城端曳山祭は「越中の小京都」と称される城端の江戸時代中期より続く春を彩る城端神明宮の祭礼。
先頭に立つ獅子舞と剣鉾が悪霊を鎮め邪鬼を払い、続く傘鉾が神霊をお迎えします。その後を庵屋台の情緒あふれる庵唄、伝統の城端塗の粋を尽くした曳山が続きます。夕刻からは提灯山となり、日中とは違う風情を楽しめるのも魅力。また、神様を迎える6箇所の山宿が見られる宵祭りも必見である。
5月4日宵祭、5月5日本祭が行われ、国の重要無形民俗文化財に指定されており、2016年12月、国内18府県33件の「山・鉾・屋台行事」のひとつとしてユネスコ無形文化遺産に登録されました。
「山・鉾・屋台行事」は,地域社会の安泰や災厄防除を願い,地域の人々が 一体となり執り行う,各地域の文化の粋をこらした華やかな飾り付けを特徴と する「山・鉾・屋台」の巡行を中心とした祭礼行事である。
祭に迎える神霊の依り代であり,迎えた神をにぎやかし慰撫する造形物である 「山・鉾・屋台」は,木工・金工・漆・染織といった伝統的な工芸技術により 何世紀にもわたり維持され,地域の自然環境を損なわない材料の利用等の工夫 や努力によって持続可能な方法で幾世にもわたり継承されてきた。
この行事は、旧城端町の城端神明宮の春の例祭で行われる行事で、獅子舞、神輿、鉾、曳山、庵屋台が町内を巡行する。 4日の宵祭りでは、神明宮から3台の神輿が御旅所まで渡御する。各山町では曳山と庵屋台を組立て、神像を山宿に飾り付けて公開する。5日は、神輿の渡御に続いて、鉾、曳山、庵屋台が巡行する。これらを曳くのは周辺部の人びとである。曳山は、二層四輪形式で彫刻や飾り金具で装飾された漆塗りの豪華なものである。庵屋台は、底抜け屋台形式で、上部の飾りは精巧な作りである。囃子を演奏しながら巡行し、途中随所で若連中により庵唄が披露される。
宵祭り
5月4日の夜は、野下町と新町の南端に隔年交替で築造される御旅所に、神社を出御された神様がお移りになる御旅の夜。このように、神社境内以外の場所に御旅所が建てられたのは、藩政時代には城端にだけ許されていた特例でした。六カ町の若連中はその年の曳山順に従って御旅所へ参拝し、各町の庵唄を奉納します。宵祭は、日が暮れると町民たちが家族連れで御旅所に参詣し、各町の飾り山を見て歩きます。
同じ日、曳山会館の広場では浦安の舞(午後7時)、南町の獅子舞(7時30分)、6カ町若連中の庵唄合同披露の演奏(8時)が行われます。その後、若連中は自町内をねり歩きます。
城端曳山祭の大きな特色「庵屋台」から奏でられる庵唄
城端曳山祭の本祭当日、曳山会館前で披露される6カ町の「庵唄」
江戸時代の端唄を発祥とする庵唄は、城端の先人達が江戸から持ち帰った粋な文化に浸ったという遊び心あふれる文化が現在まで継承されているものである。
【城端曳山祭り】
越中の小京都・城端の春を彩る、城端神明宮の祭礼。先頭に立つ獅子舞と剣鉾が悪霊を鎮め邪鬼を払い、続く傘鉾が神霊を迎える。その後を庵屋台の情緒あふれる庵唄、伝統の城端塗の粋を尽くした曳山が続く。夕刻からは提灯山となり、日中とは違う風情を楽しめるのも魅力。また、神様を迎える6箇所の山宿が見られる宵祭りも必見である。
行程
■5月4日(宵祭) 18:00~21:00頃
宵祭では山車の曳き回しはありません。御神像のない曳山と庵屋台が各町内に展示される。御神像は各町の山宿に飾られる。(飾り山)
「山宿」または「山番」というのは、5月4日の宵祭に御神像を飾って一般に公開する家のことである。そして山宿に御神像を飾ることを「飾り山」と称している。その年の山宿にあたった家は、家の内部の改装や畳の入れ替え、調度品の買込みを行う。 宵祭当日には御神像に御神酒や赤飯を供え、豪華な屏風を立て、綺麗な生花を飾る。香りの豊かな朴の花、色鮮やかな牡丹や藤など、季節の花を展示する祭りでもある。
4日、日が暮れてからライトアップされる山宿を順に見て回るのが町の風習となっている。 この晩、山宿の主人は、新しい寝巻きに着替え、いざというときには御神像を担げるよう御神像に縄が結ばれていることを確認し同じ部屋で床につく。
近年は山宿スタンプラリーを行い、6カ町のスタンプを集めると先着で庵唄のCDをプレゼントをするといった催し物も行っている。この他、宵祭りでは午後7時より曳山会館前にて浦安の舞、獅子舞披露、午後8時より庵唄合同披露などを行う。
午 前
曳山・庵屋台を山蔵から出す日
城端曳山会館に展示されていた3台の入魂式を行い、各町へ返還される。また、別の3台は早朝山蔵から出して組み立て、御神像を各山宿に飾る。
なお、祭りが終わった6日には、前の3台と交替する曳山・庵屋台・傘鉾が曳山会館へ収められることになり、抜魂式を行う。
18:00~
庵唄奉納
御旅所である「伝統芸能会館じょうはな座」にて六カ町の若連中が順番に庵唄を披露する。
18:30~21:00
庵唄合同披露
城端曳山会館前特設ステージ
※椅子300席(無料)ある。
※雨天中止
■5月5日(本祭) 9:00~22:30頃
本祭では、先に獅子舞・剣鉾・傘鉾に先導された神輿の渡御行列が開始となる。9:30になると、城端別院前で曳山・庵屋台が合流し、曳山巡行の開始となる。
早 朝
御神像を山宿から曳山の上へ移し、曳山・庵屋台の準備を整える。
8:30~
神輿の渡御行列出発
各町の傘鉾・剣鉾・獅子舞が御旅所(伝統芸能会館じょうはな座内)に集まり、8:30頃、春日宮・八幡宮・神明宮の三基の神輿と子供神輿を先導するかたちで渡御行列が出発する。渡御行列は御神楽料献納の家々をまわり、午後3時頃神明宮へ還御する。
9:30~
曳山・庵屋台巡行開始
城端別院善徳寺前に剣鉾と8本の傘鉾・6台の曳山・庵屋台が揃い、曳山・庵屋台は行列となって巡行を開始する。まず、水月寺にある曳山功労者碑へと向かい(9:45頃)夜22:00頃まで庵唄を奏でながら氏子町内をまわる。
野下→今町→東上→西下→東下→西上
12:30頃~
休憩
先頭の町から随時休憩に入る。休憩の間は巡行が止まる。
13:00頃
一大勢揃い
剣鉾~八本の傘鉾~六カ町の庵屋台と曳山が整列する。
13:30~
東上(宗林寺町)→大工町
14:00~14:30頃
曳山会館前庵唄披露 ~第1回目~
曳山会館前にて、六カ町の庵唄を披露し、カラクリ人形(あやつり人形)を動かす。このときに、各町の曳山や庵屋台の構造や特徴についての解説が行われる。
その後、西上→西下→出丸町
17:00頃
出丸坂引き返し
巡行路の北端「出丸坂」でUターンをします。
曳き手が車輪の音を大きく響かせて、一気に山車を反転させます。
18:00頃~
休憩
この間、曳山・庵屋台に提灯をつける。
19:00頃~
提灯山巡行
日が暮れ、提灯山となった曳山・庵屋台が、庵唄を奏でながら静かに町を練り歩きます。東下→東上→大工町→新町
20:00頃
曳山会館前庵唄披露 ~第2回目~
22:00~22:30頃
帰り山
巡行路の南端「南砺市役所城端庁舎前」にて曳山・庵屋台がUターンをする。この後、曳山・庵屋台はそれぞれの町内へと帰って行く。
曳山祭りの成り立ち
福満の里から来往、真宗大谷派城端別院「善德寺」山門(4月26日「善德寺」特集にて改めて紹介いたします)
永禄2年(1559)城ヶ端城主荒木大膳の招きにより、浄土真宗の善徳寺が福満の里から来往すると、門前を中心に市場も開かれ、寺内町が形成された。また、人口も増加して絹織物などの生産も盛んになった。
城端神明宮は、天正2年(1574)に北野村より勧請され、貞享2年(1685)には社殿を再建し、春秋の祭りも始まった。元禄6年(1693)には、家数686戸、人口3809人となり、町並みも次第に整えられていった。
その頃の城端は絹織物の町として繁栄し、京都との文化交流によって元禄文化の花も開いた。ところが、享保期になると経済が不況となり、その打開のためも人々は神をまつり、招福除災、町内繁栄を願った。
享保2年(1717)に神輿がつくられ、獅子舞や傘鉾の行列も始まり、享保4年8月15日の祭りには曳山ができて、享保9年には神輿の渡御にお供した。
文政年間(1818~30)には城端絹が江戸へも移出され、化政文化の影響を受けて庵唄や庵屋台が整備され、優雅な曳山祭になった。しかし、幕末から明治にかけては、社会不安のために曳山祭が中止されることもあった。
そのような中で、明治6年(1873)から太陽暦が採用され、曳山祭は5月15日となった。また、曳山や庵屋台の装飾も次第に豪華となり、今日に継承されている。
城端曳山祭りの特色
春日宮・八幡宮・神明宮の3基の神輿を先導して、獅子舞・剣鉾・8本の傘鉾・四神旗などが行列し、さらに庵屋台と曳山が神輿の渡御にお供して巡行するという、古い神迎え行列の形式を残したまま、現在まで伝わっていることが城端曳山祭の大きな特色である。このことが国の重要無形民俗文化財に指定された大きな理由でもある。また、曳山を先導する形で各町の特徴ある庵屋台が進む。庵屋台は京都祇園の一力茶屋や江戸吉原の料亭を模したもので、中では十数人の若連中が優雅な庵唄を演奏する。
庵屋台から奏でられる典雅な音律― 先人の粋な遊び心から生まれたのが庵唄である。 城端の絹織物が江戸や上方で取引されるようになると、当時流行った江戸端唄が祭の屋台唄として浸透するようになる。庵屋台は京都の一力茶屋や江戸吉原の料亭を模したもので、ミニチュアの欄間や暖簾のつくりもとても精巧なものである。 庵屋台には囃し方となる若連中が乗り込み庵唄を奏でる。庵唄は江戸端唄を源流とし、囃子は三味線・横笛・太鼓で演奏される。庵屋台の進行中に演奏する『まわりあい』『先囃子』、休憩中に演奏する『休み囃子』、御旅所まで神輿を迎えに行くときの『本囃子』の3種類の曲があり、数十曲ある持ち歌の中から毎年選び替えて唄われる。絢爛豪華な曳山を目で楽しみ、粋な庵唄に耳を傾ける。まるで料亭のお座敷にいるかのように感じる粋な祭りが城端曳山祭なのである。
庵屋台に乗り込む唄い手・囃子方は、若連中と呼ばれる各町の20~30代の若者で構成されている。若連中は社会人になってから数え45才までの男性と決まっており、その年を越えると世話役にまわることになっている。現在町に100人以上いる若連中は、正月になると寒稽古を始め、5月の本稽古まで修練を重ねて、本番の曳山祭で演奏を披露する。稽古ではプロの指導者を招き、その教えを仰ぎながら演奏の鍛錬と伝承に励んでいる。小さな町にこれだけ芸事に通じた人々がいるのもこういった努力の積み重ねがあってこそといえる。
町名 曳山 御神像 庵屋台 傘鉾
西下町 堯王 諫鼓山 数寄屋造りの二階建、主屋、離れ二棟の料亭を模した庵 太鼓に金鶏
東上町 鶴舞山 寿老人 江戸吉原の料亭を模した庵 金の鶴に岩波
大工町 千枚分銅山 関羽・周倉 平安貴族在原業平の別荘を模した庵 千枚分銅
西上町 竹田山 恵比寿 京都祇園の一力茶屋を模した庵 争鈴と玉手箱
東下町 東耀山 大黒天 格子造りの構造で、格調高い江戸情緒を漂わせている庵 打ち出の小槌
出丸町 唐子山 布袋 庵と水引幕の間に、他の木彫刻のものと違った、簡略で風情のある寄せ造り物の欄間をはめこんでいる 冠に蛙
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同)
(一社)南砺市観光協会
〒939-1842南砺市野田1058-1 TEL 0763-62-1201
真宗大谷派城端別院 善德寺〒939-1863 富山県南砺市城端405 TEL 0763-62-0026
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号 03(5253)4111
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