【神門】朱色に続く千本鳥居の参道を上り、眼下に津和野の町が広がる場所に、ひときわ鮮やかな朱の神門が現れます。中央の門は、新年や祭事の時に開かれる。普段は、左右の門からお入り下さい。
太皷谷稲成神社の喜常御守(きつねおまもり)『金狐、銀狐(白狐)のおきつねさまが、貴方に「喜」びを「常」に運んで下さいます。』
太皷谷稲成神社の新殿 新殿では、「願望成就・大願成就の大神様である、宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)伊弉冉尊(いざなみのみこと)の御前で、ご参拝のみなさまの願意に応じ、厳かにご祈念いたします。」 お参りの順序(三)
ご神前(本殿正面)へと進まれましたら会釈の後、神様へのお参りの証として御賽銭を捧げましょう。
鈴をやさしく鳴らして、お参りにのぞむ姿勢を整えます。 お参りの作法は、二礼二拍手一礼です。
新殿裏奉拝所は、御祭神がお鎮まりになる御本殿を背後から拝する神聖なる神域であります。
新殿の裏側にあるため目立ちませんが、大神様を最も近い場所から拝する場所として、ご信仰の熱心な方がお参りされます。
稲荷信仰では古来より、御祭神は本殿の背後より出入りするとの言い伝えが残ります。
心静かにお参り願います。 お参りの順序(四)
御由緒
太皷谷稲成神社は安永2年(1773年)に津和野藩主7代亀井矩貞(かめいのりさだ)公が津和野藩の安穏鎮護と領民の安寧を祈願するため、三本松城(津和野城)の鬼門にあたる東北端の太皷谷の峰に、京都の伏見稲荷大社から斎き祀ったのが始めです。
以来、歴代の藩主の崇敬が篤く、明治の版籍奉還に至るまで、藩主亀井家の祈願所として維持され、藩主以外の参拝は禁止されておりましたが、廃藩後は広く一般庶民も参拝できるようになりました。
大正13年には、北白川宮富子大妃殿下が御参拝なされ、宝物の寄進があり、宝物殿を設置し、次いで養老文庫を設けました。
昭和30年代には参拝者の激増に伴い、昭和38年9月に新社殿建設の奉賛会を結成し、昭和42年に境内地西側の山を切り開き社殿地を造成し、昭和44年12月に、新社殿が竣工、御遷宮を斎行しました。
古い社殿は、「元宮」として維持し、御分霊が奉斎してあります。
現在では日本五大稲荷の一社に数えられ、その御神徳は霊験と共に全国に崇敬景仰されております。
【ご祈願】主な祈願内容 ○五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除・福徳円満・願望成就・病気平 癒・縁結び ○厄除・交通安全(車祓い) ○初宮詣・七五三詣・年祝い 他
太皷谷稲成神社
御祭神・御神徳
宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)=稲成大神
衣食住の大祖神様、五穀豊穰の神様であり、江戸時代よりは商売繁昌の神様としても信仰されました。 当社は特に願望成就の神様として崇敬されています。 御神徳は五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除・福徳円満・願望成就(良縁・学業・受験など) また、失せ物(紛失物)発見などのご利益もございます。
伊弉冉尊(いざなみのみこと)=熊野大神
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)とともに日本の国造りの神とされています。 御神徳は、創造開拓 夫婦円満 良縁成就 開運 病魔退散 鬼門除け 方災除け など
元宮(もとみや・旧熊野神社)上と下 お参りの順序(一)
元宮(もとみや・旧熊野神社) お参りの順序(一)
御祭神 伊弉冉尊(熊野大神)、宇迦之御魂神(稲成大神)
御神徳 創造開拓 道開き 病魔退散 鬼門除け 方災除け 願望成就 など
江戸後期の安永2年5月15日、藩主七代亀井矩貞公により、京都伏見より稲荷大神を、城内の一角である太皷谷の峰(津和野城の鬼門)に勧請し、稲成神社(=現在の元宮)が建立されました。
慶應3年7月、津和野藩の神社整理により、津和野乙女山に鎮座の熊野権現社を稲成神社に遷し、相殿として奉斎。以来、社号を熊野神社と称しました。
大正12年、現社殿を建立し、昭和2年に熊野神社から稲成神社と改称しました。
昭和44年、新社殿建立につき、当旧社殿を「元宮」と改め、熊野・稲荷両信仰の神域として現在に至ります。
命婦社 お参りの順序(二)
御祭神 命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)(稲成大神お使いの夫婦の白狐神) 御神徳 神狐守護 良縁成就 夫婦円満 学業成就 五穀豊穣 など
命婦社は、「元宮」の背後に鎮座し、稲成大神の御眷属=お使いのお社であります。
古来より、命婦社での祈りは、京都の伏見稲荷大社に通じるとの伝説が残り、霊験顕著な神域として崇敬されます。通称「おじょう」とも呼ばれ、脇にはいつもローソクの火が絶えず、神妙な風格を漂わせています。
※「命婦」とは古くは平安期の五位以上に叙せられた女官及び五位以上の官人の妻を意味し、現代では稲荷大神の御眷属であるお狐様の異称として親しまれています。
四か所まいり・お参りの順序
太皷谷稲成神社では、境内にある4か所の参拝所をお参りすることが習わしとしてあります。
お参りの順序として、「元宮」→「命婦社」→「新殿」→「新殿裏奉拝所」の順で参拝しましょう。
太皷谷稲成神社独特の参拝形式で、称して『四ヶ所参り』と申します。
また、上記4ヶ所の参拝所にはそれぞれ、お揚げをお供えする為の献供台と燭台(ローソク台)がございます。
「午(うま)の日」のお参り・ご祈願のお勧めについて
太皷谷稲成神社の御祭神である宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)様が、
京都の伏見稲荷大社にご降臨されたのが2月の最初の「午の日」であったことから、
その日を特別な御縁日として全国の稲荷神社では初午(はつうま)祭(さい)が盛大に行われ、
古くから「福参り」「おかげ参り」と呼ばれております。
「午の日」は2月に限らず、毎月ございますので、
願望成就の神・太皷谷稲成大神様の宏大無辺なるご神徳のもと、
家内安全、商売繁盛などのご祈願をされることをお勧めします。
日本五大稲荷
伏見稲荷大社 近畿の京都市伏見区
笠間稲荷神社 関東の茨城県笠間市
竹駒神社 東北の宮城県岩沼市
祐徳稲荷神社 九州の佐賀県鹿島市
太皷谷稲成神社 中国の島根県津和野町
太皷谷稲成神社という社名について
太皷谷とは
津和野城の城山の一角であり、江戸期には時刻を知らせる太鼓が鳴り響いた谷間であることから、この地名がつけられました。また津和野城の東北、つまり鬼門に位置し、古来より神聖な地であったといわれております。
稲成神社とは
太皷谷稲成神社では、稲荷ではなく「稲成」と表記しますが、読み方は同じ「いなり」と読みます。稲成の「成」には、津和野藩主亀井矩貞公の思いにより、お願い事がよく叶う、つまり願望成就・大願成就などの意味が込められています。
「稲成」の言い伝え ~お稲成さまは、失せ物発見の神様~
太皷谷の「お稲荷さま」が「お稲成さま」と変更されたことについて、地元の古老は次のような話を語り伝えております。
安永二年、伏見より「お稲荷さま」が勧請された直後のことです。お城の蔵番をしていた男がどうしたことか、お蔵の鍵をなくしてしまいました。どこを探しても見つからない。おそるおそる蔵番は事の次第をお殿様に申し上げました。お殿様は大変ご立腹で、「七日間待ってやる。その間に探し出さねば捨ておかんぞ!」と蔵番に申し付けられました。「何とかしなければ」と蔵番は懸命に探すのですが見つかりません。思いあまってお殿様以外は参ってはならないことになっている「お稲成さま」に七日間の願をかけ、内緒にお参りをつづけました。
やがて願あけの七日目の朝、お殿様から指定された最後の日の朝、自分の家の自在鍵のところでチリンチリンと音がします。不思議に思って見ると、何とあれほど探しても見つからなかったお蔵の鍵がそこにあるではないですか。
蔵番は大急ぎでその鍵を持ってお殿様に報告に行きました。もちろん、お殿様に無断でかくれて「お稲成さま」にお参りしていたのだし、その鍵をお返しして厳しい処罰をうけるつもりでした。
「どうして出てきたのか」と問われるお殿様に、蔵番はつつみかくすことなく、その事情を報告し、厳罰をお願いしました。お殿様はその蔵番の話を聞かれて感心され、「正直なやつだ。もうよい」と蔵番をお許しになり、「それにしても願望成就の御神威が高いお稲荷さまだ」との仰せから「稲成神社」とあらためて称するようになりました。
との言われております。このような話は、伝承のため確たる証拠はございませんが、代々人から人へと語り継がれております。
お稲荷さまのあれこれ
「狐」は稲荷の神様のおつかい
稲荷神社と言われれば、何を思い浮かべるだろうか?
きっと、誰しもが「きつね」や「朱色の鳥居」を思い浮かべるのではないでしょうか?
時に、稲荷神社にはおきつね様が祀られていると思われている方も多い。事実、そのような質問が多く寄せられる。
ここ譚では、皆様に少しでもお稲荷さまについて知っていただければ幸いである。
さて、稲荷神社に祀られている神様は宇迦之御魂神(ウガノミタマノカミ)という五穀豊穣を司る神様である。
そして、みなさんが思い浮かべた「狐」は、その稲荷の神様の神使(しんし)、つまり、神様からのお使いなのである。
と、説明するとそれこそ狐につままれたような驚いたような顔をされることもある。
「狐」=「おきつねさま」は皆様の願いを稲荷大神様に届けてくださり、神様からのお蔭、恵みを皆様の元へと運んで下さるのである。
鳥居について
鳥居という語源は「通り入る」のつづまったものとか、梵語ぼんごから来たものと言われるが、一般には俗との境を示すもの。
鳥居には型により十種類ほどあり、神明、黒木、鹿島、八幡、春日、明神、稲荷鳥居などがある。
注連縄(しめなわ)をかけるのは?
尻久米縄しりくめなわ、端出之縄しりくめなわ、七五三縄しめなわとも書く。
天照大神が天岩戸あめのいわとから出られた時、天太玉命が縄を作り岩戸の前に引き廻し「再び之より入り給うな」と申し上げたのに始まり、神聖な場所と俗界を区別するため。
お稲荷さまが朱色で塗ってあるのは何故?
諸説ある。ひとつには、草木や果実が熟すと赤くなる。これは豊年や成熟する色であり、五穀の神であることから朱を以て表している。木火土金水の五行説から、火(赤)は土を生ずることから、土壌を肥やすための野焼きなどを表しやはり、五穀に関わる理由だと考えられる。
絵馬について
絵馬は元々本当の馬を神に奉納したものだが、時代の流れと共に板に馬の絵を描き、奉納するようになった。馬は古代より農耕や物の運搬に欠かせぬ貴重なもので、これを御礼のしるしに神に捧げた。
今では厄除や合格などの願いを書き、祈願のしるしに奉納するようになった。
厄年・賀寿について
厄年は陰陽道(おんみようどう)で説かれた考え方で、一生のうちで特定の年に災難がふりかかることが多いとされた年令のことです。その年には身を慎しむという風習があります。
年令は、数え年で、男は25歳・42歳・61歳、女は19歳・33歳・37歳とされています。特に男の42歳と女の33歳は、四二(死に)三三(さんざん)といって「大厄(たいやく)」とされ、その前後の年を前厄・後厄として三年間身を慎しみます。
※古来日本では、数え年で年令を数えてきました。数え年とは、誕生日に関係なく、生まれた年を1歳、翌年を2歳として数えます。1月1日元旦で年が改まり、年令も日本人全てが一緒に年をとると考えていました。
七五三や厄年祓い・年祝いは、数え年で行うのが昔からのしきたりです。
平成29年(2017年)の賀寿一覧(ご参考下さい)
古稀祝 昭和23年生まれ 70歳
喜寿祝 昭和16年生まれ 77歳
傘寿祝 昭和13年生まれ 80歳
米寿祝 昭和5年生まれ 88歳
卆寿祝 昭和3年生まれ 90歳
白寿祝 大正8年生まれ 99歳
太古の昔・・・神々が創ったとされる神器・・・【 勾玉 】
その歴史は古く、はるか縄文時代以前の遺跡からも発掘されており、その独特な形は、胎児・魂・精霊・牙を表すとされ、受け継がれてゆく森羅万象を示していると言われています。古来より祭祀・装飾品として用いられ、生命・力の象徴として身に着けられてきました。 その勾玉に、稲荷大神様のご加護を頂き、さまざまな災いから持ち主を守護し、力を授けて下さるようご祈願致しました。 そのまま首飾りや腕飾りとして身に着けたり、紐を調節しストラップやキーホルダーとして、また、勾玉自体をカバンなどに入れて身近に持ち歩くこともできます・・・お稲成さまの勾玉
それでは、年の初めに向け「太皷谷稲成神社」2017年の年間行事の紹介を致します。
崖に建てられた朱色に続く千本鳥居の参道を上ると神門が見えてくる。
朱色に続く千本鳥居の参道、夕暮れになると燈篭に伝統の灯りがともる。低い石段とスロープを組み合わせ、登り易くあまり疲れを感じないように造られている。
紅葉が美しい千本鳥居、最近は多くの外国の方たちが訪ねてこられる
お参りの前に、まずは鳥居前の手水舎(てみずしゃ)でお清めを致しましょう。
「太皷谷稲成神社」の年間行事
月次祭(つきなみさい)
毎月1日・15日
太皷谷稲成神社では月のはじめの「お一日(ついたち)まいり」と、 旧熊野神社(元宮参照)の月次祭にならい各月15日に行われます。 大神様に神恩感謝の意を捧げ、崇敬者の弥栄と日々のご安泰、諸願の成就をご祈願いたします。
日時 毎月1日・15日の午前11時より約40分 (但し1月1日、5月15日、11月15日は除く)
歳旦祭
1月1日
午前0時斎行(元宮祭午前7時30分)
歳の初めのお祭で、1月1日の午前零時から歳旦祭を斎行、社殿前庭にてお祓いののち、御社殿にて、宮司が国家の隆昌と人々の繁栄を祈願するために祝詞を奏上します。
社頭は初詣の人で埋まります。参拝の後には各々の授与所で破魔矢をはじめ、家内安全・商売繁昌のお札や交通安全・進学成就・健康長寿などのお守りを受ける人で賑わいます。
参拝者数は三が日で約25万人にのぼります。全国の神社でも新年を祝い、皇室の弥栄と国の隆昌と氏子崇敬者の安泰と世界の平和を祈る祭儀が執行されます。また、元旦は一般の家庭でも門松やしめ縄が張られ、年神さま、またはお正月さまを迎える日でもあります。年が改まり、新しい生命を与えてくださる神様を迎える日でもあります。
節分祭
2月3日
午前10時斎行(元宮祭午前8時30分)
節分とは、本来季節の分け目の意で、春夏秋冬のそれぞれにあるのですが、現在では、立春の前日を指して節分の日と呼ぶようになりました。そうなったのは、寒い冬の日を耐えて、ひたすら春の到来を待ちわびた人々の心が、その他の季節のそれよりも絶大であったということでしょう。暖かい春の日々を迎える為に、人々は身も心も清らかにして邪気を払い、新春を迎えようとしたのです。
祭典では鬼やらいの神事が行われますが、これらは中国から伝来したものといわれます。また家庭では大豆を煎り「鬼は外、福は内」と唱えて家中に撒いたり、柊の枝に鰯の頭を刺して戸口に立てたり、トベラの木を燃やしたりしますが、これは豆で鬼の目をつぶし、柊のトゲや、鰯の臭い、木を燃やした時のバチバチという音で悪鬼邪霊を追い払おうとするものです。
この日神社では、男子42歳、女子33歳の本厄の人をはじめ、その前後の年回りの人達の厄除けの祈願祭が行われます。
初午(はつうま)大祭
2月始めの午の日
午前10時斎行(元宮祭午前8時30分)
伏見稲荷の大神様が和銅4年(711年)京都伏見の稲荷山の三ヶ峰にお鎮まりになったのが、如月きさらぎ(2月)の上かみの午うまの日であったことから、この日を稲荷神社の御縁日として、全国の稲荷神社で初午大祭が執り行われています。稲荷の大神が山より里にお降りになり、農業を始め産業の御指導をして下さると言われ、『今昔物語』にも、この初午の日に稲荷詣をした人の多いことが記されています。この日参詣することを「初午詣はつうまもうで」あるいは「福まいり」「おかげまいり」とも称し、古くから歌に詠まれたり、物語にもなったりした初春第一の大祭です。
本社では、当日宝珠くじを行ないます。参拝の方にくじを引いていただき、金宝珠、銀宝珠、銅宝珠をはじめ源氏巻等が当ります。
祈年祭・御分霊祭
旧暦2月始めの午の日
午前11時斎行(元宮祭午前9時)
祈年祭は『としごいのまつり』ともいわれ、『とし』とは穀物のことで、とりわけ稲の意味で、稲が豊かに稔ることを祈る祭です。
朝廷で祈年祭が執行され、伊勢神宮をはじめ全国の三千をこえる神々に対し幣帛がたてまつられました。このことは国をあげて年穀の豊作と生産の向上とを祈念したことを意味することでしょう。その伝統は今日でも伝わり、伊勢神宮をはじめ全国の神社で祈年祭が執行されます。お米は古来より日本人の主食であり、私たちの生命の根源ともいえます。また、必ず神様にお供えされる穀物の一つでもあります。
又、これに併せて、旧初午祭と御分霊祭を執り行います。
御分霊祭は、当社の御分霊を受けられた方が、1年に1回御分霊をお持ちになり、本殿に安置し御分霊を祓清め、鎮魂の御祭を行い、家、事業所の益々の御繁栄をお祈りいたします。
春季大祭
5月15日
午前10時斎行(元宮祭午前8時)
前夜祭14日午後4時
安永2年5月15日に太皷谷稲成の大神が御鎮座されたことにちなんで、毎年大祭を行ないます。太皷谷稲成神社の御縁日です。
午前10時に本殿祭が斎行されます。宮司の祝詞に引き続き、参列者の方々の祈願祭が行われ、巫女による悠久の舞が奉納されます。金幣行事の後、参列者全員の玉串拝礼を行ないます。
夏越大祓(なごしおおばらい)神事
6月30日
午後4時斎行
私たちが生活している間には、神様の御心に恥じないことを心掛けても、知らずに人を傷つけたり、罪を犯したり、穢れに触れたりします。
大祓は、このような諸々の罪や穢れ(気がかれる、又病気になること)を祓い去り、全ての人が神様から戴いたままの明き誠の心に立ち帰ることにより、清く明るい世の中、正しい人間になるように祈る行事です。毎年6月と12月の末に行ないます。 祭典中、四方祓(東西南北)があり、日本全土を清める意味もあります。677年、天武天皇が最初に行なったとされています。 六月末は、夏越神事も行ないます。麻と紙を小さく切った切麻を我が身にまいて祓うのですが、これに参列できない崇敬者の方は形代、撫物、人形などと呼ばれる紙を人の形に切り抜いたものに、名前を書いて、息を吹きかけたり身体をなでて、当社へ郵送していただき、一緒に茅輪をくぐり祓います。これは『備後風土記』逸文の蘇民将来そみんしょうらいの故事から起こったものといわれています。茅輪というのは、茅がやを太く縒より結んだ大きな輪で、これをくぐれば災厄をまぬがれると伝えられています。
ご神前に用紙した「祈り短冊」に、ご先祖様への「感謝の言葉・思い・願い」を記入し、 笹に結んでいただきます。
お盆の時期に、ご先祖様とご一緒にご参拝いただき、太皷谷稲成大神様の御神徳と、 ご先祖様のご守護によりまして、ご家族皆様方のご繁栄をお祈りいたします。
例祭・秋季大祭
前夜祭 11月14日午後4時
斎行 例祭 11月15日午前10時斎行(元宮祭午前8時)
秋季大祭 11月16日午前11時斎行
子供たちは御神輿を担いでの楽しいお祭りです。忘れられない一日となります。
11月14日の前夜祭より3日間にわたって行われます。
15日例祭には午前10時よりの本殿祭が、厳粛に斎行されます。
午後3時からは御神幸祭が斎行され、御神輿がお旅所まで巡幸します。
例祭当日には子供みこしや石見神楽など様々な催しが奉納され、終日町内が賑わいます。
翌16日には午前11時より秋季大祭が斎行されます。
新嘗(にいなめ)祭
11月23日
午前10時斎行(元宮祭午前8時30分)
拝殿前では祭典終了後感謝の意味を込めて餅まきが行なわれます。
津和野太鼓の奉納
津和野町内の農家より出品されたお米を始め、野菜・果物等の農産物品評会
11月23日は国民の祝日で勤労感謝の日といわれますが、全国の神社では新嘗祭が行われます。その年の収穫を神と共に喜び、いのちの根源である穀物や野菜・果物など食物への感謝の気持ちを込めたお祭りです。
当社では津和野町内の農家より出品されたお米を始め、野菜・果物等の農産物品評会が行われ、収穫の喜びと感謝の気持ちを込めて祭典が午前10時から斎行されます。
また、拝殿前では祭典終了後餅まき、津和野太鼓の奉納、駐車場では午前9時頃から新穀感謝市(地元特産物、餅等の販売)が行われ、一日中賑わいます。
新嘗祭は神代より伝わる祭儀で、宮中の祭祀です。天皇陛下が新穀を天照大神を始め神々にたてまつられ、御自らもお食し上りになる祭儀です。宮中の新嘗祭は前儀・本儀とに分かれ、本儀も夕の儀・暁の儀とがあり、陛下を始め皇室をあげての祭儀となっています。
特に天皇陛下御即位の後、初めて行われる新嘗祭を大嘗祭、践祚大嘗祭ともいい、国の重儀となっています。
火焚(ひたき)祭
12月8日
午後1時斎行
穀神の荒神が元の御魂に還られる儀式で、春の祈年祭に神を田に招き秋の火焚祭により山に還られる祭であり、感謝する祭であります。この祭は火の霊力により罪穢れを祓い心身を清浄にして、各自の生業に一層の活力を甦らせるお祭でもあります。
当社では、1年間参拝者の方よりお願い事を書いて奉納された火焚串を宮司以下神職が大祓を奉唱するなかお焚きあげをして、願望成就、罪障消滅、万福招来を祈ります。
煤払(すすはらい)祭
12月第2又は第3猿の日 午後3時斎行
年の瀬にこの一年の汚れを落とし祓うため、祝詞をご神前に捧げた後、青竹を手に本殿・元宮の煤を払うお祭りです。
除夜祭・大祓式
12月31日 午後4時
年越しの神事、一年の罪・穢れを祓う神事。
2017年は、太皷谷稲成神社様によって世界、日本そして皆様にとってより良い年でありますことを祈願いただいております。
交通アクセス(広域)
山口方面からお越しの場合
中国高速自動車道 小郡IC下車、国道9号線を益田・津和野方面へ(約一時間十分)
広島方面からお越しの場合
中国高速自動車道 六日市IC下車、国道187号線を益田・津和野方面へ(約一時間)
交通アクセス(周辺)
鎹八咫烏 記
協力(敬称略)
太皷谷稲成神社 〒699-5605 島根県鹿足郡津和野町後田409
☎ 0856-72-0219 メールアドレス tsuwanoinari@gmail.com
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