熱田神宮の創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。第12代景行天皇の御代に、日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられました。尊のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられました。以来、伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、延喜式名神大社・勅祭社(※)に列せられ国家鎮護の神宮として特別のお取り扱いを受ける一方、「熱田さま」「宮」と呼ばれ親しまれてきました。約6万坪の境内には、樹齢千年を越える大楠が緑陰を宿し、宝物館には信仰の歴史を物語るものとして、皇室を初め全国の崇敬者から寄せられた6千余点もの奉納品が収蔵展示されております。境内外には本宮・別宮外43社が祀られ、主な祭典・神事だけでも年間70余度、昔ながらの尊い手振りのまま今日に伝えられております。
※延喜式:平安時代の法典。延喜5年(905)に編纂を始めたことからこの名があります。
※名神大社:古代より崇敬された全国の大社の内、延喜式神名帳に記載された大社を特にこう呼びます。
※勅祭社:勅使参向のもと祭礼を執り行う神社。全国で16社が列座しております。
由来
ご祭神の熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)としてよらせられる天照大神のことです。
天照大神は、言うまでもなく、皇室の御祖神とも至高至貴の神とも仰がれ、人々にいつくしみの徳をあたえられる神です。又、相殿神は「五神(ごしん)さま」と呼ばれ、草薙神剣とゆかりの深い神々で、宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として仰がれる神々です。
御鎮座は、日本武尊の御事蹟と深い関係があります。御父・景行天皇から信任を授かった日本武尊は、東征の帰途、尾張国造の御女である宮簀媛命をお妃とされ、やがて草薙神剣をこの国に留めておなくなりになります。宮簀媛命は尊の御遺志を重んじて、神剣を今の熱田の地にまつられました。今からおよそ千九百年前になります。
御祭神 熱田大神
熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)・御神体としてよらせられる、天照大神のことです。
天照大神は、言うまでもなく、皇室の御祖神とも至高至貴の神とも仰がれ、人々にいつくしみの徳をあたえられる神です。又、相殿神は「五神(ごしん)さま」と呼ばれ、草薙神剣とゆかりの深い神々で、宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として仰がれる神々です。
御霊代 草薙神剣
皇位継承のみしるしである三種の神器の一つです。日本武尊は、神剣の大いなるご加護により東国を平定。尊のなきあと、神剣は宮簀媛命により熱田の地にまつられ今にいたっております。神剣の名「草薙」は、尊が東国において、この神剣により草を薙いで難をのがれたことからこの名があります。
相殿神
本殿には熱田大神をお祀りし、相殿には、天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命の五柱の神々をお祀りしております。
天照大神
ご皇室の祖神とされる大神様で、その広大なご神徳と慈しみを日本国民にあまねく授けられる大神です。伊勢の神宮をはじめ日本の多くの神社でお祀りされております。
素盞嗚尊
天照大神の弟君とされる神で勇猛の聞こえ高く、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して得た神剣・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を天照大神に献上致しました。これが後の草薙神剣とされます。
日本武尊
景行天皇の御子で九州から東国まで日本各地を平定した英雄神とされます。東国平定の後、尾張国造の女(むすめ)である宮簀媛命を妃に迎え、しあわせな日を過ごされました。その後、能褒野(のぼの)にてなくなられ白鳥と化して空へ飛び立った伝説を伝えます。
宮簀媛命
尾張国造・乎止與命(おとよのみこと)の女(むすめ)で日本武尊の妃。尊なきあと、神慮に思い至り神剣を熱田の地に祀られたのが熱田神宮の創祀となります。
建稲種命
乎止與命(おとよのみこと)の御子で宮簀媛命の兄にあたられます。日本武尊に従い東国の平定に赴きその途中でなくなられました。尾張地方繁栄の礎を築いた神とされます。
熱田神宮の歴史
創祀千九百年を迎えた熱田神宮、その歩みの一端を記します。
113年 景行天皇43年 日本武尊、伊勢の国・能褒野(のぼの)にて薨去(こうきょ)
草薙神剣を熱田の地に祀る
195年 仲哀天皇4年 氷上姉子神社創祀
686年 朱鳥元年 草薙神剣が神宮還座
708年 和銅元年 八剣宮創祀
845年 承和12年 尾張浜主(103歳)が舞を奏す
907年 延喜7年 延喜式名神大社に列せられる
1194年 建久5年 源頼朝奉幣
1377年 永和3年 熱田本『日本書紀』奉納
1560年 永禄3年 織田信長、土塀奉納(信長塀)
1868年 明治元年 神宮号を賜り、熱田神社から熱田神宮となる
1878年 明治11年 明治天皇御参拝
1893年 明治26年 遷宮にて神明造に改修
1916年 大正5年 大正天皇御参拝
1935年 昭和10年 遷宮
1945年 昭和20年 空襲で被災
1946年 昭和21年 昭和天皇御参拝
1955年 昭和30年 遷宮 再建
2005年 平成17年 天皇、皇后両陛下御参拝
2007年 平成19年 本殿改修着工
2009年 平成21年 造営竣功し遷座祭
盛大な「初えびす」と「知恵の文殊様」信仰
境内末社で盛大な「初えびす」
上知我麻神社の両脇に、大国主社(おおくにぬししゃ・大黒様)、事代主社(ことしろぬししゃ・恵比須様)がお祀りされております。毎年1月5日はこの両社の祭「初えびす」があり、商売繁盛・家内安全を願う人々で盛大なにぎわいを見せ、正月の風物詩として知られております。
神託を授かる「名氏子(なうじこ)」の信仰・命名祈祷
又、熱田神宮に伝わる「名氏子(なうじこ)」は特殊信仰として受け継がれております。新生児の名前をつける際、神託により一字を神様からいただくもので、その文字を元に名付けをされたお子様は、名氏子として、毎年11月15日、無事成育を感謝する名氏子祭が執り行われます。この命名(めいめい)祈祷は毎日受け付けております。
初えびす
1月5日は熱田神宮の「初えびす」
「初えびす」は商売繁盛・家内安全・漁業豊漁を祈る祭りで、上知我麻神社、大国主社、事代主社で執り行われます。午前零時の祭典にもかかわらず大勢の参拝者で境内は熱気にあふれ、「えびす」の一番札や「福熊手」を我先に受けようとする様は壮観です。
踏歌神事(とうかしんじ)
年の初めに除厄と招福を祈ります
新春一月十一日、舞と歌曲により大地の精霊を鎮め、除厄と招福を祈ります。
踏歌神事(とうかしんじ)について
平安朝時代の宮中行事の流れを汲むといわれます。舞人が歌曲にあわせ桜を冠にかざして舞い春きざす大地を踏み除厄と招福を祈る神事です。「アラレバシリの神事」「オベロベロ祭り」とも呼ばれます。
歌に合わせ、卯杖舞(うづえのまい)や扇舞(おうぎのまい)を舞い、詔文(しょうもん)に合せて振鼓を振ります。この振鼓の音色を聞き、参拝者が夫々その年の豊凶を占っております。
当日は午前10時より影向間社(ようごのましゃ)と本宮、午後1時より別宮と大幸田神社(おおさきだじんじゃ)の各ご神前で順次行われます。
大幸田神社(おおさきだじんじゃ)
五穀をはじめ食物を司る「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」をお祀りしております。社名からも、田に大きな幸福をもたらすと解することができ、一説に「福の神」即ち富貴栄達を祈る神様と言われております。
このご神前において、1月7日の世様神事(よだめししんじ)や、1月11日の踏歌神事(とうかしんじ)が執り行われます。
世様神事(よだめししんじ)
斎甕(いみがめ)の封を解きその年の豊凶を占う農業神事
境内末社の大幸田神社(おおさきだじんじゃ)の社頭で行われる農業神事です。年の初めに農作物の豊凶を占っております。
世様神事(よだめししんじ)について
前年の一月十二日の「封水世様神事(ふうすいよだめししんじ)」で、斎甕(いみがめ)に清水を入れて封をします。その甕を、大幸田神社(おおさきだじんじゃ)のご神前に据え、神職二員により斎甕の封を解き、ご神水の減水量を計り、その年の雨量の多小、旱魃の有無を占っております。
封水世様神事(ふうすいよだめししんじ)について
一月十二日に行われます。この五日前、一月七日に行われた「世様神事(よだめししんじ)」でご神水の減水量を計った斎甕(いみがめ)を神楽殿(かぐらでん)に据え、毎年同量の清水を計り入れたのち甕の封をとじます。
この甕は翌年の世様神事まで、ご本殿東側の東宝殿(とうほうでん)床下に納められます。
交通アクセス(駐車場)
※大型バスは西門の指定場所に駐車してください。
※駐車場は基本的に午後5時に閉門致します。
※夜間ご利用の場合は西門の指定場所に駐車してください。
※12/31夜~1/5並びに6/5は全ての駐車場が使用できません。
※その他、祭典行事などで駐車場の使用を制限する場合がありますのでご了承下さい。
協力・熱田神宮お問い合わせ
熱田神宮宮庁
〒456-8585
名古屋市熱田区神宮一丁目一番一号
TEL:(052)-671-4151
(月~日 8:30~16:30受付)
昭和20年代~30年代の昔々のお話です。熱田神宮の近くで育った私たち子供達は、幼稚園や小学校が終わるとよく熱田の杜に冒険の旅に出かけました。鬱蒼とした熱田さん(地元では熱田神宮のことを親しみをもって誰もが熱田あったさんと呼んでいます)の杜深く入り樹齢数百年以上の大木にぶら下がったり、木登りをしたり、池の蓮や椿の実をとったり、昆虫採取、写生、かくれんぼ等々・・・熱田さんは子供たちを見守り育ててくれました。
(恐らく今は禁止されていることばかりだと思いますが?)
現在は熱田さんから少し離れた処に住んでいますが、あの頃の子供同士での楽しく懐かしい思い出は忘れたことはありません。いつも一緒に遊んでいた子供たちは今、いったいどうしているのでしょう・・・ワサちゃん、省ちゃん、よっちゃん、睦ちゃん、鍾一、みよちゃん、テシ君、水谷、内田、鳥井君、義一先輩、宇佐美、マミちゃん・・・まだまだ、沢山の子供たちが熱田さんで、暗くなるまで遊んでいました。ひょっとして、サイトをご覧になられたらご一報下さい。
当時私はマーちゃんとか河童(痩せて背が高かったので)と呼ばれていました。絵が好きで、足が速いのだけが取り得の子供でした。
松の内に皆さんも是非、熱田神宮(あったさん)にご参拝下さい。熱田の杜にきっと癒されると思いますよ!
鎹八咫烏 記
交通アクセス
※今年から23時アップと申しましたが、お正月なので?少し早めにアップ致しました。
0コメント