当初の予定では、本日の記事は、「伊賀忍者(四の巻)」を掲載する予定でしたが、10月9日(月・祝)、10日(火)の二日間にわたり飛騨高山の「秋の高山祭」が行われますので、急遽一日延期して紅葉の始まりとともに飛騨地方に秋の訪れを感じさせる「秋の高山祭」飛騨路の旅のご紹介をいたします。
桜山八幡宮の境内にある「高山祭屋台会館」実際に祭で使用する屋台が見れる
ユネスコ無形文化遺産保護条約第 11 回政府間委員会(於:アディスアベバ・エチオ ピア)において,我が国より提案をした「山・鉾・屋台行事」の代表一覧表記載に関す る審議が行われ,11月30日(水)(20時02分[日本時間12月1日(木)2時 02分],「記載」との決議がなされました。
ついては本年4月にユネスコ無形文化遺産記念行事として、高山において開催した「春の高山祭(山王祭)」及びユネスコ無形文化遺産登録記念フェスティバルのご紹介をいたしましたが、今回は高山市役所商工観光部観光課のご協力をいただき「秋の高山まつり(八幡祭)」につてご紹介いたします。
秋の高山祭(八幡祭)とは
高山祭とは、春の「山王祭(さんのうまつり)」と秋の「八幡祭(はちまんまつり)」、二つの祭をさす総称で、16世紀後半から17世紀の発祥とされている。幾多の変遷を経ながらも、江戸時代の面影を残す伝統行事として、今日まで受け継がれてきました。
春の高山祭(山王祭)・秋の高山祭(八幡祭)
春の高山祭(山王祭)は日枝神社の例祭で毎年4月14日・15日に開催される。また、秋の高山祭(八幡祭)は櫻山八幡宮の例祭で毎年10月9日・10日に開催さる。
高山祭は、日本三大美祭のひとつに挙げられている。
このうち、高山を秋の彩りで染める「八幡祭」は、旧高山城下町北半分の氏神様である桜山八幡宮の例祭である。毎年10月9日・10日になると、安川通りの北側・下町に「八幡祭」だけの11台の屋台が登場。屋台が町を巡る曳き廻しや布袋台のからくり奉納などの伝統的な祭行事が楽しめる。
その時期になると飛騨の山里は、関東、関西、中部、そして各地方からの人々が溢れお国訛りの言葉が行き交う。最近は日本の伝統や暮らし、食文化に魅せられた外国からのお客様が目立つようになった。
秋の高山祭屋台
秋の高山祭に登場する祭屋台11台を紹介します。
神楽台(かぐらたい) 八幡町・桜町
金森重勝寄進の太鼓は音響遠近にとどろき、文久年間(1861年から1864年)には他組の妬(ねた)みをうけて鎌で切りつけられたと伝えられている。祭礼に際しては、侍烏帽子、素襖(すおう)姿の5人の楽人をのせ、獅子舞を付随させます。棟飾りの鳳凰と、天照、八幡、春日の3神を表した金幣束が独特である。
布袋台(ほていたい) 下一之町上組
からくり人形は、36条の手綱で操り、綾渡(あやわた)りと呼ばれる極めて精緻巧妙(せちこうみょう)なものです。6段崩しの曲につれ、男女2人の唐子が5本の綾(あや)(ブランコ)を回転しながら飛び伝い、機関(からくり)樋の先端で所作をしている布袋和尚の肩に乗って喜遊すると、布袋の左手の軍配の中から「和光同塵(わこうどうじん)」と書いた幟(のぼり)が出てくるという構成。鳥居形の出入口や、下段の上部が中段の役目をするなど、文化年間以来小修理しか行なわれていないため、台形に古趣を豊かに残した屋台である。
金鳳台(きんぽうたい) 下一之町中組
棟飾りとして、台名を象徴する金地の鳳凰が翼を張ってある。中段欄間には、四条派風に四季の草花が描かれている。人形の竹内宿禰が抱いているのは応神天皇。一見地味にも見えるこの屋台は、それだけに文政再興当時のおもかげをよく残しており、構築上、最も整備された形態をもつ屋台として聞こえ、初期の屋台の風格をしのぶ優美な屋台である。
大八台(だいはちたい) 下一之町下組
台名の由来ともなっている3輪の御所車(大八車)のうち、外2輪は高山屋台中最大で、直径は1.56メートルある。屋根飾りには両端に八幡、春日大神を表す大金幣束を立っている。屋台囃子(ばやし)の名曲「大八」はこの組の作曲で、他の多くの屋台組でこれを崩して使ってる。中段は幕を張らず、御殿風の吹きぬけで楽人が見えるようにし、以前はここで雪洞(ぼんぼり)を灯し、青、緑、桃色の直衣烏帽子(のうしえぼし)をまとった6人の童子が大八の曲を優雅に奏しました。
鳩峯車(きゅうほうしゃ) 下二之町上組
見送り幕、胴掛け綴錦織(つづれにしきおり)の高価なもので、天保再建の際、購入したものです。これだけ贅沢な幕をしかも四方に掛けている屋台は他にありません。
神馬台(じんまたい) 下二之町中組
下段4隅の丸柱は中段に突き抜けて、先端に青龍刀を付け、4神旗をかけている。飾り人形は以前は高砂の翁(おきな)と媼(おうな)の2体であったが、文化9年(1812年)に他組に譲り、現在は跳躍する白馬と2人の馬丁の人形を飾ってある。昔は、別名を暴れ馬といい、祭のときに隣りにあった組などとよくけんかをしたという。紫鱗(うろこ)紋織り出しの大幕に刺繍された大般若(はんにゃ)面が印象的で、屋台囃子には雅楽の越天楽(えてんらく)を用いている。
仙人台(せんにんたい) 下三之町上組
最も古い形を残した屋台といわれている。以前は他の多くの屋台が唐破風の屋根であったといわれ、切破風に変わり、この屋台だけが唐破風の古態を残している。屋根飾りには極彩色の剣巻龍を前後に立てている。往時は久米の仙人が、洗濯する美女の美しさに見とれて雲上から墜落するというからくりがありましたが、明治初期に廃止され、現在は仙人の像のみが飾られている。
行神台(ぎょうじんたい) 下三之町中組
祭神として、役小角(えんのおずの)(役の行者)の飾り人形を祀り、中段高欄は玉垣、上段高欄の4隅には密教の法具五鈷(ごこ)をさすという形態になっている。これは、当地域が、役小角を崇敬する一人の行者によって開拓されたため、その遺徳を追慕したことに由来する。またこのような由緒から、以前は道開きの屋台として常に神楽台につぎ全屋台の先頭を曳いていました。
宝珠台(ほうじゅたい) 下三之町下組
屋根飾りとして、雌雄の大亀一対と台名に由来する大宝珠3個が飾られている。以前は7色に染め分けられていた宝珠が下段高欄に飾られていましたが、それは廃され、中段と屋根飾りに金銀の宝珠が飾られている。ケヤキ1枚板の台輪(だいわ)は高山の屋台中で最も美しいものといわれています。屋根の亀はこの屋台の名物で、ある朝、この亀がいなくなったので探していると、宮川の水の中に。そこに「名工の作った亀は水を求めて川に入る」と書かれた立て札が立ててあり、他組のいたずらだったという話がある。
豊明台(ほうめいたい) 大新町1丁目
もとは天皇の即位する8角形の高御座(たかみくら)を模した台形であり、明治改修以前まで、下段中段ともに、縁(ふち)の4隅を切って8角形にしていました。現在はその名残を大幕の部分に残しています。屋根飾りの大鳳凰と宝珠、上段の菊花彫刻、中段の牡丹彫刻、中段の白彫りの12支の彫刻、下段の唐獅子、御所車など、華麗に装飾された屋台です。
鳳凰台(ほうおうたい) 大新町1・2・3丁目
下段にあるケヤキ白彫りの谷越獅子の彫刻は高山の屋台彫刻中最大のもので、名工谷口与鹿の下絵をもとに、与鹿とその弟子浅井一之によって彫られたといわれます。明治の改修まで3万坪(1坪は3.3平方センチメートル)もの大量の金具が打たれています。本見送りは柚原双松筆の鳳凰の綴錦織(つづれにしきおり)、替見送りは西村五雲筆の龍の墨絵で、華麗で均整のとれた屋台です。
高山市への交通アクセス
高山市内全域マップ
高山市近郊の見どころ
桜の里「荘川」日本一の連獅子
白川郷合掌造り
飛騨市古川町のしっとりと落ち着いた町並み
連なる白壁土蔵と、その袂に流れる瀬戸川には1000匹の鯉が気持ちよさそうに泳ぐ
高山グリーンホテル天然温泉(庭園露天風呂・日帰り利用可能)
鎹八咫烏 記
協力(順不同)
高山市役所 〒506-8555 岐阜県高山市花岡町2丁目18番地 電話:0577-32-3333
商工観光部観光課 高山市教育委員会
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111
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