寄稿文
今は記憶も薄らぎ、ただ残っている当時の鮮烈な驚きを追体験したいという思いから、仲間2名を誘い能登半島を1泊2日間の駆け足で巡ってきました。それは今から凡そ25年程前に私が所属する学会のエクスカーションで訪れた象設計集団による縄文真脇の環境デザインと国指定文化財の時国家住宅のことです。
象設計集団による縄文真脇遺跡温泉の環境デザインの今
起点だった金沢市は北陸新幹線の開通に伴い、見どころ一杯の拠点は、貸衣装で可愛く変身した若い女性グループと海外観光客が至るところでごった返すほどの賑わいで、今はまさに加賀百万石文化はウケに入っていました。
従来のお定まりお嬢様友禅晴着と違い、手拭いや千代紙に使われる江戸小紋調の紋様を多彩に活かしながら、町娘風でグループでたむろしていても、全体に違和感なく互いが調和している… 確かに街中の新しいアクセントになっていますね〜 新鮮な発想に思わずほっこり!
あまり可愛いらしいので「千代紙ドール」と命名いたしました
象設計集団の縄文真脇遺跡環境デザインの今…
縄文真脇の本館入り口のデザインは昔の雰囲気を保ってはいましたが、そこは、現在リゾートホテルになっていて、そこから下方に向かって造られていた楽しげな木の国ランドのコンセプトは何処へやら?幾つもの木製階段が何処までも続く世界観が全く消失していて、がっかり! 実はそこに宿泊し、ホテルそのものは清潔で心地よくも、木の国ランドを活かしておらず、それ以上に遥か下方にその貴重な縄文土器から発想した造形物が遊歩道(縄文の渦巻文様が線刻されたペーブメント)のあちこちの叢に放置された侭、気づかれずに寂れていました…… そこで以前一番見たいと思った肝心のストーンサークルならぬ日本では珍しいとされる巨木文化、ウッドサークルを見逃した為、今回はそのリベンジも兼ねて探してみました。 暫く坂道を下ると、かなり下方にそれはあり、胸を踊らせたものです。
しかし、今やホテルさえもその類のPRパンフなど見つからず、一っ子一人訪問客も居らず、広大な敷地にそそり立つウッドサークルはかえって、その祈りの空間に相応しいオーラを漂わせて居ました。 縄文真脇遺跡は今から6000年〜2000年前に栄えた実に4000年もの長期間続いた集落だったようです。ちなみに、三内丸山遺跡の場合は約5500年前から1500年間、縄文前期 〜中期にかけて栄えたことから比べると、その全国的認知度には、余りにも扱いに格差がありすぎでは?と、思った次第です! それにしても、実に勿体無いな〜と段々腹が立って来ました。 いま、北陸新幹線開通も重なる加賀百万石金沢は確かに輝き、眩しいほどの文化です。しかし、一方でこうした気の遠くなるような歴史を築いた大祖先があらばこそ、今日の繁栄です。その文化をなおざりにする全国自治体の風潮は何処も皆一緒!底が浅いと言わざるを得ません。経済優先主義が見え見えの県観光政策の価値観に呆れた次第です。 でも、やっと30年ぶりにして再会できた縄文真脇遺跡ウッドサークルには深い感動がありました。
縄文真脇遺跡ウッドサークル
国宝重要文化財 本家上時国家住宅
私が訪れた当時に抱いた正直な感想は、平家の落人といえば、山また山を越えた奥深い山里、飛騨の白川郷とか、徳島県の僻地祖谷地方などの如く、如何にも隠れ里然としているのに、この時国家住宅は威風堂々、泰然自若としていて、身分の高い方は保証されているのかな〜でした。
国宝重要文化財 本家上時国家住宅
江戸後期(170年前)に、名工「安幸」が28年かけて完成させた巨大民家で、入母屋萱ぶきの大屋根の高さは18メートル、正面玄関は総欅の唐破風造りになっている。 大屋根を支える巨大な梁は、周囲が2メートルの松の芯材を使用している。 内部は、表向きに大庄屋様式の公務用座敷、裏向きに私用部屋を配した構造になっている。
坂の下から門に向かう
門正面
左斜め全景 主屋の大屋根の高さは18mと言われ、4~5階建てのビルに匹敵するそうです。
左側面
庭斜め全景
縁側から庭園
庭園
正面全景
太い梁の通った土間正面
土間・昔懐かしい杵と臼
台所・土間
茶の間から台所を眺める
茶の間
茶の間に祀られた神棚
上広間・市松折上げ格天井、襖は家紋入り
御前の間・欄間の彫刻に注目
御前の間は大納言格式の間であり、御簾が掛けられているもので、見学時は上部に巻き上げられていましたが、本来、我々平民が近付くことすら叶わぬお部屋は、木の柵が設けられ、聖域は確かにオーラで護られていました。……時代も変わり、見学料さえ払えば勿体無くも、こうして写真撮影も許される世となりました。
以下の説明文は 「時国家(本家 上時国家)」より 祖先は、800年前に能登に流された「大納言・平 時 忠・・・平 清盛の義弟」と伝えられ、子の「時国」を初代として現在で25代目。江戸初期から300石の豪農として天領大庄屋を務め、江戸後期に21代当主が現在の巨大で格式高い屋敷を28年かけて建造した。現存する近世木造民家では最大級である。 大庄屋屋敷として公用部分と私用部分を分割した構造で、公用部分の中心に大納言格式を示す「縁金折上格天井」の「大納言の間(別名 御前の間)」を配している。広間の襖には、家紋でもある平家定紋の「丸に揚羽蝶」を金箔で描いて連ねている。座敷の境上部には両面彫りの欄間を飾り、御前の間の欄間は蜃気楼を描いた珍しいものである。 広い空間を占める土間は、この巨大な建物を支える柱・梁組と、萱ぶき大屋根の内側構造を見ることができる。 総欅造り唐破風の正面玄関も民家では珍しい。 私用部分の部屋には、現在は展示品を陳列している。 大庄屋の公務用品、千石船用品、日用品などで、極初期の輪島塗の器は美術品として評価が高い。 鎌倉風の池泉回遊式庭園は、背後の山を自然に組み込んだ巧みな構成で、素朴ではあるが力強い作風であり、国の名勝に指定されている。
時国家(本家 上時国家)
石川県・奥能登・輪島 国指定 重要文化財(建物)・名勝(庭園) 189坪の最大級古民家、大納言格式の貴賓室 最大級の木造民家、平家第一の実力者「平時忠」の子孫
お問い合わせ
〒928-0204 石川県輪島市町野町南時国
tel. 0768-32-0171
付記 : オマケの写真 ①時国家の豪壮な梁組技術の美 沢山の収穫がありましたが、今回は特別に感動したワンショット、上時国家の豪壮な梁組技術と土間から全てが透かして見えるその見事な構造美 (上記下線記述部分)にみるその豪快な高さ(最上部四角形開口部分が点の様に光って見える)には息を呑むばかりでした。
②世界農業遺産「能登の里山里海」にみる白米千枚田 もう1枚は、輪島市から車で20分位走れば有名な海沿いの崖下迄続く棚田が見えてきます。それが"白米千枚田"で、未だ春も浅く季節外れでも、当日は珍しく晴天に恵めれ、チャンスとばかり立ち寄りました。果たして宝石の様なコバルトブルーとターコイズブルーの海の色が枯れた棚田を引き立ていて、思わず唸りました。
オーナー田には小泉純一郎元総理はじめ。さいとうたかお氏、ちばてつや氏 など著名人のお名前も・・・
【寄稿文】 日原もとこ
東北芸術工科大学 名誉教授 / 風土・色彩文化研究所 主宰 /
日本デザイン学会名誉会員 / 日本インテリア学会名誉会員 /まんだら塾長
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発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)
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