ZIPANG TOKIO 2020「世界が認めた!厚い信仰の聖地 熊野の神 熊野本宮大社 世界遺産登録」

熊野本宮大社神門からの証誠殿(神門より)

紀伊山地

 

紀伊山地は本州最南端、太平洋に張り出す紀伊半島に位置し、標高1,000m~2,000m級の山脈が縦横に走り、年間3,000mmを超える豊かな降水量が深い森林をはぐくむ山岳地帯である。

紀伊山地は太古の昔から自然信仰の精神を育んだ地で、6世紀に仏教が伝来した以降、紀伊山地は真言密教をはじめとする山岳修行の場となった。中でも、山岳修行により超自然的能力を獲得することを目的として10世紀中ごろから11世紀代に成立した修験道は、特に大峰山系の山岳地帯を中心的な修行の場としていた。また、9~10世紀に広く流布した「神仏習合」思想(日本古来の神々は仏教の諸尊が姿を変えて現れたものとする日本固有の思想)の聖地としても信仰を集めていた。

さらに、10~11世紀頃の日本では「末法思想」(仏法が衰え世も末になるという思想)が流行し、死後に阿弥陀仏の居所である極楽浄土に往生することを願う「浄土宗(法然上人)」という仏教の教えが貴族や庶民の間に広まりました。これに伴って、都の南方に広がる紀伊山地には仏教諸尊の浄土があると信じられるようになり、この地の霊場としての性質がいっそう強まりました。この地方の神聖性がことさら重要視されるようになった背景には、深い山々が南の海に迫るという独特の地形や、両者が織り成す対照的な景観構成などが大きく影響していたものと考えられている。

このような特有の地形及び気候、植生などの自然環境に根ざして育まれた多様な信仰の形態を背景として、「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」と呼ばれる顕著な三つの霊場とそれらを結ぶ「参詣道」が形成されました。


参詣道(さんけいみち)

三霊場に対する信仰が盛んになるにつれて形成され、整備された「大峯奥駈道」、「熊野参詣道」、「高野参詣道」と呼ばれる三つの道。これらの道は、人々が下界から神仏の宿る浄域に近づくための修行の場であり、険しく清浄な自然環境のなかに今日まで良好な状態で遺り、沿道の山岳・森林と一体となった文化的景観を形成している。「大峯奥駈道」は、「吉野・大峯」と「熊野三山」の二大霊場を結ぶ山岳道で、修験道の最も重要な修行の場である。「熊野参詣道」は、「熊野三山」に参詣する道で、京都方面からの参詣のために最も頻繁に使われた「中辺路」、「高野山」との間を結ぶ「小辺路」、紀伊半島の南部の海沿いを行く「大辺路」、同じく南西部の海沿いを行く「紀伊路」、伊勢神宮との間を結ぶ「伊勢路」からなっている。「高野参詣道」は、金剛峯寺北側の紀ノ川から高野山に至る経路、霊場高野山を囲繞する経路などからなる参詣道である。 

参詣道 019中辺路 大門坂

参詣道 019中辺路 祈りの道

熊野本宮大社旧社地 大鳥居

熊野本宮大社旧社石祠

一遍上人神勅名号碑

一遍上人と熊野本宮大社

熊野権現のお告げ

一遍上人(1239~1289)は、鎌倉中期から室町時代にかけて日本全土に広まった浄土系仏教、時宗の開祖である。時宗の念仏聖たちは、南北朝から室町時代にかけて熊野の勧進権を独占し、それまで皇族や貴族などの上流階級のものであった熊野信仰を庶民にまで広めました。ではなぜ時宗では熊野を聖地としているのでしょうか。その答えが次の逸話にある。

僧侶として学び、修行を深めた智真(後の一遍上人)は、念仏札を配る布教活動をしていました。そして文永十一年(1274)の夏、高野山から熊野本宮大社へ向かう途中で、一人の僧と出会います。智真はいつものように「信心を起こして南無阿弥陀仏と唱え、この札をお受けなさい。」と札を渡しましたが、その僧は、「いま一念の信心が起こりません。受ければ、嘘になってしまいます。」と言って受け取りません。「仏の教えを信じる心がないのですか。なぜお受けにならないのですか。」と尋ねると「経典の教えを疑ってはいませんが、信心がどうにも起こらないのです。」と答えました。 念仏札を拒否されたことに一遍はショックを受けますが、僧の言葉は理にかなっている。

この後、熊野本宮大社にて熊野権現に出会う智真(一遍上人)

この出来事から、智真は布教のあり方について苦悩します。そこで熊野本宮大社に着いた時、答えを求め、証誠殿の御前で祈り続けました。すると夢の中に、白髪の山伏の姿をした熊野権現(阿弥陀如来)が現れました。そして「一切衆生の往生は、阿弥陀仏によってすでに決定されていることなのです。あなたは信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、その札を配らなければなりません。」と、お告げになりました。このお告げを受けた智真は「我生きながら成仏せり」と歓喜しました。一遍上人が誕生した瞬間でした。

※熊野本宮大社の主祭神、家都美御子大神の本地仏は阿弥陀如来です。

昭和46年4月、大斎原に「一遍上人神勅名号碑」が建立されました。これは、熊野権現の霊告を受け、ついに独一念仏を開顕した開眼供養の碑である。
熊野本宮大社では、1289年(正応二年)8月23日に入寂された一遍上人を偲び、御命日の毎月23日に、一遍上人月例祭を斎行している。

一遍上人御歌
「旅ごろも 木の根かやの根いづくにか 身の捨てられぬところあるべき」 


祓殿王子

熊野本宮大社本殿 参道前鳥居

熊野本宮大社神門

熊野本宮大社神門からの証誠殿(神門より)

熊野本宮大社 拝殿

熊野本宮大社 拝殿前の八咫烏


霊場「熊野三山」とは

 紀伊山地の南東部にあり、相互に20~40kmの距離を隔てて位置する「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」の三つの神社と「青岸渡寺」及び「補陀洛山寺」の二つの寺院からなっている。三つの神社はもともと個別に自然崇拝の起源を持っていたと考えられる。10世紀後半は他の二社の主祭神を相互に合祀するようになり、以来「熊野三山」あるいは「熊野三所権現」と呼ばれ、多くの皇族・貴族の崇敬を集めるようになった。「青岸渡寺」及び「補陀洛山寺」は、「熊野那智大社」と一体となって発展してきた寺院で、神仏習合の形態をよく保っている

熊野那智大社


熊野本宮大社について

熊野本宮大社は熊野三山(本宮・速玉・那智各大社)の中心、全国に3000社以上ある熊野神社の総本宮である。

🔸延喜式内社熊野坐神社 🔸 名神大社  🔸官幣大社

熊野本宮大社


縁起・神話

天火明命(あめのほあかりのみこと)は、古代、熊野の地を治めた熊野国造家の祖神である。天火明命の息子である高倉下(たかくらじ)は神武東征に際し、熊野で初代神武天皇に天剣「布都御魂(ふつのみたま)」 を献じてお迎えした。
時を併せて高御産巣日神(たかみむすひのかみ)は天より八咫烏(やたがらす)を遣わし、神武天皇を大和の橿原まで導かれた。


第十代崇神天皇の御代、旧社地大斎原の櫟(いちい)の巨木に、三体の月が降臨した。天火明命の孫に当たる熊野連(くまののむらじ)は、これを不思議に思い「天高くにあるはずの月が、どうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねた。すると真ん中にある月が「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」とお答えになった。
この神勅により、熊野本宮大社の社殿が大斎原に創建されたと云われている。

熊野地方は厚い信仰の聖地であり、神話・伝説が多くありますが、“三体月の伝説”もそのひとつである。 三体月観月会は、毎年旧暦の11月23日に行われている。


第十三代成務天皇の御代には、国々の境が決められた。
熊野国は、紀伊半島の南半分(志摩半島より南)と定められ、初代の熊野国造(長官職)には高倉下の子孫である、大阿斗宿裲(おおあとのすくね)が就任した。
このように、熊野国造家は天神地祇の子孫である「神別諸氏」の氏族であり、物部氏の先祖でもあります。熊野本宮大社の神々は大阿斗宿裲以降、千数百年もの間、熊野国造家の子孫によって代々お祀りされてきた。

御由緒・歴史

熊野連山の三千六百峰を形成する、果無山脈。その山間を縫うが如く流れ、太平洋へと続く熊野川は、まさに熊野の大動脈である。この熊野川の中枢に、古代より熊野巫大神の鎮座されるお宮が、熊野本宮大社である。熊野本宮大社は過去「熊野坐神社(くまのにいますじんじゃ)」と号し、熊野の神と言えば本宮のことを表していたものと推測される。

熊野川

熊野坐大神の御鎮座の年代は文献に明白ではありませんが、神武東征以前には既に御鎮座になったと云われており、社殿は615年、第十代崇神天皇の時代に創建されたと『皇年代略記』や『神社縁起』に記されている。奈良朝の頃より仏教を取り入れ、平安朝以後は仏化により「熊野権現」と称し、神々に仏名を配するようになった。熊野本宮大社は上・中・下社の三社から成るため、熊野三所権現と呼ばれている。また、十二殿に御祭神が鎮座ますことから、熊野十二社権現とも仰がれている。

平安当時、宇多法皇に始まる歴代法皇・上皇・女院の熊野御幸は百余度に及んだ。幾度かの御幸に供奉した藤原定家が『明月記』の中で「感涙禁じ難し」と記しており 、困難な道を歩き御神前に詣でたことが、いかにありがたく、いかに御神徳が高かったかを窺い知ることができる。 1184年、第21代熊野別当に就任したのは、本宮・田辺を拠点とする田辺別当家の湛増でした。 源平二氏の争乱に際し、湛増率いる熊野水軍が源氏側についたことにより、勝敗が決したと云われている。

※熊野別当・・・熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の統轄にあたった役職

南北朝から室町時代にかけては、皇族や貴族などの上流階級に代わり、武士や庶民の間に熊野信仰が広がった。身分の貴賤や老若男女を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さゆえ、熊野には大勢の人々が競って参詣し「蟻の熊野詣」と呼ばれる現象を起こすまでに至った。

 なお残念なことではあるが、明治二十二年の未曽有の大水害により社殿のうち中・下社が倒壊し、現在地に上四杜のみお祀りした。他八社は石祠として旧社地大斎原(おおゆのはらに)お祀りし、現在に至っている。

「熊野本宮大社について」
参考文献:熊野本宮大社前宮司  九鬼宗隆 熊野三山信仰事典(戎光祥出版)

御祭神

御祭神は、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)に共通する「熊野十二所権現」と呼ばれる十二柱の神々である。
また、奈良時代より神仏習合を取り入れ、御祭神に仏名を配するようになった。

主祭神 家都美御子大神/素戔嗚尊

主祭神は、熊野三山の他二社とは異なる家都美御子大神である。

昔は熊野坐神社(くまのにいますじんじゃ)「熊野にいらっしゃる神」と呼ばれていた。
また、造船術を伝えられたことから船玉大明神とも称せられ、古くから船頭・水主たちの篤い崇敬を受けていた。

上四社(第一殿~第四殿)

第一殿 西御前:熊野牟須美大神、事解之男神(千手観音) 第二殿 中御前:速玉之男神(薬師如来) 第三殿 證証殿:家都美御子大神(阿弥陀如来) 第四殿 若  宮:天照大神(十一面観音)

明治22年の大水害以降、旧社地大斎原に合祀されている中四社(第五殿~第八殿) 下四社(第九殿~第十二殿)の御祭神については、次の表をご覧ください。

催事・行事

湯登り神事 4月13日

神の依代(よりしろ)である稚児が湯峯温泉で身を清め大日越えを歩く、例祭の始まりの神事である。県の無形文化財に指定されています。

三体月観月会  毎年旧暦の11月23日

熊野地方は厚い信仰の聖地であり、神話・伝説が多くありますが、“三体月の伝説”もそのひとつです。 三体月観月会は、毎年旧暦の11月23日に行われている。

この伝説は、熊野三山で修験者が三体の月を見て神変不可思議な法力を得たと村人に伝えたと言われ、山の端より登る月が三体に分かれて見えるというものです。

下記の画像は、鑑賞会で実際は三体に見えなかった月が、デジカメで写したところ、なぜだか三体に写ったもの。(手ぶれではありません。お疑いの方は今年の旧暦の11月23日熊野本宮大社の 三体月観月会に是非ご参加ください。)


熊野本宮大社では様々な授与品がありますので紹介します。また、郵送での授与も行っているそうです、お電話でお問い合わせください。TEL:0735-42-0009

熊野本宮大社御朱印

熊野本宮大社御朱印帳

熊野本宮大社牛王神符

熊野本宮大社八咫烏お守り


熊野本宮大社「なぎの木」

別名 ナギノキ、チカラシバ 直径50cm~1mにもなり、関東以南の太平洋岸に分布する。北は紀州から四国、九州、琉球列島まで、また台湾、中国の中部以南にも分布している。植栽 すれば東京や千葉あたりでも育つが防寒対策が必要。 名前の由来はミズアオア科の水生植物でコナギというのがあるが、この古名がナギで、この葉の形が似ていることから。


古くから霊木として崇められて、各地の神社などに植えられていた。大きいものは25メートルにも達する。奈良の春日神社の裏山には有名なナギの自然林 があり、樹齢1000年の木もあるといわれているが、植えられたものと言われている。 マキ科マキ属 は世界に100種もあるが、日本のナギがもっとも有名で美しい。米国の植物学者、ウイルソン博士は最大の賛辞をこの木に与えた。


なぎの花は初夏に咲くも目立たないが、葉は話題を提供してくれる。葉は長さ3- 8センチで厚く、表面は光沢がある普通の葉のようだが、竹の葉のように20年から30本の平行脈があり、その葉を縦に引きちぎるのは相当の力がいり、弁 慶もこれには泣かされたと「ベンケイナカセ」、「センニンリキ」等の地方名がある。広葉樹に見えるが実は針葉樹である。また奈良にはたくさんのナギがある が、鹿はナギの葉を喰わない。


ナギは海の凪にかけて漁師が波が穏やかになると信仰し、災難を免れる力があるとも信じられていた。婦人が家庭の円満を願い、鏡の裏に納めていた。 なぎの実は球形で10月頃に1.5cmくらいの藍青色の肉質果が熟す。約30%の油を含んでおり、今でも春日神社では種子から搾った油を灯篭に点灯してい るという。その油煙を採って春日墨の材料としているという。


材は緻密で家具材に利用されるが、あまり出材されない。皮つき丸太として床柱に、樹皮はタンニンが多く皮をなめし染料とされていた。 江戸時代にはやった小歌に 「今度ござれば もって来てたたもれ 伊豆の小山の ナギの葉を 小山のな 伊豆の小山の ナギの葉を」 とあり、伊豆に行く船乗りに頼んでいる。伊豆山権現のご神木の葉がたいそうな人気があつたのだろう。なぎの木は国の天然記念物として2つある。豊川市 の「牛久保のナギ」は推定樹齢400年。


熊野速玉大社のナギの木は平重盛が手植えしたもので樹齢千年で日本一の巨樹。


藤原定家御歌

「千早振る熊野の宮のなぎの葉を 変わらぬ千代のためしにぞ折る」


熊野大社本宮「なぎの木」


夜も更けました。今回は、通常の予定していた記事アップの時間を3時間オーバーしてしまい日にちが変わってしまいました。また、内容も熊野本宮大社様の年間を通してのさまざまな貴重な伝統催事・行事 をご紹介できませんでした。また、機会があればご紹介したいと思います。



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使



協力(順不同・敬称略)

熊野本宮大社 〒647-1731 和歌山県田辺市本宮町本宮 TEL 0735-42-0009

熊野本宮観光協会 〒647-1731 和歌山県田辺市本宮町本宮100-1
<世界遺産熊野本宮館内> TEL:0735-42-0735

文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111

「木の情報発信基地」中川木材産業(株)
〒587-0042 大阪府堺市美原区木材通1-11-13 TEL:072-361-5501    


ZIPANG TOKIO 2020

2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。 この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、伝統芸能、行事、風習、ものづくりの技の美等、 サイトを通じて、平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです

もしもこのサイトに同じ思いをお持ちの皆様から、素敵な情報や画像をお寄せ戴ければこの上ない喜びです。以下のEメールアドレスへご連絡下さい。

E-mail aromajinja@gmail.com ( ZIPANG 2020 編集部 )。

2020, will be held the Olympic Games and Paralympic in Tokyo.

On this occasion, for the little-known beauty of the spiritual culture and national land of Japan to the people of the world I think that if we help to re-discover.

Climate, nature of the four seasons, of food, clothing and shelter cultural beauty, traditional arts, events, customs, beauty, etc. of the work of making things,

Through the site, peaceful country, a strange country, if the interest is more depth or round to ZIPANG Japan, is where I want secretly.


写真ご協力:高山祭(高山市)/ 富士山(富士市)

ZIPANG TOKIO 2020

2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。 この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、伝統芸能、行事、風習、ものづくりの技の美等、 サイトを通じて、平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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