宮司様のご訃報に接し、お悲しみをお察し申しあげますとともに、 衷心より哀悼の意を表します。
かつて富岡八幡宮は桜の名所として知られ、境内は美しく彩られていました。
殊に江戸時代、度会園女(わたらいそのじょ)によって植樹された桜は計36本からなり歌仙桜と称されて江戸の名所の一つとなりました。平成26年、この歌仙桜は有志の方々により再興され、江戸時代の面影を今に伝えてくれます。
『富岡の舞』は昭和31年に富岡八幡宮の戦後御復興を奉祝して作られた神前神楽舞で、当時の富岡盛彦宮司が謹作した
「富ヶ岡 宮居高くも 仰ぐかな 朝夕べに 神のみいつを」
との和歌に、元宮内省楽長・多忠朝氏が作曲作舞したものです。
白の紋紗に松の模様を形置きした垂頸(たりくび)狩衣様の裾を長く引く舞衣を着け、鈴と五色の絹を付けた榊を執り物とした四人立ちの巫女舞です。曲の前半は典雅に、途中から四辺を巡りながら各々が神を拝しつつのびやかに舞われます。多忠朝氏は浦安の舞の作者として知られますが、富岡の舞はその最晩年の作となりました。
富岡八幡宮の御遷宮
明治44年9月12日、富岡八幡宮にて本殿遷座祭がおこなわれました。これは老朽化が進んだ江戸期の社殿の大修理に伴って斎行されたもので、仮社殿にお祀りされていた御神体は見事に修復された御殿に無事に遷されました。
この大修理には渋沢栄一を会長とする修保会が結成されて、日光東照宮の大修理にも携わった一流の技師により施工されました。
仁和寺の宮御染筆の社号額を載せた美しい絵葉書に厳かな遷御の様子が偲ばれます。
歌仙桜 広重 画
かつて富岡八幡宮の境内は桜の木々で華やかに彩られていました。殊に江戸時代、度会園女(わたらいそのじょ)によって植樹された桜は計36本からなり歌仙桜と称されて江戸の名所の一つとなりました。
深川八幡の牡丹 二代広重、三代豊国の合作
江戸時代、八幡宮の庭園は名所として名高かったが、立夏から2、3日頃、紅を魁(さきがけ)に、白を殿(しんがり)にして牡丹が咲くと多くの参拝者で賑った。
名所江戸百景 深川八まん山ひらき 二代目広重 画
境内の庭園は春になると「深川の山開き」と称して人々に開放され、着飾った老若男女で賑わいました。初世・並木五瓶作の歌舞伎『とみがおか富岡こいの恋やまびらき山開』の題名はここからきたものです。
深川富ヶ岡の牡丹
三代歌川広重画 國昭筆 明治時代
霊巌島濱町 竜神の山車 画 池田輝方 (明治16年~大正10年)
この絵は霊巌島濱町(現在の中央区新川)の竜神の山車の巡行を描いたもので、江戸から明治にかけてのお祭りの様子をよく伝えています。当時は神輿といえば宮神輿のことであって、町々は自慢の山車を曳いて祭りを盛り上げました。山車には町内の鳶頭が木遣りを謡って付き添い、また町々の娘・芸者衆は手古舞に扮して華を添えました。町神輿の登場は明治末頃と考えられ、明治42年の富岡八幡宮例祭には42基の大神輿と12基の小神輿による連合渡御が行われて町神輿の先駆けを築きました。
富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。
江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念されました。
また、庶民の信仰は江戸の昔から大きな歴史の変転を経て現代に至まで変わることなく篤く受け継がれ、今も善男善女の参拝は絶えず、特に毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せています。
御祭神 応神天皇(誉田別命) 外8柱
月次祭参列のご案内
富岡八幡宮では毎月1日・15日・28日に日々の神恩感謝と氏子崇敬者の益々の繁栄を祈る月次祭を厳かに執り行っております。
月次祭に参列し健やかな日々を過ごしましょう。
当宮神職が浄衣を着装し全員でご奉仕致しますが、どなたでも参列できます。
参列される方は8時50分までに御本殿受付窓口までお越し下さい。(初穂料不要)
都内でも屈指の厳かな本殿
参列者の方々も御忌衣を着用し、修祓(お祓い)を受けられます。
神職・巫女による雅楽の奏上がございます。
献饌(神様にお食事をお勧めします。)
厳粛な祭祀が執り行われます。
皆様の繁栄を祈る祝詞奏上
祭員による玉串拝礼
参列者の方々にも玉串拝礼をして頂いております。
境内の12のお末社に祀られておられる18柱の神様全てをお参りします。
巡拝後参列者の方にはお神酒をお授け致します。
祭典終了後は巫女が点てた抹茶とお菓子を召し上がっていただきながら神職と懇談いたします。
富岡八幡宮境内
手水舎
手水舎「鳳凰の吐水口」
富岡八幡宮境内案内図
境内には計17社におよぶ末社が鎮座、昔からの信仰の中心地であったことがうかがわれます。
七渡神社
七渡神社と八重桜
八重桜:山桜に対して里桜とも呼ばれ他の桜より2週間ほど遅く咲き始めます。塩漬けにした八重桜の花にお湯をそそぐ「桜湯」は花開く縁起物として婚礼の席でよく使われます。
御祭神 市木嶋姫命
例祭日 6月17日
七渡弁天と親しまれる八幡様の地主神。6月17日の例察には遠方からも参拝者が訪れます。
八幡宮が創祀される以前から祀られる地主神。関東大震災・東京大空襲の災難もくぐりぬけ、このときに弁天池に避難した人は一命を取りとめたといいます。また、ご祭日にはお使いの白蛇が出てくるという話もよく聞かれ、神社の職員も度々目にしています。
粟島神社
御祭神 少彦名命 例祭日 10月15日 七渡神社に合祀されています。裁縫上達の神様として信仰を集めており、2月8日には献針祭が行われ、参拝者の皆様の折れ針・古針が供えられます。車析社
車析社
御祭神 清原頼業命 例祭日 5月14日
平安後期の儒学者・清原頼業命を祀る。後嵯峨天皇の牛車が門の前で動かなくなった故事に基づいて車折大明神と称されています。
客神社
御祭神 宇受売命 例祭日 5月15日
車析神社に合祀されています。芸能の神である宇受売命をお祀りしています。
野見宿禰神社
御祭神 野見宿禰命 例祭日 4月24日
相撲の始祖といわれる野見宿禰をお祀りする神社です。江戸勧進相撲発祥の当宮にふさわしい末社といえましょう。
住吉社
御祭神 住吉神 例祭日 6月30日
古くより航海安全・和歌・農耕の神様として信仰されています。
聖徳太子社
御祭神 聖徳太子命 例祭日 4月22日
憲法十七条・冠位十二階の制定、遣隋使の派遣など、我が国の基礎を固めた聖徳太子をお祀りする神社です。
天満天神社
御祭神 菅原道真命 例祭日 8月25日
学問の神様として受験生の信仰を集める菅原道真をお祀りする神社です。ちなみに当八幡宮は道真公の後裔といわれる長盛法印により創建されました。
祖霊社
御祭神 当宮歴代祀職命 例祭日 春分の日・秋分の日
当八幡宮の歴代祖霊が祀られている神社です。神道では祖先を崇めることは神様を敬うことと同様に大切なことと考えられています。
花本社
御祭神 松尾芭蕉命 例祭日 10月12日
祖霊社に合祀されています。芭蕉は深川に仮住居を設け、生涯でもっとも長い住まいであった縁から当境内に祀られています。
八つの末社が鎮まります。
永昌五社稲荷神社
御祭神 倉稲魂命 例祭日 4月9日
五穀豊饒・商売繁盛の神様として、特に地元の肥料商関係者から絶大な信仰を集めています。近隣の稲荷社五社が合祀された神社です。
鹿島神社
御祭神 武甕槌命 例祭日 9月1日
武勇の神様、旅行の神様として信仰を集める神社です。
大鳥神社
御祭神 天日鷲命 例祭日 11月酉の日
江戸時代よりお酉さまと呼ばれ、家内安全・商売繁盛の神様として多くの信仰を集めています。11月には酉の市が開かれ、縁起物の熊手を求めて多くの参拝者で賑わいます。
熊手を求める人・ひと・ヒト...
大鳥神社の西の市。
多くの参拝者で賑わいます。
恵比須社
御祭神 事代主命 例祭日 10月20日
航海安全・商売繁盛の神様で七福神の一つに数えられています。深川七福神巡りのコースに含まれており、お正月には多くの参拝者で賑わいます。なお七福神関係の授与品は1月1日から15日となっております。どうぞお早めにお参りください。
大黒社
御祭神 大国主命 例祭日 5月14日
因幡の白ウサギを助けたことで知られ、国土経営に努力した大国主命をお祀りする神社です。
富士浅間社
御祭神 木花咲耶姫命 例祭日 7月1日
以前は境内に富士山があり、江戸で山開きと言えば八幡様というほど人気がありました。現在富士山の山開きにあたる7月1日には江戸時代以来続く疫病除けの大蛇守りが授与されて、多くの参拝者が求められます。
金刀比羅社
御祭神 大物主命 例祭日 10月10日
航海・漁業の守護神として江戸時代中頃に香川の金刀比羅宮から勧請され、深川庶民の間で広く信仰を集め現在にいたっています。
平成13年10月25日、改築された三末社
伊能忠敬銅像
製作 酒井道久氏
監修 伊能 洋氏
☆監修の伊能氏は忠敬翁より7代目の御子孫に当たります
平成13年10月20日、江戸時代後期の測量家・伊能忠敬翁の銅像が境内大鳥居横に建立され除幕式が行なわれました。測量開始から200年を迎え、50歳を過ぎてから天文学・測量術を学んだ忠敬翁が注目を集めていますが、翁は深川黒江町(現・門前仲町1丁目)に住み、測量旅行出発にあたっては必ず当宮を参拝していたことから縁りの地であるこの八幡宮に銅像が建てられました。
除幕式当日は晴天に恵まれ、当宮神職による厳粛な神事のあと、この秋公開の映画「伊能忠敬-子午線の夢」で忠敬翁を演じた加藤剛さん、妻・お栄役の賀来千香子さんらが役柄の扮装のまま駆けつけ、地元・数矢小学校の児童たちと除幕を行ないました。また、銅像の横には新地球座標系に準拠した国内第1号の三等三角点「富岡八幡宮」も設置され、同時に除幕されました。これはカーナビゲーシヨンなどに使われているGPSの基準点ともなる21世紀にふさわしい生きたモニュメントです。
深川周辺には忠敬翁隠宅跡のほかにも、翁が天文学を学んだ暦局跡、歩測訓練を行なった道、忠敬翁終焉の地などが点在しています。歴史を皆さんの足で感じてみませんか?
東京十社巡り
東京十社の起こり
慶応3年(1867) 10月、大政奉還により250数年に及ぶ江戸時代に終止符が打たれました。これを受けて明治天皇様は同年12月、江戸を東京と改め江戸城を皇居と定められました。ここに新しい首都、東京が誕生したのです。
東京十社とは明治天皇様が明治元年11月8日、准勅祭神社として幣帛を捧げられ、東京の鎮護と万民の平安を祈願されたお社のことです。勅祭とは天皇様の特使である勅使が派遣されるお祭りで、これに准ずる東京十社は大変に格式のある神社といえます。
東京十社巡り
昭和50年、昭和天皇様のご即位50年を奉祝して、元准勅祭神社である東京十社を巡拝する十社巡りが企画されました。皆さまも週未には東京の名社十社巡りをされてみてはいかがでしょう。ちなみに10月10日は、十社巡りの日です。
富岡八幡宮(深川八幡)
地下鉄東西線 門前仲町駅徒歩3分
芝大神宮(芝神明さま)
地下鉄都営浅草線 大門駅徒歩2分
日枝神社(山王さま)
地下鉄銀座線 溜池山王駅徒歩5分
品川神社
京浜急行本線 新馬場駅徒歩1分
氷川神社
地下鉄千代田線 赤坂駅徒歩5分
根津神社(根津権現)
地下鉄千代田線 根津駅徒歩5分
神田神社(神田明神)
JR総武線・中央線 御茶ノ水駅徒歩5分
亀戸天神社(東宰府 亀戸天満宮)
JR総武線 亀戸駅徒歩10分
白山神社
地下鉄都営三田線 白山駅徒歩1分
王子神社(王子権現)
JR京浜東北線・地下鉄南北線 王子駅徒歩3分
東京十社絵馬
それぞれのお社で小型の絵馬が授与されています。参拝の記念にどうぞ。
初穂料 300円
東京十社朱印帳
各社の御由緒、アクセスなどが記載されている「東京十社巡り」専用の御朱印です。裏面は白紙ですので十社以外の御朱印もお受け頂けます。
初穂料 1700円(御朱印料込)
深川七福神巡り
ゆっくり歩いても2時間ほどのコースです。新年の幸せを祈願しながら、ぜひ一度お参りされてみてはいかがでしょうか。
ご開帳は元旦より1月15日の間、午前8時より午後5時迄。色紙・笹・鈴の授与はこの期間内です。
深川七福神巡り案内図
道順のご案内
●恵比須神から弁財天ヘ 恵比須神を出て右へ。高速道路の下をくぐり、冬木交差点右手前方に弁財天。(所要時間5分)
●弁財天から福禄寿ヘ 冬木交差点へ戻り直進。深川一丁目交差点を右へ曲がると角から3軒目が福禄寿。(角が陽岳寺)(所要時間5分)
●福禄寿から大黒天ヘ 福禄寿を出て右へ。左に採茶庵(芭蕉奥の細道出発点)を橋のたもとに見ながら海辺橋を渡り、三叉交差点の右斜めの道へ。直進し、突き当たり右側角が大黒天。(所要時間10分)
●大黒天から毘沙門天ヘ 大黒天斜め前交差点を左に。左手に浄心寺を見ながら平野二丁目交差点を左折し、直進。(途中、左手に間宮林蔵の墓。)少し歩くと左側角に毘沙門天。(所要時間10分)
●毘沙門天から布袋尊ヘ 毘沙門天を出て左に。阿茶の局の墓で有名な雲光院を左手に見ながら次の信号を左に曲がり深川江戸資料館通りへ。右手に深川江戸資料館。次に松平定信の墓がある霊巖寺を見ながら清澄通りに出る。通りを横断して右に進み一つ目の角を左に入る。右手に本誓寺を見ながら清澄庭園入口の交差点を右折し、清洲橋通りを横断。左に布袋尊。(所要時間15分)
●布袋尊から寿老神ヘ
布袋尊を出て右へ。2つ目交差点を右折し万年橋を渡る。芭蕉記念館の向いの道を右へ。直進し左手に寿老神。(所要時間10分)
授与品のご案内
色紙: 社寺からご朱印を受ける色紙。
鈴掛け七福神: 各社寺からご尊像を模した鈴を一つずつかけていく福笹。
富岡八幡宮資料館
富岡八幡宮錦絵・古写真
富岡八幡宮史料館は、江戸名所図会を展示、また江戸明治期の錦絵、絵葉書等を引き伸ばして展示し、主に富岡八幡宮の社殿の変遷について紹介しています。
江戸勧進相撲発祥の地
富岡八幡宮史料館は、富岡八幡宮および郷土の資料を展示しています。「勧進相撲」は、主に横綱力士碑建立の発起人である第十二代横綱陣幕久五郎の資料を中心に展示しています。
富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名です。江戸時代の相撲興業は京・大阪からはじまりますが、 トラブルが多くしばしば禁令が出ていました。その後禁令が緩み、貞享元年(1684)幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許されます。
その地こそが富岡八幡宮の境内だったのです。以降約100年間にわたって本場所が境内にておこなわれ、その間に定期興行制や番付制が確立されました。そののち本場所は、本所回向院に移っていきますが、その基礎は富岡八幡宮において築かれ、現在の大相撲へと繋がっていくことになります。
詳細は小島貞二著『江戸勧進相撲と富岡八幡宮』 (富岡八幡宮社務所)の一読をお薦めします。
横綱力士碑
明治33年、第12代横綱陣幕久五郎を発起人に歴代横綱を顕彰する碑が建立されました。この碑には初代明石志賀之助から稀勢の里関までの四股名が刻まれていますが、その大きさは高さ3.5メートル、幅3メートル、重量は20トンに及び、横綱を顕彰するにふさわしい堂々たる石碑です。
新横綱誕生時には相撲協会立会いのもと刻名式がおこなわれ、新横綱の土俵入りが奉納されます。また両側には伊藤博文、山県有朋、大隈重信といった賛同者の名が刻まれており、広く各界から協賛を得て建立されたことを物語っています。
大関力士碑
表参道大鳥居をくぐってすぐ右手には、 歴代大関を顕彰するために建立された 「大関力士碑」があります。
この碑は明治の頃に、9代目市川団十郎と5代目尾上菊五郎により寄進されていた2基の仙台石を活用し、歴代大関の四股名が彫り込まれています。
またその傍らには巨人力士碑、巨人力士手形足形碑、 強豪関脇碑、 釈迦ヶ嶽等身碑等一群の顕彰碑が立ち並んでおり、横綱力士碑とあわせて、相撲名所として相撲ファンに親しまれています。
富岡八幡宮の例祭は8月15日を中心に行われます。俗に「深川八幡祭り」とも呼ばれ、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに「江戸三大祭」の一つに数えられています。3年に1度、八幡宮の御鳳輦が渡御を行う年は本祭りと呼ばれ、大小あわせて120数基の町神輿が担がれ、その内大神輿ばかり54基が勢揃いして連合渡御する様は「深川八幡祭り」ならではのものです。
深川のお祭りは「ワッショイ、ワッシヨイ」の伝統的な掛け声と「水掛け祭」の別名通り、沿道の観衆から担ぎ手に清めの水が浴びせられ、担ぎ手と観衆が一体となって盛り上がるのが特徴で、江戸の粋を今に伝えるお祭りとして、多くの人々によって大切に受け継がれています。
また、富岡八幡宮には元禄時代に豪商として名を馳せた紀伊国屋文左衛門が奉納したとされる総金張りの宮神輿が3基ありました。しかし関東大震災で惜しくも焼失、それから68年の時を経て平成3年に日本―の黄金大神輿が奉納され宮神輿が復活しました。
しかしながら、その大きさゆえに毎年担ぐことがかなわない為、新たに宮神輿を製作し、二の宮として平成9年の例大祭で華麗に渡御しました。
楽しそうに法被姿で神輿を担ぐ子供たち
富岡八幡宮青空市
富岡八幡宮青空市は、毎月15、28日、日の出より日没まで開催されているフリーマーケットになります。日用雑貨からインテリア用品・骨董品・手作り雑貨など幅広く出店されており、フリーマーケットを楽しみに来られた方から、骨董好きの方、掘り出し物目当ての方等幅広い方々より愛されております。出店数も年々増えており今年で約80店近くになりさらなる賑わいを見せております。
出店者の募集もしています。ご家庭の不要品を処分したい、フリーマーケットの雰囲気を満喫したいという方は出店されてはいかがでしょうか。
富岡八幡宮にはスロープが設置されています
境内の二か所に待望のスロープが設置されました。今後は車いす、ベビーカーでお越しの方も無理なく賽銭箱前でお参りができます。あわせて東京メトロ門前仲町駅の最寄り出口にもエレベーターが設置され、参拝に一層優しい環境が整いました。ぜひご活用ください
富岡八幡宮境内案内図
もうすぐ新しい年が始まります、みなさん是非お出かけください。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
富岡八幡宮 〒135-0047 東京都江東区富岡1丁目20−3 電話: 03-3642-1315
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