がありました。

封建社会の白馬村

 乱れに乱れた戦国の世も終末をつげ、慶長19年(1614)には大ががりな検地が松本藩により行われました。この時、石高が示された本村は、佐野・沢渡・飯田・飯森・堀之内・蕨平・塩島の七村のみで、その後、慶安元年(1648)から承応年間にかけ、細野・大出・野平・峰方・深沢空峠の各村が新田村して独立を認められ、漸次現在の地区形態ができると同時に、六公四民というような重税に農民は苦しみました。寛文8年(1668)の宗門改めをみると、一戸30数人という大家族もみられる社会でした。

 人口は年を迫って増加し、開墾が奨励され各部落で新田が開かれ戸数も増えて行きましたが、天候に頼る稲作のため、度々の凶作と重税に農民は苦しみ、餓死する者も多く、新田村と他村との間に山諭が度々起こりました。

 元禄年間には現在ある地区のほとんどが本村あるいは支村として姿を整え、各村の間に道路が開け、文政年間になると初市・暮市・盆市などの市が開かれ、庚申講・二十三夜講などが盛んとなっていきます。

明治時代の白馬村

  江戸時代、西岳一帯は国境警備や宗教登山または猟師のみの対象でしかなく、明治26年まで省りみる者もありませんでした。山名さえ定かでなかった白馬岳ですが、陸地測量部が一等三角点を撰点、27年にはウエストン氏が登山、31年には河野零蔵氏等の学術研究登山がなされて一躍高山植物の宝庫として全国にその名が知られるようになり、明治34年より登山者は年を追って増加の一途をたどるようになり、40年には山小屋も設けられ、白馬の観光の基礎となりました。

 また、高山植物の採集は明治42年にすでに禁止が始まりました。

大正以後の白馬村

 それまで主要な交通機関であった馬車あるいは人力車・ランプが、乗合自動車・電燈にかわったのは大正8年、鉄道は昭和7年に森上まで開通しました。産業といえば、水稲、養蚕、麻を中心とする純農村で、一雨ふれば荒れ狂う平川・松川に苦しみながら新田を起こし、人々は昔ながらの細々とした家計をたててきました。

 明治後年、日本に伝えられたスキーは、大正時代になると白馬山麓にも普及し、山岳スキー場として学生や山岳家に認められるようになりました。ガイドの村細野(現八方)は昭和21年ごろから民宿営業をし始めました。大平洋戦争後スキーは大衆化してきましたが、スキー場にリフトがかけられたのは昭和27年以後のことで、白馬村が誕生した30年代こそ、現代に至る白馬の革命が行われた時代でした。

※塩の道とは?

城下町松本と日本海側の糸魚川をむすぶ旧街道、千国街道。この険しい山道を経てさまざまな物資が運ばれてきましたが、なかでも山国信州にとって塩はとりわけ貴重な物資。 そのため別名「塩の道」とも呼ばれています。白馬から小谷にかけての道筋は石仏も多く、昔の面影を色濃く残しています。

協力・お問い合わせ

白馬村観光局 〒399-9301長野県北安曇郡白馬村北城7025
TEL.0261-72-7100 FAX.0261-72-6311

 


アクセス(長野県北安曇郡白馬村)



姨捨の棚田は国の「重要文化的景観」や「日本の棚田百選」にも選定されいる。今も小さな棚田が1500余りも連なり郷愁あふれる風景をつくりだしている。

「更科紀行」の芭蕉も歩いた棚田。今も昔も変わらない心にぐっとくる景色を楽しんでみて下さい。

俤(おもかげ)や姥(うば)ひとり泣く月の友

十六夜(いざよひも)まだ更科の郡(こほり)哉



幻想的な景色が人々を魅了し続ける姨捨の棚田。今昔和歌集に姨捨の景観と月の歌が残っていることは、いかにこの風景が古くから愛されてきたかを物語っています。棚田は国の重要文化的景観に選定、「田毎の月」は国の名勝に指定され、季節や時間で姿を変える風景は日本の原風景を想わせ、素朴な感動を与えてくれます。



長野市街までも見渡せる善光寺平を一望姨捨の澄んだ空気が遠くまで見渡せる理由のひとつ

平安の時代から、月の名所として知られていた姨捨
「田毎の月」は田植えの時しか見られない幻の風景
水を張ったいくつもの田んぼに風景が映り込む、春の奇跡のような姿。

歌にも詠まれた田毎の月

平安時代の頃から姨捨は観月の名所として知られ、万葉集にも詠まれた場所。 江戸時代から明治にかけて開田が大きく進むにつれ、小さな棚田に映りこむ月影が一層注目されるようになった。 斜面に並ぶ不揃いな形の田んぼそれぞれに月が移りゆくことを「田毎の月」と言い表し、嫉捨の田毎の月は松尾芭蕉や小林一茶など多くの俳人が訪れ、歌句の題材にもなっている。

川中島の戦いもあった善光寺平

善光寺平は別名、長野盆地。さまざまな歴史の表舞台となった場所。 この地は鎌倉時代以降、しぱしば合戦の舞台となった。有名なのは、川中島の戦い。5度にわたる武田信玄と上杉謙信の戦いにおける永禄4年(1561)の舞台となった。現在、八幡原史跡公園には、信玄・謙信の一騎打ちの像や首塚などがある。



四十八枚田(しじゅうはちまいだ)

西行法師阿弥陀の四十八願にちなんで名付けたと伝えられている四十八枚田は一反歩(300坪)を48枚に分けた棚田。

姨捨の棚田の中でもかなり早くに開田されたと言われ、「田毎の月」という呼び名はもともと四十八枚田に移りゆく月を指すとされている。

四十八枚田地区は姨捨の名勝指定地区の一つ。



写真の木の露天風呂は、今回ご協力頂きました、「心がふれあう 民芸の宿中央ホテル」さんの夜空を見上げ、花々に囲まれたガーデンテラス付き!

かけ流し天然温泉の檜の樽風呂です。

木にはフィトンチッドが含まれ人間の精神をリラックスさせてくれます。

たまたま、私自身が長年木曽の方たちと協力して木の風呂の設計をしながら全国に木風呂を普及させる活動をしておりましたので、つい檜風呂が懐かしく紹介させて頂きました。

ついでに、木曽の檜は、北で分布する木の南限にあたり、南で分布する木の北限になります。だから、木曽の檜は、気候風土の違う日本全国どの土地で使用しても、狂いがな少ないので貴重な木として、江戸時代は徳川幕府の直轄地として尾張徳川家が管理していました。

昔から、木の風呂は、関東は「さわら」(今も桶に使用されています。大相撲の呼び出しさんが水をまくときに使用しているものです)、関西は「高野槇」(槇の木の事ですが、高野山周辺でとれたことから通称高野槇と呼ばれています。勿論木曽五木の一つですから、木曽においても産します)中部は一般に「檜」ですが、なにせ中部は木処でもあり、さわら、高野槇、檜いずれも使用していました。ちなみに東北では「ヒバ」(あすなろ、木曽五木の一つで木曽では明日桧、北陸・石川県輪島の漆の基材に「あて」という名前で呼ばれ使用されていました。)
同樹種でも所違えば名称も変わってきます。同じ日本人でも県民性があるように。

ついでに、灘の酒造りの桶は、杉の板目が使用されています。柾目じゃなくてなぜ?板目かは考えてみて下さい。簡単に理解できると思いますよ。

ちなみに、木の適材適所をのたまわれたのは須佐之男命(スサノオノミコト)だそうです。今回のテーマとは少しずれてましたので、また機会があれば是非続きをお話したいと存じます。

協力
千曲市観光協会. 
〒389-0821 長野県千曲市上山田温泉2-12-10 TEL.026-275-1326 FAX.026-275-3678

心がふれあう 民芸の宿 中央ホテル
〒389-0821 長野県千曲市上山田温泉1-38-1 TEL026-275-3322





京の薫りが吹き抜けた江戸時代、高山の歴史と文化が彩りはじめる

東は乗鞍岳、南に御嶽山、西に白山、北には立山。

飛騨高山はその山々に包み込まれるように位置しています。

元々は“安川村”という小さな村だった山里高山に

江戸のはじめに大きな旋風が巻き起こります。

織田氏、豊臣氏、徳川氏の家臣であった金森長近は、

関ヶ原の戦いで功績を収め初代高山藩主となりました。

長近は京都に習って市街地を碁盤目状に作り、

東山に寺を集め、侍屋敷・職人町を作り、

現在の町の原形を成しました。

かつて山里だった高山の町並みは大きな変貌を遂げるのです。

元禄5年(1692年)金森氏は国替えとなり、飛騨は徳川幕府直轄の天領となり、

それ以来高山は、町人の町として栄えます。

そうして町衆文化が主となる高山文化が彩りはじめていったのです。



伝統深い日下部家と趣ある町家建築

天領時代、日下部家は幕府(代官所)の御用商人として栄えた商家で、屋号を「谷屋」といいました。

嘉永5年には、役所の御用金を用立てする掛屋〈かけや〉をつとめ、後には両替屋を営みました。

当時の邸宅は明治8年の大火で類焼、

その4年後の明治12年(1879)に完成したのが、現在の建物です。

木の国飛騨の人々は元来建築技術に優れており、「飛騨の匠」と称されております。

Traditional deep Kusakabe house and quaint townhouses

Architecture Tenryo era, Kusakabe house is a merchant who prospered as a purveyor of the shogunate (magistrate's office), we say the trade name as "Tanya". The 5-year Kaei, served as Kakeya <engagement> to Yodate the office Goyokin of, after was life a currency exchange shop. Catch fire mansion at the time in the great fire of 1875, was completed in 1879 after four years (1879) is the current building. Country Hida of the people of the tree is superior to the original building technology, we are referred to as "Hida Takumi".

その「飛騨の匠」は現在に至るまで数多くのすばらしい建築物を生み出してきました。

当家の棟梁〈とうりょう〉は当時の名工、川尻治助、

彼は自己の技量をこの家に傾注し、江戸時代の建築様式そのままの見事な住宅を造り上げたのです。

主家〈おもや〉は、切妻造り段違い二階建て、一部吹き抜けの総桧〈ひのき〉造り。

梁〈はり〉と束柱〈つかばしら〉の木組みの力強い構成、屋根の勾配〈こうばい〉はゆるく、軒〈のき〉の出は深い。

また家の正面表構えの出格子〈こうし〉、入格子、窓切りの変化、ベンガラに煤〈すす〉をまぜて、焦〈こげ〉茶色に塗った木部の仕上げ等、江戸時代高山の町家造りの特色を留めております。

他に土蔵二棟があります。

昭和41年、明治建築の民家として初めて国の重要文化財に指定され、

以後民芸館として一般に公開されております。

高山を、日下部を、歴史と文化を、

出来る限り多くの方に知って頂きたい、

その一心で私達は大切に大切に今日まで護り続けてきました。



花嫁籠

日下部家9代の花嫁が嫁いでくる時に乗ってきた籠。

2F展示場の紺の花嫁衣裳を身に纏い日下部へとお嫁入りされました。



高山の伝統ある雛人形、ひとつひとつ心のこもった匠の技

展示期間は毎年3月3日~4月3日。

日下部家の雛人形は、代々当主のもとへ嫁入道具として持参されたものが多く、人形の箱には代々の嫁の名が記されたものもあります。それだけに人形の形、大きさ、年代ともまちまちですが、これらが同一の雛段上に飾られています。そのほか子供の玩具であった人形や座敷からくりなども同時に飾られています。収納箱の墨書から文化、文政の年代のものが中心とみられ、大きな御殿を中心に雅楽奏者や5人囃、京都の葵祭行列の人形、けまり人形など王朝風の人形が多くあります。

また別の雛段には明治天皇、皇后両陛下を内裏人形とし、以下近衛師団長、近衛師団兵、憲兵などを飾っています。そのほか木目込人形や高山の土雛など代々伝わる人形が座敷いっぱいに飾られています。





日下部民藝館一番の見どころと言っても過言では無いほど、きらびやかなお仏壇。当時300両(現在の1億円の価値といわれる)かけて作られました。

隠しからくり仕掛けが施されており、明治8年の大火の際にも運び出すことができた為無事でした。

高山のパワースポット。

As there is no exaggeration to say that Kusakabe Mingei-kan most of the attractions, glittering your altar. Was created over a period of time 300 cars (referred to as the value of the current 100 million yen). Hidden trick gimmick has been subjected to, was because it was safe to be able to carry out even when the great fire of 1875.   



協力

日下部民藝館

住所 岐阜県高山市大新町1-52

TEL (0577)32-0072 FAX (0577)36-0288

E-MAIL kusakabe@cronos.ocn.ne.jp



「白山信仰」2017年に開山1300年を迎える

全国約3000社余りとされる白山神社の総本宮「白山比咩神社」の奥宮が開山1300年を迎える。来年節目の年を迎えるにあたり「白山」について紹介いたします。

上の写真、白山の四季からからご覧下さい!


白山について

白山ほど霊峰という冠が似合う山はない。

日本の高山の西限にあり、北陸の中心。

天に美しくそびえる白山。

その名のごとく白い雪に覆われ、

純白の雪をまとった優美な山容は、白無垢の花嫁のように気高く美しい。


日本三名山のひとつである白山には、いくつもの「顔」があります。

神宿る山「霊峰白山」。雪をまとい日の光に輝く美しい姿と流れ出る豊富な水で

ふもとの人々の生活を潤すことから山そのものが神様として敬われてきました。

白山への登拝道(とはいどう)として開かれた

3つの禅定道(ぜんじょうどう:山頂に登ぼるまでの山道)は

現在も大部分が登山道として利用されており登山家にも人気の高い山のひとつです。

また「花の白山」としても知られ季節の折々には美しい高山植物の花畑が広がります。

活火山でもある白山はふもとには温泉としてその恩恵を与え

今も高い泉質で知られる温泉地が多くあります。

豊かな自然と白山信仰は独特の伝統行事や食文化を育みました。

ZIPANG TOKIO 2020 "Okumiya of the total Hongu" Hakusan 比咩神社Hime-JinSha

"of Hakusan Shrine greet the Hakusan faith 1,300 years founding in 2017"

About Hakusan

There is no mountain crown suits that sacred about Hakusan.

Located on the west limit of the Japanese alpine, Hokuriku center. Beautifully towering Hakusan in heaven.

Covered with white snow as its name,Graceful San'yo clothed in pure white snow, like the bride of pure white dress nobly beautiful.

The Hakusan is one of Japan's three famous mountains, there are a number of "face"."Graceful volcanic landscape" "Hakusan of flower" "the virgin forest of beech wild animal" God dwells mountain "Hakusan faith" and so on ...



優美な火山景観

白山は3~4万年前から17世紀まで活動記録のある活火山であり、最高峰御前峰(2.702m)、大汝峰、剣が峰などからなり、翠ヶ池、紺屋ケ池などの火口群が点在している。

ハイマツと高山植物に覆われた山頂付近には紺青の水をたたえる火口湖や雪渓、巨石の景観からなる、天然の庭園である。



花の白山

昔からその名で知られ季節を通じ色とりどりの高山植物が咲きほこり、特に夏山の7~ 8月の頃一斉に咲き誇る高山植物のお花畑は素晴らしく、様々な環境より250種もの高山植物が生育する。

特にクロユリやハクサンコザクラなどが多く、白山の植物には、ハクサンフウロやハクサンイチゲなど「ハクサン」と名のつく植物やゴゼンタチバナ白山(御前峰)に ちなんだ植物がおよそ20種類あり、山にちなんだ名前がつけられている植物の数は日本一と言われる。

白山は本格的な高山帯を有する山としては、日本で最も西にあり100種類を超える高山植物の分布の西限となっている。

山頂付近の夏の登山道を歩くと、あちらこちらで可憐に咲く花々など、厳しい自然の中で懸命に生きる姿を見る事が出来る。



ブナの原生林と野生動物

ユネスコ生物圏保護区に指定された豊かな自然の中で、白山ではツキノワクマ、ニホンカ モシカなどの大型哺乳類やイヌワシ、クマタカなどの希少猛禽類などの野生動物がよく見られるが、その理由のひとつは、山麓にブナを主体とする広大な広葉樹林が広がっていることにある。

ブナ、ミズナラ、トチノキ、カエデ類からなる広葉樹林は多様な環境を作っており、大型哺乳類だけでなく、ニホンザル、ヤマネ、モモンガ、テン、ニホンリスな どの中小型の哺乳類も多く生息している。

又、ブナの原生林など四季を通じ訪れた人達にも素晴らしい自然景観を演出し、感動と安らぎを提供してくれる。



「神宿る山」白山信仰

いにしえより白山は「神々の座」として.都人にあこがれの山として多くの人々の信仰の対象として崇拝され、平安時代から【越の白山】として、有名な歌人たちが多くの和歌を残し、 富士山、立山とともに多くの人々が遙拝、修験した日本三名山と呼ばれ、雪を頂いた姿はまるで女神が鎮座する山にふさわしいと言える。

白山は越前の僧「泰澄」が717年に開山したと伝えられ、わが国でも最も早く開かれた山のひとつである。

ふもとには多くの白山伝説が残り今も語り継がれている。

白山は独立峰で周りに高い山がない為、北陸、東海、近畿から仰ぎみる事ができ、古来より多くの人に修験の山として知られ、その信仰は北は北海道から南は鹿児島に至るまで各県に広がり、 約三千社余りある「白山神社」として広がっている。

もちろんそのご神体は「白山」そのものであり、自然信仰の広がりある。

白山比咩神社

本宮 石川県白山市三宮町ニ105-1(写真上)

奥宮 石川県白山市白峰白山嶺上(白山国立公園)・(写真下)

~ Hakusan faith "will celebrate its founding 1,300 years in 2017 ~

Okumiya will celebrate its 1300 year founding of the total Hongu of Hakusan Shrine, which is across the country about 3000 companies over "Hakusan 比咩神社Hime-JinSha". We will introduce the "Hakusan" Upon celebrating the year of the milestone next year. Because there is no high mountains around in Hakusan independent peak, Hokuriku, Tokai, can try Allegiance from Kinki, known as the mountain of ascetics to many people since ancient times, the faith is north south leads to Kagoshima from Hokkaido spread to each province to, it has spread as there is too much about three Sensha "Hakusan Shrine". Of course, the object of worship is in itself "Hakusan", was the source of a natural faith. Hakusan 比咩神社Hime-JinSha Hongu Ishikawa Prefecture Hakusan Sannomiya-cho, two 105-1 (on the photo) Okumiya Ishikawa Prefecture Hakusan Shiramine Hakusan on the ridge (Hakusan National Park), (photo below) Cooperation kagayake Hakusan group ring Hakusan wide area tourist guide welcome Hakusan 〒920-2121 Ishikawa Prefecture Hakusan Tsurugi Honcho 2-Wa 121 TEL: 076-255-7655 FAX: 076-255-7478  



三禅定道と縦走ルート

832年に越前・加賀・美濃の三方からの馬場(登拝の拠点)から山頂への登拝道(登山道)が開かれと言われる。山頂に至る道は禅定道と言われ多くの人たちが登ったと伝えられる。

白山へと続く越前(福井県)の越前平泉寺からの道越前禅定道、加賀(石川県)白山比咩神社からの加賀禅定道、美濃(岐阜県)長滝白山神社からの美濃禅定道は三禅定道としてよく知られている。

現在も数多くの登山道があり、初めての人からベテランまでそれぞれのレベルに応じた登山縦走路のルートで白山の頂上を目指す登山道があり、歩きながら豊かな自然が楽しめるのも白山の魅力と言える。

協力

輝け白山グループ 環白山広域観光ガイド ウェルカム白山 〒920-2121 石川県白山市鶴来本町2-ワ121

TEL:076-255-7655FAX:076-255-7478



花フェスタ記念公園

花フェスタ記念公園は平成7年に開催された花の博覧会「花フェスタ’95ぎふ」の会場を岐阜県が再整備し、平成8年4月にオープンした県営の都市公園です。

ナゴヤドーム約17個分(80.7ha)の広大な敷地では、約7,000品種30,000株のバラが植栽されたバラ園のほか、企画展示を行う「花のミュージアム」、一年を通じて季節の花木が楽しめる大温室「花の地球館」、高さ地上45メートルの「花のタワー」、屋外イベントホール「プリンセスホール雅」など特徴のある施設でお楽しみいただけます。

当公園最大の魅力は二つの広いバラ園「世界のバラ園」と「バラのテーマガーデン」です。世界有数の品種数7,000品種のほとんどがこの2つのエリアに植栽されています。春から秋にかけてくり返し咲く「四季咲き」品種のほか、原種やオールドローズのコレクションも充実しています。

バラは春から霜が降りる前まで咲きますが、特に見ごろとなるのは春と秋です。5月下旬~6月上旬には一年で最も多くのバラが咲き、華やかな色でバラの世界を彩ります。また、気温がゆっくり低下していく10月下旬~11月上旬には、一年で最も美しくかつ香り豊かなバラをご堪能いただけます。

バラの香りに包まれた美しいバラ園で優雅なひと時を過ごしませんか。

花フェスタ記念公園のデータ

●名称 花フェスタ記念公園

●所在地 岐阜県可児市瀬田1584-1

●開園年月日 平成8年4月26日

●敷地面積 80.7ha

●バラ植栽面積 9.2ha

●バラの品種数 約7,000品種

●バラの株数 約30,000株

花の女王「バラ」。さまざまな花の色や形がある中で、圧倒的な存在感を放ち人々の心を魅了してやまない「真紅のバラ」を主役にしたエリアが、2014年5月14日(水)世界のバラ園に誕生しました。

 日本の少女漫画「ベルサイユのばら」の情熱的な世界をイメージして作られた、ビロードのようになめらかで深みのある真紅のバラ「ベルサイユのばら®」や、レオナルド ダ ヴィンチの銘画「モナリザ」の微笑みという意味の名で、人々の心を魅了してやまない気品高い赤いバラ「スーリール ドゥ モナリザ」など全11品種335株を植栽しました。

 情熱の赤いバラが織り成す凛とした気品と他を圧倒する華やかな空間で、優雅なひと時をお過ごしください!

また、2015年の今年は「美しの赤い庭」の隣に少女漫画「ベルサイユのばら」の主要登場人物の名を冠したバラたち「ベルサイユのばら®」シリーズが勢揃いしています!来年、再来年とこれから株が生長する姿にもご期待下さい。

古来より、世界中の育種家たちが恋い焦がれる「青いバラ」。

なぜ「青いバラ」は不可能の代名詞とまでいわれるのか・・・。

バラには本来、青色色素がありません。多くの青い花に含まれる青色色素(デルフィニジン)をつくる能力が、バラにはないのです。このため「Blue Rose」という英語には、「不可能なもの、できない相談」という意味さえ含まれるようになったのです。近年、日本のサントリーホールディングス(株)とフロリジン社との共同研究開発による遺伝子組み換え技術により、パンジーの青色遺伝子をバラに導入することで、世界で初めての青色色素を持ったバラ「サントリーブルーローズアプローズ」(花言葉「夢かなう」)が誕生しました。

一方で、バラ自体に青色色素がなく、品種改良のみで青いバラをつくることが不可能といわれる中、昔からの方法で青いバラづくりに20年以上取り組んでいる育種家がいます。岐阜県大野町のバラの育種家・河本純子さんは、様々な品種のバラを掛け合わせて青いバラをつくり出そうと研究を続け、2002年に「ブルーヘブン」を作出。世界で一番青に近いバラを一目見ようと、見頃の時期には多くの来園者が訪れます。

「ブルーヘブン」Blue Heaven 2002年 FL

青への夢をあきらめない育種家たちの作品を集めた「青いバラの庭」の中心には、いつか品種改良にて「青いバラ」が誕生したときのために、植栽スペースを空けています。世界中の人々の心を惹きつける、清らかな青いバラ。

夢をあきらめない育種家たちのために・・・


 ヘリテージローズガーデン~後世に遺したいバラたち~(写真の上から順番に)

クロリス

花名はギリシャ神話に登場する精霊クロリス(ローマ神話では花と春と豊穣を司る女神)に由来。

ダッチェス オブ ポートランド

ポートランドローズの呼び名の元となったバラ。発見者のポートランド公爵夫人の名に因む。

ジャック カルティエ

カナダを発見し命名したフランス人探検家の名にちなんで命名。

シーリング ワックス

シーリングワックスとは欧米で手紙の封筒や文書に封印を施したり、瓶などの容器を密封するために用いる蝋のこと。花の形状が似ているため命名。

シッシング ハースト キャッスル

美しい庭をもつことで世界的に有名なシッシングハースト城で発見されました。

ムタビリス

ラテン語で「変化しやすい」を意味する。その名の通り咲き進むにつれて花色が変化します。

ルイ フィリップ

フランスの7月革命で即位した市民王、そしてフランス最後の国王の名に因む。

バロン オスマン

1853年ナポレオン3世の統治下で現在のパリ市の街並みを手がけたセーヌ県知事オスマン男爵の名に因む。

ロジェ ランベラン

花びらの外側に白い条と切れ込みが入るのが特徴。

※およそ200品種400株を植栽

協力
花フェスタ記念公園
〒509-0213岐阜県可児市瀬田1584-1 TEL:0574-63-7373 FAX:0574-63-7374



やんばる国立公園について

平成28年9月15日、国内33箇所目の国立公園として、沖縄島北部地域(通称:やんばる)に「やんばる国立公園」が新たに指定されました。

Yanbaru National Park 2016 September 15, as domestic 33rd National Park, Okinawa Island northern region: "Yanbaru National Park" has been specified in the newly ( National Park"Yanbaru").

 


【参考】9月15日は、やんばる地域にのみ分布する「ヤンバルテナガコガネ」が発見された日(昭和58年9月15日)。「ヤンバルテナガコガネ」は、種の保存法(正式名称:絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律)による国内希少野生動植物種及び文化財保護法による国の天然記念物に指定されています。

公園の特徴~亜熱帯の森やんばる-多様な生命(いのち)育む山と人々の営み-~ ●指定:平成28年9月15日 ●面積(陸域のみ):13,622ha ●関係都道府県:沖縄県

[Reference] September 15, the day that only distributed in Yanbaru region "Yanbarutenagakogane" has been discovered (1983 September 15, 2008). "Yanbarutenagakogane" is, LCES: You have been designated as a national natural treasure by domestic rare species of wild fauna and flora and the Law for the Protection of Cultural Properties by the (official name law related to conservation of species of Wild Fauna and Flora Endangered). Park features - subtropical forest-Yanbaru - a variety of life (life) nurture the mountains and people of life - ● Specification: 2016 September 15 ● area (land only): 13,622ha ● relationship State: Okinawa Prefecture  



やんばる国立公園は、沖縄島北部に位置し平成28年9月15日に33番目の国立公園として指定されました。国内最大級の亜熱帯照葉樹林が広がり、琉球列島の形成過程を反映して形成された島々の地史を背景にヤンバルクイナなど多種多様な固有動植物及び希少動植物が生息・生育し、石灰岩の海食崖やカルスト地形、マングローブ林など多様な自然環境を有しています。また、このような自然環境の中での日々の暮らしで育まれてきた伝統的なやんばるらしさが息づく人文景観が特長です。やんばる国立公園では、このような亜熱帯の大自然を舞台に、景勝地めぐり、トレッキング、カヌー、アニマルウォッチング、ドライブなどのレジャーが盛んに行われており、訪れる公園利用者へ良質な自然とのふれあいの場・機会を提供しています。  沖縄県におでかけの際には、ぜひ、やんばる国立公園にも足を運んでみてはいかがでしょうか。

やんばる(山原)とは?

「やんばる(山原)」とは、「山々が連なり森の広がる地域」を意味する言葉で、亜熱帯照葉樹林の森が広がっている沖縄島北部を指しています。特に、国頭村、大宜味村、東村を中心とする一帯はノグチゲラやヤンバルクイナをはじめとする多くの固有種が生息し、生物学的にまとまりのある森林が比較的健全な状態で残っています。

The Yanbaru (Yamahara) The "Yanbaru (Yamahara)", in the words meaning "regional spread of forest succession mountains", and refers to the northern part of Okinawa Island, which is spreading forest of subtropical evergreen broadleaf forest. In particular , Kunigami, Ōgimi, the whole area around the Higashi-son a lot of endemic species and habitat, including the Okinawa Woodpecker and Okinawa rail, there are still in a relatively healthy state forests that are biologically unity.

  沖縄島最高峰の与那覇岳(503m)を有し、明瞭なピークを持たない標高400m前後の非石灰岩の山地が島の中央部に島軸に沿って発達し、脊梁山地を成しています。沖縄島最北部の辺戸岳一帯や、大宜味村のネクマチヂ岳一帯にはカルスト地形を形成している古生層石灰岩が分布しています。 <生物多様性>  やんばる地域には、わずかな面積の中にたくさんの種類の生き物が生息しています。実に多様でユニークなたくさんの種類の生き物たちが、互いに密接につながりあいながら複雑な生態系を作りあげています。国頭村、大宜味村、東村は、日本全体の0.1%にも満たない狭い面積しかありませんが、日本全体で確認されている生物の種数に対して、鳥類では約半分、在来のカエルのうち約1/4の種類が確認されるなど、高い割合を占める動植物の種が生息・生育しています。 <亜熱帯照葉樹林>  やんばる地域は北緯27度付近に位置します。世界の同緯度の亜熱帯地域では砂漠や乾燥地帯などが多く、森林がある地域はやんばるを含めごくわずかです。琉球列島は赤道直下から流れてくる黒潮と、梅雨前線や台風により暖かく雨の多い亜熱帯海洋性の気候となっています(年間降雨量約2,500mm)。この気象環境がやんばるの豊かな森を作り、その森が多くの生物を育んできました。  やんばる地域における森林率は80%以上で、最も広い面積を占めている自然植生は、スダジイやオキナワウラジロガシなどのブナ科植物で代表される亜熱帯常緑広葉樹林です。



<島の成り立ち>  琉球列島は新生代の第三紀(約2,300万年から170万年前)以降の激しい地殻変動により、大陸や日本本土と陸続きになったり離れたりを繰り返してきました。その時々に様々な生き物たちが琉球列島に渡ってきました。そして島々に閉じ込められた生き物たちは、何万年もの長い年月をかけ島ごとに固有な種へと進化していきました。

やんばるの動植物

やんばる地域にはヤンバルクイナ、ノグチゲラ、ケナガネズミ、オキナワトゲネズミ、オキナワイシカワガエル、ヤンバルテナガコガネなどの固有種が生息しています。与那覇岳などの一部高標高地では雲霧林が発達し、着生のシダ植物やオキナワセッコクなどのラン科植物が生育します。河川上流から中流の渓流沿いには、熱帯・亜熱帯に特徴的な渓流植物が分布し、さらにやんばる地域に固有な両生類の産卵・生息環境にもなっています。  スダジイやオキナワウラジロガシなどの広葉樹は生長して大径化が進むと幹に空洞ができ、さらに年月を経ると樹洞ができます。ノグチゲラやケナガネズミ、ヤンバルテナガコガネ等はこれらの環境を利用し、大径木が多く生育する森林に依存しています。



やんばるの文化

琉球王府時代から近年まで、やんばる地域は薪炭や都城の建設・船などの用材となる林産物の生産・供給の場として重要な役割を果たしてきました。昭和に入るまでは海上輸送が主流で、沖縄島中南部との間で「山原(やんばる)船(せん)」による交易が盛んに行われました。国頭地域から首里王府へ重い材木を多人数で運ぶ時の歌は、クンジャンサバクイ(国頭木遣音頭)として伝えられています。山で薪炭や琉球藍づくりなどの生業が営まれていた名残として、現在も各所に、炭窯や藍つぼの跡が残っています。  海と山に囲まれたやんばる地域の集落では、海と山を一体として捉え、一つの空間から自然の恵みを受けているという空間認識が見られます。それを特徴づけるのが祭祀で、集落の邪気を払い豊作・豊漁を祈願するシヌグ(写真:上)や海神(ウンジャミ・ウンガミ(写真:下))祭などはこれを象徴的に表しており集落の伝統として受け継がれています。

やんばる国立公園へのアクセス <コース1> 羽田空港 ⇒(飛行機 約175分)⇒ 那覇空港 ⇒(高速バス 約105分)⇒ 名護バスターミナル ⇒(路線バス 約55分)⇒ 辺土名バスターミナル ⇒(村営バス 約35分)⇒ 辺戸岬 <コース2> 羽田空港 ⇒(飛行機 約175分)⇒ 那覇空港 ⇒(レンタカー・マイカー 沖縄自動車道 約145分)⇒ 辺戸岬 <コース3> 羽田空港 ⇒(飛行機 約175分)⇒ 那覇空港 ⇒(レンタカー・マイカー 沖縄自動車道 約100分)⇒ 塩屋湾 <コース4> 羽田空港 ⇒(飛行機 約175分)⇒ 那覇空港 ⇒(高速バス 約105分)⇒ 名護バスターミナル ⇒(路線バス 約40~80分)⇒ 辺土名バスターミナル、大宜味村役場前、東村役場前

協力・出典

環境省

〒100-8975 東京都千代田区霞が関1-2-2 中央合同庁舎5号館

TEL 03-3581-3351(代表)