鎹八咫烏の選ぶ「お・も・て・な・しの国」岐阜市ベストショット10選
①JR岐阜駅広場は岐阜に来られる方たちを岐阜の市民の皆さんが両手を広げて歓迎するウエルカムの精神がデザインコンセプトになっている。デザインは愛知県立芸術大学名誉教授・環境ディレクター林英光氏。
JR岐阜駅再開発デザイン 。確かJRの駅で駅前広場が一番広いのは岐阜駅と聞いたことがある。それが確かな情報であれば、日本一の駅前広場ということになる。
②岐阜公園「雪の三重塔」因みに参考までに秋をご覧ください。
③岐阜城の「雲海」因みに参考までに下の写真は、岐阜城の「夕焼け」
織田信長にはこちらのほうが似合いそうです。調子に乗ってあと1枚
岐阜城の月「おいおい、10選の筈?このまま行くと50選になりかねませんが?」「いえいえ、それぞれの被写体の最初の1枚のみの10選になります」「・・・沈黙」
④いまも残る「長良川小紅の渡し」住民の足として欠かせない。傍らで投網の手入れをする漁師さん。琵琶湖もそうですが、長良川の木造船は、腐りに強い高野槇が使われていたと記憶している。岐阜の人たちは、清流長良川に生き長良川に活かされている。
⑤大龍寺ドウダンツツジ
ドウダンツツジの名所として有名で、境内の庭園や裏山には約1,200本のドウダンツツジが植えられており、中には樹齢350年以上の古木もあります。春は小さな白い花が一面に咲き、秋は深紅の紅葉が見事です。毎年春と秋には庭園が一般公開され杉苔とドウダンの庭を楽しむことが出来ます。
⑥手力の火祭り
手力雄神社の例祭で毎年4月第2土曜日に行われています。
この祭りの起源は不明ですが300年以上の歴史を持ち、岐阜県重要無形民俗文化財に指定されています。
滝のように降り注ぐ火の粉の中、火薬を仕込んだ神輿を担ぐ上半身裸の男達。神輿の火薬に火がつくと神輿からも火の粉が吹き上がり迫力満点です。その間を鐘を鳴らしながら乱舞する男達、爆竹の轟音・・・まさに音と火の勇壮な祭りです。
また、毎年祭りにあわせて参道の鳥居にかけられる長さが約12.5m、最大直径3m、重さ約1トンという大しめ縄も見物です。
手力の火祭り「祭りは男の浪漫だ」どこかで聞いた台詞
⑦長良川薪能
長良川に設置された特設舞台で能、狂言などが演じられる夏の恒例行事。
漆黒の金華山とライトアップされた岐阜城をバックに観客席となった河原で見守る観衆の前に設置された特設舞台に鵜匠の乗った鵜舟が近づくと、その篝火から分けられた火で舞台の篝火に点火され、長良川に幽玄の世界が浮かび上がります。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」織田信長も幸若舞を舞ったんだろうか?
織田信長にとって「天下布武」を掲げ、岐阜時代が一番幸せであったような気がします。
何百年たった今も忘れず、岐阜市民がこれだけ思ってくれているのだから・・・
⑧川原町の古い町並み
長良橋南詰の鵜飼観覧船のりばから西へ続く「湊町・玉井町・元浜町」の町並みは通称「川原町」といい格子戸のある古い町並みが今も残っています。
狭い間口に長い奥行きという昔ながらの日本家屋が軒を連ねるこの辺りは、昔、長良川の水運を利用した川港として栄え、多くの商店で賑わっていました。現在でも、伝統工芸品「岐阜うちわ」を製造販売しているお店や、岐阜銘菓「鮎菓子」で知られる和菓子店などが、レトロな雰囲気を残したまま営業しています。
さらに、ここ数年町屋を利用したモダンな飲食店などが登場し新しい魅力もプラスされました。鵜飼観覧船のりばからすぐですので、鵜飼観覧前の散策にもおすすめです。
平成20年8月には、岐阜県が推進する岐阜の宝もの認定プロジェクトで【明日の宝もの】に認定されました。
川原町の古い町並み 軒先には岐阜提灯がつるされている。
⑨岐阜大仏(正法寺)日本三大大仏(必見)
岐阜大仏(正法寺)
⑩長良川温泉
泉質は有馬温泉「金の湯」のような感じです。最近特に人気が高まっている(誰の御蔭?)
「蔵湯」は、長良川の材木商(桑原さんご無沙汰しております。)として財を成した 旧家に建てられた蔵が、解体され 眠っていました。この町で守られてきた明治時代の 蔵を蘇らせたいと、大浴場として 再生。120年前の梁を見上げながら 長良川温泉につかる醍醐味を 感じて頂けます。地域の歴史と共に歩む 十八楼ならではの大浴場です。
長良川温泉
「長良川温泉若女将の会」岐阜市にある長良川温泉の旅館・ホテルの若女将と女性スタッフで構成。女性ならではの感性を生かして、長良川温泉を盛り上げていきたいと活動中です。差し詰め、お・も・て・な・し女武将隊?いや現代の「直虎」ってところですか(失礼)
⑩だけは読者の方が上下お好きなほうを選んでください!
岐阜市の歴史
織田信長公
岐阜城の春
岐阜城の夏
岐阜城の秋
岐阜城ライトアップ
岐阜城からの眺め
岐阜城からの眺め
岐阜城からの眺め
岐阜城からの岐阜の街の夜景
古代~中世
円徳寺
JR岐阜駅または名鉄岐阜駅から 徒歩5~10分 岐阜市神田町6丁目24 電話058-265-3575
円徳寺
岐阜城主であった織田信長や孫の秀信ゆかりの寺で、上加納村長旗(現在の岐阜市長旗付近)にあった浄泉坊が前身といわれています。
天文16年(1547年)、織田信秀(信長の父)が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三に大敗し5,000人ともいわれる戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が浄泉坊に築かれました。現在も円徳寺境内に安置されています。
また、永禄10年(1567年)岐阜に入った織田信長が、円徳寺(当時は浄泉坊)門前に立てた「楽市場・定」の制札や、永禄7年(1564年)に信長が寄進したといわれる梵鐘などが寺宝として残されています。
●楽市楽座制札附織田信長百姓帰住制札・・・国指定重要文化財
●梵鐘、銀箔押烏帽子形兜、本願寺顕如消息(書跡)、伝織田塚改葬地・・・市指定重要文化財
楽市楽座制札附織田信長百姓帰住制札・・・国指定重要文化財
円徳寺 伝織田塚改葬地・・・市指定重要文化財
【御園の榎】
楽市場の目印として植えられた榎。
榎は、江戸時代に枯木となり植えなおされ、明治に入り道路改修工事のため現在の位置へ移植されました。
榎(エノキ)とは
木の情報発信基地によると榎はニレ科である。
落葉高木。高さ20mになる。
ムクノキに似ており、わが国では 本州・四国・九州の山野に分布する。
その他、朝鮮半島、中国中部 に分布し、 人里に近いところに多くみられる。
卵形の葉は、三本の葉脈が目立ち、 左右が不対称なのが特徴。10月ごろ、径7㎜の赤い小さな実をつける。
甘味があり食用にもされるが、もっぱら小鳥たちが好んでついばむ。
江戸幕府の二代目将軍の徳川秀忠は、参勤交代制度の確立のために、 諸国に街道の整備を命じたが、その際、街道両側にエノキを一里ごとに 植えさせたという。これが一里塚であり、今でも旧街道筋には「二本榎」など の地名が残っている。エノキが選ばれたのは、将軍が「よい木を植えよ」と 言ったのを、家臣が「エノキを植えよ」と聞きまちがえたという説があるが 定かではない。現存する一里塚には、エノキばかりでなく、ケヤキや ムクノキといった樹種が一里塚に適していたのであろう。 エノキの材は、黄褐色から淡黄色で、主に建築材や器具材にされる。 ケヤキの模擬材にもされる。庭園樹や公園樹としても植栽される。
信長の楽市楽座令
岐阜町の繁栄は、信長の楽市楽座令の経済効果によるものでした。では、楽市楽座令とはどのような内容のものであったのでしょうか。
もともと、楽市楽座は16世紀の中ごろから17世紀はじめにかけて、戦国大名が戦乱で荒廃した市場の復興、また新設市場・新城下町の繁栄を目的に出したものです。
信長が、岐阜入城の年1567年(永禄10年)10月に出した加納楽市場の「定(さだめ)」は、主に以下の三項目からなっています。
①楽市場住人は関銭(せきぜに・関所の通行税)など免除の自由通行権を持つ
②市場内では市場外での債権、債務関係が消滅し、課税・労役を免除する
③市場内へ「使」(警察権力)の介入は認めない
そのほかに、売り手が望まないのに無理に買い取る押買(おしがい)、乱暴、けんか、口論の禁止や、市場内の平和維持を目的とした「宿とり非分」を規制する(無理やり宿泊させるよう迫ることを禁止する)内容もみられます。
これらの項目は、加納楽市場が今まで楽(自由)の市場として保持してきた社会的特権を、新しい領主として信長が保障し、承認したものです。俗世間から切り離された「無縁の原理」の世界で、駆け込み寺と同じ縁切りの性格を持っています。
楽市場が開かれた場所は、神仏の支配する所が多く、加納楽市場は、円徳寺寺内町(岐阜市)といわれます。現在の円徳寺ではなく、長旗(岐阜市)にあった浄泉坊(円徳寺の前身)寺内町です。
現在、信長の「楽市場定(らくいちばさだめ)」の制札(せいさつ・円徳寺所蔵)は、岐阜市歴史博物館の保管になっていますが、制札の裏には支柱に制札を取り付けた穴と跡が確認されます。
信長は翌年(1568年・永禄11年)9月にも「加納市場」へ楽市楽座の「定」を出しました。内容は前年とほとんど同じですが、「楽市楽座のうえ商売すべき事」という文言がみられます。
現在、楽市場(加納市場)に目印として植えられた榎(えのき)や市(いち)繁栄のため祭られた市神(いちがみ)が若宮町通り(岐阜市)に残っており、信長時代の繁栄がしのばれます。
岐阜歴史博物館
戦国ワンダーランドでは戦国時代、とりわけ織田信長が岐阜に入城した永禄10(1567)年から岐阜城が廃城になった慶長5(1600)年までを扱います。
模型と映像をとおして、「天下人」への道半ばにして倒れた信長の生涯を岐阜に視点をすえてご覧いただく『天下鳥瞰絵巻』、信長時代の楽市場の一部を原寸大で復元した『楽市立体絵巻』をはじめ、信長と戦国時代について、多角的に情報を提供する『戦国立体図鑑』や、原資料を展示するコーナーで構成されています。
楽市の町屋では戦国時代の衣装の着付けや独楽や双六なども体験できます。その他、図書コーナーやパソコンコーナーで各種の情報をごらんいただけます。
近世
加納は和傘の町として繁栄した。
美濃筒引き本染め
近代
残念ながら締め切りの時間をかなりオーバーしてしまったので、少し時間を巻き戻して23時55分アップといたしました。岐阜市の見どころの続きは明日以降に紹介いたします。
岐阜市の皆様のご協力に感謝いたします。
鎹八咫烏 記
(伊勢「斎宮」の明和町 観光大使)
協力(順不同・敬称略)
公益財団法人 岐阜観光コンベンション協会 〒500-8833 岐阜市神田町1丁目8番地の5 協和興業ビル6階 TEL:058-266-5588
岐阜市役所 〒500-8701 岐阜市今沢町18番地 代表電話:058-265-4141
岐阜市 市民参画部 国際課 〒500-8076 岐阜市司町40番地5 みんなの森 ぎふメディアコスモス1階 Tel: 058-214-6125
徳川美術館 〒461-0023 愛知県名古屋市東区徳川町1017 電話: 052-935-6262
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鎹八咫烏
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
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