姫路の歴史
およそ1万年昔の縄文時代から人が住んでいたといわれる姫路の地には、太古の昔から受け継がれた壮大なロマンが宿っています。
この地が播磨の中心になったのは、大化改新の後(7世紀)に播磨国の国府が置かれ、さらに8世紀中ごろに聖武天皇の勅令で国分寺が建てられてからのこと。今に伝わる広峯神社や書写山円教寺などの古刹が創建されたのも同じ時代です。
そして、室町時代に入ると、播磨の豪族赤松氏によって姫山にとりでが築かれ、その後に秀吉が天守閣を持つ姫路城を築城。次いで姫路に入った池田輝政が現在の名城・姫路城を築き上げました。
こんな郷土の歴史を教えてくれる施設が、姫路城のすぐそばにあります。貴重な民俗資料を展示する県立歴史博物館と、城郭の研究を行う日本城郭研究センターです。姫路城のヒロイン・千姫ゆかりの千姫天満宮や、恋物語「お夏・清十郎」のモデルになった二人の墓のある慶雲寺をはじめ、伝説に彩られた史跡も市内に数多点在しています。また、平成8年4月、手柄山にオープンした姫路市平和資料館では、戦禍を浴びた被災都市として平和への願いをこめつつ、近代の歴史を紹介しています。
世界文化遺産・国宝 姫路城
国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。
世界文化遺産とは、文化庁が国宝や重要文化財などに指定している歴史的、普遍的価値のあるものの中から推薦。イコモス(国際記念物遺跡会議)の審査を経て、ユネスコの世界遺産委員会で正式に指定されたものです。
現在指定されている世界遺産は、エジプトのピラミッド、フランスのベルサイユ宮殿、中国の万里の長城などがあります。いずれも芸術的価値のあるものや、時代を象徴するものばかりで、姫路城は17世紀初頭の日本の城郭建築を代表する史跡建造物として評価を得ました。
評価された理由
姫路城が世界遺産に登録されたのは、
・その美的完成度が我が国の木造建築の最高の位置にあり、世界的にも他に類のない優れたものであること。
・17世紀初頭の城郭建築の最盛期に、天守群を中心に、櫓、門、土塀等の建造物や石垣、堀などの土木建築物が良好に保存され、防御に工夫した日本独自の城郭の構造を最もよく示した城であること。
などが評価されたためです。
登録内容
登録物件 姫路城
所在地 兵庫県姫路市
記載年月日 平成5年(1993年)12月11日
区分 文化(建造物群)
遺産区域 構成資産107ヘクタール(コアゾーン)
緩衝地帯143ヘクタール(バッファゾーン)
顕著な普遍的価値の評価基準 人間の創造的才能を示す傑作であること
歴史上の重要な段階を語る建築物、その集合体、科学物質の集合体あるいは景観を代表する顕著な見本であること
国宝・特別史跡名勝天然記念物
国宝は、「重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの」、特別史跡は、「史跡名勝天然記念物のうち特に重要なもの」を文化財保護法にもとづき、文部科学大臣が指定するもののことです。
姫路城大天守
南面を正面とし5重6階地下1階。各重の千鳥破風・唐破風と軒隅の反転(てり)の巧みな配合が白漆喰総塗籠造の白壁と目地漆喰塗りの屋根瓦とあいまって大天守外観の壮観で均整のとれた美しさをつくりだしている。
姫路城西小天守
大天守の西南に位置し3重3階地下2階。東面は「ニの渡櫓」に、北面は「ハの渡櫓」に接続し、地階東面に「水六門」を備えて出入口とする。南面は中央に軒唐破風を設け、3重に黒漆塗り・錺金具打ちの火灯窓を2所設け意匠を凝らしている。
姫路城乾小天守
大天守の西北に位置し3重4階地下1階。東面は「ロの渡櫓」に、南面は「ハの渡櫓」に接続する。1重の西面に軒唐破風を設け、3重の南面と西面に黒漆塗り・錺金具打ちの火灯窓を2所ずつ設けており、西面を中心に意匠を凝らしている。
姫路城東小天守
大天守の北に位置し3重3階地下1階。南面は「イの渡櫓」に、西面は「ロの渡櫓」に接続している。西小天守・乾小天守と同じく2重の櫓部の上に望楼部をのせるかたちだが、外観上は完全に一体化しており、唐破風や火灯窓を備えていない。
姫路城イ・ロ・ハ・ニの渡櫓附台所1棟
「イの渡櫓」は南面で大天守に、北面で東小天守に接続し、建物の高さ9.03m、高さ8.88mの石垣の上に位置する。
「ロの渡櫓」は東面で東小天守に、西面で南端間が乾小天守に接続し、建物の高さ9.03m、高さ8.3mの石垣の上に位置する。
「ハの渡櫓」は南面で西小天守に、北面で乾小天守に接続し、建物の高さ9.167m、高さ10.061mの石垣の上に位置する。
「ニの渡櫓」は東面で大天守に、西面で西小天守に接続し、建物の高さ9.679m、建物面積56.784平方メートル(17.177坪)。1階に水五門を設ける。水五門や1階の材が大天守と西小天守の石垣にとりつく状態から、天守群の中で最後につくられたものと考えられる。
「台所」は大天守西北隅の北方に位置し、東面南方に下屋を設けて大天守に、北面はロの渡櫓に接続する。1重2階入母屋造・本瓦葺。
姫路城跡(ひめじじょうあと)
概要
播磨平野の中心に位置する姫山(標高約46m)を中心として周囲の平地をとり入れた平山城である。天正9年(1581)に羽柴秀吉がその基礎を築き、慶長5年(1600)に池田輝政が大改修し、その後入封した本多氏が西の丸等の改修を行い、今に残る城郭をほぼ完成させた。本丸のある姫山北東から発した内堀は、左回りに曲輪を囲み、そのままらせん状に中堀、外堀と三重の堀によって、城下町全体を囲み込む堅固な防備体制を敷いている。内堀に囲まれる内曲輪は、天守、西の丸などが城郭の主要部分が、中堀に囲まれる中曲輪には、武家屋敷や会所などの藩の公的施設などが置かれ、外曲輪は武家屋敷、町家、寺町であった。内曲輪と中曲輪の大半が特別史跡に指定されている。
所在地
姫路市本町68他
姫路城に伝わる伝説をご紹介します。
「姫路」の名の由来
「姫路」の名は、播磨国風土記に出てくる「日女道丘」からきています。神代の昔、大汝命(おおなむちのみこと)は、その子火明命(ほあかりのみこと)があまりに乱暴者なので、海へ出た際、捨ててしまおうと島に置き去りにして船出。ところが、船が出てゆくのに気づいた火明命は大変怒り、風波を起こして船を難破させてしまいました。
その時、船や積み荷などが流れ着いた場所に「船丘」「犬丘」「筥(はこ)丘」「琴丘」など14丘の名が付けられましたが、その一つ、蚕子(ひめこ)の流れ着いたところが「日女道丘(ひめじおか)」で、現在姫路城のある「姫山」であるとされています。「蚕子」は古語で「ひめじ」といいました。
地名としての「姫路」という呼び方は、江戸時代初期、池田輝政が姫路城を築き、城下町を整備した当時の文献に見られます。
榊原騒動 姫路城主榊原政岑は信仰心に厚く、ゆかた祭を始めたことでも知られる心豊かな城主。しかし、日光代参の希望が幕府に聞き入れられなかったことに不満を持ち、酒色におぼれて、吉原通いを始じめました。そして「色婦録」にも艶名をうたわれた名妓高尾を落籍。姫路に連れ帰って、城内西屋敷に住まわせました。 これらの行状が、当時倹約を推し進めていた幕府に知れ、政岑は糾弾されます。 やがて政岑は20代の若さで隠居を命じられ、榊原家は越後高田へ転封となり、高尾も政岑に従い、共に越後高田へと下ったのでした。
お菊井戸
城内の上山里丸と呼ばれる広場にある「お菊井戸」が、有名な「播州皿屋敷」に出てくる井戸だといわれています。
永正年間のこと、城主小寺則職の執権青山鉄山が城の乗っ取りを計画。これに気づいた忠臣の衣笠元信は、愛妾のお菊を青山家に女中として送り込み、陰謀を暴きます。しかし、努力のかいもなく、青山一家のクーデターは成功。それでもお菊は青山家に残り、龍野に逃れた元信に情報を送っていましたが、ついに町坪弾四郎に気づかれてしまい、それを盾に結婚を迫られます。しかし、お菊はどうしても首を縦に振りません。腹を立てた弾四郎は家宝の皿10枚のうち1枚を隠し、お菊の不始末として責め殺して井戸に投げ込みました。それからというもの毎夜、「1枚、2枚…」と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるようになったといいます。
その後、元信ら忠臣によって鉄山一味は滅ぼされ、お菊は「於菊大明神」として十二所神社の境内にあるお菊神社に祭られています。
姥(うば)が石
羽柴秀吉が姫山に三層の天守を築いていたときのこと、城の石垣の石がなかなか集まらず、苦労しているという話が広まっていました。城下で焼餅を売っていた貧しい老婆がそれを聞き、「せめてこれでもお役に立てば」と古くなった石臼(うす)を差し出しました。
これを知った秀吉は大変喜び、石臼を現在の乾小天守北側の石垣に使いました。この話はたちまち評判となり、人々が競って石を寄進したため、工事が順調に進んだといわれています。
枯木鳴鵙図(宮本武蔵筆・M.hayakawa所蔵)
宮本武蔵の妖怪退治
木下家定が城主であった時代のこと、姫路に立ち寄った宮本武蔵が名前を隠して足軽奉公をしていました。そのころ、城に妖怪が出るといううわさが広まっていましたが、武蔵が平気で夜の出番を勤めていたことが家老の耳に入り、名高い武芸者であることが知られました。
木下家の客分にとりたてられた武蔵に、妖怪退治の命が下りました。武蔵がある夜、灯ひとつを持って天守閣に登り、3階の階段にさしかかった時、すざましい炎が吹き降り、地震のような音と振動が。武蔵が腰の太刀に手をかけると、辺りはまた元の静けさに戻りました。4階でもまた同じことがありましたが、構わず天守を登り、明け方まで番をしていたところ、美しい姫が現れ「われこそは当城の守護神、刑部明神なり。その方がこよい参りしため、妖怪は恐れて退散したり。よって褒美にこの宝剣を取らす。」といって姿を消しました。武蔵の前には白木の箱に入った郷義弘の名刀が残されていたということです。
この冬、姫路城で何かが起こる・・・!
普段は入れない夜の姫路城内を大冒険。
ライトアップで白く輝く天守を借景に、3Dプロジェクションマッピングや
オリジナル音楽による大迫力の演出をお楽しみください!
また備前丸では、壮大な大天守の勇姿や幻想的なライティング・インスタレーション
などの展示「姫路城×彩時記」冬 -color of the season- も必見!!
催事内容
世界文化遺産 姫路城 ナイトアドベンチャー 煌 ~KIRAMEKI~
開催日
2016年12月2日(金)~11日(日) 10日間
開催時間
17:30~ (最終入場は20:30まで)
定員
各日3,000人程度(小学生未満は参加出来ません)
開催場所
兵庫県姫路市 姫路城 有料区域(天守は除く)
〒670-0012 兵庫県姫路市本町68
主催
姫路城イベント実行委員会
共催
姫路市
後催
「世界文化遺産」地域連携会議・歴史街道推進協議会
企画製作
株式会社タケナカ、株式会社シムディレクト
※(予告)近々、世界遺産・姫路城を借景にした約1万坪の本格的な日本庭園「好古園」を紹介いたします。
鎹八咫烏 記
協力(敬称略)
姫路市役所 〒670-8501 兵庫県姫路市安田四丁目1番地
電話 079-221-2111
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