ZIPANG TOKIO 2020「『天皇家の鵜飼 』~ 織田信長が考えた至高のおもてなしこそ 長良川鵜飼 ~ 」

天皇家の鵜飼

1300年の伝統、今に伝える「岐阜 長良川の鵜飼」鵜匠、船頭、鵜の三位一体の妙技

織田信長も眺めた金華山・岐阜城から鵜飼の長良川を望む

井口を岐阜と改名した織田信長の居城・岐阜城。まさに天下は信長の足元にあり

鵜飼の行われる長良川方面からの満月の夜の岐阜城の眺め

織田信長の天下布武「七徳の武をもって天下を制す」

長良川に金華山あり、頂上の岐阜城・城内の織田信長の像と武具

「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」松尾芭蕉翁作品の傑作の一句
岐阜の長柄川(長良川)の鵜飼は世間の評判通り面白く楽しい 、かがり火が消え鵜舟が去った後のなんと名残惜しいことか。

旅に生きた漂白の詩人 松尾芭蕉翁
(伊賀市「俳聖殿」内に安置されている伊賀焼の芭蕉座像、10月12日のみ公開)

長良川鵜飼のはじまり

美濃国(現在の岐阜県)では、7世紀頃から鵜飼が行われていたと言われています。正倉院に納められている文書の内、美濃国と伝えられる702(大宝2)年の戸籍に、「鵜養部目都良売(うかいべのめづらめ)」という記述があります。この人物は、鵜飼を生業としていた集団の出身と推定されており、長良川鵜飼が1300年以上の歴史を持つとする由来となっている。
室町時代になると、将軍足利義教が墨股川(長良川)で鵜飼を観覧したという記録や、前関白太政大臣の一条兼良が現在の岐阜市鏡島の江口付近で鵜飼を観覧したという記録が見られる。

奈良『正倉院』に収められている文書「鵜養部目都良売(うかいべのめづらめ)」の記述


天皇家の鵜飼

1878(明治11)年、明治天皇の岐阜巡幸中に随行した岩倉具視らが鵜飼を観覧し、天皇に鮎が献上されました。
このころから、岐阜県は宮内省(現在の宮内庁)の管轄の中でその庇護を得ようと考え、宮内省に対して、皇室専用の「御猟場(ごりょうば)」と、管理官の「監守」、御猟場で漁をする公式な役職としての「鵜匠」の設置を願い出ました。その結果、宮内省は1890(明治23)年、長良川流域の3か所を御猟場(現在の御料場)と定め、通年の禁漁区としました。同時に、鵜匠は宮内省主猟寮に所属し、ようやく安定した地位を得ることができました。


鵜飼の歴史

鵜飼のあらまし

鵜飼とは、鵜を巧みに操って川にいる魚を獲る漁法のことです。  日本での鵜飼の起源は、稲作とともに中国から伝承したとする説、日本と中国で別個に発生したとする説があり、定かではありません。各地の古墳から鵜飼を表現しているとみられる埴輪が出土しているため、少なくとも古墳時代には鵜飼が行われていた可能性があります。文献では、7世紀初めに中国で成立した『隋書』「東夷伝倭国条」や、8世紀に日本国内で成立した『古事記』『日本書紀』などに、鵜飼に関する記述が見られます。

織田信長の愛した鵜飼

鵜飼を「見せる(=魅せる)」ことでおもてなしの手法として最初に取り入れたのが、織田信長です。1568(永禄11)年6月上旬、武田信玄の使者である秋山伯耆守(ほうきのかみ)が、信長の嫡男・信忠と武田信玄の娘・松姫との婚約に伴い、祝儀の進物を届けに岐阜の信長のもとを訪ねました。岐阜来訪から三日目、信長は秋山伯耆守を鵜飼観覧に招待しました。この時、信長は鵜匠を集めて鵜飼を見せるように命じています。また、秋山伯耆守の乗る船を信長が乗る船と同様にしつらえたり、鵜飼観覧後も、捕れた鮎を信長自ら見て、甲府へ届けさせる鮎を選んだりするなど、信長流のおもてなしが最大限に発揮されていました。


将軍家の保護を受けた鵜飼

1615(元和元)年、大坂夏の陣からの帰りに岐阜に滞在した徳川家康・秀忠父子が鵜飼を観覧したと伝えられています。その際食した鮎鮨を気に入ったのでしょうか、同年、将軍家への鮎鮨献上が始まりました。同時に、鵜匠には川の自由な航行や、冬に鵜の餌を求めて餌飼(えがい)をすることが認められるなど、さまざまな特権が与えられました。

「長良川鮎鮨図巻」(明治時代/岐阜市歴史博物館蔵)

1646(正保3)年、初代尾張藩主徳川義直の鵜飼上覧を皮切りに、歴代尾張藩主による長良川鵜飼の上覧が慣例とされてきました。また、1688(貞享5)年6月、松尾芭蕉は岐阜を訪れ、弟子とともに鵜飼を観覧しました。その時に詠んだのが「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」です。

長良川上覧鵜飼図(狩野晴真筆/江戸時代後期/岐阜市歴史博物館蔵)


海外のVIPも絶賛

1922(大正11)年、イギリスのエドワード皇太子が長良川鵜飼を観覧しました。その他にも、国内外の賓客が多数、長良川鵜飼を観覧しています。世界の喜劇王チャールズ・チャップリンは、1936(昭和11)年と1961(昭和36)年の2回長良川鵜飼を観覧しており、「ワンダフル!」を連呼し、鵜匠を「アーティスト」と呼んだとも伝えられています。

現在長良川鵜飼は、毎年10万人を超える観光客が鵜飼観覧を楽しんでいます。昭和40年代には、30万人を超える観覧者数を記録したこともあります。  このかけがえのない日本の宝を世界の宝に、そして未来へと継承していくために、岐阜市は長良川鵜飼のユネスコ無形文化遺産登録を目指しています。

写真の時代は、団体のお客様が多く、なかなか予約が取れませんでしたが、今は、ご家族やお友達等と、ゆったりと楽しんでいただけます。歴女、聖地巡礼、女子会の皆様もどうぞいらして下さい!(岐阜市広報広聴課蔵)


卓越した鵜飼漁の技術

国重要無形民俗文化財

ぎふ長良川鵜飼は、平成27年3月に「長良川の鵜飼漁の技術」として国の重要無形民俗文化財に指定されました。農林水産業に関わる技術の指定は日本初です。

無形民俗文化とは、日本の風土の中で生まれ、現代まで受け継がれてきた無形の文化財です。わが国にとって特に重要であるものが、国の重要無形民俗文化財に指定されます。

[文化財の特色]

鵜飼漁には、漁師自らが川に入って徒歩で行う徒歩(かち)鵜飼と船に乗って行う船鵜飼があり、船鵜飼は鵜の扱い方から鵜に縄をつけて操る繋ぎ鵜飼と鵜を放って行う放ち鵜飼に分けられる。我が国では、徒歩鵜飼と船鵜飼での繋ぎ鵜飼が広くみられ、前者から後者へ展開する中で、多くの鵜を扱えるようになったとされる。

本件は、船鵜飼での繋ぎ鵜飼にあたり、他地域の繋ぎ鵜飼と比べて操る鵜の数が多いことから、最も発達した鵜飼漁として技術の変遷の過程を示している。
また、川面を照らすために篝火を用い、鵜匠の継承も厳格に行われるなど、伝統的な技術を伝えており、地域的特色も顕著である。(「文化庁資料より」)


首結いの結び加減

まわし場で、鵜匠が鵜に結う「首結(くびゆ)い」と「腹掛(はらが)け」。特に首結いは、その日の漁獲を左右するため、鵜匠の重要な技術の一つに数えられています。  首結いの紐は、鵜匠が麻の繊維を撚(よ)ったものを用います。鵜の首に当たる部分は緩く撚り、縛る部分はきつく撚ります。麻を素材とするのは、鵜にとって触れ心地が良いことに加え、水に濡れると締りやすいからだと言われています。

出漁時刻が近づくと、鵜匠は首結いを鵜の首の付け根あたりに結います。大きな魚が首で止まり、小さな魚が首を通って鵜が食べられるよう、長年の経験に基づき最適な結び加減で素早く結います。また、首結いがずれるのを防ぐため、首の後ろから左右の羽根元を通して腹に紐をつけます。これが腹掛けです。


船上における洗練された動作

鵜匠は鵜舟の上で、魚を捕らえた鵜を船縁に引き上げ、吐け籠に魚を素早く吐かせたり、火の勢いが弱くならないよう、篝に松割木を足したりするなど、複数の動きを同時かつ迅速に行わなければなりません。
中でも特に重要な動作は、「手縄(たなわ)さばき」です。手縄とは、鵜と鵜匠を繋ぐ縄を指し、鵜匠は最大12本の手縄を左手で握ります。手縄の動きを指で感じて鵜の動きを測るために柔らかく握り、鵜が動いた時に親指で抑え込みます。この力加減が大切です。鵜が動けば次第に手縄はもつれ、絡まっていきます。絡まりすぎると手縄が短くなり、鵜の活動が制限されてしまいます。そこで鵜匠は、絡まった手縄を右手で引き抜き、左手に戻します。この一連の動作が手縄さばきです。


鵜舟の操船

鵜舟の船頭は、艫(とも)(船尾側)に乗る「艫乗り」と、鵜匠の背の横に乗る「中乗り」がいます。艫乗りは操船の責任者で、中乗りは操船や鵜匠の補助を行います。  船頭は、鵜や鵜匠と呼吸を合わせ、漁がしやすいよう気を配りながら鵜舟を操船します。川を上ったり、急に方向を変えたりする場合は竹製の棹(さお)を使用し、流れに乗って下ったり、方向を微調整したりする場合は、木製の櫂(かい)を使用して操船します。川の流れ、鵜が鵜舟を引く力、風の向きやその強さなども計算に入れた上で操船しなければなりません。特に、瀬を越える際は、川の流れも速く、鵜も魚をたくさん捕るため、船頭の腕の見せ所です。


鵜の飼育

 鵜匠は、鳥屋に20羽以上の鵜を飼育しています。鵜を1羽ずつ識別し、それぞれの性格などを把握しています。鵜の体調や性格、季節、川の様子などを考慮し、その日の漁に連れて行く鵜を毎日決めています。体調の良くない鵜には決して無理をさせず、よく働く元気な鵜でも時々休ませたりします。
鵜匠は2羽の鵜をペアとして飼育します。この2羽の鵜を「カタライ」と呼びます。シントリの頃に相手の鵜をあてがってやり、鵜籠の中の同じ仕切りに入れて飼育することでカタライの関係が作られていきます。カタライになると、それぞれ喧嘩をしなくなったり、鵜を扱いやすくなったりします。


シントリの訓練

シントリが鵜匠家に届けられてから、鵜匠による訓練が行われます。  最初はシントリも人間を嫌がって暴れます。そのため、シントリの嘴を「ハシガケ」という木片に紐で固定することで、狭い鵜籠に慣れないシントリが嘴を傷つけないよう、鵜の嘴で鵜匠が怪我をしないようにします。そしてしばらくは他の鵜と離して鵜籠に入れ、鵜匠がこまめに触れたり、手縄をつけて川へ連れて行き泳がせたりすることで、少しずつ環境に慣れさせていきます。

その後、様子を見て鳥屋やプールで他の鵜と一緒にし、ハシガケも外していきます。鵜飼シーズンが始まると、時期を見計らって漁に連れて行き、潜ったり魚を捕まえることを周りの鵜から覚えさせます。

慣れない間はひっくり返って流される


鵜飼を支える道具

鵜舟

鵜匠や船頭は、「鵜舟」と呼ぶ舟に乗って鵜飼漁を行います。  鵜舟は、水に強く、軽くてよくしなる槇(まき)が用いられます。全長約12m、中央の幅は約90㎝。舳(へさき)(船首側)と艫(とも)(船尾側)がほぼ対称となっており、川の流れに乗りやすく、波を立てずに進めるよう、舳と艫に反りがついています。舳の平板には穴が空けられており、篝のついた棒を差し込みます。この時、穴に槿(むくげ)の葉が付いた枝を入れることで、樹液が出て、篝棒が回転する際の摩擦を防ぐ役割を果たします。
かつて、船外機を使用する以前は、風があれば鵜舟に帆柱を立て、帆を張って上流に上っていました。風が弱い時は、鵜舟にめばり棒を立て、そこに引綱を結び、船頭が河原に下りて綱を引いて上りました。


様々な種類の籠

鵜飼には、様々な種類の竹製の籠が用いられます。
鵜を入れて、鵜舟に積み込む運搬用の「鵜籠」には、4羽入れる「ヨツザシ」と、2羽入れる「フタツザシ」の2種類があります。材料には淡竹を用います。真竹に比べて皮に粘りとつやがあり、硬い割に良く曲がるのが利点です。ヨツザシは、中央をヘダテと呼ぶ桧板で二分し、カタライが2組入ります。籠の中央が膨らみ、鵜の居心地がいいように作られています。
その他、鵜匠の家で鵜が暮らすための「鳥屋籠」、鵜舟の上で鵜が捕らえた魚を吐かせるための「吐け籠」、茨城県日立市十王町で捕獲されたシントリを届けるための「輸送籠」などがあります。


鵜匠装束

鵜匠は、伝統的な装束に身を包んで鵜飼漁をします。
「漁服」は、鵜匠の仕事着です。夜の漁で鵜が驚かないように、黒色または濃紺色の木綿布で作られています。「胸当」は、漁服の開いた胸元から篝の火の粉が入らないようにするものです。「風折烏帽子(かざおりえぼし)」は、黒色または紺色の麻布で作られています。頭に巻き、篝の火の粉で頭髪や眉毛が焼けるのを防ぎます。
「腰蓑」は、鵜匠の体が濡れて冷えるのを防ぐために腰に巻きつける蓑です。シーズンオフに、熟練の技術により作られます。「足半(あしなか)」は、鵜匠や船頭の履物です。足裏約3分の1の長さで作られており、滑りやすい鵜舟の中でも足をとられずに踏ん張りがききます。

このたび、岐阜市は鵜匠が身につけるわら製の装束を作る技術を市重要無形民俗文化財に指定。



餌飼で使用された道具

鵜匠は休漁期間中、鵜の餌に冷凍のホッケなどを与えて飼育しています。しかし、以前は、鵜と鵜匠が鵜舟でともに生活しながら、魚を求め小河川を巡り、冬季の鵜の餌を確保してきました。これを「餌飼(えがい)」と言います。
餌飼には3種類あり、まずは鵜舟に乗り、日帰りで隣接する河川に出かける「川餌飼(かわえがい)」を行います。次いで、餌飼車に鵜籠を乗せて川に向かう「陸餌飼(おかえがい)」、その後、再び鵜舟に乗り、泊りがけで出かける「泊り餌飼」を行います。泊り餌飼では、船に柱をとりつけて棟桁を渡し、屋根をかけて船で寝泊まりできるようにしました。また、「せんじ」と呼ぶ炊事用具を持ち込み、船内で料理もしていました。


江戸時代・明治時代の道具

鵜匠家には、江戸時代、尾張藩主が鵜飼を上覧した際に鵜匠が着用したとされる胸当が伝来しています。白地の絹や紺色の羅紗に、鵜匠家の家紋を刺繍した美しい胸当です。他にも、当時鵜匠が餌飼などに行く時に着用した羽織や、尾張藩御用の鵜飼に使用した提灯なども伝来しています。

明治時代の道具としては、宮内省御用の鮎を輸送するのに使用した箱とせいろがあります。表面には、黒漆で「式部職」と墨書されています。また、丸形の弓張提灯で、火袋の表面に「宮内庁」という文字や宮内庁の紋などが墨書されているものもあります。

このように、江戸時代や明治時代の道具には、尾張藩や宮内庁などとの関わりがうかがえる資料が多くみられます。

宮内省御用鵜鮎逓送用箱

主猟寮提灯


戦国武将が愛した「清流・長良川がもたらす自然の恵み」信長から家康へ

戦国のロマンを今も感じさせる金華山と山頂にそびえる岐阜城を背景に、名水100選に選定されている清流長良川でぎふ長良川鵜飼は行われています。漆黒の闇の中、赤々と燃える篝火を川面に映し、鵜匠と鵜が一体となって繰り広げる古典漁法「鵜飼」は、現在を忘れ千古の昔にタイムスリップしたような幽玄の世界へと誘います。

鵜飼は鵜匠が鵜をあやつり魚を捕える漁法で、およそ1300年の歴史があり、時の権力者たちに保護されてきました。織田信長は「鵜匠」という地位を与え鵜飼を保護したと言われており、徳川家康はたびたび岐阜を訪れ鵜飼を見物、保護し、岐阜でつくらせた鮎鮨を江戸まで運ばせました。

また、鵜飼は多くの文化人にも愛され、松尾芭蕉は岐阜を訪れた際、鵜飼を見物し「おもうしろうて やがてかなしき 鵜舟かな」という句を残したほか、名優チャールズ・チャップリンは2度鵜飼見物に訪れ、すばらしいと絶賛したと言われています。

長良川の鵜匠は6人で正式な職名は宮内庁式部職鵜匠といい、代々世襲で親から子へとその技が受け継がれています。

長良川の鵜飼用具一式122点は、国の重要有形民俗文化財に、長良川の鵜飼漁の技術が、国の重要無形民俗文化財に指定されています。鵜匠が鵜をはげます「ホウホウ」という掛け声や舟べりをたたく音が「日本の音風景百選」に選ばれています。  ぎふ長良川鵜飼は、毎年5月11日~10月15日までの期間中、鵜飼休み(10月4日)と増水時を除いて毎夜行われます。


開催期間 5月11日〜10月15日 毎日開催しております。
【鵜飼休み(1日間)と増水時などの中止日は除く】


ご予約・お問い合わせ

岐阜市鵜飼観覧船事務所 〒500-8009 岐阜市湊町1-2 TEL: 058-262-0104


鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使


ご協力(順不同)

岐阜市商工観光部鵜飼観覧船事務所
〒500-8009 岐阜市湊町1-2 TEL:058-262-0104

公益財団法人 岐阜観光コンベンション協会
〒500-8833岐阜市神田町1丁目8番地の5協和興業ビル6階 TEL:058-266-5588

一般社団法人 伊賀上野観光協会
 〒518-0873 三重県伊賀市上野丸之内122−4 電話: 0595-26-7788 

ZIPANG TOKIO 2020

2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。 この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、伝統芸能、行事、風習、ものづくりの技の美等、 サイトを通じて、平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです

もしもこのサイトに同じ思いをお持ちの皆様から、素敵な情報や画像をお寄せ戴ければこの上ない喜びです。以下のEメールアドレスへご連絡下さい。

E-mail aromajinja@gmail.com ( ZIPANG 2020 編集部 )。

2020, will be held the Olympic Games and Paralympic in Tokyo.

On this occasion, for the little-known beauty of the spiritual culture and national land of Japan to the people of the world I think that if we help to re-discover.

Climate, nature of the four seasons, of food, clothing and shelter cultural beauty, traditional arts, events, customs, beauty, etc. of the work of making things,

Through the site, peaceful country, a strange country, if the interest is more depth or round to ZIPANG Japan, is where I want secretly.


写真ご協力:高山祭(高山市)/ 富士山(富士市)

ZIPANG TOKIO 2020

2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。 この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、伝統芸能、行事、風習、ものづくりの技の美等、 サイトを通じて、平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

もしもこのサイトに同じ思いをお持ちの皆様から、素敵な情報や画像をお寄せ戴ければこの上ない喜びです。以下のEメールアドレスへご連絡下さい。

E-mail aromajinja@gmail.com ( ZIPANG 2020 編集部 )

2020, will be held the Olympic Games and Paralympic in Tokyo.

On this occasion, for the little-known beauty of the spiritual culture and national land of Japan to the people of the world I think that if we help to re-discover.

Climate, nature of the four seasons, of food, clothing and shelter cultural beauty, traditional arts, events, customs, beauty, etc. of the work of making things,

Through the site, peaceful country, a strange country, if the interest is more depth or round to ZIPANG Japan, is where I want secretly.

0コメント

  • 1000 / 1000