ZIPANG TOKIO 2020「豊後高田市『富貴寺大堂』と山形県白鷹町『深山観音堂』の建築にみる東西文化の違いとは! 【寄稿文】まんだら塾長 日原もとこ」

2017年10月13日に公開いたしました
ZIPANG TOKIO 2020「国宝 富貴寺 六郷満山開山1300年 非公開文化財特別公開 【豊後高田市】」を閲覧した当サイト協力員「日原もとこ」氏より、寄稿がありましたので、続編として掲載いたします。
前回公開のhttps://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3083563 をご覧ください。


山形に腰を下ろして25年になりますが、 この間、当初から折に触れては列島東西文化の違いに遭遇する羽目となりました。

当初は軽いカルチャーショック程度でしたが、段々とその故事来歴を知るにつけ、縄文、弥生に遡る日本人ルーツ論に及ぶ話となり、基底に横たわる複雑怪奇な複合要因に興味津津となって今日に至ります。

さて、本サイトを拝見し、先ず目に飛び込んできたのは何と言っても、国宝である「富貴寺大堂」の屋根の形でした。美しい〜‼ 完璧ですね〜 そして、すぐさま連想したのは山形県白鷹町にある奥まった地区にひっそりと佇む深山観音堂(観音寺)のこと。

それはやはり国の重要文化財で、同じ方形造り(ほうぎょうづくり)のお堂でしたから。

宗教とは当然のことながら、その宗教が説く最高理念=神又は仏への信仰、そして神、仏と人とを結びつける媒体が神像、仏像、そしてそれを祀り保護する装置が神殿又は仏殿だと思います。

ここでいう、信仰とは不可視の対象としてソフト、また、後者の媒体や装置は目に見える対象としてハードの部分と考え、それらがそれぞれの地域に長く根付いてこそ、この二つの融合体は住民に受容された完成形の証ではないかと思うのです。

もう少し細かく言えば、宗教とはその宗派の主祭神、根本理念、教条、導師、信者、祭祀殿堂が揃わねば成り立ちません。しかし、深い信仰心に裏付けられた本物の信者にとっては、信仰心こそが求道の真髄なので、これをソフト面として捉えれば他の何をも必要としない訳です。

しかし、 他方、ハード面としての宗教施設の役割は、その主祭神仏を祀る祭殿であり、布教活動の本拠地であることです。同時に不可視の主祭神仏像に対して、信者が祈りを捧げる為の場です。

それには可視化された対象としての神像、仏像を造り、それを取り巻く背景としての装置や装飾効果で聖なる空間を演出しなければなりません。特に初心入門者にとっては不可欠な場所になります。

信者は一時的に、日常から切り離され、異次元の世界で神仏に、直接対峙できる場所だとも言えるでしょう。

信仰期間の長短に拘わらず、導師によって教えを学び、或いは信仰心を高める自己修練の場であり、同じ信仰心を持つ仲間同士の交流の場、そして信者の心の拠り処となる場とも言えるでしょう。

さて、素人の観た東西の宗教建築にみる 印象の話に戻ります。つまり、ハード面としての宗教建築とは、その宗教が目指す理念をシンボライズした究極の可視的表現でありましょう。

では、他国で生まれた宗教の根本理念を自国へ受け入れる時、発祥地の様式をそっくり真似たら如何なものか?と思いますが、なかなかそうはなっていませんね〜。何故でしょうか? その建築的表現は、それを招請した国々の風土環境、歴史文化、財政面、技術面等による諸事情が優先するからでしょうか? では、先程の東西の方形造りの御堂について特長を見てみましょう。


先ずは、西の横綱国宝 豊後高田市の 富貴寺大堂の瓦葺屋根  言うなれば、 近づき難い荘厳の美。 天空に向かう緩やかな外向き曲線の反り 


対するは東の横綱国宝 山形県白鷹町の 深山観音堂(観音寺)屋根の造り  言うなれば、 近づきたくなる慈恩の美 重厚な茅葺きの温もり、やや内向カーブの屋根傾斜 


さて、東西比較の元になっているのはやはり、地理的な風土環境とその地域に育まれた人々の奉ずる神仏の在り方が主要因になっている点にありましょう。

そのように考えますと、西日本と東日本での気候風土は大いに異なりますが、数字上の歴史経過は公平に旧石器、新石器時代から縄文、弥生、古墳時代・・・と踏んで今日に至るのですが、古代東北地方に住んだ縄文人の信仰対象は木火土金水、森羅万象全てに神が宿ると考え、所謂アニミズムとされる多神教でした。それこそが日本の八百万神信仰の原点となっています。

しかし、人々の生活様式でみると、大きな転換期は縄文ー弥生時代に始まります。先ずは隣国の中国や韓国、台湾等の国々から最短距離の九州地方に輸入文化が到来しました。

つまり、真っ先に稲作文化を受け入れた九州地方が入口となり、またたく間に温暖な西日本全体に広がり、弥生文化の主勢力圏として発展しました。

その背景には必ず人の命を守る一番の存在が信仰の対象になります。自ずとそれに伴って、神々の存在や信仰形態も影響を受け、縄文の万物に神々が宿るアニミズムは、稲作に関係する神を最高神として神格の序列化も始まったのではないでしようか?

とすれば、西日本から始まる神々の格付けは寺社建築にも及びます。重厚壮大な規模と財力、手の混んだ装飾技術等がそれを表すものです。それは、神格が上がるほど天高く仰ぎ見る尊い存在になるのです。人々はその御神殿の威厳に畏れかしこみ敬う対象と感じるようになります。

つまり、西日本の寺社建築はそうした仰ぎ見る神仏の宿られる御殿ですから、それが屋根の反りのラインに表れています。

それに対して落葉広葉樹林帯に属する東日本は、縄文時代の特徴である自然の恵みが豊かで狩猟採集の生活様式が適していた為か、稲作の受入れは200年位遅かったようです。

すなわち、万物に神々が宿るとするアニミズム的信仰形態が、いまなお、遺伝子として働いているように思えるのです。

現代でも春には山菜採り、秋にはきのこ刈りに夢中になる人々を見ていると実に微笑ましく、いつの間にか縄文の世界に引き込まれるようです。

野仏や祠(ほこら)等が圧倒的に多い東北地方は、そうした自然の恵みに対して、それぞれの神様に出逢うのです。水の湧きいづる土地では水神様を、厳寒の土地では囲炉裏や竈の神様、狩りや木樵を守り、山菜獲りなどお山の恵みには山神様……そして皆、平等にお偉いのです。

と言うように身近に神仏が影のように付き添って下さる有り難い存在で、道端の野仏には寒くなれば、手編みの帽子や肩掛けを被せたり、お願い事を至近距離で唱えるなど、その心理的距離は広島出身の私がびっくりするほど近いのです。

結果、白鷹町の深山観音堂のふっくら屋根は暖かそうで、優しく見えるのは茅葺き素材だけのせいではないと思います。

それ故に此処に挙げたその一例となる同じ方形型御堂の画像を見て、つい無手勝流義で東西比較をしてみたくなった私でした。
                              日原もとこ [補足資料]


国宝「富貴寺大堂」

国宝「深山観音堂」


【寄稿文】 日原もとこ

東北芸術工科大学 名誉教授
アジア文化造形学会会長
風土・色彩文化研究所 主宰



[編集長(鎹八咫烏)付記]

折角の機会なので、部分的ですが、これまで訪ねてきた、その他いくつかの国宝や重文等のご紹介をいたしましょう!


~夫々の風土に根付いた美しい屋根の形にご注目~ 


日本の伝統建築

国指定重要文化財「荒城神社」

高山市の宮地地区に位置し、本殿は室町初期の三間社流造り、柿板葺き。神社の創建は古く、延期式神明帳(927年)に飛騨国内の八社のひとつとして記されています。祭神は河伯大明神、つまり川の神、水の神とされています。明徳元年(1390年)再建され、数度の修理を経ています。毎年9月の第一日曜日に行われる例祭には、神事鉦打・獅子舞(県指定重要無形文化財)が奉納されます。


国指定史跡「高山陣屋」

元は高山城主金森氏の下屋敷の一つでしたが、飛騨が徳川幕府の直轄地となってからは、江戸から来た代官や郡代が、ここで飛騨の政治を行いました。この役所は陣屋と呼ばれ、全国でも残っているのはここ高山だけです。

高山城主金森氏の下屋敷の一つでした。金森氏が上ノ山(山形県)へ移されてからは、徳川幕府の直轄地となり、江戸から代官や郡代がきて、ここに役所をおき飛騨の政治をとりました。

この役所を「高山陣屋」とよび、おふれを出したり年貢の取立てなどをしました。

直轄地時代は、明治まで25代177年間続きました。クレ葺屋根の門の扉に残るしみは梅村騒動で農民に殺された門番の血痕といわれています。

玄関を入った正面壁には、郡代の格式を示す(青海波)模様があります。内部には、御役所、御用場、大広間、役宅、吟味所、白州などのほか裏手には、高山城三の丸から移した御蔵(米藏)8戸前(藏は戸前とかぞえる)も昔のまま残されています。かつて年貢米を保管した藏で天領時代の歴史を物語る資料が展示されています。大原騒動で打ち首となった本郷村(現在高山市上宝町)の農民善九郎が妻に送った遺言状の文面には胸をうたれます。

明治に入ってからは、県庁、郡役所、支庁、県事務所など代々、地方の役所として使われてきました。郡代役所の建物が残っているのは全国でも高山だけです。

飛騨の古い民家というと、合掌造りが有名ですが、飛騨地方の中央部にあたる古川・国府盆地から高山盆地、南にかけての農家や町屋は、「榑(クレ)」と呼ばれる板を葺き、石を置いた切妻造りの建物がほとんどを占めました。現代のような製材工具がない時代に、木の特質を利用した木を裂くという技術で対応したのです。むろん瓦もありましたが、農山村では手の出るものではありませんでした。  榑の材料はネズ、サクラ、カラマツ、ナラ、クリを用いました。中でもクリ材が一番耐久力が強いそうです。クリは水に強く腐りにくいため、屋根を葺くのに適しています。


野麦峠お助け小屋

お助け小屋の由来は江戸時代にさかのぼります。「厳しい峠越えにより命を落とす者が多いことから、小屋を建て、番人を置き、峠越えをする者を救いたい」という願いを幕府が聞き入れ、天保12年(1841)に建てられました。雪の峠を越えた工女達が体を休めたのも、このお助け小屋です。現在のお助け小屋は、昭和45年に野麦集落の古い家屋を移築したものです。毎年5月1日山開きが行われ、11月中旬までの通行者の安全が祈願されます。

読者からのご要望で追加掲載いたしました。
「榑(クレ)」と呼ばれる板を葺き、石を置いた切妻造りの建物です。


国宝 「永保寺観音堂」

永保寺は濃尾平野東北の丘陵地を流れる土岐川に面した臨済宗の寺である(岐阜県多治見市)。正和2年(1313)に夢窓疎石(1275-1351)が現地を「山水の景物、天開図画の幽致なり」と賞して古𧮾庵を営み、翌年に観音閣を建てた。これが当寺の草創だが、夢窓は同門の元翁本元(1281-1332)に古𧮾寺をゆずり、元翁が開山となった。境内は東に土岐川の蛇行部を望み、西に岩山の崖を背負い、南に大地に面し、その前方に橋亭をもつ無際橋がかけられている。この周囲の自然景観と庭園を総合化した環境美は、中世の禅宗寺院で境致として重んじられたもので、永保寺はその代表例の一つである。

『夢窓年譜』に正和3年(1314)の観音閣建立がみえるが、現在の観音堂は様式上より南北朝期に下っての建立であろう。方三間の主屋に裳階をつけ、檜皮葺入母屋造の屋根をあげた中形禅宗仏殿で、庭園と調和した瀟洒な意匠になる。すなわち、本格的な禅宗様仏殿と異なって低い床を設け、軒をあっさりした板軒とし、組物は柱上だけに出組をあげて詰組とせず、禅宗様を簡略化しながら前面を吹放して外観に深い陰影をあたえている。内部は来迎壁を主屋後面中央間に設けて禅宗様仏壇をおき、岩窟内の観音坐像を安置する。主屋上部は一面に鏡天井を張り、裳階では海老虹梁をみせるが、前面吹放しではこれを略し、手挟で飾っている。これらの簡略化による意匠は日本化の表れとして重視される。
【引用文献】 『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五年)


比叡山延暦寺「瑠璃堂」

杉木立が深く生い茂っている比叡山中の境内は、天台宗修行道場としての威厳に満ちみちた雰囲気が漂い、訪れる者の心を引き締めます。延暦寺は比叡山の山上山下に大別されており、山上には、根本中堂を中心とした東塔、釈迦堂を中心とした西塔、円仁によって開かれた横川の3地区に分かれています。一方、山下になる坂本には、延暦寺の鎮守社(ちんじゅしゃ)だった日吉大社や本坊だった滋賀院などがあります。

国宝「茶室如庵」


犬山城の東にある庭園・有楽苑には、国宝茶室如庵、重要文化財旧正伝院書院、古図により復元された茶室元庵、新しく建てられた茶室弘庵などがあり、静かなたたずまいをみせています。如庵は、茶の湯の創世期に尾張の国が生んだ大茶匠・織田有楽斎が建てた茶室で、昭和11年に国宝の指定をうけた茶道文化史上貴重な遺構です。京都山崎妙喜庵内の待庵、大徳寺龍光院内の密庵とともに、現存する国宝茶席3名席の1つです。織田有楽斎は信長の実弟として天文16年に生まれました。波瀾に富んだ人生を送った有楽の生涯を写すがごとく茶室如庵は各地を点々としましたが、昭和47年に犬山城下の佳境の地に移築され、庭園を含め「有楽苑」と名付けられました。

信長の実弟である有楽齋の遺構で「国宝三名席」のひとつ。普段から内部を観ることができる唯一の国宝茶室で古暦を腰貼りにした暦貼り、竹を詰め打ちにした有楽窓、躙り口など随所に独創的な工夫が凝らされています。


ZIPANG TOKIO 2020「もう一つの京都 古き良き日本の原風景の色濃く残る山里、京都美山町 第1回 美しい日本のむら景観コンテスト 集落部門 農林水産大臣賞に輝いた かやぶき屋根建造群」

https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/1633776


京都 美山かやぶきの里 国の重要伝統的建造物群保存地区

京都市内から車で約1時間、大阪北摂からでも約1時間半と、思いのほか近くに感じるところに京都府下最大の面積を誇るまち、京都府南丹市美山町があります。そこには豊かな自然と昔ながらの茅葺き民家が多く残り、古き良き日本の原風景ともいうべき景色が今もなお大切に守られています。

美山町は800〜900メートル級の山々に囲まれた谷あいの山村で、もともとは林業や農業を中心に栄えた町でしたが、近年では観光が大きな産業となっています。

人口は4,454人(平成24年11月現在)。東西を由良川の源流となる美山川が横断し、川に沿って昔ながらの茅葺き民家が残っています。その中でも知井地区にある北集落は、特に茅葺き民家が多く、自然景観と、茅葺き民家が調和して、日本の農村の原風景とも言うべき風情を呈しています。この集落は現在、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。

この美山川に沿って走る街道(大野ダムから、芦生ロードパークまでの約36キロメートル)は、近年、国土交通省による「日本風景街道」に「美山かやぶき由良里(ゆらり)街道」として指定されました。


壱岐「原の辻一支国王都復元公園」


原の辻一支国王都復元公園の整備は、3世紀末に記された中国の歴史書『三国志』に登場する「魏志」倭人伝に書かれた一支国(いきこく)の王都の姿を再現することを目指したものです。復元整備を行うにあたり、実際に発掘調査を実施し、丘陵上にはどんな遺構があったのか、どんな遺物が発見されるのかなどの情報を収集し、発掘調査の成果を基に復元する建物や遺構を選定してあります。写真は一支国の王都として栄えた弥生時代後期の、王都の拠点だった中心域と集落を取囲む環濠の一部〔環濠域〕の復元したものです。
何十年か前に度々現場を訪れた折には、やっと発掘調査に取り掛かられたところで、道路のむかえ側にテントや仮設事務所を建て、女性の方たちが発掘した小さな破片を一つ一つ顕微鏡でのぞき石膏を使い復元したりして、本当に気の遠くなるような作業をされていたのがまるで夢のようである。この建物群は、ご努力が実った証ですね。


対馬 椎根の石屋根(厳原)平柱はまちまちだが、上の写真の平柱は幅8寸×4寸位(拝見した中には1尺×5寸位、1尺×3寸5分、8寸×3寸5分位のものもあった)。

因みに温泉旅館など業務用の木の風呂(浴槽)の場合の全埋め込みまたは半埋め込み式の框寸法は幅に対して厚みは三分の一位が美しく見える。(よく使用される樹種は、檜、高野槇、椹、明日桧つまりヒバ、通称ラオスヒノキ等、あくまでも個人的な見解ですがお勧めは「高野槇の節あり」予算があれば「木曾檜」、東北地方でしたら、その土地で産する木・ヒバも良いと思います)

対馬 椎根の石屋根(厳原)

長崎県対馬は韓国釜山港まで確か四十数㌔位のところにある。夜には釜山の港のネオンサインが見える距離である。元寇の役では大変な被害にあった地域である。小茂田浜神社の近く厳原町西海岸にわずかに残すのみとなった石屋根は、対馬で産出される石を板状(長さ、幅、厚みはまちまち)にして屋根を葺いた高床式(柱は平柱)の建物で、倉庫として利用されている。ただし、倉庫と言っても貴重品を収蔵するために造られ内部は、穀類、家具類、衣料等の3つの部屋に仕切られている。当時対馬では、瓦屋根は武士しか使用できなかった。武士以外の人々の住居の屋根はコストのこともあり木の皮(対馬はその気候風土から和種、外来種合わせて大変多くの樹種が見られ、かれこれ30種類以上はあったかもしれない。)でしか葺くことができなかった。台風の被害も多く風雨で屋根が吹き飛ぶことも度々あり、被害を最小限に食い止めるため住居のある敷地内に、貴重品を収蔵するための別棟を設けて近くで産出する重くて頑丈な石で屋根を葺いたのである。大きく飛び出したひさしや屋根を支える柱は湿気に強く腐りにくい松や栗、壁板には様々な木が使用されている。たまたま拝見したお宅(壱岐の保存地区に指定されており、建物は生活をしながらきちっと保存されている)ではモミの木が使われていた。(写真の右手後ろに住居がある)

日本では対馬でしか見られず、椎根地区の石屋根が有名である。

 
国宝 深山観音堂(観音寺)

山形県 室町後期/1467-1572 桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、茅葺 1棟 山形県西置賜郡白鷹町大観音堂は方三間の阿弥陀堂式建築で、円柱、舟肘木、疎垂木などに平安末期を思わせる特徴を持つが、禅宗様に属する虹梁やせいの高い飛貫、足固貫などから室町時代後期の建築と推定される。外観の古様と内部の新様が混在した中世地方仏堂の例として意義が深い。


国宝 富貴寺大堂

富貴寺は平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院です。 中でも阿弥陀堂(いわゆる富貴寺大堂)は、宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、現存する九州最古の木造建築物であり、国宝指定されています。 

本尊の阿弥陀如来像は970丈にも及ぶ一本の榧の巨木から六郷満山寺院を開基したとされる仁聞菩薩の手によって造られた、と伝えられています。 大堂内には極楽浄土の世界を描いた壁画が施されており、風化が激しいが、極彩色で描かれていたという調査結果から県立歴史博物館に忠実に再現されています。 他にも大堂の周囲には僧侶が修行のときに使用したとされる、梵字が刻みつけられた仁聞石や鎌倉時代の笠塔婆、室町時代の国東塔等があり、かつての富貴寺の繁栄ぶりを偲ぶことができます。

富貴寺では、四季折々の美しい景色をご覧になれます。 春は梅、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と、まさに日本の四季を堪能できる醍醐味があります。



協力(順不同)

白鷹町役場 教育委員会 〒992-0892 山形県西置賜郡白鷹町大字荒砥甲833番地
TEL:0238-85-2111(代表)

豊後高田市役所 〒879-0692 大分県豊後高田市是永町39番地3(高田庁舎)
電話番号0978-22-3100(代表)

高山市役所 〒506-8555 岐阜県高山市花岡町2丁目18番地 電話:0577-32-3333

犬山市観光協会 〒484-0086 愛知県犬山市松本町4-21 TEL:0568-61-2825

美山町観光協会 〒601-0722 京都府南丹市美山町安掛下23 TEL 0771-75-1906

文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表) 03(5253)4111

 (一社)長崎県観光連盟 長崎県企画振興部文化観光物産局観光振興課
長崎市元船町14-10 橋本商会ビル8階 TEL :095-822-9690

虎渓山永保寺 〒507-0014 岐阜県多治見市 虎渓山町1丁目40 電話: 0572-22-0351

(公社)びわこビジターズビューロー 広報情報部
〒520-0806 大津市打出浜2番1号「コラボしが21」6階 TEL 077-511-1530 

比叡山延暦寺  〒520-0116 滋賀県大津市坂本本町4220 電話: 077-578-0001  


ZIPANG TOKIO 2020

2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。 この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、伝統芸能、行事、風習、ものづくりの技の美等、 サイトを通じて、平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです

もしもこのサイトに同じ思いをお持ちの皆様から、素敵な情報や画像をお寄せ戴ければこの上ない喜びです。以下のEメールアドレスへご連絡下さい。

E-mail aromajinja@gmail.com ( ZIPANG 2020 編集部 )。

2020, will be held the Olympic Games and Paralympic in Tokyo.

On this occasion, for the little-known beauty of the spiritual culture and national land of Japan to the people of the world I think that if we help to re-discover.

Climate, nature of the four seasons, of food, clothing and shelter cultural beauty, traditional arts, events, customs, beauty, etc. of the work of making things,

Through the site, peaceful country, a strange country, if the interest is more depth or round to ZIPANG Japan, is where I want secretly.


写真ご協力:高山祭(高山市)/ 富士山(富士市)

ZIPANG TOKIO 2020

2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。 この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、伝統芸能、行事、風習、ものづくりの技の美等、 サイトを通じて、平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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