南陽市の三大熊野に寄せて
我が国は多神教といわれていますが、どれ程のご神仏達が我が国に存在するのでしょうか?東洋経済ニュースのデータランキングによれば、全国には約18万件の宗教法人が存在し、その中でもダントツの
1位が八幡神社 (4809)、2位は稲荷神社 (2652)、3位が熊野神社 (2132)
4位神明社、5位諏訪神社…と続いておりました。
上に挙げた順位は、夫々の名前の寺社が全国に点在する傘下の分社、摂社、末社等迄も数えると、企業で言えば、本社に対する支社や支店や営業所がどれ程あるのかということになります。而も名前の種類が多すぎて500件迄のデータで打留めでしたから、推して知るべし!日本は正真正銘、八百万の神々様の国ですね?
そこで…本日の主題は山形にある南陽市の熊野大社のお話です。
山形にも熊野大社があると聞き、半信半疑で訪れたのは、15年くらい前だったでしょうか?でも、私はその前に熊野三山、即ち、熊野本宮大社を始め、速玉大社、那智大社のご参拝を行っておりましたから、その他の地方にあるものは、本物を凌ぐ程のものでは無いだろうと失礼千万な想像を廻らして居りました…
それに、三大熊野等と名乗ること自体、そもそも名高い熊野三山を前にしてその辺どう、折り合いをつけているのかしら?と益々、不遜な疑問を抱きながらのご参拝でした。
そこで調べますと、熊野三山とは
(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社=順に主祭神が夫々、 ①家都美御子大神、② 熊野速玉大神と熊野夫須美大神、③熊野夫須美大神)の御祭神を勧請された神社のことであるとされ、それ等を纏めて一体となったものが熊野三山なのだそうです。そこで、三大熊野と呼ばれる場合には…
・熊野三山 (本宮 速玉 那智,各大社)
・熊野神社 (南陽市) : 山形県南陽市
・熊野皇大神社 : 長野県北佐久郡軽井沢町
以上を総称して「日本三熊野」と呼ぶのだそうです。そして、これが熊野信仰の中心となっているのだと聞けば、何と罰当たり私めは「ハハァ〜ッ」と平伏する羽目に。それにしても、すごい話です。日本で3番目に多い熊野神社系列の中の代表三役、三熊野ですぞ〜。
それ以上の驚きは、境内に漂う荘重且つ神秘的なそのユニークな佇まいにありました。それは元祖熊野三山とは違う別の何か?です。今も瞼に浮かぶのは東北ならではの茅葺き屋根の刈り上げ技術にあるような気がするのです。
それは入母屋造りの微妙な反りに対する曲線美へのこだわりでした。
更にアクセントになっている拝殿真上の飾り屋根は唐破風と千鳥破風の二重重ねで、茅葺き屋根の美しさと豪華さを一層演出しておりました。
特に屋根の端が反リ上がる三角形の小口は茅の束がぎっし詰まった切り口部分で、最も難儀な処理技術を要する、曲線美の魅せ処です。それは見飽きない美しさでした。それに命を賭けた職人魂を感じたのです。
それにしても、日本人は古来より万物に魂が宿るとする感性豊かな人種でした。所謂、アニミズムの遺伝子が今も体質的に働いているのでしょう。どんな神様でも分け隔てなく、
お辞儀をしてしまう癖があるようです。節操がないというのか……
日本が平和で居られるのは多神教の所為とよく言われますが、その証拠として、戦前の住まいでは全国津々裏々何処の家でも神棚とお仏壇は同じ屋根の下に何ら矛盾もなく祀られていたものです。初詣と結婚式は神前で、葬式と法事は仏前でやるものという当り前の風習がありました。
戦後になるとアメリカ文化がどーっと入ってきて、日本人の精神構造はガラリと変ってしまいました。
明治維新は「和魂洋才」が謳われましたが、第二次世界大戦後は「洋魂洋才」の風潮となり、これまで培った日本の伝統がいかにも時代遅れの古臭いものとして蓋をされて仕舞ったのです。
敗戦国日本の文化は先進国アメリカ文化に劣るという錯覚に陥ってしまいました。日本国民はあれ程お国の為にと、一丸となって「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」ー天皇陛下のお言葉ー通り巨大大国を相手に、
国土を守り、不屈の精神力で闘い抜いた筈なのに負けた途端、手のひらを反すが如く日本は必要以上にアメリカ一辺倒になりました。
アメリカ文化全てが憧れの対象でした。X`masには俄かクリスチャンに偽装しながら、教会でのお祈りはさておき、お父さん達は盛大にハシゴ酒で夜の街へ繰り出し、子供たちはサンタのプレゼントを心待ちにし、
家庭では(当時はお父さん抜きの)ローストチキンと X`masケーキを頂く日になり、その風習が今や日本の伝統になりつつあります。
まあ、このように八百万の神の在す日本は、いかにも信仰心の厚い国民に見えて?世界から驚かれておりますが、後から浸透してきたバレンタインやハロウィンも同じことです。
仕掛け人は商業主義であり、踊らされていることにも気づかないのが、
我らお目出度い日本人でありましょう。戒律の厳しい一神教の国々には
真似の出来ない軽さと言いますか…
換骨奪胎的発想の国民性でしょうか?
戒律の厳しい一神教から見れば、凡そ節操のない忌まわしい存在に違いありません。しかし、それが平和を保つ緩衝材になっているとしたら、
軽すぎる多神教も案外、一つの救いなのかもしれませんね?
紅山子
熊野大社について
ご祭神
熊野大神様は「むすひ」の神様です。「むすひ」とは、ものが生まれる力で、動物も、植物も、そして人間も、この「むすひ」の力によって、この世に生まれてきます。
熊野夫須美大神 (伊弉冉尊)
くまのふすみのおおかみ いざなみのみこと
「夫須美」はムスヒの意味。「ムス」はあらゆる物を生み出す意味。「ヒ」は霊を表します。 あらゆる命を生み出す霊妙な力をお持ちになった大神様です。
熊野速玉大神 (伊弉諾尊)
くまのはやたまのおおかみ いざなぎのみこと
「速」は勢いのある様。「玉」は魂の意味で、生き生きとした魂(生命)の神様です。
熊野家津御子大神 (素盞鳴尊) くまのけつみこのおおかみ すさのおのみこと
「家」は食べ物の意味。熊野夫須美大神と熊野速玉大神のあいだからお生まれになり、 人間生活で最も大事な食料の神様です。
熊野大社の聖なる気が増すといわれる夜の結婚式
むかしむかし結婚式は夜に行なわれていました。
結婚式の始まりである「嫁入り」のとき、花嫁さんが実家から新郎家へ、行列を組んで移動する「花嫁道中」。祝言は夕方から夜にかけて行われ、それに合わせて花嫁道中は出発します。歩く途中で暗くなることが多く、提灯は飾りではなく必要なものでした。月明かりももちろん、花嫁の足元を照らす大切な灯りでした。そして、到着した新郎家で開かれる婚礼の儀礼と祝宴。これが、古来の日本で、夜に行われていた結婚式です。
そっとしのばす、なぎの葉。 なぎの葉は、葉が丈夫でちぎれにくく、また2枚ずつ仲良く同じ場所から出ていることから、頼朝に想いを募らせた政子がそっと手鏡の下に忍ばせたと言われています。
ふたりのきずなを繋いだと伝えられるなぎの葉。
梛(なぎ)の葉のお守り。
ナギは、熊野速玉大社のご神木です。葉が丈夫で切れないことから「男女の縁が切れないように」と願をかけ、女性が鏡の裏に入れるという風習がありました。また夫婦で持っていると裏表のない夫婦でいられると信じられ、源頼朝と北条政子も一枚ずつ大切に持っていたと伝えれています。母親がお嫁にいく娘に持たせたというナギの葉。熊野大社の結婚式では、新郎新婦様から、参列されたご友人の皆様に、このナギの葉をお守りとしてお配りいただきます。
日本で初めて結ばれた神様
熊野大神様は、別名として、イザナキノミコト・イザナミノミコトというお名前をおもちになっています。 両方のお名前に共通する「イザナ」は、「誘(いざな)う」という言葉からきたもので、男女の愛の言葉を表現したものです。日本で始めての夫婦の神様、縁結びの神様としてもおまつりしています。
三羽のうさぎ 三羽すべて見つけると願いがかなう。
熊野大社の本殿裏に、うさぎが三羽隠し彫りされています。いつ頃からか定かではありませんが、うさぎを三羽見つけた人が次々と大成功を収めたことや、恋や願い事が成就したことから、「願いが叶う」「しあわせになれる」と言い伝えられています。 最後の三羽目は、人から聞いたり、場所を教えてしまうとご利益がなくなると言われてきたため、授与所で二羽目までの手引書をお渡ししております。残りの一羽は是非、ご自身で見つけて下さい。
鳳凰頭の彫刻 太陽の光が瞳に差し込む不思議な場所
熊野大社の本殿東西に彫刻された鳳凰頭の彫刻。 全国的にも珍しい彫刻で国内でも最大級の大きさです。 熊野大社の本殿は、非常に不思議な場所に鎮座しており、一日に朝と夕、 鳳凰頭の瞳に光が指す貴重な光景を見ることができます。 日が昇る東の鳳凰は「祈り」を、日が沈む西の鳳凰は「感謝」を。 一日、一日を大切にするという、日本人の美しい心を表しています。
日本最古、最も尊いお神楽「太々神楽」
熊野大社の太々神楽は、伊勢の神宮より直伝を許されたお神楽です。この御神楽は、日本最古の最も尊い御神楽とされ、中でも倭舞(やまとまい) 人長舞(にんちょうまい)は神宮の祭に欠かすことの出来ない御神楽であり、 その伝授は神宮御鎮座以来、初めてのことでした。 以後、神宮の太々神楽は伝授を禁じられたため、伊勢神宮と熊野大社だけ に伝わる御神楽となりました。
(倭舞は清和天皇の御代から宮中の儀式で舞われています。本来は男子4人の舞ですが、明治時代に乙女舞に改められました。)
参宮(さんぐう)
伊勢の神宮より太々神楽が伝わった後、熊野大社参宮がはじまりました。参宮とは、日本で最も尊く、由緒のある太々神楽を奉納することにより、熊野大神様のお力を頂戴する熊野大社で最も大切なお祭りです。 熊野大社では、1月から3月末(新春参宮)と10月、11月(秋参宮)の時期に毎年 執り行っています。
受験生の皆さん頑張って下さい!
熊野大社曰く「新春を迎え県内外から多くの方が太々神楽(だいだいかぐら)をお受けに来られます。ご参拝の方の中には、3世代でご参拝の方や60年連続で参拝された方、驚くことに100歳(百寿)のお祝いでご参拝の方もいらっしゃいます。そのご信仰の篤さには驚かされます。」
大祓(おおはらへ)について
大祓(おおはらへ)式は、毎年水無月(6月)師走(12月)の晦日(つごもり)に、宮中、神宮、神社等で執り行われ、私達が日常生活で気付かないうちに犯している罪穢(つみけがれ)を神様のお力により半年ごとに祓い清め、人間本来の神性な清らかな姿に返り、明日からの新しい生活に入る心構えを造るための、日本の伝統的な神事です。 ※「罪穢(つみけがれ)」とは、体(身体)と気枯れ(心)のことを指します。大祓の由来は、日本神話の中で素盞鳴尊が犯した罪により、天照大神が天岩戸にお隠れになり、国中が暗闇に包まれ皆が困っていたところ、天児屋命の奏上する祝詞(大祓詞)により岩戸が開き、天照大神がお出ましになられたと伝わるのが、大祓の起源とされております。 それよりは、祓(はらい)や禊(みそぎ)に源を発し、神代以来からの行事といえます。 水無月の夏越大祓は夏の夜の涼を追う季節の行事として、平安期には南応天門の前庭に大宮人が大勢集まって、盛んに行われたことは、王朝文学にもくわしく伝えております。
大祓式へは、どなたでも参加いただけます。 熊野大社では、6月30日(水無月大祓)、12月31日(師走大祓)の年2回、古式に則り大祓式が執り行われます。人形(ひとがた)に罪穢(つみけがれ)を托し、半年毎に身も心も祓い清めて、清々しく日常生活を送るための儀式です。
雪の熊野大社。厳しい冬に修験者はいま・・・
御再建1200年、降り積もる雪にびくともしない(雪おろしが大変そうですね)。
県内最古の茅葺き屋根の木造建築
ご由来
御再建1200年、県内最古の茅葺き屋根建築
熊野大社は、大同元年(806年)、平城天皇の勅命により再建されたと伝えられています。その後も時の天皇、法皇の恩恵をうけ、のちに天台宗・真言宗・羽黒修験・神道の四派も加わり、熊野修験の霊場としても栄えました。
上杉、伊達歴代武将も信仰
1601年(慶長6年)、上杉景勝は米沢30万石に減封されます。直江兼続が大旦那として熊野大社の修復にあたったのは、 その3年後の慶長9(1604)年5月のことでした。興味深いのは、当社に伝わる『一山古今日記』に、直江兼続の造営の棟札 と伊達政宗の棟札が並べて書き上げられていることです。歴史の奔流のなかで対立したこの二人の武将が熊野大社の 歴史に登場するのは不思議な縁というべきものでしょう。なお、熊野大社には、伊達正宗の安堵状が残されています。
御神徳
生命を生み出す「むすひ」の力
熊野大社には、本殿、二宮、三宮を含め、 皆様のお願い事を叶える30柱の神様をお祀りしています。
熊野大神様
くまのおおかみさま
熊野大社の三柱の大神様(熊野夫須美大神、熊野速玉大神、熊野家津御子大神)は、生命をつかさどり、男女の愛によって新しい生命を生み出し、そして命を守ってくださいます。
八咫烏大神様
やたがらすおおかみさま
『古事記』や『日本書紀』によると、神武天皇が紀州の熊野から大和の地に向かわれる時、道中の道案内をしたのが熊野の八咫烏大神様でした。道案内の神様として祀られ、当社でも交通安全の神様としてお祀りしております。
熊野大社の神々
くまのたいしゃのかみがみ
熊野大社の境内には、三柱の大神様を含め、三十柱(はしら)の神様をお祀りしています。 その神様は、いずれも、古い歴史を持っておられます。
熊野大社 境内案内「 熊野大社の森と神様」
熊野大社の境内に足を踏み入れると、30柱の神様と、数百年前から息づく熊野の森が参拝者の皆様をお迎えします。
① 本殿(ほんでん) ② 二宮神社(にのみやじんじゃ)
③ 三宮神社(さんのみやじんじゃ) ④ 八幡神社(はちまんじんじゃ)
⑤ 保呂羽神社(ほろはじんじゃ) ⑥ 愛宕神社(あたごじんじゃ)
⑦ 羽黒神社(はぐろじんじゃ)⑧ 菅原神社(すがわらじんじゃ)
⑨ 融通神社(ゆうづうじんじゃ) ⑩ 雷神神社(いかづちじんじゃ)
⑪ 千手観音(せんじゅかんのん)⑫ 稲荷神社(いなりじんじゃ)
⑬ 皇大神杜(こうたいじんじゃ) ⑭ 厳島神社(いつくしまじんじゃ)
⑮ 白山神社(はくさんじんじゃ) ⑯ 義家神社(よしいえじんじゃ)
⑰ 景政神社(かげまさじんじゃ) ⑱ 和光神社(わこうじんじゃ)
⑲ 招魂社(しょうこんしゃ) ⑳ 月山神社(がっさんじんじゃ)
㉑ 湯殿山神杜(ゆどのさんじんじゃ) ㉒ 大社神社(おおやしろじんじゃ)
㉓ 幸神社(さいわいじんじゃ) ㉔ 山神社(やまじんじゃ)
㉕ 青麻神社(あおそじんじゃ) ㉖ 大宮子易神社(おおみやこやすじんじゃ)
㉗ 古峯神社(ふるみねじんじゃ) ㉘ 土社神社(どしゃじんじゃ)
㉙ 道祖神社(どうそじんじ)㉚ 水神杜(みずじんじゃ) ㉛ 拝殿(はいでん)
㉜ 幣殿(へいでん) ㉝ 祈祷殿(きとうでん)㉞ 神楽殿(かぐらでん)
㉟ 授与所(じゅよしょ) ㊱ 鐘楼(しょうろう) ㊲ 考古館(こうこかん)
㊳ お御坂(おみさか) ㊴ 売店(ばいてん) ㊵ 手水舎(てみずしゃ)
㊶ 大銀杏(おおいちょう) ㊷ 鏡池(かがみいけ) ㊸ 勅使橋(ちょくしばし)
㊹ 證誠殿(しょうじょうでん) ㊺ 大鳥居(おおとりい) ㊻ 本宮裏(ほんぐううら)
最後になりましたが、熊野大社の「祭典と神事」をご紹介いたします。
熊野大社の「祭典と神事」
千二百年の歴史と伝統を誇る熊野大社には、古くより数多くの祭典が伝わっております。時の天皇は天下泰平を、時の名将達は必勝を祈願し、農業も商いも営んできた地元では五穀豊穣や産業発展の祈願を込めた、境内30柱の神様による祭典がそれぞれに継承されてきました。現在では、人々の日々の暮らしと調和し、深い関係にあるものが残った形となりました。熊野大社の成り立ちと、その信仰の意義をよく表わしている祭典ばかりです。
月次祭 (つきなみさい)
毎月の月始めに行う神事で、国家隆昌、地元地域の安泰と崇敬者の弥栄をご祈念しております。 早朝の境内は清々しい気に満ちております。普段着で結構です。どうぞお気軽にお越し下さい。 ■日時:毎月1日の午前7時より (但し1月1日は除く) ■参列方法 当日午前6時50分頃までに拝殿内にお進み頂いて、ご着座ください。
野生の梟?ミミズク?時々現れるそうです。西洋では智恵の神様として崇められているようです。
縁結び祈願祭 月結び
(りょうえんきがんさい つきむすび)
「月結び」のお守り
月に一度、満月の夜に執り行われる神事です。
詳しい日程は、最新ニュース、もしくは、お電話にてお問合せください。TEL:0238-47-7777
春参宮 (はるさんぐう)
毎年執り行われる新春祈願祭です。
伊勢神宮で門外不出とされ、全国で唯一当社のみが直伝を許された太々神楽を奉納するお祭りです。東北地方の人々が三重県の神宮まで行かずとも当社にてこの太々神楽を受けられるようになったことで、熊野大社は「東北の伊勢」とも呼ばれております。 この時期の参詣客は、県内はもちろん、福島県を中心とし、宮城県や新潟県、北関東にまで及んでおります。
■日時 1月1日~4月上旬
春祭
(はるまつり)
終戦後、祈年祭と鎮火祭とが合わさりこの日に執り行われる様になりました。春に先立ち、巫女が花をかざして舞を捧げるのが慣わしとなっております。天下泰平、五穀豊穣と商工業の繁栄をご祈願し、同時に火事が起こらない様にと鎮火の祈願も込められます。 ■日時5月1日 午前10時
夏越大祓式 (なごしのおおばらいしき)
神事により、半年間の罪穢(つみけがれ)を祓い清めます。神道においてはもっとも大事な神事とされています。どなたでもご参加いただけます。
■日時 6月30日 午後2時
祭始め
(まつりはじめ)
4日間に渡るお祭りに先立ち、まず執り行われる始まりの神事です。この日は神事のあと、神楽殿にて無形文化財の稚児舞を三曲のみ奉納します。
■日時 7月23日 午後8時
前夜祭
(ぜんやさい)
翌日の例大祭に先立ち、神事が執り行われます。その後、神楽殿にて稚児舞を全曲奉納します。夕刻には御神輿と御獅子様がそれぞれのお旅所までお下がりし、一晩安置されます。前夜祭ということで、夜からの御神楽奉納のあとには神楽殿より餅巻きなどが行われ、また門前は出店などで賑わうため毎年たくさんの参拝客が深夜まで訪れます。
■日時 7月24日
例大祭
(れいたいさい)
年間の祭典の中で最も重要、かつ荘厳な神事が執り行われます。正午過ぎからの子供神輿では、地元の子供らが担ぐ三体の御神輿が町内を回って神社へとお上がりします。夕方からは、前日に安置された御神輿と御獅子様が御旅所より再び神社へとお上がりするため、それぞれにその勇壮な姿を拝観することができます。
■日時 7月25日
総社祭
(そうしゃさい)
境内各社ごとに神饌を供え、神職と氏子代表として氏子総代が参列し、一社一社の神事を執り行います。 また、お祭りの最終日のこの日には「御み坂洗い」と言い「一滴でも必ず雨が降る」と言われております。
■日時 7月26日 午前9時
熊野宮内熊野の獅子祭り。祭りが全て終わると必ずオミサカアライの雨が降ると伝えられています。
四万八千日祭
(しまんはっせんにちさい)
8月10日、幸神社の四万八千日祭。
この日、お参りすると48000日分のご利益があると伝えられてきたお祭り。 昨年も無事に神火が幸神社に灯されました。
8月10日、祈り。 幸神社の四万八千日祭(しまんはっせんにちさい)。拝殿でお清めした火が幸神社本殿に灯され、無事に神事が終了しました。
熊野大社境内で一番大きな摂社である幸神社のお祭りで、境内にろうそくの火を幻想的に灯し、神事は日の落ちた夜から執り行われます。この日お参りすると、四万八千日お参りしたしたご利益を授けられると言われております。特別な「想いが届く夜、ねがいが叶う夜」として、最近では若い方の参拝が増えてきております。
■日時 8月10日 午後7時 ■場所 幸神社
招魂祭
(しょうこんさい)
北條の地の戦没者遺族らが参列し、境内の北部に鎮座する招魂社にお祭りする、戦没の英霊達の慰霊祭の神事が執り行われます。もともとは郡祭で、当社の神前で郡神仏司祭の神祭が行われてからは、当社の神霊を郡祭の祭場に捧持して神祭が執り行われるようになりました。神事が終われば再び招魂社に捧持し、神霊は永久に神鎮まります、とされています。
■日時 9月23日 午前10時
■場所 招魂社 (修祓) 證誠殿 (慰霊祭)
秋参宮
(あきさんぐう)
毎年執り行われる秋の祈願祭です。 新春の春参宮と同様、伊勢神宮で門外不出とされ、全国で唯一当社のみが直伝を許された太々神楽を奉納するお祭りです。
■日時 10月中旬~11月上旬
秋祭
(あきまつり)
新嘗祭はその年の農作物の収穫を神様に奉告し、感謝するお祭りです。5月に行われた春祭での祈年祭に対し、秋の稔りを感謝する祭りで秋祭りともいいます。神事のあとは、東日本で家庭内祭祀の意味合いが強いとされる、えびす講のお札をお受けすることができます。引き続き執り行われる取子祭では、特に大切な子供が 生まれた際、その身柄を神様に預け、神の思愛守護により無病息災にお守り頂くよう神様に祈誓します。
■日時 11月25日 午前10時(新嘗祭)
午前11時半(取子祭)
年越大祓式 (としこしのおおはらえしき)
新年を迎えるにあたり、6月より半年間の罪穢(つみけがれ)を人形に託し、祓いやる重要な神事です。 神道においてはもっとも大事な神事とされています。年越大祓式により、年中における祭典の締めくくりとなります。 ■日時 12月31日 午後2時
歳旦祭 (さいたんさい)
新年を迎えたその瞬間より開始される祭儀で、皇室の弥栄と国家の隆昌を祈り、皆様の誓いを新たにする祭典です。「この年がよき年であるように」と祈る祝詞が奏上されます。 ■日時 元日 午前0時
2月11日は建国記念日。
平成29年は、初代神武天皇が建国をし、ご即位された日より皇紀2677年を迎えます。
戦争のない平和な世界が訪れることを熊野大社様に祈願し終了致します。 鎹八咫烏 記
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
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熊野大社
〒992-0472 山形県南陽市宮内3476-1 TEL 0238-47-7777 FAX 0238-47-3303
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日原もとこ氏(紅山子 )
東北芸術工科大学名誉教授、アジア文化造形学会会長、風土・色彩文化研究所主宰
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