ZIPANG TOKIO 2020「伊勢の国 日本一やかましい祭り 天下の奇祭『桑名石取祭』祭車総数43台をご覧ください!」


皆さんに、三重県桑名市の名物はと尋ねると、恐らく、まず「焼き蛤」という答えが返ってくるのではないでしょうか?(ほかにも名物は沢山ありますが)。「焼き蛤」は「東海道中膝栗毛」のなかでも描かれています。

ご存知「東海道中膝栗毛」とは江戸時代後期の戯作者、十返舎一九の代表作です。
享和2年(1802)から文化6年(1809)にかけて出版(初編から八編)された滑稽本ですが、 主人公である弥次郎兵衛と喜多八の二人が江戸を出発して伊勢詣をする東海道五十三次での様子が面白可笑しく描かれ、その中で桑名の「焼き蛤」が登場します。かって東映時代劇全盛時に、萬屋(中村)錦之助が弥次さん実弟の中村賀津雄が喜多さんで映画化され大変な評判でした。

その桑名市で昨年末、国指定重要無形民俗文化財の「石取祭」が、他の32の山鉾屋台を使った祭礼行事と共に「ユネスコ無形文化遺産登録」に決定いたしました。

そこで、今回は天下の奇祭と評判の「桑名石取祭」について紹介いたします。

出初め式


桑名の春日神社の石取祭は、江戸時代初期に始まったものといわれ、桑名城下の町人や藩士が楽しみにしていた初夏の祭りです。祭車総数43台、全国的に見ても単一の神社、一神事でこれほどの山車が一堂に会する祭りは非常に珍しく鉦や太鼓を打ち鳴らし、「日本一やかましい祭り」と言われ、平成19年3月には「桑名石取祭の祭車行事」の名称で、「国指定重要無形民俗文化財」に指定されました。

試楽日午前零時、一斉に「叩き出し」が行われるその瞬間の音は、まさに轟音です。それは、この日のために一年を過ごし、この瞬間にすべてを爆発させるからだそうです。

他所からお越しのみなさまには、鉦と太鼓の音がしばらく耳から離れないと思いますが、桑名っ子はこの音を子守唄代わりに眠りにつくといわれています。大変騒々しい、まさに「日本一やかましい祭り」ですが、本楽日の描く祭車の送り込みから、整列をしてる昼間の時間帯には、各祭車の彫刻などをじっくりとご見学ください。

日が落ちてからは、豪華絢爛の祭車の灯火が夜空を焦がしつつ蜿蜒半里(えんえんはんり)に亘って巡行する姿はまさに、一幅の絵と言えます。渡祭前と渡祭後の祭車の表情に違いを感じたり、各町別のいろいろな石取囃子も堪能できます。


石取祭(いしどりまつり)は、桑名南部を流れる町屋川の清らかな石を採って祭地を浄(きよ)めるため春日神社(※桑名総社)に石を奉納する祭りで、毎年8月第1日曜日とその前日の土曜日に執り行われています。 

町々から曳き出される祭車は、太鼓と鉦で囃しながら町々を練り回ります。 試楽(土曜日)の午前0時には叩き出しが行われ、祭車は各組(地区)に分かれ、組内を明け方まで曳き回し、その日の夕方からも各組内を回り、深夜にはいったん終了します。

本楽(日曜日)は午前2時より本楽の叩き出しが明け方まで行われ、いよいよ午後からは各祭車が組ごとに列を作り、渡祭(神社参拝)のための順番に曳き揃えを行います。 浴衣に羽織の正装で行き交う姿は豪華絢爛な祭絵巻を醸し出します。一番くじを引いた花車を先頭に午後4時30分より曳き出された祭車は列をなし、午後6時30分からは春日神社への渡祭が順次行われます。

 渡祭後は七里の渡し跡(一の鳥居)を経て、午後10時頃より始まる田町交差点における4台ずつの祭車による曳き別れが行われるのも見逃すことのできない場面です。


※桑名総社とは


桑名宗社

由緒

桑名宗社 (春日神社) の由緒

「桑名宗社」とは桑名神社と中臣神社の両社をあわせた名称であり、古来桑名の総鎮守として桑名首(くわなのおびと)の祖神を祀っています。

桑名神社は平安時代、延喜式神名帳にその名の見える古社で、御祭神は天照大御神の第三御子天津彦根命と、その大神の御子天久々斯比乃神の二柱です。天津彦根命は国史にも見えた様に御子孫の殊に御繁栄になった神であり、また天久々斯比乃命は神徳霊妙な神で、桑名首(上代桑名の豪族)の祖神であるので桑名の開祖として『繁栄の神様』と仰がれています。

中臣神社も延喜式神名帳にその名を見える古社であり、桑名神社と共に延喜式内社とされています。中臣神社は神護景雲三年(769年)に常陸国鹿島社(茨城県の鹿島神宮)より建御雷神霊が御通過になった基址に祀られるようになりました。御祭神天日別命は神武天皇御創業の時の功臣で伊勢国造の遠祖として仰がれ『厄除けの神様』とされています。中臣神社は山上にありましたが、正応二年(1289年)に桑名神社の境内に遷し奉り、永仁四年(1296年)に奈良春日大社から春日四柱神を勧請合祀してからは「春日さん」と呼ばれています。

その後、御社は繁栄の一途をたどり、織田信長・徳川家康などより神領の寄進、本田忠勝・松平定綱などの歴代桑名城主から篤く崇敬され、明治になってからも元年の御東行・二年の東京遷都と、共に天皇・勅使が御泊りするなどされました。このような崇敬篤く、荘厳な一大社となりましたが惜しくも昭和二十年の戦災で全て消失してしまいました。しかしこの敗戦と焼土の中にあっても氏子崇敬者の深い理解によって立派に再興されるに至っています。

桑名神社

御祭神 天津彦根命 天久々斯比乃命

中臣神社

御祭神 天日別命
相殿 春日四柱神 (建御雷神 斎主神 天児屋根命 比売神)

桑名宗社 (春日神社) の御神徳

子孫繁栄  …  子宝に恵まれ、子供の健やかな成長を守り、家族円満にする御利益 事業繁栄  …  会社などの商売繁盛や目的達成による繁栄と末永く在り続ける御利益 厄除開運  …  悪い事を引き起こす「穢れ」を祓い、開運招福を呼び込む御利益


桑名宗社 (春日神社) の境内

青銅鳥居


「勢州桑名に過ぎたる者は銅の鳥居に二朱女郎」と歌われた日本随一の青銅鳥居で、神社境内から東方25mの所、片町通に面して立っている。寛文7年(1667)、桑名城主 松平定重が寄進、慶長金250両を費し鋳物師 辻内種次に命じて建立させたもので、桑名の名物として今も昔を語っている。(昭和40年12月県文指定)

桑名宗社 御膳水井


この御膳水井は江戸中期より神供用として用いられていたが、明治元年9月25日、明治天皇が桑名にお泊りの際、水質が市内で裁量の故に御膳水として供された。その後市民の飲料水に解放され、産湯から日々の飲料水に至るまで、この井戸の恩恵を受けること多大であった。清洌な神水は今もなお滾々と湧出し尽きるときがない。(昭和47年5月市文指定)

陽石


拝殿に向かって右側の玉垣内に1.8mの岩石あり。これを陽石または一説に夜泣石とも伝えている。終戦前まではこの陽石を前にして高さ約3m、周囲約3.5m程の空洞になった楠の枯木があって、その前面は大きく割れて、性器崇拝の神木として参詣する者が多かった。玉垣内の栗石を拾って楠の上部に投げ、石がうまく乗ると吉、外れると凶とした。

楼門


天保4年(1833)、松平定永によって寄進された三間一戸・重層入母屋造りの楼門で、正面左右には左大臣・右大臣、裏側には金剛力士像が安置され、その姿の美しさは日本一と言われたが、昭和20年の空襲により惜しくも焼失した。平成7年の七百年祭記念事業にて半世紀ぶりに再建されている。


献石


桑名宗社 (春日神社) の宮司さまによると

石取祭とは、桑名神社の大祭である前期桑名祭(比与利祭)の中の一神事であったのが、宝暦年間(1750年代)に分かれたものです。比与利というのは、この祭を行うために桑名市南郊の町屋川へ行き、禊祓し石を選ぶ途中ヒョウリヒョウリと笛を吹き謡ったのから起こって遂にヒヨリ祭というようになったのであると考えられています。

さて、石取祭については石占の説、社地修理の説、流鏑馬の馬場修理の説などがあります(詳しくは下部に記載)が、桑名市の南郊外に流れている町屋川から、徳川初期氏子の人たちが七月七日より十七日まで毎日川へ行き、新しい俵に川の栗石を拾い入れて、小さな車に載せて鉦・太鼓を打ち鳴らし、夜になると提燈をつけて神社へ参り、神前に奉納しました。この小さな車が石取祭車の始まりであります。その後祭車も大きくまた美しくなり、明治・大正・昭和にかけて石取の発展も年々すばらしくなり、これらの祭車の中には百数十年を経たもの、高村光雲・立川和四郎富重・井尻翠雲といった彫刻師により彫刻を施されたもの、祭車に漆を塗ったもの、あるいは天幕に描かれている図柄の豪華なものもあり、その芸術的価値は高く評価されているだけでなく、その時代を生きてきた人びとの心がこもっており、石取祭の歴史を物語るうえでも十分な価値があると思われます。

比与利祭は、石取神事、流鏑馬神事、ねり物神事などを合わせたものであり、その起源については以下の3つの節があります。

一 石占の説  

石によって神意を占う習俗で石を持ってみて重く感じたり軽く感じるのにより神意を判断したり、石を投げて落ちる状態により、これを占う。

二 社地修理の説 

神社の地は海川が近く地が低いので、納涼のはじめに氏子のものが町屋川より石を拾って来て社地に敷き施したが、七夕の行事と合せて、だんだん盛んになった。

三 流鏑馬の馬場修理の説 

比与利祭の流鏑馬神事を行うので、その馬場を修理するために町屋川より石を運んだことにより始まった。


(参考)

東海道唯一の海路「七里(しちり)の渡し」

七里の渡しは、宮宿(現在の名古屋市熱田区)と桑名宿を結ぶ東海道唯一の海路で、その距離が七里(27.5km)であったことから、そう名付けられました。この海上ルートは、東海道の宿駅制度(制定は1616年頃といわれている)が設けられる以前、すでに鎌倉・室町時代から利用されており、古くから東西を結ぶ重要な交通インフラでした。もっと古くは、壬申の乱の際に、吉野から逃れた大海人皇子(後の天武天皇)の一族が桑名から海路、尾張に渡ったという説もあります。

出典:七里の渡し・東海道中図(熱田区歴史資料室収蔵)

桑名 七里の渡し

伊勢国東の玄関口、桑名七里の渡し場跡にある鳥居は、式年遷宮ごとに伊勢神宮宇治橋の鳥居を移して建て替えています。一昨年の平成27年は20 年に1度、建て替えの年でした。  鳥居の建て替えの行事として、伊勢神宮の式年遷宮でのお木曳やお白石持行事で使用している伊勢神宮の一番大きい奉曳車(ほうえいしゃ)をお借りして、桑名市民会館から七里の渡し場跡までの約 1.8kmを、2本の綱(200m)で奉曳します。 桑名ならではの石取祭車と八幡神社獅子舞が先導する、総勢2,000 人規模で行われるお木曳です。

桑名 常夜灯

それでは、最後に当時、江戸っ子によく使われた現代の流行語大賞とも言うべきことわざを紹介します。
「その手は桑名の焼き蛤」

また「東海道中膝栗毛」の弥次郎兵衛・喜多八も、桑名でこの焼き蛤を肴に酒を飲んだ「焼き蛤」

「その手は桑名の『焼き蛤』」当時は枯れた松葉や松笠を燃やしながら焼いたそうです。


今回は、写真のみなので、どうぞその風味を「桑名 石取祭」の当日、実際に現地で味わって下さい。


2017年の桑名「石取祭」は、8月5日(土) と6日(日)の2日間です。
8月5日(土)  試楽  18:00頃~
8月6日(日)  本楽  13:00~ 北市場整列  18:30~ 花車渡祭  22:00頃~ 田町交差点曳き別れ



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使


協力(順不同)

桑名市役所 〒511-8601 三重県桑名市中央町2-37 TEL:0594-24-1136

桑名宗社(春日神社)〒511-0023 三重県桑名市本町46番地 TEL:0594-22-1913 

桑名石取祭保存会 〒511-0039 三重県桑名市京町16番地 石取会館内 TEL:0594-24-6085


ZIPANG TOKIO 2020

2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。 この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、伝統芸能、行事、風習、ものづくりの技の美等、 サイトを通じて、平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです

もしもこのサイトに同じ思いをお持ちの皆様から、素敵な情報や画像をお寄せ戴ければこの上ない喜びです。以下のEメールアドレスへご連絡下さい。

E-mail aromajinja@gmail.com ( ZIPANG 2020 編集部 )。

2020, will be held the Olympic Games and Paralympic in Tokyo.

On this occasion, for the little-known beauty of the spiritual culture and national land of Japan to the people of the world I think that if we help to re-discover.

Climate, nature of the four seasons, of food, clothing and shelter cultural beauty, traditional arts, events, customs, beauty, etc. of the work of making things,

Through the site, peaceful country, a strange country, if the interest is more depth or round to ZIPANG Japan, is where I want secretly.


写真ご協力:高山祭(高山市)/ 富士山(富士市)

ZIPANG TOKIO 2020

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