率川神社について
率川神社は、593年に大三輪君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が勅命によりお祀りした奈良市最古の神社です。
御祭神の媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は、初代神武天皇(じんむてんのう)の皇后様で、ご聡明にして、よく内助の功をおたてになりました。全国の神社の中でも珍しい皇后様を主祭神とした神社です。
三棟の本殿左側には父神の狭井大神(さいのおおかみ)、右側には母神の玉櫛姫命(たまくしひめのみこと)をお祀りし、中央にお祀りするお子様(媛蹈韛五十鈴姫命)を両親がよりそうようにお守りになられる姿で鎮座されることから、古くより子供の守り神として知られています。
ご由緒
奈良市最古の神社である率川神社は古くより「子守明神」とたたえられ、県内外から篤い信仰がよせられています。
神社は飛鳥時代、推古天皇元年(593)大三輪君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が勅命によっておまつり申し上げた奈良市最古の神社です。
御祭神の媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は、初代神武天皇の皇后様で、ご聡明にして、よく内助の功をおたてになりました。全国の神社の中で皇后様を主祭神とした神社は数えるほどしかありません。
三棟の本殿左側には父神の狭井大神(さいのおおかみ)、右側には母神の玉櫛姫命(たまくしひめのみこと)をお祀りし、中央にお祀りするお子様(媛蹈韛五十鈴姫命)を両親がよりそうようにお守りになられる姿で鎮座されることから、古くより「子守明神(こもりみょうじん)」とたたえられ、安産、育児、生育安全、家庭円満の神様として県内外から篤い信仰がよせられています。
父神の狭井大神は生活全般の守護神であり、福寿の神である大神神社の大物主大神と同じ神様であり、媛蹈韛五十鈴姫命が大物主大神のお子様にあたられることから、率川坐大神御子大神社の名で「延喜式」にも記載されています。
本殿は一間社春日造、檜皮葺の社殿を南向きに三殿並列させたもので、近世初頭の形式を伝える建物として県の指定有形文化財となっています。平成19年には江戸末期、文久2年(1862)以来の本殿保存修理が竣工し、朱塗りの色も鮮やかに甦りました。
三輪明神縁起絵巻・神武天皇と五十鈴姫
ご祭神
中殿
ひめたたらいすずひめのみこと
媛蹈韛五十鈴姫命 (御子神)
向かって左殿
さいのおおかみ
狭井大神 (御父神)
向かって右殿
たまくしひめのみこと
玉櫛姫命 (御母神)
境内のご案内
率川神社 境内平面図
境内の摂社・末社
摂社 率川阿波神社(いさがわあわじんじゃ)
御祭神 事代主神(ことしろぬしのかみ)
例祭日 6月17日
大物主大神の御子神さまである事代主神さま(恵比須さま)をお祀りし、『延喜式』にも見える古社。
社伝によれば光仁天皇の宝亀年間(770~780)に藤原是公(ふじわらこれきみ)が創祀したと記されています。当初は奈良市西城戸町に鎮座していましたが時代と共に衰微し、明治期には小祠を残すのみとなりました。その後、大正9年に率川神社の境内に社殿を建立し、昭和34年の率川神社境内整備に伴い末社の春日社・住吉社と共に現在の位置に遷座となりました。
奈良市最古の恵比須社であり、毎年正月4日の宵戎(よいえびす)、翌5日の本戎(初戎)には、商売繁盛を願う多くの参拝があります。
末社 春日社(かすがしゃ)
例祭日 6月17日
末社 住吉社(すみよししゃ)
御祭神 住吉大神(すみよしおおかみ)
例祭日 6月17日
蛙石(かえるいし)
この石は、その形状から「蛙石(かえるいし)」と呼ばれています。
また「カエル」という言葉から、「お金がかえる」「幸せがかえる」「若かえる」 「無事かえる」などにつながり縁起が良いとされ、健康回復・旅行安全などを願って この石を撫でることから「撫で蛙」とも呼ばれ、親しまれています。
遥拝所
本社大神神社をはるかに拝む遥拝所。高さ約2メートル・幅約2メートルの石製・野外衝立式で、正面上部には三輪山を描いた陶板画をはめ込んでいます。
この絵は大神神社に収蔵する平山郁夫画伯作の「神の山 三輪山の月」(平成11年奉納)です。
奈良の地より、大神神社の御神体である三輪山に思いを馳せて遥拝できるようになっています。
率川神社のお祭りについて
三枝祭(さいくさのまつり・ゆりまつり)
例祭日 6月17日 10時30分斎行
宵宮祭 6月16日 15時斎行
後宴祭 6月18日 10時斎行
三枝祭は、その起源も古く、文武天皇の大宝元年(701)制定の「大宝令」には既に国家の祭祀として規定されており、大神神社で行われる鎮花祭と共に疫病を鎮めることを祈る由緒あるお祭りです。
昔、御祭神姫蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)が三輪山の麓、狭井川のほとりにお住みになり、その附近には笹ゆりの花が美しく咲き誇っていたと伝えられ、そのご縁故により、後世にご祭神にお慶びいただくために酒罇に笹ゆりの花を飾っておまつりする様になったと言い伝えられています。
国が行うお祭りとして重んぜられた三枝祭は、平安時代には宮中からの使いが御供えの幣物や神馬を献上するなど、非常に丁重な祭祀が行われましたが、後世いつの間にか中絶していたのを明治十四年再び古式の祭儀に復興され、現在に及んでいます。
このお祭りの特色は、黒酒、白酒の神酒を「罇(そん)」「缶(ほとぎ)」と称する酒罇に盛りその酒罇の周囲を三輪山に咲き匂う百合の花で豊かに飾り、優雅な楽の音につれて神前にお供えする事です。又神饌は古式に則り美しく手が加えられ、折櫃に納めます。そして、柏の葉で編んで作ったふたをして、黒木の御棚と言う台にのせて宮司自らがお供えします。
月次祭
毎月17日 10時より斎行
氏子さんをはじめ、崇敬者の方々が前の月の神様からのご加護に感謝を申し上げると共に、今月も益々のご加護をいただけることを願うお祭りです。
年間のお祭り
お神札のまつり方
お神札は明るく綺麗な高い場所を選び、北向きをさけて神棚にお祀りしてください。
ご神前にはお米・お塩・お水をはじめ、季節の初物などもお供えして、感謝の気持ちを込めて二礼二拍手一礼の作法でお参りしましょう。
ご祈祷の申込方法
ご予約
お電話からのみのご予約になります。
ご祈祷は毎日午前10時より午後3時まで奉仕しております。
午前10時より午後3時までのお時間でご予約下さい。
(電話受付:午前9時~午後5時 Tel:0742-22-0832)
七五三とは
古くは「七五三」を三歳の男女児の「髪置(かみおき)」、五歳の男児の「袴着(はかまぎ)」、七歳の女児の「帯解(おびとけ)」の年に氏神様に参拝する事を言い、「髪置」とはこの日を境に髪を伸ばし始める事を意味し、男女児共に行い、「袴着」は初めて袴を着ける事、「帯解」は着物の付け紐を取り除き、帯に替える儀式をいいました。
七・五・三という数は縁起の良い数であるとされ、11月15日という日取りは徳川五代将軍綱吉の子、徳松の髪置祝いが行われたためといわれています。いつの時代になっても、子供の成長と健康に感謝し、今後の無事を祈る、親が子供を思う気持ちは変わらないものです。
ご予約
お電話によるご予約のみとなります。
ご祈祷は毎日、午前10時より午後3時まで奉仕しております。
午前10時より午後3時までのお時間でご予約下さい。
(電話受付:午前9時~午後5時 Tel:0742-22-0832)
必ずご予約の上ご来社下さい。
お申込期間
10月上旬より11月下旬まで
お守り(授与品ピックアップ)
率川神社へのアクセス
電車をご利用の方
最寄り駅からのアクセス
近鉄奈良駅(地下4番出口)から徒歩7分
JR奈良駅から徒歩7分
車をご利用の方
周辺マップ
近鉄・JR奈良駅から市内循環バス「本子守町」下車すぐ
近鉄奈良駅(地下4番出口)から徒歩7分
JR奈良駅から徒歩7分
大和国一之宮 大神神社について
ご祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)がお山に鎮まるために、古来本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社です。
山の辺の十六夜
ご由来
大神神社の創祀(そうし)に関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀(まつ)られることを望んだとあります。 また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂(みたま)として顕現(けんげん)され、三輪山に鎮(しず)まられたということです。 この様に記紀(きき)の神話に創祀(そうし)の伝承が明瞭に記されていることは貴重なことで、大神神社が神代に始まった古社中の古社と認識されており、ご祭神(さいじん)の神格が如何に高かったかを物語っていると言えます。 そして、ご祭神(さいじん)がお山に鎮(しず)まるために、大神神社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初(げんしょ)の神祀りの様を今に伝えており、その祭祀(さいし)の姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれています。 「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代崇神(すじん)天皇の時代には国造り神、国家の守護神として篤(あつ)く祀(まつ)られました。平安時代に至っても大神祭(おおみわのまつり)、鎮花祭(はなしずめのまつり)、三枝祭(さいくさのまつり)が朝廷のお祭りとして絶えることなく斎行され、神階は貞観(じょうがん)元年(859)に最高位の正一位(しょういちい)となりました。延喜式(えんぎしき)の社格は官幣大社(かんぺいたいしゃ)で、のちに大和国一之宮(やまとのくにいちのみや)となり、二十二社の一社にも列なるなど最高の待遇に預かりました。 中世には神宮寺(じんぐうじ)であった大御輪寺(だいごりんじ )や平等寺を中心に三輪流神道が広まり、 広く全国に普及し人々に強い影響を及ぼしました。近世に入ると幕府により社領が安堵(あんど)されて三輪山は格別の保護を受け、明治時代にはその由緒によって官幣大社(かんぺいたいしゃ)となりました。現在も国造りの神様、生活全般の守護神として全国からの参拝があり、信仰厚い人々に支えられて社頭は賑わっています。
拝殿
祈祷殿・儀式殿・参集殿
神嘗祭遥拝
ご祭神
ご祭神(さいじん)は国造りの神様として、農業、工業、商業すべての産業開発、 方除(ほうよけ)、治病、造酒、製薬、禁厭(まじない)、交通、航海、縁結びなど世の中の幸福を増し進めることを計られた人間生活の守護神として尊崇(そんすう)されています。 そして、崇神(すじん)天皇の御代に大流行した疫病をご祭神(さいじん)が鎮(しず)めたこと、杜氏(とうじ)の高橋活日命(たかはしのいくひのみこと)がご祭神(さいじん)の神助(しんじょ)で美酒を醸(かも)したことから、医薬の神様や酒造りの神様として広く信仰をあつめておられます。また、ご祭神(さいじん)の御名、「大いなる物の主」はすべての精霊(もの)をつかさどられる・統(す)べられるという意味をあらわし、災をなす精霊(もの)をも鎮(しず)め給う霊威(れいい)から厄除け・方位除(ほういよけ)の神様としても厚く敬(うやま)われています。
御神木「巳の神杉(みのかみすぎ)」
三輪山
三輪山は、奈良盆地をめぐる青垣山の中でもひときわ形の整った円錐形の山です。古来、大物主大神が鎮(しず)まる神の山として信仰され、『古事記』や『日本書紀』には、御諸山(みもろやま)、 美和山、三諸岳(みもろだけ)と記されています。高さ467メートル、周囲16キロメートル、面積350ヘクタールのお山は松・杉・檜などの大樹に覆われて、一木一草に至るまで神宿るものとして尊ばれています。 特に杉は『万葉集』をはじめ、多くの歌集に詠われ「三輪の神杉」として神聖視され、後世に三輪山の杉葉で造られた杉玉が酒造りのシンボルとして酒屋の軒先に飾られるようになりました。また、山中には神霊(しんれい)が鎮(しず)まる岩が点在し、磐座(いわくら)と呼ばれて信仰の対象となっています。神社の古い縁起書には頂上の磐座(いわくら)に大物主大神(おおものぬしのおおかみ)、中腹の磐座(いわくら)には大己貴神(おおなむちのかみ)、麓の磐座(いわくら)には少彦名神(すくなひこなのかみ)が鎮(しず)まると記されています。
三輪山登坂について
大神神社のご神体「三輪山」は、太古の昔より神さまの鎮まる神聖なお山で、禁足の山として入山が厳しく制限されてきました。 近代になり、熱心な信者の方々の要望もあり、特別に入山を許可することとなり現在に至っていますが、もちろん三輪山への登拝は「お参り」が主眼であり、観光や一般の登山・ハイキングとは異なることに十分留意し、敬虔な心で入山いただきます。 尚、お山は標高に比して勾配もきつく、最近は体調不良を起こし消防署の出動を要請する事例も多くなっていますので、装備や体調管理には十分にご注意ください。また正月三が日や大祭日など入山が禁止されている日があり、加えて荒天時・その他の事情により入山を禁止する場合がございますので、神社にお問い合わせください。 【入山登拝禁止日】 ○1月1日~3日 ○2月17日 ○4月9日 ○4月18日(午前 のみ) ○10月24日 ○11月23日 ※気象状況、その他の事情により登拝 を禁止する場合があります。
三輪山登拝には、摂社「狭井神社」での受付が必要となります。 ※受付時に専用の用紙に代表者の「住所」・「氏名」・「携帯電話の番号(緊急連絡先)」の3カ所をご記入いただきます。 【外国人の方へご案内】 FOR A FOREIGNER 神体山への登拝のため、以下の条件を満たさない方には入山を許可できませんので、悪しからずご了承ください。 You recognize the rule which is written below. If you can not meet the rule, you can not climb up this sacred Mt. 【条 件】 RULES ・日本人ガイドの付き添いがいること又は日本語が堪能で当方の説明が十分理解できること。 Whenever you go in, you must to be with Japanese interpreter or you have to understand Japanese clearly. ・国内経由で通話できる携帯電話を持っていること。 Your mobile phone is available not only domestic area but also foreign area.
三ツ鳥居と拝殿
大神神社拝殿の奥は禁足地として普段は神職さえ足を踏み入れない神聖な場所で、禁足地と拝殿の間には結界として三ツ鳥居(みつとりい)と瑞垣が設けられています。三ツ鳥居(みつとりい)の起源は不詳で、古文書にも「古来一社の神秘なり」と記され、本殿にかわるものとして神聖視されてきました。この鳥居は明神型の鳥居を横一列に三つ組み合わせた独特の形式で「三輪鳥居」とも呼ばれています。中央の鳥居には御扉(みとびら)があり、三輪山を本殿とすれば、三ツ鳥居(みつとりい)は本殿の御扉の役割を果たしていると言えます。
三ツ鳥居(みつとりい)
檜原神社(ひばらじんじゃ)
拝殿は鎌倉時代に創建されたことが文献に見え、現在の拝殿は寛文(かんぶん)四年(1664)徳川四代将軍家綱公によって再建されたものです。白木造りの質実剛健(しつじつごうけん)な建物は横が約17m(桁行けたゆき九間)、縦が約8m(梁行はりゆき四間)の切妻造(きりづまつくり)で、正面には唐破風(からはふ)の大きな向拝(こうはい)がつき、屋根は檜皮(ひわだ)で葺ふかれています。拝殿は江戸時代の豪壮(ごうそう)な社殿建築として、三ツ鳥居(みつとりい)と共に国の重要文化財に指定されています。
節分祭
境内詳細MAP
交通アクセス
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町 観光大使
協力(順不同・敬称略)
大和国一之宮三輪明神 大神神社
〒633-8538 奈良県桜井市三輪1422 TEL 0744-42-6633 FAX 0744-42-0381
率川神社 〒630-8231 奈良市本子守町18番地 TEL 0742-22-0832
日原もとこ 東北芸術工科大学名誉教授 風土・色彩文化研究所主宰 まんだら塾塾長
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