彦根市は滋賀県の北東部,琵琶湖 び わ こ 東岸に位置する。
保存地区は,旧の城下町の南東隅に 形成されたかつての町人地 (ちょうにんち) である。城下町と中山道 (なかせんどう ),さらには東方の農村部及び山間部を 結ぶ芹川 (せりかわ) 北岸の往来に沿った町並みで,北から江戸時代の河原町 か わ ら ま ち ,袋 町 ふくろまち ,安清 町 (やすきよちょう ),善利新町 (せ り し ん ま ち )にあたる。
彦根の城下町は,元和 げ ん な 期(1615~1624)に三重の堀を巡らす城下の骨格が 定まり,寛永 かんえい 期(1624~1644)にかけて城下町も整備されるが,河原町 か わ ら ま ち は元和 げ ん な 4年(1618)以前,南端の善利新町 せ り し ん ま ち も寛永 かんえい 18年(1641)には成立したとさ れる。
保存地区は,ゆるやかにS字を描く幅二間程度の往来に沿った約780メートルの範 囲である。所々に不整形の敷地を見せながら,短冊形に割られた敷地が並び,芹川 せりかわ の 流路を付け替えて城下町を整備した名残を,現在の地割りによく残す。
この往来に沿って,切妻造,瓦葺,二階建とする伝統的な町家が建ち並ぶ。二階をつし 二階として虫籠窓 む し こ ま ど を備えるものが多く,袖うだつを設けるものもある。片側を土間とし, 部屋を一列もしくは二列に並べる間取りが大半で,二列の場合には土間側の一列を幅一間 とするのが特徴である。 敷地に合わせて不整形に建てる町家や,近代以降も商業地として栄えた様相を伝える銀 行等の近代建築,表構えを洋風に改造した町家等が,町並みに変化を与えている。
彦根市 ひ こ ね し 河原町芹町地区 か わ ら ま ち せ り ま ち ち く 伝統的建造物群保存地区は,江戸時代前期に河川を付け替えて形 成された城下町の特徴ある地割りを良く伝えるとともに,街路に沿って江戸時代から昭和 戦前期にかけて建てられた町家等を良く残し,商家町としての歴史的風致を良く示すこと から,我が国にとって価値が高い。
彦根市 河原町芹町地区 伝統的建造物群保存地区
所在地 彦根市河原一丁目( かわらいっちょうめ) ,河原二丁目 (か わ ら に ち ょ う め) ,河原三丁目 (かわらさんちょう 及び芹町( せりまち )の各一部
面 積 約5.0ヘクタール
補足
彦根城の歴史
彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)より着工されました。
当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。
天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築。天守は2年足らずで完成しましたが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされています。 この間、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、その功績によって家督を継ぎ、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげ、井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王のひとり)に劣らぬ武将と賞賛されました。
直孝は、秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献。これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となる。彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあり、合わせて35万石となります。天守は18万石の頃の完成でした。
近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。このうち、松本、犬山、彦根、姫路の4城の天守は国宝です。
彦根城は、平成8年には築城以来5回目の大改修が完了。天守の34種類約6万枚にも及ぶ屋根瓦の吹き替えと白壁の塗り替えが中心に行われ、現代に美しく蘇っています。また、彦根城の周囲は特別史跡に指定されています。
協力
文化庁
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