吉野聖天大祭
命綱に、修行の厳しさが伝わってくる。
櫻本坊の境内から宇宙や自然を見守る、役行者さまと弟子の前鬼、後鬼。
母公像(ははこぞう)とは役行者さまの母君のお姿です。子どもを心配する母。
女人結界門は役行者さまの慈しむ心
吉野聖天大祭
平成29年10月1日(日) 午後1時 櫻本坊
日本最古の吉野聖天尊は、役行者尊により大峰々中奥深く「聖天の森」に祀られました。今を去ること1350年前のことである。その後より多くのかたがお参りできるようにとご遷座くださったのが吉野山 櫻本坊 聖天堂である。
聖天尊とは大聖歓喜自在天と称され、梵我一如・和合と調和・財宝の神である。
「大日如来最後方便の身、観自在尊慈悲深重の尊体なり」
と語られるように、宇宙の中心・究極の仏として大慈悲心とともにご出現くださいました。心からこの天に向かうとき、無量の祈願がたちまちに成就すると説かれている。
聖天さまのご本地仏・秘仏 十一面観世音菩薩 特別ご開帳法要である。
次第(10月1日)
午後1時
聖天尊ご本地仏 祭礼
秘仏・十一面観音 ご開帳法要 於 櫻本坊 聖天堂
午後2時
大護摩供法要 於 櫻本坊 境内道場
夜中の浴油秘法供はございません ご注意下さい。
10月1日午前零時より聖天堂内陣にて、住職により秘法供を厳修します。
( 皆さまによる夜中の浴油秘法供はございません。ご注意下さい。)
聖天尊ご本地仏『 秘仏 十一面観世音菩薩 』ご開帳は 9:00~16:00 です。ご自由にご参拝ください。
祈りの護摩木
柴灯大護摩供に際し、ご祈願護摩木のご奉納をお願い致します。
皆さまの護摩木を大護摩の浄火にて梵焼 ご祈願申し上げます。
これまでの吉野聖天尊大祭の模様
聖天尊とは大聖歓喜自在天と称され、梵我一如・和合と調和・財宝の神です。「大日如来最後方便の身、観自在尊慈悲深重の尊体なり」と語られるように、宇宙の中心・究極の仏として大慈悲心とともに顕現くださいました。心からこの天に向かうとき 無量の祈願が速疾に成就すると説かれます。年に一度の特別ご開帳法要です。午前零時の時報と共に厳粛な秘法が修法されます。みなさまのご帰山をお待ち申し上げます。
合掌
櫻本坊【寺宝・ご本尊】
ご本尊 役行者倚像
重要文化財
鎌倉時代 14世紀
木造
彩色
寄木造り
像高146.6cm
御歳19才の等身大のお姿と伝わります。
像の根幹部を堅材の一木から彫出し、面部を矧いで水晶の玉眼を嵌入し、着衣には様々な彩色文様が施されています。
長頭巾(ときん)を着け、右手に錫杖、左手に経巻を持ち、素足に下駄をはき岩に腰かけたお姿。
口を開き微笑んでいるような柔和な表情で、玉眼の両眼を見開いておられます。
髭がなく、表情には生気が漲り、若々しくしっかりとした骨格や筋肉が表された、若き日のお姿です。
本来、前鬼・後鬼が左右に従っておりましたが、明治の神仏分離・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の法難の折、行方知れずとなり今日に至ります。
合掌
ご宝号
南無神変大菩薩(役行者にすべておまかせし帰依いたします)
ご真言
オンギャクギャクエンノウバソクアランキャソワカ
釈迦如来坐像
重要文化財
飛鳥・白鳳時代 7世紀
銅像鍍金
像高17.9cm
右手はひじをたて施無畏印、左手は掌を上に向け指を軽く曲げた与願印を結び、正面に懸裳(かけも)を大きく垂らして坐す、吉野では現存最古の彫像のお姿です。
頭部は螺髪(らほつ)ではなく平髪(へいほつ)、ゆったりとした衣を胸の前を大きく開く付け方も特徴的で、衣の稜線には複連点文(ふくれんてんもん)と呼ばれる装飾が施されています。
耳たぶが外側に強く張り出す独特の面持ちで、あたたかく微笑んでおられます。
天武天皇は櫻本坊を建立ご開創に際し、この釈迦如来さまを造立され、ご自身のご念持仏としてお祀りになられたのです。
合掌
ご宝号
南無大聖釈迦牟尼如来(釈迦族の聖者である仏陀にすべておまかせし帰依いたします)
ご真言
オンサルバシチケイビシュダラニソワカ
地蔵菩薩坐像
重要文化財
平安時代 12世紀
木造
彩色
寄木造り
像高83.7cm
等身大、ヒノキ材の寄木作りで、温和なお姿で浅く整えられた衣文など、定朝様を受けついでいます。
両手首から先が亡失、剃髪で結跏趺坐(けっかふざ)、衲衣(のうえ)を着け、右肩を覆肩衣(ふげんえ)が覆い、腹部には裳の結び紐が表されています。穏やかな相貌をもち、丸みを基調とした安定感のあるお姿です。
高度な技法で造られた構造を持ち、平安末期12世紀ころの造立と考えられます。
地蔵菩薩はサンスクリット語ではクシティ・ガルバと称されます。クシティとは「大地」、ガルバとは「胎内」という意味で、大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦しみ悩む人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられました。
お釈迦さまの滅後56億7千万年の後に、弥勒菩薩(みろくぼさつ)が成道され出現されるまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救ってくださいます。
無数のお姿に変化して一人一人を救われるので千体地蔵とも称され、また子供の守り神としても尊ばれ「子育て地蔵」「子安地蔵」ともよばれ、古来大変親しまれております。
合掌
ご宝号
南無地蔵大菩薩(地蔵菩薩にすべておまかせし帰依いたします)
ご真言
オンカカカビサンマエイソワカ
役行者坐像
吉野町指定文化財
鎌倉時代 13世紀
木造
長頭巾(ときん)に内衣、法衣、鑑袈裟(かんげさ)・裙(くん)を着けて結跏趺坐(けっかふざ)されています。
彩色が施され、両眉は外側に長く垂れ、口を閉じ、口・顎髭を長くのばし、玉眼の両眼を見開いておられます。
両眉は外側に長く垂れ、目をやや窪ませ、頬にも皺が刻まれ老相とされていますが、表情には生気が漲り、全体的にしっかりとした骨格が表されています。
針葉樹の寄木造りで、自在に彫られた衣文は自然に流れ、温厚な表情ともども古様を残し安定感に富んだお姿です。
本来、最初に大峯山上で祀られた役行者像は、このように口髭・あご髭を蓄えた老相で温和な坐像であったと考えられます。
合掌
ご宝号
南無神変大菩薩(役行者にすべておまかせし帰依いたします)
ご真言
オンギャクギャクエンノウバソクアランキャソワカ
金剛蔵王大権現像
鎌倉時代 13世紀
木造
彩色
寄木造り
こちらの蔵王権現像は頭部のみが伝わっています。
明治時代に入り、神仏分離・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく・寺院、仏像、経巻などを破壊し、神仏習合を廃して神仏分離を押し進めた明治政府の一連の不条理な弾圧)の嵐が吹き荒れ、修験道は壊滅へと追いやられました。
お寺は潰され、ご仏像も破壊、古文書類も焼却、徹底的な弾圧を受けたのです。江戸時代末まで吉野山にも百を超える寺院が甍を並べておりましたが、ことごとく破壊されました。
しかし真理は失われることはありませんでした。心ある人々が「法灯」と「こころ」を護って下さったのです。
こちらの権現像も、ひそかに土の中に埋められ、破壊焼却からまもられました。そして十数年の後、廃仏毀釈が解かれたのですが、その年月は永すぎました。土中から戻られたお姿は、残念ながら朽ち果て、残ったのは一部のみでした。
しかしその眼光は今もなお鋭く輝き続け、拝むものを暖かく導いて下さいます。
当山にはこちらの他にも、ご仏像の胴体、火焔、手足や蓮台などの残欠等、廃仏毀釈の傷跡が多数伝わっております。
金剛蔵王大権現とは、神変大菩薩がご感得(祈り出)された修験道のご本尊です。
役行者さまが大峰山をご開山のとき山上ヶ岳山頂に於いて、社会と衆生を守護済度くださるご本尊を祈請されたところ、先ず釈迦如来が、次いで千手観音・弥勒菩薩が現れたといいます。
しかし末世剛悪・混迷しきった世間や人心を救うにはあまりにも優しすぎるとして、さらに祈りを重ね一千日のご修行の末、最後に忿怒身をもった金剛蔵王大権現(こんごうざおうだいごんげん)がご出現下さった、と伝わります。(『金峯山秘密伝』)
青黒色の肌をもち、火炎を背負い、怒ったようなご表情で右手には三鈷杵(さんこしょ)を持し、左手は剣の印を結び、右足を虚空高く蹴り上げ、左足は大盤石を踏みしめておられます。そしてその三つの眼ですべてを見透し、私たちを救済くださるのです。
権現とは仏や菩薩が衆生を救済するために、権(かり)の姿をとって現れること、あるいは現れたお姿、という意味です。
蔵王権現さまは、釈迦如来・千手観世音菩薩・弥勒菩薩の変化されたお姿(権現)で、輪廻転生を繰り返す私たちの過去・現在・未来の魂を守護しお救い下さるご本尊です。
蔵王権現と共に十五童子もご出現、そのうち八大童子が大峯々中を、七大童子が葛城峯中を今日もなお守護くださっております。
そして役行者尊は、ご感得されたご本尊蔵王大権現さまと共に吉野山へ下り、桜の木でそのお姿を自ら彫り祀られたのです。
その時、修験の道が開かれたといえましょう。
合掌
ご宝号
南無金剛蔵王大権現(金剛蔵王大権現にすべておまかせし帰依いたします)
ご真言
オンバサラクシャアランジャウンソワカ
吉野聖天尊像
秘仏
人身・象頭・双身
吉野聖天尊は、今から約1350年前に役行者さまが大峰山の最奥、深仙宿の近く聖天の森で勧請し、まつられた日本最古の聖天さまです。 その後、より多くの皆さまがお参りできるようにと、当山の第2世・角仁(かくにん)住職が吉野山に移され聖天堂を建立、今日に至ります。 聖天(ガネーシャ神)さまは、大聖歓喜自在天(だいしょうかんぎじざいてん)、或いは大聖歓喜双身天王(だいしょうかんぎそうじんてんのう)と称されます。 シヴァ神(大自在天)と妻パールバティの息子で、縁結び・和合・財宝・学業成就の神として古来信仰が盛んです。 ヒマラヤ山脈の鶏羅山(カイラス山)に住し、九千八百の眷族(けんぞく)を率いて世界と衆生を守護下さいます。 「人身象頭双身」のお姿で、十一面観世音菩薩とご縁が深く、日本ではお厨子の中に秘仏として共に祀られます。 「大日如来最後方便の身、観自在尊慈悲深重の尊体なり」と説かれるように、宇宙の中心・究極の神仏として大慈悲心と共に顕現くださいました。そして心からこの天に向かい祈りを捧げるとき、無量の祈願がすみやかに成就する、と説かれます。 櫻本坊では毎年10月1日 に大祭法要が執り行われます。 是非ご参拝ください。 合掌
ご宝号 南無大聖歓喜双身天王(大聖歓喜天にすべておまかせし帰依いたします)
ご真言 オンキリギャクウンソワカ/オンギャクギャクウンソワカ
弘法大師像
江戸時代 17世紀
木造
彩色
寄木造り
像高82cm
彩色寄木作り、穏やかなご表情の丸みを基調とした安定感のあるお姿です。
弘法大師・空海和尚は、唐に留学される前の若き頃、大学での勉学に飽き足らず山林での修行に入られたと伝わります。
平安時代のお大師さまの漢詩文集「精霊集」(しょうりょうしゅう)によれば、「空海は少年の日、吉野山から一日南行し、さらに西に二日歩いて高野山に至った」という内容の記述があるように、吉野山から大峰山を経て、高野の地に入られたことがうかがわれます。
その後、お大師さまの十大弟子の一人、実弟の真雅上人の弟子で、清廉潔白・豪胆な人柄として知られた聖宝理源大師もまた大峰山で山岳修行に入られました。そして櫻本坊を起点に参詣道の整備や道場の造立などで大峰山の復興・発展に尽力され、大峰山中興の祖と称されたのです。
そのご縁で当山に御影堂(みえいどう)が建立され、弘法大師像が祀られました。
江戸時代に入り、徳川家康公とのご縁により、当山の御影堂は徳川家の菩提堂ともなりました。
徳川家菩提堂
時は移り戦国の世1594年、太閤秀吉公が諸大名・家臣を引き連れ、総勢5000人に及ぶ大花見を吉野山で挙行された折、徳川 家康公が櫻本坊にご滞在になりました。
そして徳川の世、家康公の薨去(こうきょ・貴人が死去すること)の後、将軍家は日光東照宮を建立、日本中の縁のある寺社仏閣にも家康公を弔い供養するよう命じました。
それ以来、当山の大師堂も徳川家の菩提堂となり、東照大権現を始めとして歴代将軍や政所方、有縁の方々のお位牌が祭られたのです。
爾来、先祖供養のお堂として今日に至ります。
合掌
ご宝号
南無大師遍照金剛(弘法大師にすべておまかせし帰依いたします)
秋葉大権現像
年代不詳
木造
彩色
寄木造り
像高74cm
『天狗経』に説かれる日本48天狗のお一人で、 『吉野皆杉 小桜坊(よしのみなすぎ こざくらぼう)』と称されます。
僧侶の姿で鼻が高く、八手(やつで)の団扇を持つ大天狗です。
天狗とは山の神のお使いとして、神仏の教えと、信仰する者を護るものです。山中を自在に駆け、神通力(じんつうりき)をもって未来を予見し、人間の不善を罰します。
手に持つ八手の団扇は、私たちの内外の障難を遠くへ吹き飛ばし、同時に幸福を招いてくれます。
六根清浄・諸難消滅・開運招福の天狗様です。
合掌
ご宝号
南無秋葉大権現(天狗さまにすべておまかせし帰依いたします)
ご真言
オンアロマヤテングスマンキソワカ オンヒラヒラケンヒラケンノウソワカ
役行者母公像
鎌倉時代 14世紀
木造
彩色
一木造り
像高55.7cm
母公像(ははこぞう)とは役行者さまの母君のお姿です。
口を開き厳しいご表情をされ、袈裟はつけず、右手には独鈷杵、左手には数珠をもち、草鞋履き、岩に腰を掛ける倚坐(いざ)像で、広葉樹・樟(くす)の木の一木造です。
台座の墨書には、元禄2年に今の彩色が施された、とあります。
母君のお名前は、渡都岐比売(とときひめ)或いは白専女(しらとうめ)・刀自女(とらめ)と呼ばれました。
白専女はある夜、天空から金色に輝く金剛杵(こんごうしょ)が静かに降りてきて、口の中に入るという不思議な夢をご覧になりました。そしてご懐妊されたのが役行者さまといわれます。
胎内にいるときから「神光」を放ち、ご生誕のみぎり、頭に一本の角があったという伝承もあり、これが「小角」(おずぬ)の名の由来ともいわれます。
母君は、役行者さまがお山へご修行の時はいつも麓まで同行し、見送られたといいます。
その故事に則り、後世、登拝口には母公像が祭られるようになりました。
大宝元年(701)6月7日 、役行者は老母を連れ 箕面の天上ヶ岳へ登り、母を鉄鉢に乗せ五色の雲に乗って昇天されたと伝わります。
合掌
修行
櫻本坊は、それぞれの「魂」を尊重し合いながら浄化をはかり、昇華できる空間であり道場である。
自己の大いなる魂 意識体は、神であり仏である。
意義深く生命を全うするには精神的な軸をぶれなく強くすることが必要である。
瞑想や瀧行・写経などの浄行を通し、心身を正しく内観する。
生きた智慧を学び、ともに磨き分かち合う。
自身の素晴らしい神聖に気づき、自己調整を行い、現世に活かす。
以下のような修行を行っています。
大峰奥駈修行(7月中旬)
写経・写仏
座禅瞑想
勤行 法話
瀧行(夏期のみ)
修行体験
大峰奥駈修行
大峰奥駈修行とは、熊野から吉野までの世界遺産「祈りの道」を登拝する修行です。
社会も人心も混迷の嵐が吹き荒れる飛鳥の時代、役行者尊は世界の平和とすべての魂の幸福を願い、熊野本宮より大峰山に入山、道なき道を拓きながらご修行に入られました。
玉置山を越え、釈迦ヶ岳に登り、北へ北へと山を開き、近畿最高峰の弥山をご登拝。
続いて金峰山(山上ヶ岳・標高1721m) をご開山。
そして山上ヶ岳山頂での一千日のご修行の末、衆生済度のご本尊、金剛蔵王大権現(こんごうざおうだいごんげん)をご感得(祈り出)され、吉野山へ下り、桜の木で蔵王権現のお姿を自ら彫り、祀られたのです。 その時、修験道が始まりました。
この、熊野から吉野に到る約42里(約160km)の山脈が「大峰山」と総称され、役行者神変大菩薩はこの山々を根本道場として三十三度入峯修行を重ねられたと伝わっている。
以来1350年の間、人々は役行者さまの足跡を踏みしめ、吉野から熊野に到る山々を祈り行じ続けてきました。それが大峰奥駈修行である。
この道中には、熊野・本宮証誠殿から吉野・柳の宿まで75ヶ所の靡(なびき)と呼ばれる霊地があり、祈りを捧げ行じる。
2004年世界遺産に登録されたのが、この「道」である。
熊野から吉野に駈け抜けることを「順峰」(じゅんぶ)といい、吉野から熊野に向かうことは「逆峰」(ぎゃくぶ)と呼ばれている。
“懺悔懺悔六根清浄”(さんげさんげ、ろっこんしょうじょう)
大自然の中で、自己内面を探求する奥駈修行。
大峯の聖地は、生命エネルギーを覚醒させる素晴らしい魅力に満ちあふれている。
一歩一歩…自身の魂の輝きに気づき、自分変革の道へと導かれる。
行程
櫻本坊では毎年7月に奥駈修行を行っており、近年の奥駈修行行程はおおよそ以下の通りです。
初日 吉野山 櫻本坊集合
2日目 吉野山出発 ~ 大峰山上 櫻本坊参籠所
3日目 大峰山上 ~ 弥山
4日目 弥山 ~ 前鬼山
5日目 前鬼山 ~(バス)~ 吉野山
伝授会
櫻本坊では、以下のような伝授会を行っている。
得度受戒会
得度とは、此岸(迷いの世界)から彼岸(悟りの世界・仏の国)へ到ることをさす。十善戒を授かり誓うことにより、神仏の子としての名前(法名・戒名)をいただく。自己の幅広い精神性に目覚め精進し、人の模範となって共に「道」を歩むことを学び得る。得度受戒会ではその意義を理解し基本的な諸作法の伝授を履修し厳粛に得度式に臨む。
勤行作法伝授会
護身法伝授会
前方便伝授会
九字伝授会
その他の伝授会につきましては、櫻本坊までお問合せください。
修行体験
櫻本坊では、修行体験を実施しています。
日常の生活を離れ、自己と向き合う時間を持ちませんか?
櫻本坊はまさに、そのための道場です。
修行というと厳しいイメージがありますが、初めての方に厳しい修行はお勧めできません。それぞれの希望者に合った内容をご相談させていただいた上、予約をしていただきます。
写経・写仏
座禅
勤行
薬膳精進料理
法話
瀧行
聖地巡礼(平成29年は現在のところ予定がありません)
心身を整える修行体験(一般向け)の食事
修行体験を希望される一般の方への精進料理の一例です。五葷を入れず、五観をもって食事します。
小食(朝食)は粥、正食(昼食)は一汁三菜、非食(薬食)は薬をいただく意識が強く消化の良いものを用意します。
年中行事
吉野山 櫻本坊の行事一覧表 平成29年
最後に昨日掲載の「役行者の衆生済度の菩薩行を伝える吉野【櫻本坊】吉野聖天大祭の開催(前編)」をご覧になり「日原もとこ」様から、ご寄稿いただきましたのでご紹介いたします。
『やっと役行者様にお目に掛れました。もっと若ければって言うか、原爆に遭っていなければ、早くから私は奥駆けの道に深く入り込み、今様女役行者になっていた筈です。何故か分からないけど、遥か昔から、 修験道へのあこがれが強く、役行者が時空を超えて自在に空飛び、何処へでも出没する神通力を身につけた話が大好きで、特にお護摩を焚くシ-ンを見るとワクワク痺れてきます。
実は、我がまんだらの里作谷沢(山形県)の最高峰が白鷹山(虚空蔵山)でその脇侍峰が東黒森(金剛界)と西黒森(胎蔵界)であるが故に空海の説く両界曼荼羅の原理を絵に描いた如く実際の環境風土が成立しているのです。
此処に独特の山岳信仰の修行場が存在した、しかも小字の地名=ソフリ(古朝鮮の聖域)とするこんな、偶然とは言えないほどの地形は世界で唯一の存在ではないでしょうか?
開祖は空海ではなく、役行者です。
チベットやブータンでは、宇宙観の構成原理とその意味を絵図によって自身が感得、悟りを開くのです。それを小さいときから瞑想によって描く修行を積み重ねて、高い仏僧を目指し精進し続けています。こうして多くの曼荼羅図が描かれました。
しかし、作谷沢のこの地は言葉も説教もないままに、すでに、リアルな形で実存するのです。』
日原もとこ
東北芸術工科大学名誉教授・まんだら塾 塾長
「白鷹山(虚空蔵山)」
置賜・村山両郡の境にあり、大山なり。堂は置賜郡にあり。北のふもとは村山郡畑谷村なり。その北の両方に大峰あり。俗に機巧森(はたしもり)と呼ぶ。一に黒森とも言う。
西は胎蔵界を表し、東は金剛界を表し、容相同じと言えり。この所、置賜郡に通ず。俗に境の虚空蔵という。
宝暦十二年(1762)に書かれた「出羽国風土略記」を補う目的で、寛政四年(1792)筆写された「けい補出羽国風土略記」にはこのように書かれてある。
胎蔵界と金剛界、両界まんだらの世界がここに存在したことをはっきりと示している。
(日原もとこ)
それでは最後に櫻本坊様のご住職に「世界の平和を願い」護摩を焚いていただき、ひとまず「櫻本坊」前編・後編を終了といたします。
ありがとうございました。
鎹八咫烏 記
交通アクセス
協力
櫻本坊 〒639-3115 奈良県吉野郡吉野町吉野山1269 電話0746-32-5011
0コメント