諸戸家は戦国時代、一向宗門徒として織田信長に抗した丹羽定直に発するといわれています。定直は織田軍との戦闘の際、城中の戸板を集め、これによって矢や石を防ぎつつ縦横無尽の働きをしたため、証意上人より「諸戸」の姓と違鷹の羽紋とを賜わり、これが諸戸家の始まりとされています。
一向宗徒が信長によって駆逐された後は郷里の西外面村(現三重県長島町)で、後には自ら開墾した加路戸新田(現三重県木曽岬町)で代々庄屋を勤め、幕末に至りました。
しかし、その諸戸家も江戸時代末期の清九郎の代に塩の売買が不調に終わり、2000両もの負債を抱えてしまいます。そのような時期、清九郎の長子として弘化3年(1846年)正月に生まれた清六は、一家で移住した桑名で、父の死後文久3年(1863年)18歳の頃から資金80両をもって米穀業を営み、わずか3年で負債を完済しました。
明治維新の後も新政府高官の知遇を得、また西南の役や米相場で利潤を上げるなど30万円を蓄財、明治19年には海防費2万円を政府に献上し、翌年には特旨をもって従6位に叙せられました。また一方で田畑、山林を購入、経営し、日本一の大地主となりました。
その当時まで桑名は、東海道の宿場町として、また海運を利用して米を伊勢神宮や大阪、関東へ輸送するための港湾、商業都市として栄えていました。清六はこの地の利を生かし、時流にもうまく乗ったのです。
清六は晩年の明治37年、桑名の飲料水不良を解消するため15万円を投じ、独力で小野山に貯水池(煉瓦造、市指定文化財)を設け、上水道を完成させ、これを無料で町民に開放しました。清六の死後、水道設備は遺志により桑名町に寄附されました。
明治39年、清六が死去すると諸戸家は次男・精太の血をひく西諸戸家と二代目清六を襲名した四男・清吾の東諸戸家に分かれ、現在に至っています。
現在、六華苑として公開されている旧諸戸清六邸は、二代目清六が明治44年に着工し、大正2年に竣工した建物を整備・修復したものです。
六華苑は鹿鳴館の設計で有名なイギリス人建築家ジョサイア・コンドル設計による洋館と、池泉回遊式庭園を持つ和風建築からなる貴重な文化財として平成9年に国の重要文化財に指定されています。また、庭園は一部を除き平成13年に国の名勝に指定されました。
イギリス人ジョサイア・コンドルの設計により、明治44年に着工し、大正2年に竣工。 車寄せは戦災により消失していたものを図面と写真を基に復元した。
全体的には、シンプルなデザインとなっていますが、圧倒的な存在感を持つ4階の塔屋が印象的です。また、当時には珍しい塔屋の曲面ガラスのほか、ベランダとサンルームのデザイン、各室の暖炉など、細部までの配慮が見所です。
2017年3月、和館「一の間」前にある梅の花の蕾が 早くも咲き始めました。
重厚感のある和洋折衷のインテリアは、よく映画の撮影に利用される。
六華苑は木曽三川の眺めの良い一番左の揖斐川の畔に立っている。因みに真ん中が木曽川。
六華苑は、日本の山林王・二代目諸戸清六氏の邸宅として大正2年(1913年)に完成しました。
鹿鳴館を設計したイギリス人建築家ジョサイア・コンドルによる四層の搭屋を持つ洋館と和風建築及びその前庭の池泉回遊式庭園などがあり、和洋の様式が調和した明治・大正期を代表する貴重な建物として国の重要文化財に指定されております。また、庭園は一部を除き平成13年に国の名勝に指定されました。
揖斐・長良川を望む18000平方Mあまりの広大な敷地に創建時の姿をほぼそのままに留めている貴重な遺構です。
現在は、一般公開され、人々が語らい、憩い、交流する空間として、また、文化を創出する空間として多くの観光客でにぎわっています。
イギリスの建築家。明治10年日本政府の招聘に応じて来日、工部大学校造家学科の主任教授となり、日本に初めて本格的なヨーロッパ建築をもたらした人物として知られています。
コンドルは教育者として辰野金吾、片山東熊などの建築家を養成する一方、工部省営繕局にも出仕し、上野博物館(1881年、現存せず)や鹿鳴館(1883年、現存せず)などの設計にたずさわり、日本近代建築界の父とも呼ばれました。
明治23年に官職を離れた後は、東京に建築事務所を開設し、大正9年に日本で死去するまで建築設計を続けました。
日本でコンドルが独自の折衷主義をふまえた多様な様式で設計した建築は70近くにも及びますが、現存する主なものとしては、ニコライ堂(重文、1891年)、岩崎久弥邸(現司法研修所、重文、1896年)、岩崎家高輪邸(現関東閣、1908年)、三井家網町別邸(現三井倶楽部、1913年)、島津忠重邸(現清泉女子大、1915年)、古河虎三郎邸(現大谷美術館、1917年)があります。
また、日本建築、日本庭園、生花に関する論文によって欧米にもその名を知られています。
国重要文化財・名勝『六華苑』 の 四季
春 ~Spring~
明治期の洋風建築には和館を併設する例が多く見られました。その中でも、これほど大規模な和館を接続させた設計は珍しいものです。
1階は、西側に格調の高い客座敷、東側に内向きの座敷があり、2階は、洋館2階とも連絡する隠居部屋がある。大正元年8月18日上棟、工匠棟梁伊藤末次郎。
夏 ~Summer~
秋 ~fall~
冬 ~Winter~
六華苑(国重要文化財、桑名市指定文化財)
諸戸家は、初代清六(1846~1906)が桑名に移住し米穀取引を営むようになり、明治に揖斐川右岸に居を構えたと伝えられる。
現在の旧諸戸家住宅の敷地は、初代清六の敷地に隣接しており、2代目清六の新居として洋館・和館を中心として附属建物が建てられた。
洋館は、大正2年に竣工、和館は棟札により大正元年に上棟されたことがわかる。
洋館の設計はイギリス人建築家ジョサイア・コンドルが手がけた。
旧諸戸家住宅は、洋館・和館がそろって残 り、両者が直線状に接続する配置に特徴があり、東海地方西部において本格的洋館を備えた代表的邸宅として貴重である。
また、煉瓦造の大邸宅やハーフティンバーの木造住宅が中心となるコンドル後期の作品の中で、数少ない木造のビクトリア朝の住宅様式を持つものとしても価値が認められる。
六華苑内・館内マップ
苑内マップ
館内マップ
一の間
二の間
灯りの通路
六華苑周辺マップ
最寄りの交通機関
三交バス(三重交通バス)
桑名駅東口を右に出ます。バスターミナル③番のりばから長島温泉行き、市内A循環、市内B循環バス乗車。「田町」バス停を下車。揖斐川堤防沿いを北へ徒歩10分(徒歩案内図)
Kバス(市コミュニティバス)
桑名駅東口を右に出ます。ロータリー内の交番横Kバスのりばから桑名東部ルート乗車。
「六華苑」バス停を下車。乗車運賃は100円(未就学児は無料)毎日1時間に1本程度運行。
自動車
<名古屋方面からお越しの場合>
・東名阪道
長島IC→国道1号線を右折→伊勢大橋西結交差点左折→堤防道路直進右手に六華苑(約15分)
・伊勢湾岸道路
桑名IC→道なり直進258号線に出て、右手桑名警察署交差点信号を右折→県道613号線を直進→田町交差点を超えて直進→堤防道路へ左手に六華苑(約15分)
<大阪方面からおこしの場合>
・東名阪 桑名IC下車→桑名市街方面へ国道421号線を直進→国道1号線(中央町交差点)を超えて桑名港交差点左折→田町交差点を超えて直進→堤防道路へ左手に六華苑(約15分)
徒歩
桑名駅から約20分
六華苑へのお問い合わせ
電話:(0594)24-4466 FAX:(0594)24-4627
e-mail:rokkam@intsurf.ne.jp
住所:〒511-0009 三重県桑名市大字桑名663-5
鎹八咫烏 記
協力(順不同・敬称略)
六華苑 〒511-0009 三重県桑名市大字桑名663-5 電話: (0594)24-4466
桑名市役所 〒511-8601 三重県桑名市中央町2-37 電話:0594-24-1136
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話:03(5253)4111
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