※写真(上)ライト設計による帝国ホテル、(下)開業当時の帝国ホテル。
フランク・ロイド・ライトは、現在博物館 明治村に中央玄関部分が保存されている旧帝国ホテルや芦屋の山邑邸など、日本での建築作品もあり、日本の60代以上の建築家に最も影響を与えた外国の建築家といえます。そして今でも住宅メーカーの商品の外観には、ほとんどにライトの作品の影響が見られるようです。
明治23年11月3日、日本初の本格的な洋風ホテル「帝国ホテル」誕生。
欧化政策のために外務大臣・井上馨が提案、場所は有名な鹿鳴館の隣でした。国策ホテルだっただけに、開業時、筆頭株主は宮内省でした。
ホテルはドイツ・ネオ・ルネッサンス式の煉瓦造り3層構造。総建坪1300坪以上という大変に大きなもので、当時「東洋唯一のホテル」といわれました。
玄関の正面に広間があり、その左に客を受け付けるフロント。談話室には椅子とピアノ、オルガンなどが設置され、100畳という大きなビリヤード場も設けられました。
鹿鳴館の隣だけに広い舞踏室もあり、500〜600人が集まる会合では、この舞踏室が臨時食堂になったそうです。ほかには喫煙室や新聞縦覧室、奏楽室などが作られました。
フランク・ロイド・ライト設計によるグッゲンハイムミュージアム(©鎹八咫烏)
ライトは、ウィスコンシン州の田舎に生まれ、祖父はウェールズからの移民で、父は牧師で音楽家、母は教育者でしたので、フレーベルの幼児教育を実践して彼の造形感覚を伸ばしたようです。彼は、16歳から建築を学び19歳でシカゴに上京して、当時活躍中のサリバンの事務所で働き郊外のオークパークに自宅を含め数件の住宅を手掛けています。
そして独立後イリノイ州リバー・フォレストに、1階が煉瓦で軒の出が深いウンスロー邸の設計で注目を集めました。シカゴ郊外の平原では大地と一体化するように、大屋根で広々とした室内空間をとり、木材を使った独特の建物スタイルを生み出し「プレーリー派」と呼ばれることになりました。
そして先進的な鉄筋コンクリート造のマッシブなユニティー教会では、黄色と緑で華やかで個性的なインテリアも試みています。1911年には故郷にタリアセン(事務所兼学校)を建てて、共同生活で芸術(演劇・音楽・文学・美術)を通して独自の建築教育を行ないました。1915年より前述の帝国ホテル等の設計のために数回来日していますが、東洋の美術や建築からも多くを学んだようです。
1920年代はカリフォルニアに住み、当時の新建材のコンクリート・ブロックを使い、ロスのエニス邸等を設計して、またシカゴに戻り、1925年にはアリゾナのホテルのために、砂漠でキャンプ生活をして、自然と調和する設計を考えました。
さらに1930年代にはペンシルバニア州で、岩盤からの滝を活かした「落水荘」を設計、キノコ状の柱でオフィス空間を構成したジョンソンワックスビルを手掛けました。そしてニューヨークでは、巻貝のような螺旋形の斜路で有名なグッゲンハイムミュージアム(写真 Poto by M.H)を1948年に作りました。
その後はマディソンのファースト・ユニタリアン教会、オクラホマのプライス・タワー・バートルズビル等、鋭角的な作品へと変化していきますが、手掛けた高層ビルも樹木から発想するなど、生涯自然と建築との融合を考え続けました。
ライトは好奇心が旺盛であらゆる芸術を愛しましたが、音楽では、ベートーヴェンを好んだそうです。そして90歳で亡くなるまでに、750もの建物を設計しましたが、数回の結婚を繰り返し、相手が変わる度に作風も変わっていったといわれています。
日本の建築家に最も影響を与えたフランク・ロイド・ライトの建築作品が愛知県犬山市の博物館 明治村でご覧になれます。
博物館 明治村には67件(重要文化財10件、愛知県指定文化財1件)の明治の貴重な建物が、全国から移築されています。(最近、西園寺公望別邸「坐漁荘」の重要文化財として答申があり。11件になります)
明治23年11月3日、日本初の本格的な洋風ホテル「帝国ホテル」が誕生しました。欧化政策のために外務大臣・井上馨が提案したもので、場所は舞踏会で有名だった鹿鳴館の隣です。国策ホテルだっただけに、開業時、筆頭株主は宮内省でした。
ホテルはドイツ・ネオ・ルネッサンス式の煉瓦造り3層構造。総建坪1300坪以上という大きなもので、当時「東洋唯一の大ホテル」といわれました。
玄関の正面に広間があり、その左に客を受け付けるフロント。談話室には椅子とピアノ、オルガンなどが設置され、100畳という大きなビリヤード場もありました。
鹿鳴館の隣だけに当然というか、広い舞踏室もあり、500〜600人が集まる会合では、この舞踏室が臨時食堂になりました。ほかに喫煙室や新聞縦覧室、奏楽室などなど。
特報
重要文化財(建造物)の指定について
重要文化財(建造物)の指定について
文化審議会(会長 馬渕 ま ぶ ち 明子 あ き こ )は,平成28年10月21日(金)に開催され た同審議会文化財分科会の審議・議決を経て,新たに10件 の 建造物(新規 9件,追加1件)を重要文化財に指定することを文部科学大臣に答申しました。
この結果,官報告示を経て,国宝・重要文化財(建造物)は,2,465件,4, 892棟(うち国宝223件,282棟を含む。)となる予定です。
数寄屋 す き や の意匠を巧みに取り入れた海浜の別荘建築(近代/住居) 旧西園寺 さ い お ん じ 家 け 興津 お き つ 別邸 べってい (坐 ざ 漁 ぎょ 荘 そう ) 3棟 主屋 お も や ,警衛 けいえい 詰所 つめしょ ,供待 ともまち 及び門 もん 愛知県犬山市 公益財団法人明治 め い じ 村 むら 旧西園寺家興津別邸は,我が国最後の元老 げんろう として知られる西園寺公望 きんもち が,静岡県蒲原 かんばら 郡 興津町に営んだ別荘であり,主屋は大正8年 に上 棟 じょうとう された。
その後,昭和46年に博物館 明治村に移築された。
旧西園寺家興津別邸は,近代の政財界人が海浜の保養地に営んだ別荘建築の希少な遺構 であり,来訪者の増大などに伴う増改築の過程をよく示している。
主屋は端正な数寄屋の 意匠を基調とし,吟味された良材と精緻な技術が駆使されており,西園寺の好んだ竹材を 主材とした独創的な意匠を取り入れるなど,気品ある造形でまとめられた近代和風建築と して価値が高い。
○指定基準=意匠的に優秀なもの,歴史的価値の高いもの
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
(協力) 文化庁
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