ZIPANG TOKIO 2020「人生甦りの熊野速玉大社へ  ~ 千早ふる 熊野の宮のなぎの葉を 変わらぬ千代のためしにぞ折る ~ 藤原定家(前編)」

熊野速玉大社 御神木「梛」なぎ

境内にそびえる樹齢千年のナギの大樹は熊野権現の象徴として信奉篤く、古来から道中安全を祈り、この葉を懐中に納めてお参りすることが習わしとされています。熊野牛王とナギの葉をいただくことが、難行熊野詣を無事果たす大きな支えとなりました。

なぎの木は国の天然記念物として2つある。豊川市 の「牛久保のナギ」は推定樹齢400年。 熊野速玉大社のナギの木は平重盛が手植えしたもので樹齢千年で日本一の巨樹。

熊野牛王(くまのごおう)は、熊野権現にゆかりある烏を絵文字化した護符で、戦国時代からその形を変えることなく伝わってきました。熊野速玉大社の牛王は、四十八の烏文字で描かれているところから、よとやの神咒(かじり)とも言い、速玉大神の衆生を救う願いが一羽一羽の烏に込められていると謂われています。 病気平癒、災難除けのみならず、熊野牛王は戦国武将間で忠誠心や絆を強く結ぶために用いられたほか、江戸時代には遊女が起請文として使うなど、広く庶民の間に親しまれてきました。太閤秀吉は諸国大名との誓約に、熊野速玉大社の熊野牛王を使いました。

速玉神社の熊野牛王のお札とナギの葉守りをいただくことが、難行熊野詣を無事果たす大きな支えとなる。

熊野速玉大社ナギの舞

熊野御幸


熊野信仰の起こり

私達の祖先は、一体いつの頃から「神」の存在を感じたのでしょう?古代の人々にとって、生命の保証のない大自然の中で生きていくことは、想像を絶するほど過酷であったと思われます。自然は、言葉で言い尽くせない驚異、感動、苦しみ、そして恵みを私達に与えます。 人間の生活を、また自らをも破壊してゆく自然の猛威、一方で暖かい光と豊饒の恵みをもたらす生命の泉としての存在・・・大自然の脅威と恵みは、古代人の心に「恐れ」と、気高く聖なるものへの「畏れ」を生み出していきます。

その中で私達の祖先は、自然をも超越した完全無欠の神を望まず、大自然の中にこそ存在し、災害も恵みも合わせ与える厳しくも温かい神を望みました。 熊野には、自然が作り上げた神聖な場所がいくつも残っていて、そのような特別の場所に、熊野三山の神々は降り立ちました。


神倉山と新宮

 「熊野権現御垂迹縁起」(一一六四年長寛勘文)はじめ諸書によると、熊野の神々は、神代の頃、まず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨され、その後、景行天皇五十八年、現在の社地に真新しい宮を造営してお遷りになり、「新宮」と号したことが記されています。

初めは、二つの神殿に熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神を祀り、平安時代の初めには現在のように十二の神殿が完成しました。

日本書紀には、神武天皇が神倉に登拝されたことが記されています。悠久の古より人々から畏れ崇められてきた神倉山には、初め社殿はなく、自然を畏怖し崇める自然信仰、原始信仰の中心であったと思われます。また、ここから弥生時代中期の銅鐸の破片も発見されています。 十月の例大祭では、お旅所に新宮の由来となった最初の宮である「杉ノ仮宮」を造り、古式に則って神事が行われます。


御由緒

熊野速玉大社は、熊野三山のひとつとして全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮です。今から約二千年ほど前の景行天皇五十八年の御世に、熊野三所権現が最初に降臨せられた元宮である神倉山から現在の鎮座地にお遷りになり、これより神倉神社の『旧宮』に対して『新宮』と号したと古書にみえます。

 

御祭神は、熊野速玉大神(いざなぎのみこと)・熊野夫須美大神(いざなみのみこと)を主神に、十二柱の神々を祀り上げ新宮十二社大権現として全国から崇敬を集めています。 
特に、孝謙天皇の御世、日本第一大霊験所の勅額を賜り、熊野三山の中でも逸早く『熊野権現』の称号を賜りました。「権現」とは仮に現われるの意味で、神様は御殿の中のもっとも清浄な奥処に鎮まりましますので、私達の目にはそのお姿を直接見ることができません。そこでそのお姿を仮に仏に変えて、我々の住む俗世界に現われるという考え方が浸透していきます。

 奈良朝末期にいたって、熊野速玉大神は衆生の苦しみ、病気を癒す薬師如来として過去世の救済を、またお妃の熊野夫須美大神は現世利益を授ける千手観音菩薩、家津美御子大神は来世浄土へ導く阿弥陀如来として位置づけられ、山伏や熊野比丘尼によって熊野権現信仰は飛躍的な拡がりを見せ、全国に数千に及ぶ御分社が祀られるにいたりました。 
さらに、中世熊野信仰の興隆にともない、皇室、公卿、武士中心から庶民信仰へと発展し、過去世救済、現世利益、来世加護を説く三熊野詣こそ、滅罪・甦りへの道であるとして、「蟻の熊野詣」の諺のごとく熊野街道は賑わったのです。


古歌にみる熊野詣の心

熊野へ参るには 紀伊路と伊勢路とどれ近しどれ遠し 広大慈悲の道なれば 紀伊路も伊勢路も遠からず
梁塵秘抄

なぎの葉に みがける露のはや玉を むすぶの宮や ひかりそふらむ
夫木集 検校法親王


人生甦りの熊野詣で

自然信仰を原点に神社神道へと展開していく熊野信仰は、六世紀に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み、「熊野権現信仰」が全国に広まっていきます。「権現」とは、神が権り(仮)に姿を仏に変え、衆生を救うために現れるという意味で、過去・現在・未来を救済する霊場として熊野は広く人々に受け入れられていきます。
さらに、強者弱者、地位や善悪、信不信を問わず、別け隔てなく救いを垂れる神仏として崇敬され、人々は難行を覚悟で、熊野をめざし、「蟻の熊野詣で」の諺も生まれました。


熊野古道は、滅罪と救いを求めて難行を続ける人々がつけた命の道です。険しい山路を越えてやっとのことで宝前に辿り着いた人々は、皆涙に咽んだといいます。そして、熊野の神にお仕えする私達の祖先は、たとえ参詣者のわらじが雨で濡れていてもそのまま温かく拝殿に迎え入れました。これを「濡れわら沓の入堂」といい、熊野速玉大社の社訓になっています。

美しい感激の涙で心が洗われ、自分本来の姿を取り戻す旅・・・。熊野は生きる力を、もう一度受け取りに来るところなのです。命がけの旅は、私達が生まれた時に持っていたはずの純真なこころと姿を取り戻す試練の旅でもあったのでしょう。

難行苦行の果てにあるもの・・・それは、迷わず人生の再出発を踏み出すための勇気と覚悟の加護にほかなりません。熊野速玉大社が「甦りの地」といわれる本意は、正にここにあります。

神門をくぐる時、誰もが「ほっと」できる「甦りの」瞬間がそこにある。



社殿

世界遺産碑

大鳥居

八咫烏神社と手力男神社

日本一のナギの木

弁慶木像

熊野神宝館

神門

拝殿・鈴門


祭礼行事

特殊神事

熊野速玉大社では、様々な特殊神事が斎行されます。

扇立祭(7月14日)

熊野速玉大社で行われる祭儀。午後6時に国宝の檜扇を神殿に立てて執り行われる神事で、国家安泰、無病息災、家内安全などを祈願します。境内には夜店がならび、エリア最大の夏祭りとしても有名。納涼を兼ねた浴衣姿の参拝者が多く訪れます。


例大祭 熊野速玉大祭(10月15日)

例大祭本殿大前ノ儀

神馬渡御式

速玉一ツ物人形を背に出御する神馬

町中の各所で神輿を練る

御舟祭早舟競漕

お旅所神事

熊野速玉大社例大祭・御船祭(10月15日・16日)

熊野速玉大社例大祭のひとつで、美しく飾られた神幸船(しんこうせん)を先導して9隻の早船競漕が行われます。南紀随一の船祭りとして名高く、平成28年、神倉神社の御燈祭りとともに国の重要無形民俗文化財に指定されました。


9隻の早船競漕

朱塗りの神幸船は、御神輿をのせ御船島を三周し川原に接岸します。

熊野速玉大社で神事が行われ、御神霊が御神輿に移される。

宝物

熊野速玉大社には、室町時代に皇室と足利義満公の奉納と伝えられる古神宝類(内容品共千二百四点)がある。保存状態が良好で、内容品の種類が多く、しかも類品皆無という珍らしいものなどがあり、当代最高の古文化財として、いずれも国宝に指定せられている。

蒔絵手箱十一合、玉佩二リュウ、挿頭華三十枚、金銅鳥頸太刀二口、彩絵檜扇十握、装束などは特に有名である。また、珍らしい国宝の笏もある。


古神像(こしんぞう)

熊野速玉大社には、千古の古から伝えられてきた神像七躯があり、いずれも桧の一木造著色坐像です。明治期には、結、速玉、家津美御子、国常立像、皇大神、伊邪那美、伊邪那岐、の七躯が国宝に指定され、昭和二十五年には重要文化財に指定されています。その後平成十七年三月に速玉、夫須美、家津美御子、国常立神像の四躯が国宝に再指定されています。 


彩絵檜扇(さいえひおうぎ)

この彩絵檜扇は緑の松、朱赤の楓を画き、金銀箔をちらし、下方にはススキを配している。
檜扇とは檜の薄皮をつヾって作った扇で、主として宮中においての儀式に際し、公家の男女が正装して所持したもの。位によって枚数がことなる。熱田神宮に一握、厳島神社に五握、熊野速玉大社のもと摂社阿須賀神社に一握(現在は国有)を存するのみで、これは長さ一尺三寸二分、巾上一寸二分、本九分の檜板二十七枚を萌黄紅糸で綴合せ、紙ヨリを石畳結びとして蟹目にとおした親王用品である。世に熊野檜扇として有名な十握の中の一つである。


桐唐草蒔絵手箱(きりからくさまきえてばこ)

蒔絵手箱は平安時代に完成された化粧具をおさめる器物であるが中世以前のものはきわめて遺品がすくない。 熊野速玉大社には、保存状態が良く内容品のととのった蒔絵手箱が、十一合も所蔵されている。しかも皇室、仙洞御所、足利義満公の御奉納にかかる桐蒔絵手箱二合とこの桐唐草蒔絵手箱は、沃懸地蒔絵銀螺という最高の豪華な技法でつくられている。 この桐蒔絵手箱は沃懸地、つまり金粉を密に蒔詰めた厚い金地に高肉蒔絵に銀螺鈿で桐と唐草を蓋表および四側の面に画き、紐金具は金の桐金具となっている。 また、白蝋の置口をつけた二重の懸子の中に、次のような品々をおさめている。 梨地箱入り白銅鏡1、銀銅水入2、同歯黒器1、白銅香合2、同白粉笥2、同歯黒箱2、銀銅耳掻1、同鋏1、同毛抜1、同櫛拂1、同髪掻2、同眉作2、同歯黒筆1、同解櫛1、紅皿1、蒔絵梳櫛29、蒔絵櫛箱1、 なお、この蒔絵手箱は、十二社殿の中の第三殿證誠殿の御神宝である。


金銀装鳥頸太刀(きんぎんそうとりくびのたち)

柄頭に鳳凰の首を飾る金銀装の鳥頸太刀二口は、後小松天皇の御奉納にかかる南北朝時代の作である。中世、鷹狩りに使用の公家飾太刀の流をくむ稀有の遺品で、鳥頸、鳳凰、キリンなどの金具等の彫技は抜群で精巧をきわめている。 中身は信国一門の作で、康応二年三月日の銘があり刀長二尺二寸五分、表裏のはばき上に梵字、蓮台を、その上には細い棒樋を刻している。中身の一口は明治6年に紛失、残り一口は昭和21年1月17日に、米国進駐軍の刀狩りで行方不明である。まことに遺憾の極みである。


金銅装錦包掛守(こんどうそうにしきつつみかけまもり)

災厄をまぬがれるために、お守りをいれて胸に下げる古様なお守袋である。懸守は、護符をいれた錦包の筒形袋の両端に、紐をつけて用い、主に女人が使用していた。 懸守の遺品はきわめて珍らしくて、わずかに四天王寺(大阪)に平安時代のものが7個あって円形、楕円形、花形の筒状で、錦に金銅の飾金具をつけている。 当大社所藏品は、四天王寺よりも時代の下降がみとめられるが、稀有の遺品である。側面が楕円形の扁平な形に木心をつくり、紺地小文錦で貼りつつみ、これに金銅透し彫りで梅樹、籬の飾金具をつけ、両肩には紐を通すように花形の座金がある。 (縦7.3cm、横7.3cm、厚4.8cm)


玉佩(ぎょくはい)

速玉大社御主神の速玉大神(いざなぎのみこと)の御神宝で、南北朝の精巧な彫金技法による遺例稀な貴重な宝物である。玉佩は「西宮記」によると、臣下で三位以上は右腰、天子は腰の左右に飾るとある。


挿頭華(かざし)

宮中では奈良時代から冠に実花を挿したが、後に造花を用いた。これは南北朝時代のもので、色々の絹糸をはり合せて作った稀有の遺品で、熊野速玉大社には椰など14種、30枝が伝えられている。 (右からツツジ・椰・松各二枝)

組紐(くみひも)

麻紐を芯として白・黄・萠黄・緑の絹糸で両面に亀甲文・山道形に打出している。公卿が装束着用の際に、腰紐に使用したが、室町時代になると、将軍クラスが刀の下緒にしたと言う。 この組紐の製作には時間がかかり、公卿が色々苦労して一年近くかかって、やっと一本を編んだと言う。古い組紐の遺品はきわめて数が少なく、神宮に残欠が伝えられている由である。これは南北朝の作で、六条が伝えられている。 (長175.7~200cm)


錦包挿鞋(にしきつつみそうがい)

熊野速玉大社には同型同大で作技も同一の挿鞋が二組ある。木をくりぬいて沓形にして、表には赤地輪宝唐草文錦を張り、内側と底には唐草文の白綾をはっている。地は経の三枚綾、絵緯は白、黄、緑の織りにつくっている。 挿鞋は綾でつつみ、錦でつつんだものは錦鞋と呼ばれており、当大社のものは之に該当する。鞋の古様は甲が皮履のようなやわらかな浅沓である点から考えると、当大社の品は木をくりぬいた形だから、鞋ではなく履の仲間と言えよう。甲の部分がやわらかい布帛製では形がくずれやすいので、木製に代っていったのであろう。(長さ23.2cm、巾9.5cm、甲高10cm)なお、この挿鞋の容器である唐花蒔絵挿鞋箱二合(高さ14.9cm、縦23.9cm、横26.2cm)があり、共に国宝に指定されている。黒漆に唐花唐草の円文と唐花唐草を銀蒔絵とし、内側には蓮華、蝶、唐草模様の赤地錦を貼っている。


木笏・梛蒔絵笏箱(もくしゃく・なぎまきえしゃくばこ)

この木笏は鎌倉時代後期の作で、材質は一位の木であり、角丸形で上巾六.七cm・たて四十三cm・厚さ一.九cmである。 笏箱は長方形で上部は花形座、下部は直線となった合口造り、白蝋の置口をつけ黒漆ぬりで熊野権現の象徴である梛枝を金銀の蒔絵であらわしている。


熊野曼荼羅の絵解き

熊野速玉大社では、かつて熊野比丘尼(びくに)が全国を巡り、熊野信仰を説いて歩いたという『熊野観心十界曼荼羅』の 絵解きを行っております。

地獄・極楽いずれに行くかは現世の罪次第・・・。 絵解きを受けて豊かな熊野詣の旅を!

初穂料500円 所要時間30分・事前にお問合せ下さい


全国熊野神社の数と分布

北海道から沖縄まで日本国中に熊野神社が祀られ、その数は三千数百社以上に上がるといわれ、中世には御二十三方、百四十度に及ぶ熊野御幸(九〇七~一三〇三年)があり、中でも後白河上皇は三十三度も熊野へ参詣しました。
全国に祀る熊野神社の集いである「全国熊野会」に、熊野神社の宮司様、総代様方もぜひご入会下さい。


熊野速玉神社「特別授与品」



 熊野速玉大社オリジナル「なぎまもり」~御神木「梛」の実で奉製した熊野速玉大社独自のお守り。なぎ人形と同じく家内安全・縁結び・海上安全の信仰があります。(初穂料 600円)

(他になぎ人形もあります。)



23時55分のアップ予定でしたが、今回も日をまたいでしまいました。読者の皆様にお詫び申し上げます。明日(正確には今日ですが)は今回の後編を予定いたしております。
                                鎹八咫烏 記


協力(順不同)

熊野速玉大社 〒647-0003 和歌山県新宮市新宮1番地 電話: 0735-22-2533

熊野三山協議会事務局 〒647-8555 和歌山県新宮市春日1-1 新宮市役所商工観光課内
 TEL: 0735-23-3333

(株)熊野新聞社 〒647-0045 和歌山県新宮市井の沢3-6  TEL: 0735-22-8080

新宮市観光協会 和歌山県新宮市徐福2-1-1 新宮駅構内 TEL:0735-22-2840 

公益社団法人 和歌山県観光連盟 〒640-8585 和歌山県和歌山市小松原通1-1 和歌山県庁観光振興課内 TEL.073-422-4631 

文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111

ZIPANG TOKIO 2020

2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。 この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、伝統芸能、行事、風習、ものづくりの技の美等、 サイトを通じて、平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです

もしもこのサイトに同じ思いをお持ちの皆様から、素敵な情報や画像をお寄せ戴ければこの上ない喜びです。以下のEメールアドレスへご連絡下さい。

E-mail aromajinja@gmail.com ( ZIPANG 2020 編集部 )。

2020, will be held the Olympic Games and Paralympic in Tokyo.

On this occasion, for the little-known beauty of the spiritual culture and national land of Japan to the people of the world I think that if we help to re-discover.

Climate, nature of the four seasons, of food, clothing and shelter cultural beauty, traditional arts, events, customs, beauty, etc. of the work of making things,

Through the site, peaceful country, a strange country, if the interest is more depth or round to ZIPANG Japan, is where I want secretly.


写真ご協力:高山祭(高山市)/ 富士山(富士市)

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2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。 この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、伝統芸能、行事、風習、ものづくりの技の美等、 サイトを通じて、平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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