如何にも涼しげな川越氷川神社「縁結びの風鈴」です
川越氷川神社の歴史
川越氷川神社は今から約千五百年前、古墳時代の欽明天皇二年に創建されたと伝えれらています。室町時代の長禄元(1457)年、太田道真・道灌父子によって川越城が築城されて以来、城下の守護神・藩領の総鎮守として歴代城主により篤く崇敬されました。 江戸時代に入ってのちも歴代の川越藩主より社殿の造営や特別の計らいを受けました。現在の本殿には緻密な彫刻が施されており、県の重要文化財となっています。 また、昔より縁結びの神様としての信仰を集め、人々のご縁を取り持ってまいりましたのは、お祀りしている五柱の神様(ご祭神)にあります。
川越氷川神社のご祭神
川越氷川神社には五柱の神々がおまつりされています。主祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)。ほかに、脚摩乳命(あしなづちのみこと)と 手摩乳命(てなづちのみこと)の夫婦神様。さらにその娘であり、素盞嗚尊の妃神でもある奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)。そして、素盞嗚尊と奇稲田姫命のご子孫ともお子様ともいわれ、また出雲大社の縁結びの神様としても知られる大己貴命(おおなむちのみこと)の五柱の神様です。
これらの神々はご家族であることから、川越氷川神社は「家族円満の神さま」、また、ご祭神に二組のご夫婦神様が含まれていることから、「夫婦円満・縁結びの神様」として信仰されています。
川越氷川神社の社宝
川越氷川神社には歴史的にも意義のある文化財が多数納められています。
川越氷川祭絵巻 江野梅雪 画 文政九年(1826年)有形民俗文化財
慶応元年(1648)、藩主松平信綱の仰せ付けによって始まった氷川祭礼。現存する資料の中で、最も大規模かつ華やかな神幸祭(じんこうさい)の様子が描かれている。通常の絵巻と異なり、左から右に場面が移動する。最初に川越城から行列を見る藩主が描かれ、氷川神社の行列を先頭に旧十ヶ町の山車が続く。江戸の天下祭では亨保年間に屋台が中止されていたが、川越での規制ではなかったようである。献者は鍛冶町の金物商、北野俊太郎と洋物商、桜井半蔵とされる。
川越氷川祭礼絵馬 長谷川雪渓 画 天保十五年(1844年)埼玉県指定文化財
当社改築の上棟式を祝って、鳶連中(とび)が奉納した大絵巻。巨大な絵馬には、山車を中心に役員と鳶職・囃子が描かれている。山車は一本柱の形で上部に高欄がつき、山車人形が乗っている
八坂神社社殿 埼玉県指定文化財
寛永十四年(1637)、三代将軍徳川家光が江戸城二丸に東照宮として建立。明治五年、氷川神社境内に移され、八坂神社の社殿とした。江戸城内の宗教的建造物の遺構であり、全国唯一の貴重な社殿である。
氷川神社例大祭・神幸祭
氷川神社創建の由緒にさかのぼり毎年行われる祭儀であり、一年を通じてもっとも大きなお祭りです。神社例祭の付け祭りとして行われる山車行事は国の重要無形民俗文化財に指定されています。
神幸祭は嘉永年間に川越藩城主、松平信綱公が慶安元年(1648)、総鎮守氷川神社に神輿・獅子頭等の祭具を寄進したことからはじまります。さらに信綱公は江戸の天下祭に則した神幸祭の斎行を奨励しました。それ以来、川越氷川祭りは氷川神社から出る御神幸の行列に各町内の屋台や山車が供奉するようになりました。
江戸名工の精巧な技を受け継ぐ山車、踊り屋台が初めてお目見えしたのは、元禄十一年(1698)。今の川越市元町二丁目、当時の高沢町から。いまでは10ケ町22台の山車が川越の町を練り歩くまでに発展し、「川越まつり」とも呼ばれるようになり、関東一円から見物客が押し寄せる埼玉県随一の祭です。この「川越氷川祭の山車行事」は国の重要無形文化財に指定されています。350年もの間、受け継がれてきた川越氷川祭り。これからも祭りを支える方々と私ども神社とが、世代や立場を超え、共に伝統文化を継承していきたい…。私どもは、心より願っております。
創建以来1500年、縁結びの神さまを祀る
川越氷川神社は、今からおよそ1500年前の古墳時代に創建されたと伝えられます。 室町時代の長禄元(1457)年、太田道灌が川越城と江戸城(現在の皇居)を築城して以来、城下の総鎮守として崇敬されました。 ご祭神として二組の夫婦神様と家族の神様をお祀りしていることから、 「縁結びの神さま」「結びの神さま」「家庭円満の神さま」として信仰され、 神前で結婚式を挙げることができます。
川越氷川神社だけできる儀式「結い紐の儀」
赤い結い紐を、お互いの小指に結び合う。川越氷川神社には、そんな習わしがあります。目には見えない赤い糸を結び合うことにも似た、一生に一度の、一生の約束。川越氷川神社・氷川会館ならではの儀式です。
商標登録第4826202号
夫婦の神様を祀る川越氷川神社
~運命の赤い糸を結ぶ結婚式~
ご祭神「五柱(いつはしら)の神さま」は、両親と娘夫婦とその子孫である五神。
そのことから、この神社は「家族円満の神さま」「夫婦円満・縁結びの神さま」とされてきました。
「むすび」とは元々「産霊」と書き、「新しいものを産みだす、目に見えない力」のことをいいます。
つまり、人と人が出会うだけでなく、そのめぐり会いから「新しいなにか」が生まれることを「むすび」というわけです。たとえば、男女が出会い、夫婦となり、その二人の間に新しい生命を授かったとき、赤ちゃんが男の子ならば「むす・こ」、女の子であれば「むす・め」と呼びます。 「むすびの力」によって生まれてきた尊い命であることを表しています
「結婚するふたりは、生まれたときから小指と小指が赤い糸でつながっている」
日本には、こんな美しい言い伝えがあります。目に見えない赤い糸を、おふたりがきちんとたしかめ合えるように、お互いの小指に赤い「結い紐」を結び合う。
日本の伝統~花嫁衣裳は、母から娘へのメッセージ~
日本の花嫁衣裳には、母から子へ贈る、さまざまな思いがこめられている。そのことをご存じでしょうか。
たとえば、帯の下方に巻く白いひも状の「抱え帯」。
「嫁いだ先では襷がわりにして、頑張って働きなさい」という思いがこめられています。
「はこせこ」は昔の女性たちが持っていた化粧ポーチのようなもの。
「嫁ぎ先でどのようなことがあっても、泣き顔を見せずにいつも美しく、凛とありなさい」という思いがこめられています。
別の家に嫁いでいく娘に対しての、厳しくもあたたかい、親の愛情。新しい家庭をもつふたりが、力を合わせて一生懸命に家を守っていくことは、今も昔も変わらぬ、「親の幸せ」であるのでしょう。
筥迫(はこせこ)
夜の神前結婚式「かぐや」
幻想的な雰囲気がふたりだけの世界をつくる日本の伝統的な儀式
巫女と楽人に先導され、参道を社殿へと歩む「参進」にはじまり、神職から新郎新婦に贈る言葉「斎主挨拶」まで。
儀式は何ひとつ省略することなく行われます。
結婚の「婚」に「昏れる」という字があるように、
そもそも昔は、夜に結婚式が行われていた、といわれています。
夏の祭
8月7日 七夕祭
皆さんのお願い事がかなうように、お願い事が書かれた短冊を笹竹に結び、境内北側の川へ宮司が流します。祭典後には参列者には七夕饅頭が配られます。
日時:平成29年8月7日(月)
奉納芸能 18 : 00 ~
祭典 19 : 00 ~
場所 川越氷川神社 境内
*短冊は8月上旬より境内の笹竹に結べます(無料)
*雨天時の祭儀は殿内にて行います
・境内での祭儀にご参列下さい。
・短冊にお願い事をかき笹竹に結び付けましょう。
・祭儀参列の方には七夕まんじゅうや花火が配られます。
・舞殿では、巫女舞、神楽やお囃子、尺八の演奏
・神話の紙芝居の上演
神社のあかりを、まちへ ~縁むすび風鈴~
今からおよそ1500年前、川底に光る霊石を祀ったことに始まるとされる川越総鎮守、氷川神社。川越氷川神社と「光」は創建の昔から密接な関係にあります。
やわらかな光には、ひとの心を和らげる力があるのでしょう、縁むすび風鈴に飾られるガラス製の江戸風鈴は境内のあかりに照らされ、夜もやさしく参拝者を迎えます。
「恋あかり」は、それぞれの想いをぼんぼりにともして、川越の夏の夕景を楽しんでいただく新行事です。
あかりを手に歩いていくと、今もひっそり息づく小江戸の歴史や文化が、夕暮れのまちにふわりと浮かびあがってくるかもしれません。
たいせつなひとと一緒に、ぜひお越しください。
川越氷川神社宮司 山田禎久
縁むすび風鈴
平成29年7月1日(土)〜9月10日(日)
縁結びの風鈴、是非訪ねてみてください!
境内のご案内
1. 大鳥居
境内の入り口に大きくそびえ立つ大鳥居は、木製の鳥居としては日本一の大きさです。高さは約15mで、平成のご大典奉祝行事として建立されました。扁額の文字は勝海舟の筆によるものです。
2. 本殿
江戸後期に川越城主松平斉典公の寄進と氏子の寄付によって建立されました。ご本殿には木の良さを生かした江戸彫とよばれる関東特有の精緻な彫刻が全面に施されており、名工 嶋村源蔵・飯田岩次郎が7年の歳月をかけて彫りあげたものです。これらの彫刻はそれぞれ川越氷川祭で繰り出される山車に乗る人形をモチーフにしています。江戸時代の名工の技が静かに息づくご本殿は県の重要文化財に指定されており、大森貝塚を発見したことでも有名なE.モースも本殿の彫刻を見てその緻密さに驚いたといいます。また、モースは当社のお札をアメリカに持ち帰り、保存しました。
3. 御神木
境内には多くの御神木がありますが、本殿裏手の御神木は樹齢600年を超えるケヤキです。この御神木の周囲には歩きやすいように石の道をつけてありますので、8の字を描くように回るとよいでしょう。
4. 御神水
境内地下には水脈があり、そこから汲み上げている御神水です。昔から御神水は心身を清め、邪気を祓うものとして尊ばれてきました。御神水はご自由にお汲み取りいただけますが、飲用する場合は煮沸してからお召し上がり下さい。
5. 小川
この川に「人形(ひとがた)」とよばれる和紙を流して、心身の穢れを祓う「人形流し」が行えます。
6. 多羅葉の木
「葉書」の語源になったといわれている木です。葉の裏を尖ったもので傷つけると字が書けるほか、葉をあぶって占いに使用したともいいます。(木が傷むので葉を取ったり傷つけるのはご遠慮ください)
7. 戌岩
その姿が鼻先を神前に向けた戌(いぬ)に似ていることから戌岩(いぬいわ)とよばれています(片耳が垂れた戌の顔です)。撫でると子宝に恵まれ、安産になるといわれています。
8. 水神社
御祭神:弥都波能売神
昔、当社の境内には御手洗川という小川があり、神社脇の上尾街道を通る人々の憩いの場所でした。水の神様です。
9. 太田道灌手植えの矢竹
川越城を築城した大田道真・道灌は城の戊亥(北西)に鎮座する当社を篤く崇敬しました。道灌は当社に和歌を献納し、境内に矢竹を植樹したといいます。
10. 山上憶良の歌碑
柿本人麻呂神社の右脇には、山上憶良の歌を刻んだ碑があり、有名な「令反惑情歌」(まどえるこころをかえさしむるうた)と、碑のいわれが刻まれています。第19代山田衛居宮司と懇意にしていた中嶋与十郎らによる書は、川越の文化人たちの息吹を今に伝えています。
11. 護国神社
西南戦争以降の川越出身の戦没英霊をおまつりしています。毎年4月に例祭が行われます。
12. 絵馬トンネル
お願い事を記した絵馬を奉納するトンネル状の参道です。多くの方がご奉納された絵馬が掛けられています。
13. 氷川会館
氷川の杜に佇む「氷川会館」。館内にはおもむきの異なる8つの会場があり、
好みに合わせた披露宴を行うことができます。家族や近しい方々による少人数ウェディングから、
たくさんの方々をお招きする華やかなウェディングまで、さまざまに対応しています。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同)
川越氷川神社 〒350-0052 埼玉県川越市宮下町2-11-3 電話 049-224-0589
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111
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