本丸御殿の復元は、技術や文化を後世へと継承する貴重な場にもなっています。武家文化の正統を受け継ぐ華麗な意匠、ものづくりの技と知恵、しなやかで美しい木の文化。本丸御殿は、この地に華開いた名古屋文化の原点ともいえます。木曽の森で数百年の時を刻んだ檜は、新たな命を吹き込まれ、千年先の未来へと受け継がれていきます。
「本丸御殿上洛殿上段之間」
1634年(寛永11年)には、徳川三代将軍家光の上洛にあわせ、新たに上洛殿や御湯殿書院などが造られました。
「本丸御殿上洛殿上段之間」二重折り上げ格天井
本丸御殿と名古屋城
本丸御殿と名古屋城
名古屋市観光文化交流局名古屋城総合事務所(所在地.愛知県名古屋市)は、「ものづくりの技、心、自然環境の大切さ」を後世に伝える一大文化事業として、江戸期最先端技術の粋を集めた近世城郭御殿の最高傑作「名古屋城本丸御殿」の10年に及ぶ復元計画を進めてきました。
2018年6月8日(金)にいよいよ完成公開を迎え、その全容がお披露目されます。
あわせてオープニングセレモニーには「名古屋城アンパサダー」に就任することとなった名古屋出身の俳優・舘ひろし氏も駆けつけます。
「名古屋城本丸御殿」は、尾張藩主の住居かっ藩の政庁として、1615 (慶長20)年に徳川家康の命によって建てられた、日本を代表する近世書院造の建造物で、総面積3 , 100 ㎡、木造平屋建こけら葺き書院造、13棟の建物で構成されています1930 (昭和5年)には天守閣と共に、城郭として国宝第一号に指定され屈指の名城として知られていたものの、1945 (昭和20)年の空襲により建物の全てを焼失。
しかし幸いにも焼失を逃れた、1049面の障壁画、309枚の実測図、約700枚の写真、約2000個の礎石など、他に例を見ないほどの豊富な史料が保管されており、様々な分野の専門家の協力を得て2009年1月から待望の復元工事に着手し、2018年の江戸幕府将軍(三代将軍家光)が宿泊するために建造された最も豪華絢爛な「上洛殿」などの完成をもって、10年をかけた復元計画を終えました。
本丸御殿「上洛一之間」
本丸御殿「帝冠図」
本丸御殿「鷺之廊下」
本丸御殿縁
本丸御殿軒
本丸御殿湯殿
(この頃のお風呂は蒸気浴、今でいうサウナでした。現代のようなお風呂の入り方は元禄時代に湯屋が発達した頃からのようです。鎌倉時代には寺院などで沐浴という形でありました。)
名古屋文化の原点ともいえる「名古屋城本丸御殿」は、木曽の森で数百年の時を刻んた天然「木曾檜」を使用するなど、原則として旧来の材料により再現している他、復元により伝統技術や技法を受け継ぐとともに先人の技や知恵を未来へと継承し、名古屋の活性化につながる拠点を目指していきます。
現代の「木曾檜」使用の檜風呂です江戸時代の蒸気浴の檜風呂と比べてみて下さい。
ホテルニューオオタニ・ガーデンコートクラブ木曾檜大浴槽。框は1尺2寸×4寸ほぼ3対1、完全な埋め込みスタイルの施工法では一番きれいに見える比率です。浴槽内には、水中ライトとステップが付けてあり正面の吐水口の付いた木曾檜パネル裏側は、木曾檜を使用した流水プールになっています(制作 鎹八咫烏)
※木曾檜とは、樹齢300年以上の木曾産の天然檜のことです。木曾は北で分布する木の南限、南で分布する木の北限にあたります。東西南北どの地方で使用しても狂いが少なく、厳しい気象条件から大変に年輪が密で腐りにくいことから神社仏閣の建造物に使用されてきました。
「檜は建築材に使用しなさい」・・・日本書紀によると木の適材適所は須佐之男命(スサノオノミコト)が宣われたとあります。
木曾檜林(赤沢)
伊勢神宮遷宮の木曾檜伐採の様子
伊勢神宮
奈良「薬師寺」中央の西塔以外は木曾檜が使われたといわれています
復元概要(建物概要・復元時期・復元目的・復元手法・復元意義)
建物概要
木造平屋建こけら葺き・(一部本瓦葺き)書院造延べ面積:約3,100.
復元時期
将軍の上洛殿として使用され、書院造の典型的な意匠をもつ寛永期/ 1624年~ 1644年
復元目的
本丸御殿の歴史的意義を踏まえ、焼失前と同様の文化的価値を有し、かっ市民の財産として活用できるように復元
復元手法
原則として、旧来の材料・工法による旧状冉現
復元意義
「ものづくりの技、心、自然環境の大切さ」を後世に伝える一大文化事業市民の新たな誇りの創出/名古屋城の価値
と魅力の向上/名古屋圏の活性化につながる大交流の拠点/匠の熟練の技を後世に継承
※こけら葺き: 3mm程度の厚さに劇った木材の薄板を一枚すっ竹釘で打ち付け、屋根の下から上に向かって少しずつずらし重ねる日本特有の屋根葺き手法。
スケジュール
2009年 (平成21年)復元工事着手
2013年 (平成25年 ) 第一期公開(玄関・表書院など)
2016年 (平成28年 ) 第二期公開(対面所・上御膳所)
2018年(平成30年)完成公開(上洛殿・湯殿書院・黒木書院等)
本丸御殿完成公開オープニングセレモニーについて
6月8日(金)午前9時10分より、本丸御殿前にて完成公開オープニングセレモニーを実施いたします。
本丸御殿内部への入場は、セレモニー終了後の午前9時30分からとなりますので、 ご了承ください。
本丸御殿完成
焼失前の本丸御殿
本丸御殿は、1615年(慶長20年)に完成し、当初は初代藩主・徳川義直の住居、藩の政庁として使われましたが、義直が住まいを二之丸御殿に移した後は、将軍上洛の際の宿舎となりました。また、1634年(寛永11年)には、三代将軍家光の上洛にあわせ、新たに上洛殿や御湯殿書院などが造られました。総面積約3000平方メートル、部屋数30を超える平屋建ての建物で、高さは約12.7メートルです。
復元名古屋城本丸御殿 概要
― 400年前、徳川家康の命によりこの地に建てられた名古屋城本丸御殿。空襲による焼失から70年の時をへて、今よみがえる ― ,,
名古屋城本丸御殿とは
名古屋城本丸御殿は、尾張藩主の住まいとして徳川家康の命により慶長20年(1615)に建てられた。寛永11年(1634)には将軍のお成御殿として上洛殿が増築され、格式高き御殿として知られていたが、昭和20年(1945)の空襲で天守閣とともに全焼した.。
名古屋市では、平成21年(2009)1月から本丸御殿の復元に着手し、平成25年5月には入口にあたる玄関、謁見の場である表書院などの公開を開始した。
平成28年6月には内向きの対面に用いられた対面所等の公開を開始した。
名古屋城本丸御殿「表書院 」
本丸御殿の復元手法
本丸御殿の復元にあたっては、主要な木材に木曽桧を使用するとともに、継手・仕口により木材を組み立てる伝統工法を採用している、障壁画についても、狩野派の絵師たちが用いた技法や素材を分析し、復元模写により当初の色彩を再現している。
復元された建物と、色鮮やかな障壁画、そして金色に輝く飾金具があいまって、400年前の壮大な空間が広がっている。
各建物説明
玄関・大廊下
玄関は、将軍など正規の来客がまず通される建物で、床や違棚が備えられていた。周囲の壁や襖には勇猛な虎が描かれ、客を驚かせた。
続く大廊下は、玄関と奥を結ぶ重要な通路で、幅は3間(約6メートル)に及ぶ。
車 寄
将軍など正規の来客だけが上がる、本丸御殿への正式な入口。唐破風屋根をいただく堂々たる外観で、本丸御殿の中でも最も太い柱が使われている。
表書院
江戸時代は広間と呼ばれ、藩主と来客や家臣との公的な謁見に用いられた。
一番奥に位置する上段之間は、床や付書院を備えるとともに、床も一段高くしており、藩主や重要な来客の座として使われた。
中之口部屋
本丸御殿の実質的な玄関。内部は畳敷きの6部屋に区切られ、家老の詰所としても用いられた。
対面所
対面所は、藩主と身内や家臣との私的な対面や宴席に用いられた。
上段之間・次之間には、四季の風物や名所が、多くの人物とともに描かれている。
下御膳所
下御膳所は、長囲炉裏が備えられており、料理の配膳や温め直しのための建物だと考えられている。天井には煙出しがある。
梅之間
梅之間は、将軍をもてなす役割に任じられた尾張上級家臣の控えの間として使われた部屋。
上洛殿と共に寛永11年(1634)に増築された。
鷺之廊下
鷺之廊下は、対面所と上洛殿を結ぶための廊下で、寛永11年(1634)に上洛殿と共に増築された。長押の上まで障壁画が描かれるのが寛永期の特徴。将軍や藩主はここを通り上洛殿へ向かった。
上洛殿
上洛殿は、寛永11年(1634)に三代将軍家光の上洛にあわせて増築された御成御殿で、江戸時代は御書院・御白書院と呼ばれた。本丸御殿で最も格式の高い建物であり、天井には板絵、部屋の境には極彩色の彫刻欄間がはめ込まれている。
上御膳所
上御膳所は、上台所で作った食事の配膳や温め直しのための建物。長囲炉裏と煙出しがある御膳場と上段之間・上之間の3つの部屋がある。
湯殿書院
湯殿書院は、将軍専用の風呂場。風呂(湯殿)は唐破風付の蒸風呂で、湯船はない。上り場は3部屋あり、将軍の休息に使われた。
黒木書院
黒木書院は、本丸御殿で最も小規模な建物で、部材に松が使われているのが特徴。清洲城にあった家康の宿舎を移築したとの伝承がある。
本丸御殿復元の資料
本丸御殿は、将軍のお成御殿(上洛殿)が増築されたあと将軍専用の建物となり、江戸時代を通じて大切に管理されてきた。明治維新後は国宝となり、精密な実測図面が作成されガラス乾板による写真も多数撮影された。
図面や写真は、第二次世界大戦中には疎開され焼失をまぬがれた。これらの豊富な資料により、今回の本丸御殿は、外観・構造ともに細部まで史実に忠実な復元となっている。
本丸御殿の公開予定
名古屋市では、本丸御殿の復元工事を3期に分け進めました。
平成25年(2013)5月29日玄関・表書院公開。
平成28年(2016)6月1日 対面所・下御膳所公開。
平成30年(2018)6月8日上洛殿・湯殿書院・黒木書院等を公開。
工事期間中は、復元過程の公開を行った。
これまで第1期、第2期で公開した内の一部分を紹介いたします。
本丸御殿観覧時間 午前9時から午後4時30分まで(入場は4時まで)
*平成30年8月31日までは、午後5時30分まで観覧時間を延長。(入場は5時まで)
ただし名古屋城への入場は5時まで.、
入場料 無料(下記の名古屋城観覧料が必要)
大人 500円 (団体割引あり) 市内高齢者(敬老手帳をご提示の方) 100円
中学生以下・各種障害者手帳などをご提示の方と付添の方2名まで 無料
備考
飲食・喫煙・フラッシュ撮影・携帯電話・ボールペン等使用禁止
ベビーカー、傘、大きな荷物、介護犬以外のペット類の持込み不可。土足不可。
*江戸時代の空間を正確に復元するため、照明を控え、冷暖房・トイレなどは設置していない。
名古屋城敷地内には、金シャチ横丁もオープンしました。是非おいでください。
この後、名古屋城の本格的な木造化の建て替え工事が予定されています。
後の世の人たちに名実ともに「尾張名古屋は城でもつ」と言っていただけることを信じています。
問い合わせ
名古屋城総合事務所 名古屋市中区本丸1-1 電話:052-231-1700
協力(順不同・敬称略)
名古屋市観光文化交流局名古屋城総合事務所 名古屋市中区本丸1-1電話:052-231-1700
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鎹八咫烏 記
伊勢「斉宮」の明和町観光大使
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