伊勢へ詣らば 元伊勢詣れ 元伊勢お伊勢の故郷じゃ 伊勢の神風海山越えて 天橋立吹き渡る
高欄上の五色(青・黄・赤・白・黒)の座玉(すえたま)は「伊勢神宮御正殿」と
「籠神社」以外には拝せられないもので、日本建築史上特に貴重なものとされています。
元伊勢大神宮籠之宮
二の鳥居
拝殿
籠神社境内の地続きに有名な日本三景の一つである天橋立が存在する。
国宝 海部氏系図 籠名神社祝部海部直氏系図 現存する日本最古の系図として国宝に指定。
国宝 海部氏系図
籠名神社祝部海部直氏系図
これは昭和五十一年六月に、現存する日本最古の系図として国宝に指定された。同系図は平安時代初期貞観年中に書写されたいわゆる祝部系図(本系図)と、江戸時代初期に書写された勘注系図(丹波国造本記)とから成るが、勘注系図は本系図の省略箇所を補完するものとして同時に国宝に指定された。本系図は始祖彦火明命から平安時代初期に至るまで縦一本に、世襲した直系の當主名と在位年月だけを簡潔に記したいわゆる宗主系図であり、稲荷山鉄剣銘とよく似た様式で、竪系図の最も古い形を伝えたものと云われる。各當主名の上に押された二十八箇所にも及ぶ朱印は、今まで未解明であったが、昭和六十二年夏、美術印刷に秀れた便利堂の色分解に依る解析写真撮影で印影が浮かび上り、是を中世文書の権威村田正志博士が見事に解読して、「丹後國印」の文字である事が判明した。
是に依って當系図は海部氏が私に作成したものでなく、これを作成の後に丹後國庁に提出して認知を受け、更にそれを大和朝廷に差し出したいわゆる本系帳の副本であり得る事が証明され、国家公認のものとしてその権威が一段と高まったのである。
一方海部氏勘注系図は、始祖以来平安期までの系譜が省略なく記載され、これに當主の事績を始め兄弟等の傍系に至るまで詳密な注記が付されているが、その中には他の古記録には失われている古代の貴重な伝承も含まれていると云われ、今学界の注目を浴びている。
元伊勢の創祀以来の祀職である海部氏は神代以来血脈直系で世襲し、大化改新以前は丹波国造であったが、その後祝部となり、現宮司に至り八十二代と伝えられる。
籠神社「元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図 -改訂増補版-」出典
伊勢神宮のふるさと 〜元伊勢について〜
1.元伊勢とは
伊勢神宮は大小のお社を併せて125社から構成されていますが、 その中心となるのは天照大神をお祀りする皇大神宮(内宮)と豊受大神をお祀りする豊受大神宮です。両大神は初めから伊勢の地でお祀りされていた神ではなく、他の場所から伊勢へお遷しされました。その起源を繙くと、天照大神は第十代崇神天皇六年の八月まで宮中でお祀りされていましたが、同年九月に皇女豊鋤入姫命によって初めて宮中の外でお祀りされることになりました。その後豊鋤入姫命は天照大神の御心に叶う御鎮座地を求め各地を御巡幸されましたが、途中で第十一代垂仁天皇の皇女倭姫命にその任務をお引き継ぎになり、最終的には倭姫命が伊勢の地に皇大神宮を創祀されました。
「元伊勢」とは、天照大神が宮中を出られてから伊勢の五十鈴川の河上に御鎮座されるまで皇女が天照大神の籠もられた御神鏡をお持ちになって各地を御巡幸になり、一時的に天照大神をお祀りした二十数カ所の宮々のことを云います。
また、それとは別に雄略天皇の御代に天照大神のお告げによって丹波国(現在の丹後)の与佐(よさ)の小見(おみ)の比沼(ひぬ)の魚井原(まないはら)にいる丹波道主(たにわのみちぬし)の娘・八乎止女(やおとめ)のお祀りする豊受大神が天照大神の食事を司る神として伊勢に迎えられました。この丹波の魚井原で豊受大神をお祀りしていたお宮のことも「元伊勢」と云います。「海部家は豊受大神を祀った彦火明命の血脈であり、丹波道主の子孫にも当たり、また海部家の直系の女性が「八乎止女」を襲名し、豊受大神をお祀りしていたことが伝えられています。」つまり、雄略天皇の御代、「丹波国の丹波道主の娘の八乎止女が祀っていた豊受大神」とは、奥宮真名井神社(古称 吉佐宮)の豊受大神であり、「元伊勢」としての由緒が明らかとなっています。
他にも「元伊勢」伝承を有する神社はありますが、天照大神・豊受大神をその血脈の子孫が宮司家となって一緒にお祀りしたのは籠神社だけで、特別の「元伊勢」として崇敬され続けています。
2.天照大神・豊受大神とは
天照大神は神々の中で最も尊い神としてお生まれになりました。皇室のご先祖であると同時に私たちのご先祖でもあります。天に輝く太陽のように広大無辺のお恵みを与えてくださる生命の源の先祖神です。神話によると、天照大神は孫神である邇邇芸命に高天原で作った稲穂を授け人間界を統治するよう命じ、稲や粟などを人間が生きていくための食べ物と位置づけ、更に養蚕も始められました。天照大神は邇邇芸命に稲穂の他に玉・鏡・剣(『書紀』では鏡のみ)も授けられました。邇邇芸命は天照大神の御魂が籠められた八咫鏡(やたのかがみ)を持って、日向の高千穂に降臨され、垂仁天皇の御代にその鏡は倭姫命によって伊勢に遷され、それ以来天照大神の血脈に繋がる天皇家が天照大神の祭祀を継承しています。
豊受大神は私たちの毎日の生活に必要な「衣食住」の守護神であります。また天照大神がご自身のお食事を司ってもらうために自ら丹後国からお迎えになった神でもあり、天照大神にエネルギーとパワーをお入れになる神でもあります。神話によると、豊受大神は彦火明命(籠神社主祭神であり、また海部家の始祖)の后神である天道日女命に五穀(人間の主食となる米・麦・粟・きび・豆)の種を授け、更に養蚕の技術を伝授し、私たちに生きるための糧や知恵を授けてくれました。それ以来日本人の「衣食住」の守護神として篤く崇敬されています。豊受大神は天孫降臨(邇邇芸命が天照大神の籠もられた御神鏡をもって天降り、地上を統治すること)の際、天火明命(彦火明命)と共に地上に天降られた神でもあります。彦火明命は天祖から豊受大神をお祀りするための御神鏡を授けられ、それをお祀りして国を統治するよう命じられました。彦火明命はその鏡を持って丹後国(旧丹波国)に降臨され、それをお祀りする神聖な場所を弓矢の飛ぶ方向によって、その子神である天香語山命が占い、ついに天橋立北浜に鎮座する当社奥宮の鎮座地・真名井原を豊受大神をお祀りする最高の場所と定め、「匏宮(よさのみや)」を創祀しました。それ以来彦火明命の血脈に繋がる海部家が世襲制で豊受大神の祭祀を現在に至るまで継承しています。
3.丹後の祭祀が伊勢へ 八乙女祭祀から大物忌祭祀へ
海部家の娘・八乙女がお祀りする豊受大神は天照大神のお告げによって伊勢の地にお遷りになりましたが、お遷りになったのは豊受大神だけではなく、当地の多くの人々も一緒に伊勢に移動したと考えられています。なぜなら、神をお祀りする「宮」や「社」は単体では存在できるものではなく、祭祀する人、神にお供えする米・海の幸・野菜などを収穫する人、祭祀道具を造る人など多岐に亘る能力や技術を備えた祭祀集団が必要であったと考えられるからです。 鎌倉時代に伊勢神宮の神主が著した書物には、「丹波道主の子が大物忌(おおものいみ)の祖」であることが記されています。大物忌とは、古代の伊勢神宮において祭祀上における特別の特権を与えられた女性神職のことで、その特権とは伊勢神宮のご正殿の御鑰(みかぎ)を預かり、御扉(みとびら)を開くことにありました。また御炊物忌(みかしきものいみ→神の食事をお供えする女性神職)として初めて丹波道主の子孫が天照大神と豊受大神に食事をお供えしたとも記されています。丹波道主とは大物忌の父の祖のことで、海部家の直系子孫に当たります。 このようなことから、丹後の八乙女祭祀が伊勢神宮に導入され、大物忌祭祀となったと考えられています。その祭祀形態は時代の変遷によって変化したものの、明治初期まで継承されてきました。伊勢神宮にお祀りされている豊受大神、伊勢神宮を創祀した倭姫命の母神(海部家の直系の娘)、伊勢神宮の大物忌となった八乙女(海部家の直系の娘)全て丹後出身です。 丹後と伊勢、籠神社と伊勢神宮は古代より深く密接な関係があったと考えられています。
平成の元伊勢おかげ参り -神々に感謝の気持ちを伝える-
「おかげ参り」とは、江戸時代に発祥し流行した伊勢神宮への参拝のことを云います。おかげ参りの特徴は大神様に「お願い事をするためのお参り」というよりも、むしろ私たちを「日々お守り下さっている大神様へ感謝の気持ちを伝えるためのお参り」であったと云われています。伊勢神宮では外宮先祭(外宮のお祭りを内宮より先に行う)というしきたりが古代から継承されていますが、江戸時代のおかげ参りの際にも、先ず外宮にお祀りされている「衣食住」の守護神である豊受大神様へ「日々の暮らしへの感謝の気持ち」を伝え、その後に内宮にお祀りされています天照大神様へ「生命を与えて下さっていることへの感謝の気持ち」を伝えたようです。 この「おかげ参り」の風習は伊勢神宮においてだけ行われたわけではなく、豊受大神の故郷である丹後天橋立まで波及し、文政年間には豊受大神の原初の祭祀場であった籠神社奥宮真名井神社へと「元伊勢おかげ参り」を願う多くの人々が押し寄せ天橋立は埋め尽くされました。天橋立北浜に鎮座する真名井神社と籠神社には、多くの参拝者が大神様へ作物・特産物や幟(のぼり)などを奉納し、日頃の「神恩に感謝」するため両手を合わせて静かにお祈りしたのです。奉納された幟の数は千本以上に及んだと伝えられています。その当時の光景を江戸時代の絵師松川龍椿が「元伊勢お蔭参りの図」に鮮明に描いています。 昨今予想もしない大災害が発生し、心を痛める人々が日本中に増えています。それと同時に、今ある「当たり前の暮らし」に感謝の念を抱く方々も増えています。籠神社は人々の暮らしをお守りする「衣食住」の神様である「豊受大神」をお祀りし、更に豊受大神を神代より丹後にお祀りした彦火明命を主祭神としてお祀りしています。籠神社は現在でも彦火明命の子孫が代々宮司となり、二千年来脈々と祭祀を継承し、現在の宮司で八十二代になります。籠神社の豊受大神は雄略天皇の御代に、天照大神のお食事を司る神として、天照大神の御神意によって、天橋立の籠神社から伊勢神宮へお迎えになった「天照大神の食事を司る神」でもあります。
籠神社について
籠神社は第四代懿徳(いとく)天皇の御代(紀元前507年)に始まった「藤祭」を第二十九代欽明(きんめい)天皇(539~571年)の御代に「葵祭」と改称し、2500年以上その祭祀を継承しています。
【別称】 籠宮大社(このみやたいしゃ)・元伊勢大神宮・伊勢根本丹後一宮・一の宮大神宮
【旧社格】 延喜式内・名神大社・月次・新嘗・案上之官幣大社・山陰道一之大社
御祭神
主祭神
彦火明命(ひこほあかりのみこと)
天照大神の御孫神で、邇邇芸命(ににぎのみこと)の御兄神に当たられます。邇邇芸命は天照大神の籠もられた御神鏡をお持ちになって日向の高千穂に天降られましたが、彦火明命は豊受大神の籠もられた御神鏡をお持ちになって現在の丹後に天降られ、丹後・丹波地方を開拓し、豊受大神を丹後でお祀りになった神様です。彦火明命は穂赤命(ほあかのみこと)とも呼ばれ、稲作に関係する側面と太陽神としての側面を持ち合わせています。別名を天火明命(あめのほあかりのみこと)・天照御魂神(あまてるみたまのかみ)・天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)とも云います。また社伝によれば、彦火明命は上賀茂神社の賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)と異名同神であると伝えられ、その御祖の大神である下鴨神社の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)も併せ祀っていると伝えられています。また古伝によると、十種神宝(とくさのかんだから)を持って来られた天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)また、大汝命(大国主命)の御子神、火明命(彦火火出見命の御弟)、丹波道主王とも云われています。 家内安全・子孫長福・諸業繁栄・開運厄除・病気平癒の御神徳が有名です。
相殿
豊受大神(とようけのおおかみ)
国生みされた伊射那美神(いざなみのかみ)の御子神である、和久産巣日神(わくむすびのかみ)の御子神で、天孫降臨の際に天火明命(彦火明命)と共に天降られた神様です。神代の昔、丹後国(京都府北部)に天降られ、丹後の総氏神・最高神として彦火明命(籠神社海部家始祖)によってお祀りされました。雄略天皇22年、伊勢神宮にお祀りされている天照大神のご神意により、天照大神の食事を司る御饌津神(みけつかみ)として伊勢神宮外宮の主祭神に迎えられました。
五穀農耕の祖神でありますが、特に衣食住守護・諸業(産業)繁栄・水の徳が顕著で生命守護神でもあらせられます。豊受大神は別名を天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、国常立神(くにとこたちのかみ)とも云い、その御顕現の神を豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)・豊受比売(とようけひめ)と云います。
天照大神(あまてらすおおかみ)
国生みされた伊邪那岐神(いざなきのかみ)の左目からお生まれになった神様です。あまねく万物を作り育てる、天に照り輝く太陽のような高い徳によって人々を照らし、日の恵みによってあらゆる生命を活動させられ、秩序を保たれる根源神です。皇室の御祖神(みおやがみ)であると共に日本人の祖先の神でもあります。天照大神は当社でお祀りしている豊受大神を殊の外崇敬され、雄略天皇の御代に当社から伊勢へ迎えられ崇祭された神様でもあります。
海神(わたつみのかみ)
社伝によると、当社の海神は山幸彦である彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)の后神の豊玉毘売(とよたまびめ)と伝えられています。航海安全・漁業満足・潮の満ち引きを司られる神様です。
天水分神(あめのみくまりのかみ)
奥宮真名井神社にお祀りされている水戸神の御子神です。天上からの水の徳によって諸々の水利・水運・水道など水に関することを司られる神様です。奥宮の水戸神と罔象女命(みづはのめのみこと)は共に神代以来最古の水神です。
境内摂社(けいだいせっしゃ)
恵美須神社(えびすじんじゃ)
御祭神は彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)と当社海部家四代目の倭宿祢命(やまとすくねのみこと)です。大化以前の籠宮の元神であり、主祭神であったと伝えられています。
御神徳 商売繁盛 大願成就 大漁満足 海上安全
天照大神和魂社(あまてらすおおかみにぎみたましゃ)
御祭神は天照大神の和魂(にぎみたま)です。古代から本宮に祀る大神を和魂の働きでお祀りしています。
御神徳 万物調和 地球浄化 霊格向上 子孫繁栄
真名井稲荷神社(まないいなりじんじゃ)
御祭神は宇迦之御魂(うかのみたま)・保食神(うけもちのかみ)・豊宇気毘売(とようけひめ)です。古代から明治末迄奥宮真名井原に祀られていたのを平成三年九月九日、八十年ぶりに本社境内に再建。
御神徳 産業繁栄 商売繁盛 厄除治病 世界平和
境内末社(けいだいまっしゃ)
春日大明神社(かすがだいみょうじんのやしろ)
御祭神は春日四神と云われる武甕槌命(たけみかづちのみこと)・経津主命(ふつぬしのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめかみ)です。このお社は古代には武甕槌社と呼ばれたと伝えられています。
御神徳 電気関係守護 悪縁消滅 破邪顕正
猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)
当社に祀る猿田彦神は古来、大世多大明神(おおせただいみょうじん)と呼ばれ霊験あらたかですが、大佐田大明神の意であろうと云われています。
御神徳 交通安全 建設守護 屋敷浄化 厄除長寿
ご由緒・創祀・創祀者
籠神社の創建は奈良時代の養老三年(719)ですが、奈良時代に初めて祭祀が行われるようになったという意味ではありません。と云いますのは、籠神社は奥宮真名井神社の地から現在の籠神社の地に遷宮され、創建されたからです。籠神社が創建されるまで奥宮真名井神社は吉佐宮(匏宮・與謝宮・与謝宮・与佐宮などと表記していずれも「よさのみや」と訓みます)と呼ばれておりました。神代の時代から天照大神の孫神であり、邇邇芸命の兄神である当社海部家の始祖彦火明命が豊受大神をお祀りしていました。そのご縁故によって崇神天皇の御代に天照大神が倭の笠縫邑からお遷りになり、天照大神と豊受大神を「吉佐宮(よさのみや)」という宮号で四年間お祀り申し上げました。その後天照大神は第十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は第二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢にお遷りになりました。
真名井神社は飛鳥時代の初め頃まで「与謝宮(吉佐宮)」と呼ばれていましたが、その後当社海部家二十六代目当主の海部直伍百道祝(いほじはふり)が宮号を「籠宮」と改め、真名井神社境内地であった真名井川の川辺に一旦遷宮し、その後奈良時代元正天皇の御代に、二十七代目当主海部直愛志(あまべのあたええし)が、現在の籠神社の地へと遷宮し、それを契機に主祭神を籠神社海部家の祖神である彦火明命とし、相殿に豊受大神・天照大神・海神・天水分神を併せ祀り創祀いたしました。
宮号の変遷と起源
籠神社の社格の変遷
社格とは神社の格式のことですが、社格には朝廷が特別由緒高い神社に授与したものと、自然と発生したものとがあります。
社格制度は昭和21年に廃止されましたが、現在でも神社の由緒の古さ等を知る一つの目安として「延喜式社格」が重要視されます。
社殿様式
ご本殿は伊勢神宮と同じ「唯一神明造り」です。柱は丸く棟持柱や心御柱があります。屋根は前後二方向に勾配を持つ「切妻造」で、棟と平行して入り口がある「平入り型」になっています。屋根の両端には屋根を貫いた千木(ちぎ)が天に向かって聳えています。
御本宮である籠神社の本殿の千木は天に対して水平に切る「内そぎ」となっており、千木と千木の間にある勝男木(かつおぎ)は十本(偶数)です。一方、奥宮である真名井神社の千木は天に対して垂直に切る「外そぎ」となっており、勝男木は五本(奇数)となっています。
社殿は高床式の素木造りで全て直線的です。特に高欄上の五色(青・黄・赤・白・黒)の座玉(すえたま)は伊勢神宮御正殿と籠神社以外には拝せられないもので、日本建築史上特に貴重なものとされています。神明造りのお社は他にもありますが、規模・様式とも伊勢神宮に近似しているお社は当社以外になく、籠神社と伊勢神宮が古代から深い繋がりがあったことを物語っています。
籠神社 境内の御案内
本殿
拝殿
恵美須社
天照大神和魂社
春日社
猿田彦神社
真名井稲荷社
倭宿禰命像
青龍殿
社務所
狛犬(左)
狛犬(右)
手水舎
茶房 かむながら
一の鳥居に宇治橋
宮司新刊書のご案内
此度八十二代宮司海部光彦氏が東京の冨山房インターナショナルに製作を依頼し、『元伊勢籠神社の略誌と神道哲学』と題した待望の新刊書を8月8日に発行いたしました。
宮司自ら、執筆された原稿の中で、特に思い出深いものを選び出し、1冊の本にまとめられました。美しい装丁のポケット版の本には、六十年近い籠神社における神明奉仕人生から表出した短編が収められています。
授与所に並べてあり、好評を博しています。
書店では取り扱いされておりませんので、ご関心のある方はお問い合わせ下さい
定 価 1,500円(税込み)
荷造り送料 600円(何冊でも)
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
丹後一宮 元伊勢 籠神社
〒629-2242 京都府宮津市字大垣430 TEL 0772-27-0006 FAX 0772-27-1582
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新たなる希望の年が始まろうとしています。是非お出かけください。
続く・・・
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