法隆寺地域には世界最古の木造建築が数多く残っています。7世紀に法隆寺・法起寺ほかの仏教寺院が造営され、これらの寺院では現在も宗教活動が続けられています。法隆寺は、7世紀初期に創建がはじまり、現在の伽藍は西院及び東院と子院群で構成されています。西院は7世紀後半から8世紀初頭にかけて再建されたもので、東院は8世紀前半に建設されたものです。
西院の主要建物である金堂・五重塔・中門・回廊は、中国や朝鮮にも残存しない初期の仏教建築様式であり、両院のほかの主要建物は主に8世紀から13世紀に建てられたものです。両院の周囲にある子院は12世紀ごろに建築が始まり、しだいにその数を増やしました。17世紀から18世紀にかけての建物も多く、日本の仏教寺院建築の変遷を窺うことのできる文化遺産が集約されている地域と言えます。
法起寺は7世紀に創建された寺院ですが、いまは706年に完成した三重塔のみが残っており、法隆寺西院と同様、初期の仏教建築様式による建物です。
歴史
仏教は中国から朝鮮半島を経由して6世紀中頃に日本に伝わった。7世紀、法隆寺地域では、天皇の皇子・摂政であった聖徳太子が法隆寺・中宮寺を建立し、また、天皇一族が、太子の病気平癒を祈って法輪寺を、さらに太子の没後、その宮跡に法起寺を建てた。
7世紀初頭に聖徳太子が創建した法隆寺はいったん670年に焼失する。その遺構は現在の法隆寺境内の地下に若草伽藍跡として残る。寺は、7世紀後半から8世紀初頭にかけて、場所を変更して、再建される。それが現存する法隆寺西院である。その建造物のうち、講堂のみは925年に焼失するが、990年にそれも再建される。
西院と並んで現在の法隆寺の中枢部を構成している東院は、8世紀前半に聖徳太子の斑鳩宮跡に太子の霊を祀るために建設された伽藍である。
法隆寺には西院と東院のほかにいくつかの子院がある。僧侶は古くは講堂周辺にある僧坊で共同で生活していたが、11世紀ごろから高僧とその弟子たちの集団がそれぞれ宗教活動を行う小寺院を設立し、そこで生活するようになる。それが子院である。いま法隆寺に残る子院の建造物の多くは16〜17世紀にかけて建設されたものである、そのころ、西院・東院とあわせて、ほぼ今日に見る法隆寺全体の構えができあがったのである。
法隆寺は、古くは鎮護国家の寺として天皇家の保護を受け、さらに、12世紀ごろからは広く一般庶民の問に聖徳太子を尊崇する信仰がひろまり、太子創建の寺として多くの信者を集めて繁栄した。その維持修理には終始国家の厚い庇護があった。しかし、近代国家日本の出発である1868年の明治維新では、神道を重んじ、仏教を排斥する思想が尊重され、その趨勢のなかで法隆寺も衰えた。このため文化財の保護の必要性を認めた新政府は1897年に古社寺保存法を制定し、それによって新しく文化財の学術的な調査と保護の途が開かれた。その伝統は現在の文化財保護法に引継がれている。
法起寺は聖徳太子の遺命によってその宮であった岡本宮跡にその子の山背大兄王が7世紀に建立したと伝える。しかし、16世紀末、兵乱によって焼失し、わずかに三重塔のみが残る。この三重塔も法隆寺の歴史的建造物と同じく文化財保護法の保護下にある。
法隆寺西院の金堂・五重塔・中門・回廊・法起寺三重塔などの8世紀以前の建造物は、現存する世界最古の木造建造物である。これらの歴史的建造物は、全体のデザインのみでなく、エンタシスをもつ太い柱、雲形の肘木や斗などに代表される細部のデザインにおいても、洗練された芸術的に優れたものであり、これら建造物のうち、7世紀から8世紀はじめに建造された金堂・五重塔・中門・回廊は、石窟寺院や絵画的資料からうかがうことのできる6世紀以前の中国の建造物と共通する様式上の特色を備えている。これに対して、それらに引き続いて8世紀のうちに建立された経蔵・食堂・東大門や東院の夢殿・伝法堂では、新しい唐の様式の影響を認めることができる。このように、法隆寺地域の仏教建物は、当時の中国と日本の間、ひいては東アジアにおける密接な文化交流の証人となっている。さらにまた、1地域のなかに7世紀以降19世紀に至る各時代の優れた木造建造物が集中して保存されている点でも他に類例がなく、日本の、そして東アジアの木造の仏教寺院の歴史を物語る文化遺産がここに統合されているといってよい。仏教がインドから中国朝鮮を経由して日本に伝来したのは6世紀中頃である。聖徳太子は当時仏教の普及にきわめて熱心であり、太子ゆかりの法隆寺は日本に伝来した仏教の最も古い建造物を多数保存しており、宗教史上も価値が高い。法隆寺地域の仏教建造物は、日本における仏教建造物の最古の例として1,400年間の伝統のなかでそれぞれの時代の寺院の発展に影響を及ぼしており、日本文化を理解する上で重要な遺産となっている。
上記の特色を備える歴史的建造物は、日本だけでなく、世界的にも類例がない、
協力・出典 文化庁
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