日本色彩学会研究大会ご参加の皆様へ
今年度、表記大会が名古屋開催と伺い、本サイトの発信基地でもあることから、誠に嬉しく、少しでもお役に立ちたく、ご案内致します。ただ、一般の読者が大勢おられますので、日本色彩学会会員の皆様には記事の中で重複する部分があるかもしれません、予めご容赦お願いいたします。
橦木館 座敷から緑に包まれた庭と茶室を眺める。
文化のみち橦木館は、大正末期から昭和初期にかけて建てられた、陶磁器商として活躍した井元為三郎の旧邸宅で、平成21年7月17日に開館しました。約600坪の武家屋敷の敷地割りに、庭を囲むように大正浪漫あふれる、洋館、和館、茶室や裏庭に東西二棟からなる蔵が残されています。 洋館には、当時の流行を先取りしたステンドグラスが各所に配置されております。 市民の文化活動の拠点として、文化のみちの歴史・文化を伝える施設です。
徳川園 名古屋 和カフェ(バー) 「蘇山荘 」
汎太平洋博覧会(昭和12年)の迎賓館を移築した歴史的建造物で国の登録有形文化財にも指定された蘇山荘は昼はカフェ、夜はバーとしてお愉しみ頂けます。オススメは幻想的なライトに照らされるバータイムの和空間で充実した品揃えの日本ワインやジャパニーズウイスキー、日本酒などジャパニーズアイテムを愉しむ事!お仲間との会食の利用には料理とフリードリンクがセットになったお得なディナープランもご用意。カフェだけでもOKです。ただし、土・日・月・祝はお休みなのでご注意ください。特別な空間で過ごす大人のひとときを是非、お愉しみ下さい。
徳川園蘇山荘
徳川園蘇山荘プロムナード
徳川園蘇山荘通路庭
徳川園蘇山荘和・洋折衷のミスマッチの室内。とにかく落ち着く空間です。
想像では、人気があり過ぎて土・日・月・祝をお休みにされているのでは?
徳川園蘇山荘 中庭
徳川園蘇山荘 庭を眺めながら・・・
徳川園蘇山荘 お抹茶をお召し上がりください
鶴舞公園 「奏楽堂」明治43年に鶴舞公園で開催された第10回関西府県連合共進会の中心的施設として建設された、アールヌーボーを取り入れたイタリアルネサンス風の建造物です。
設計者は、噴水塔と同じ鈴木禎次工学士。
昭和9年に老朽化のうえ室戸台風により大被害を受けたため取り壊され、昭和11年から平成7年まではデザインの異なる奏楽堂が建てられていましたが、平成9年に築造当時の姿に復元されました。
そんな名建築とも知らず部活をさぼって、冷たい石が気持ち良いのでよくこの中で眠っていました。変なことを思い出させる奏楽堂です。近くには名古屋工業大学があります。
名古屋城空撮 現在は内堀しか残っていませんが、昔は外堀を通称「瀬戸電」といって瀬戸行きの電車の駅になっていました。今でも栄から大津通を北(名古屋城方向)に走ると愛知県庁の手前に橋がかかっています。夕方になると橋の欄干には重厚なランプに灯が灯ります。その橋の下を西から東に瀬戸電が走っていました。
名古屋城天守閣。確か焼失する前の名古屋城は「徳川家康公」の命を受け築城の名手「加藤清正公」が建築したと小さいころから聞かされていましたが、そろそろ本当のことを調べようと思います。
現在はコンクリートですが、河村市長のおかげで木造建築になりそうです。
どことなく威厳が感じられる、焼失以前の名古屋城と本丸御殿です。
名古屋市博物館は、名古屋市の人口200万人突破記念事業の一環として、昭和52年(1977)10月1日に開館した歴史系博物館です。名古屋を特徴づける歴史資料を中心に、収集資料は約2万3千件、24万点に達しています。
2階常設展「尾張の歴史」では、このうち約1千点の資料により旧石器時代から現代までのこの地方の歴史を紹介しています。また1階特別展示室では国内外の優れた文化遺産を紹介する特別展と、名古屋を中心とした尾張地域の歴史文化を掘り起こす企画展を年5~6回開催しています。あわせて講演会やワークショップなど様々な企画で皆様の御来館をお待ちしています。
また、市民の文化活動発表の場として、絵画・彫塑・書などを展示するギャラリー、演奏会・講演会などに利用できる講堂を併設しています。館の前景として日本庭園を配し、四季折々の景色をお楽しみいただくこともできます。
北斎が名古屋に住んでいたとは?しかも北斎漫画が名古屋で描かれたそうですよ。
名古屋市秀吉清正記念館
秀吉清正記念館のある中村区はじめ名古屋市の各区、各地名は、変遷を繰り返して現在の区域や名称になりました。
江戸時代以前の中村区周辺は、尾張国愛知郡中村郷という地名でした。
明治22年(1889)、名古屋市という行政組織と地名が生まれ、今の栄を中心とする地域が名古屋市になりました。中村一帯は名古屋市には含まれず、愛知郡の一部になりました。明治41年、名古屋市は四区制となり中区、東区、西区、南区に分けられましたが、中村は愛知郡のままでした。
大正10年(1921)、名古屋市が拡張され、周辺の町や村が名古屋市に大併合されました。このときはじめて中村周辺は名古屋市に含まれ、北側が当時の西区、南側が中区に併合されました。さらに昭和12年(1937)10月1日、西区と中区から分区され、中村区が誕生しました。
今年は、中村区が誕生して80年になります。
「本能寺焼討之図」 秀吉清正記念館蔵 明治 楊齋延一画 大判三枚続
本能寺の変を描く浮世絵。右端が織田信長、中央が明智光秀配下の安田作兵衛、左端が森蘭丸。
尾張の戦国大名、織田信長はしだいに勢力をのばし、1568年(永禄11)に室町将軍・足利義昭を助けて、京(今の京都)に入りました。秀吉は信長に仕え、長浜城主(現・滋賀県)、次に姫路城主(現・兵庫県)に取り立てられ、力をつけていきます。信長は1573年(元亀4)に室町幕府を滅ぼしますが、1582年(天正10)、本能寺で明智光秀に討たれ、天下統一を目の前にして倒れました。ここでは信長が天下統一を志した時代を紹介します。
名古屋市秀吉清正記念館は、名古屋市中村区に生まれた2人の武将、豊臣秀吉と加藤清正に関する資料を収集し、展示する歴史博物館です。
常設展は、織田信長が天下統一へ向かったころから、秀吉の天下統一、そして大坂の陣で豊臣氏が滅亡するころまでを、5テーマに分けて紹介しています。また、毎年秋には、特別陳列を開催します。このほか、館蔵資料を中心とした特集展示、写真パネル展を随時開催しています。
中村公園文化プラザ内にあり、同じ建物に中村図書館、中村文化小劇場があります。記念館がある中村公園周辺には、秀吉・清正の生誕地碑、豊国神社、妙行寺(みょうぎょうじ)、常泉寺(じょうせんじ)など、多くの史跡があります。記念館を出発点にしての、歴史散歩も楽しいでしょう。
「正清猛虎討取図」 秀吉清正記念館蔵 元治元年(1864) 月岡芳年画 大判三枚続
秀吉の命で朝鮮に渡った清正が、野営地を襲う虎を槍で討ちとったという逸話を描く。
入館料:無料
開館時間:午前10時から午後5時
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、第3金曜日、12月29日から1月3日
住所:〒453-0053 名古屋市中村区中村町茶ノ木25
電話: 052-411-0035
ファックス: 052-411-9987
交通:地下鉄東山線「中村公園駅」下車、3番出口から北へ徒歩10分。
駐車場:26台 1回300円(ただし30分以内は無料)文化プラザ共用。
住所:名古屋市中村区中村町茶ノ木25
有松鳴海山車会館
重要伝統的建造物群保存地区「有松鳴海 」染織町で登録。あと、愛知県では豊田市足助が商家町として登録されています。現在、43道府県95市町村115地区が登録されています。
重要伝統的建造物群保存地区選定基準(昭和50年11月20日文部省告示第157号)によると、
伝統的建造物群保存地区を形成している区域のうち次の各号の一に該当するものとあります。
⑴伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの ⑵伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの ⑶伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているもの
栄 オアシス21とテレビ塔 夜景( オアシス21の左上にある建物が愛知県芸術センター・愛知県美術館になります)。あ、そうそう迂闊でした後援は名古屋市でした、名古屋出身の建築家「黒川紀章氏」の設計による名古屋市美術館の写真をこの下に追加します。
(空撮)地下鉄の名古屋駅と栄駅の間の駅「伏見駅」で下車、南に下り5分~10分、後で紹介する名古屋市科学博物館(中央)の隣です。写真で言うと右手前森の中の逆三角形の建物がそうです。
〇▽▢の三角です。
一般社団法人日本色彩学会平成29年度研究会大会のご案内
ご挨拶
日本色彩学会とは
本会は、1948年(昭和23年)に設立された「日本色彩科学協会」を前身とします。その後1970年(昭和45年)に「日本色彩学会」と改称し、2015年(平成27年)4月1日に一般社団法人になりました。前身から数えますと70年近い歴史を有しています。
日本色彩学会は、色彩学およびその応用についての研究発表、知識の交換、会員相互および内外の関連学会との連携協力等を行うことにより、色彩学の進歩普及を図り、もってわが国の学術発展に寄与することを目的としています。 色彩は、医学、工学、心理学などの基礎的学術分野から、ファッション、化粧、塗料、照明、建築などの文化・産業領域まで、きわめて幅広い分野に関係しています。 アカデミック業界で「学際的; interdisciplinary」という言葉がもてはやされるようになるずっと前から、色彩を共通項に、自然体で学際的活動を続けてきたのが本会であります。さらに日本色彩学会は、国際色彩学会(Association Internationale de la Couleur:略称AIC)の創設時メンバーとして、色彩学に関する研究成果の国際発信を積極的に進めて参りました。 1997年(平成9年)の第8回京都大会に続き、2015年(平成27年)には東京で中間大会を開催し大きな成果を挙げました。
会員の皆様におかれましては、学会活動を今後ますます発展させていくため、一層のご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。また、このホームページをご覧になった会員以外の方におかれましては、色彩に関わるご関心を多くの人と共有し、考察を深める場として、是非ともご入会をご検討くださいませ。 日本色彩学会は、大学や企業の研究者や学生のみならず、色彩を愛するすべての方々を歓迎いたします。
一般社団法人日本色彩学会会長 髙橋晋也
LOJ&LC 大会前日(11月24日・金) プレ企画(見学・懇親会)のご案内
美しい日本の色彩環境を創る研究会 主査 林 英光
(愛知県立芸術大学名誉教授)
くらしの色彩研究会 主査 渕田隆義
(女子美術大学)
研究会大会初日(11月25日(土))に開催される美しい日本の色彩環境を創る研究会・くらしの色彩研究会共催シンポジウム「“伝統・未来”名古屋から世界へ ~ Arte 凸盛り Nagoya ~」のプレ企画として、産業文化の街名古屋、尾張徳川の城下町名古屋、堀川水運を生かした街名古屋の歴史と文化に触れる見学会と懇親会を企画しました。
名古屋市が運営する名古屋観光ルートバスメーグル (1日乗り放題500円、1回乗車210円)沿線には
①トヨタ産業技術記念館
〒451-0051 名古屋市西区則武新町4-1-35 TEL 052-551-6115
②ノリタケの森
次の100年にむかって、この森は誕生しました
〒451-8501 愛知県名古屋市西区則武新町3-1-36 TEL:052-561-7114
〒451-8501 愛知県名古屋市西区則武新町3-1-36 TEL:052-561-7114
次の100年にむかって、この森は誕生しました
1904年、1枚のディナー皿からノリタケの歴史は始まりました。以来この場所で、変わらぬ理念のもとに、人々の心を豊かにする食器をつくり続けています。株式会社ノリタケカンパニーリミテドは創立100周年の記念事業として、2001年(平成13 年)10月5日、近代陶業発祥の地であるノリタケ本社敷地内に陶磁器に関する複合施設「ノリタケの森」をオープンしました。
この森は、名古屋市中心部の約48,000m2という広大な敷地に、文化と出会う【カルチャーゾーン】、暮らしを楽しむ【コマーシャルゾーン】、歴史を感じる【ヒストリカルゾーン】という3つゾーンを配し、豊かな緑が全体を包みこんでいます。この事業を通じて、産業観光の促進や環境への寄与と、およばずながら地域社会への貢献・感謝の具現化に取り組んでまいります。
これまでも、そしてこれからも、広く生活文化に目をむけて、みなさまとともに真に豊かな暮らしの創造へ。この地で育んできたノリタケの技術、伝統、芸術の粋と、新しい夢の鼓動を心ゆくまでお楽しみください。
③本丸御殿復元公開中の名古屋城
本丸御殿
本丸御殿表書院上段之間
本丸御殿二之間
本丸御殿一之間
本丸御殿の概要
戦後の復興にともない、1959年(昭和34年)に天守閣は再建されました。本丸御殿についても、江戸時代の文献のほか、多くの写真、実測図が残されており、在りし日の姿を忠実に蘇らせることが可能です。
かつて名古屋城の本丸には、天守閣の南側に本丸御殿がありました。この本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作と言われ国宝に指定されていた建物で、現在、国宝になっている京都二条城の二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の双璧と言われていました。
勇壮な天守閣と優美な御殿が並び建つことで、名古屋城は城郭建築としての風格を形成しており、1930年(昭和5年)に国宝に指定されましたが、1945年(昭和20年)5月、空襲により天守閣、本丸御殿ともに焼失してしまいました。
戦後の復興にともない、1959年(昭和34年)に天守閣は再建されました。本丸御殿についても、江戸時代の文献のほか、多くの写真、実測図が残されており、在りし日の姿を忠実に蘇らせることが可能です。
名古屋城天守閣
名古屋城櫓
名古屋城天守閣
名古屋城近くの名古屋市本庁舎。昭和8年に建てられた趣のある外観。内部の玄関ホールや階段は大理石を使用、廊下も味がある。華麗なる一族など数々の映画作品に使用されている。
名古屋市本庁舎の東にある名古屋市市政史料館。大正11年にネオ・バロック様式で建てられた旧名古屋控訴院。現在は、国の重要文化財として公開・保存。
④徳川園;徳川美術館と蓬左文庫
徳川園の入口 --- かつての尾張徳川家名古屋別邸の表門、通称「黒門」をくぐると、緑に囲まれた石畳の向こうに、徳川美術館の前景が見えてきます。 公園と美術館とが一体となったゆったりとした雰囲気は、そのまま館内へと続いてゆきます。 当時の最先端技術を駆使した建築でありながら、日本文化の伝統の薫りに浸ることのできる雰囲気は、徳川美術館の最高の魅力といえましょう。
平成16年(2004)11月には、隣接する池泉回遊式の日本庭園「徳川園」と尾張徳川家旧蔵書を収蔵する「名古屋市蓬左文庫」がリニューアルオープンし、 美術館をとりまく一帯が整備されました。徳川美術館と蓬左文庫の展示室は一体化し、近世武家文化を体感できる歴史文化拠点となりました。
蓬左文庫外観
国の有形文化財に登録
徳川美術館は建物の外観デザインを公募して昭和7年(1932)に着工、昭和10年春に完成し同年の秋に開館。 近代的設備を備えた画期的美術館としてヨーロッパの建築界にも紹介されました。 当時の展示棟と収蔵庫である今日の企画展示室(第7・8・9展示室)と南収蔵庫は、城閣を想わせるような帝冠様式建築で、昭和初期の我が国の美術館建築を代表する建造物として国の有形文化財に登録されています。
徳川園
徳川園
徳川園
徳川園の紅葉
徳川美術館のあゆみ
徳川美術館は、江戸時代の大名家・尾張徳川家に伝えられた重宝、いわゆる「大名道具」を収蔵する美術館です。徳川義親によって昭和6年(1931)に設立された公益財団法人徳川黎明会が運営する私立美術館で、昭和10年に開館しました。
総石高61万9500石を領した大大名・尾張徳川家に伝えられた重宝のほか、明治維新後は徳川宗家(将軍家)や紀伊徳川家など大名家の売り立て品を購入、また岡谷家や高松家など多くの篤志家からの寄贈品を収めてさらに充実し、戦中戦後の災難混乱を免れて現在に至っています。昭和62年(1987)秋には開館50周年を記念して実施された増改築工事が完成、名品コレクション展示室が加わることによって、より一層充実した展示をご覧いただけるようになりました。
収蔵品は徳川家康の遺品をはじめ、初代義直(家康9男)以降の尾張徳川家の歴代当主やその家族らの遺愛品を中心に、総数およそ1万件余りにおよびます。世界的にも有名な国宝「源氏物語絵巻」をはじめ国宝9件、重要文化財59件、重要美術品46件を含み、徳川美術館ならではの種類の豊富さ、質の高さ、そして保存状態の良さを誇っています。明治維新や第二次世界大戦の戦災などによって、多くの大名家の伝来品が散逸してしまった今日、徳川美術館の収蔵品は大名家のコレクションとして唯一まとまった存在です。また尾張徳川家の記録や文書類を収める研究機関・徳川林政史研究所を姉妹機関にもつ点でも、他に例を見ない美術館です。
大名の生活と文化を紹介する名品コレクション展示室では、尾張徳川家当主の生活の場であった名古屋城二之丸御殿を、時代考証に基づいて部分的に復元しています。美術品とそれらが使われた空間との一体的な体系展示によって、美術品単体の美にとどまらず、日本の伝統的な「構成の美」「取り合わせの美」を鑑賞することができます。さらに有形文化財として登録されている本館では、特別展や企画展示を随時開催しています。
平成16年(2004)には、近世大名庭園を再現した池泉回遊式の日本庭園が隣接する徳川園内に作られ、尾張徳川家伝来の古書籍を収蔵する名古屋市蓬左文庫に完成した展示棟と徳川美術館が連絡通路によって一体化し、徳川園一帯は大名文化を総合的に体感できるスペースとなりました。
徳川美術館は「大名道具とは何か?」「近世大名とは何か?」という問いに答えることのできる我が国唯一の美術館です。江戸時代の大名文化と、日本が誇る歴史遺産を今に伝える中心的施設として、徳川美術館はあゆみを続けています。
⑤名古屋陶磁器会館
昭和7年、当時の名古屋陶磁器貿易商工同業組合の事務所として建設。館内はレリーフのある天井などで、アールデコ調の雰囲気が残っている。1階はギャラリーと絵付けなどの教室として利用され、会館はデザイン関係のテナントが多く入っている。かつて輸出された数々の魅力的な陶磁器製品が所狭しと、陳列されている。
⑥文化の道(二葉邸、撞木館等)
大正ロマンの薫る「文化の道」を訪ねてみて見てはいかがですか。
二葉館
二葉館
文化のみち橦木館
橦木館、縁側の先の庭の奥に茶室
橦木館 座敷から庭を眺める
文化のみち橦木館茶室
白壁
ほかにも名古屋の歴史と文化に触れられる施設が数多くあります。
揚輝荘
四間道界隈
納屋橋(地下鉄伏見駅と名古屋駅の中間です)橋を渡って(柳橋方向に)すぐ左側に
明治32年創業の「宮鍵」という鰻屋さんがあります。鰻丼がお勧めです。鰻と米のバランスが絶妙です。(ただ50年ほど行きたいけど行けてませんが、きっと美味しいと思います)
そうなんです、昔名古屋の中心は柳橋、納屋橋でした。それが市電が廃線になり地下鉄の駅もなく、行くに行けず、この50年の間に柳橋、納屋橋の町は取り残され地盤沈下してしまったわけです。「宮鍵」に行けなかった言い訳かも知れません、本当に食い物の恨みは恐ろしい・・・都市計画にまで発展しそうです。交通機関と食文化は大変重要な切っても切り離せないものだと思います。
柳橋、納屋橋の復権に期待しています。
名古屋市科学館(プラネタリウムは日本一いや、世界一かな?とにかく凄い)
白鳥庭園
白鳥庭園
白鳥庭園
白鳥庭園茶室
白鳥庭園待合
白鳥庭園なぐりの欄干の木橋
(空撮)堀川の左側に白鳥庭園その上(北)の白い建物が白鳥国際会議場、さらにその上は中央卸売市場(昔から魚が中心の市場なので市場の中には安くてうまい寿司屋アリ)堀川を北に上ると納屋橋さらに北に行くと名古屋城のお堀に着く。昔は筏師が筏を組んで材木を運んだものである。堀川の左右の岸は製材工場、材木店が軒を並べ、重い材木をまるで魚を釣り上げるように、堀川から簡単に釣り上げていました。因みに白鳥国際会議場や庭園のある所は貯木場であった。名古屋デザイン博覧会のメイン会場になり埋め立てられました。子供のころよく筏に乗って遊んだものである。熱田神宮は南東方向にありもう目と鼻の先にある。当時子どもたちの遊び場は至る所にありました。
そうそう、堀川の右側(東)の野球場の熱田球場の右横には、当時の子供たちの遊び場の一つ、名古屋市最大の古墳・断夫山(だんぷざん)があります。全長約 150mで濃尾平野では最大のもの。埴輪も出土しています。昔話が少し長くなったようです・・・
東海道唯一の海路「七里(しちり)の渡し」
七里の渡しは、宮宿と桑名宿を結ぶ東海道唯一の海路で、その距離が七里(27.5km)であったことから、そう名付けられました。この海上ルートは、東海道の宿駅制度(制定は1616年頃といわれている)が設けられる以前、すでに鎌倉・室町時代から利用されており、古くから東西を結ぶ重要な交通インフラでした。もっと古くは、壬申の乱の際に、吉野から逃れた大海人皇子(後の天武天皇)の一族が桑名から海路、尾張に渡ったという説もあります。
外回りと内回りの二通りの航路
航路は、外回りと内回りの二通りあり、満潮のときは陸地に近い内回りのルートを、干潮のときは陸地から遠い外回りのルートを使ったと記録されています。この近い方の内回りの航路(海上七里)の距離が七里でした。なお、かならずしも呼び名通り七里きっかりの距離ではなく「七里」は通称です。
所要時間(当時)
天候や潮の状況にも左右されますが、順調にいって4時間から6時間ほどの船旅だったといわれています。これは、潮の干満によってコースが違うことと、風の状態に左右されたためです。干拓などで海岸線が変化するたびに七里の渡しの航路も変わり、現在に至っては、江戸時代の絵図からは想像できないほど埋め立てられています。
渡し船の種類と代金
この航路で使われた船は、大名が乗る御座船と呼ばれる豪華なものから、一般庶民が乗る帆掛け船までいくつかのグレードがあり、船賃はそれぞれに設定されていました。正徳元年(1711年)5月の記録によれば、船賃は桑名まで、旅人1人45文、荷物1駄100文、馬1頭口取足付きで123文と決められていました。
ここが「七里の渡し」、宮の渡し公園として整備されています。清水の次郎長の名代で金毘羅詣りの森の石松や、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』東海道五十三次の弥次さん喜多さんもここから船に乗ったのですね。そして桑名の焼き蛤を食べたわけです。
そこで「そうは桑名の焼き蛤・・・と言ったんでしょうか?」
最近は、堀川端に若者たちが始めた“なやばし夜イチ”(毎月第4金曜日)が注目を集めているようです・・・
ZIPANG TOKIO 2020 鎹八咫烏 記
(「斎王」「斎宮」の伊勢の国 明和町観光大使)
<行 程>
名古屋駅バスターミナル(https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/BUS/TRP0001987.htm)⑪乗り場に
13:00集合(色彩学会の手旗を持った案内人が待機しています)
13:30発 好きな目的地を選んでメーグルに乗車
例1)名古屋駅13:30→13:52名古屋城(14:30発→14:52着でも可)
例2)名古屋駅13:30→13:38トヨタ産業技術記念館14:38→14:52名古屋城
例3)名古屋駅13:30→13:42ノリタケの森14:42→14:52名古屋城
15:15~16:00 名古屋城本丸御殿見学(案内:名古屋城本丸御殿障壁画復元模写 秦誠先生を予定)
16:30~17:30 堀川沿いの古い町並み(四間道等)を散策しながら懇親会場
17:30~19:00 ギャラリーカフェブランカ( http://www.blanka.co.jp/)で懇親会(参加費:4,000円)
堀川端に尾張商人の蔵が並ぶ一角にある洒落たイタリアンの店(定員25)
19:30~ “なやばし夜イチ”ブラ(流れ解散)
名古屋近郊から参加の方は、朝から何ヶ所か巡ったのち、15:15に名古屋城本丸御殿入口にお出で下さい。
※懇親会参加者は、必ず事前申込・会費納入をお願いします。定員になり次第〆切らせていただきます。
懇親会申込方法:「24日懇親会参加申込」と記した上で、氏名、TEL(ケータイ)、E-mail、を添えて、11月10日までに下記メールアドレスまたはFAX先に申込ください。
E-mail:info@colaful.jp FAX:0561-48-5614 くらしの色彩研究会事務局 市場丈規
申込受付後、懇親会費振込先を連絡させていただきます。会費納入をもって正式申込とします。
主 催: 一般社団法人日本色彩学会
運 営: 日本色彩学会平成29年度研究会大会実行委員会
協 賛: 公益社団法人インテリア産業協会中部支部,Chie洋栽教室,
一般社団法人名古屋陶磁器会館,鳴海絞商工協同組合(有松鳴海絞会館),
公益社団法人日本インテリアデザイナー協会、
一般社団法人日本商環境デザイン協会
後 援: 名古屋市,公益財団法人名古屋観光コンベンションビューロー,
ウェブサイト「ZIPANG TOKIO 2020」
連 絡 先: 日本色彩学会平成29年度研究会大会実行委員会事務局
e-mail : kenkyu2017@color-science.jp
補足資料
重要伝統的建造物群保存地区一覧
平成29年7月31日現在
協力(順不同)
名古屋市役所〒460-8508 愛知県名古屋市中区三の丸三丁目1番1号
電話番号:052-961-1111(代表)
熱田区役所 〒456-8501 名古屋市熱田区神宮三丁目1番15号
電話番号:052-681-1431(代表)
徳川美術館 〒461-0023 愛知県名古屋市東区徳川町1017 電話: 052-935-6262
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111
名古屋市博物館 〒467-0806 名古屋市瑞穂区瑞穂通1-27-1 電話 052-853-2655
名古屋市秀吉清正記念館 〒453-0053 名古屋市中村区中村町茶ノ木25
電話番号: 052-411-0035
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