渥美半島「伊良湖岬の恋路ヶ浜」
伊良湖岬灯台は、第50回灯台記念日(11月1日)を記念して海上保安庁が募集し平成10年11月1日、全国の応募により投票によって選ばれた「あなたが選ぶ日本の灯台50選」の一つです。
先日掲載いたしました「海洋ごみシンポジウム2016」をお読み頂きました「紅山子 」さんから
<寄稿文> が届きましたのでご紹介いたします。
<寄稿文>
「海洋ごみシンポジウム2016」を拝読!大変意義深い取組みだと思います。
海を隔てて届く遥か彼方からの漂着物。一昔前はそれが何であろうと、珍しい宝物にも思えた時代がありました。
それが今はどうでしよう…他国にとって異国からの漂着物は地球環境汚染物!甚だ迷惑千万な不審物!厄介者扱いです。
その背景には、人口増加と高度成長を支えた大量生産消費社会の残滓、そして、還元不能な化学物質(最たるものが放射性物質!)毒物の不法投棄等々!その数量は年々増える一方です。
現代の地球環境は急速にその許容度を超えて、自然浄化と循環型再生リズムをとっくに失ってしまいました。更に戦慄すべきは、消すに消せない放射性物質です。
すでに、それらは海洋生物に取り込まれ、奇形的変化を起こしており、問題はそこで終わらない食物連鎖です。それを食料とする上位生物への影響。つまり、それらはやがて、人の食物にもなるのです…
世界の国々は夫々の名前を付けて国境線を設けておりますが、それは飽くまでも力ずくで既得権を主張し、一方で闘いに破れ、居住権を失った人々は放浪の旅を余儀なくされているのも事実です。
故に、勝ち取った大地は暫定的に存在しているに過ぎず、元は誰の所有物でもなかったのです。しかし…
原始の時代から歴史を超えて、それらの国々を包みこみ、繋いでいるのが地球の海なのです。本来、海とは何処かの国の所有物ではありませんでした。謂わば、世界の共有財産でありましょう。
世界に散らばる国々はみな所詮、大海に抱かれたこどもたち!母の胎内に宿っていることを忘れてはいけないのです。その胎内を汚してきたのは一体誰れっ?
原罪を負うべきは、はっきり言って、戦後70年間に最も関わってきた今を生きる私達ではありませんか?
海の汚れは、
他を顧みない、果てしなき人間の欲望と、敢えて先を見通さない無責任さが招いた結果ではないでしょうか?
地球は水の惑星!何億光年という宇宙の星屑の中で、最も豊かな水環境に恵まれた地球に住む私達は、奇跡的に選ばれてこの世に生れたことを感謝し、その尊さを考えねばなりません。
今こそ、この地球を存続させる為には、私達一人ひとりが、浄化のために何かをしなければなりません!海を浄化することは、地球の大地、山、川、湖沼群、そして村単位、町単位、住い環境の浄化です。海に繋がっているからです!
さて、
ここで、ちょっと視点が変わりますがお許しを…海岸に流れ着くゴミたちへのノスタルジックな思いを込めたお話です。
昔はそれが異国での使命を終えた不用品であろうとも、遠く水平線の彼方に思いを馳せ、堪らない哀愁とも、憧れとも付かないロマンティックな気分に浸れるものでした!
そこで、すかさず口ずさんだメロディが……
〜〜遠き島より椰子の実一つ〜〜🎵
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月
旧(もと)の木は 生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚を枕
孤身の 浮寝の旅ぞ
実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離の憂い
海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷の涙
思いやる 八重の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん
作詞 島崎藤村
尋常小学校唱歌の一つだったこの歌はその頃には意味も解らずロマンティックな感情に浸り唄っていたものだった。
さて、改めてこの詩を反芻してみたら、何とこれは、これまでの陽光眩い海辺の景色が一変して、すっかり私の中で様相をかえてしまった。
この歌の中の藤村はロマンチストからいきなりセンチメンタリストに?
否!この詩は、哀愁、郷愁極まりなく、彼の心情が吐露された絶唱だったのでは…‼
更に驚いたのは、この詩の来歴を調べると、民俗学者柳田國男が、東大時代に伊良湖岬の恋路ヶ浜に漂着した椰子を見つけたときの様子を親友、島崎藤村に語ったことが元になっているのだという…
とすると、この詩は柳田の体験談から、いきなりこの椰子の実が藤村の体内奥深く入り込み、彼が辿った人生の荒波に同期して、激しく魂に揺さぶりをかけ、イタコの如く口寄せし始めたに違いない。
今頃の齢になって分る、この心境!やるせなさ!今頃気付く自分の阿呆さ加減!
更に驚くのは原因を作った柳田の発した言葉から、如何に親友の間柄であろうとも、一つの事象を周る感受性の違いとその専門性の違いが如実に現れ、興味深いのである。
柳田国男曰く、
「風の強かった翌朝は黒潮に乗って幾年月の旅の果て、椰子の実が一つ、岬の流れから日本民族の故郷は南洋諸島だと確信した。」
だった。 紅山子
ご寄稿ありがとうございました。
寄稿文に登場するお二人のプロフィールと生家を紹介いたします。
島崎 藤村 生家(馬籠宿本陣) 筑摩県馬籠村(後の長野県西筑摩郡神坂村、現岐阜県中津川市馬籠)
島崎 藤村
明治5年(1872)3月25日(旧暦2月17日)、
筑摩県馬籠村(後の長野県西筑摩郡神坂村、現岐阜県中津川市馬籠)に生まれる。
本名島崎春樹(しまざき はるき)
生家は江戸時代、本陣、庄屋、問屋をかねた旧家。
父正樹、母ぬいの間の末子。
明治14年、9歳で学問のため上京、同郷の吉村家に寄宿しながら日本橋の泰明小学校に通う。明治学院普通科卒業。
卒業後「女学雑誌」に翻訳・エッセイを寄稿しはじめ、明治25年、北村透谷の評論「厭世詩家と女性」に感動し、翌年1月、雑誌「文学界」の創刊に参加。
明治女学校、東北学院で教鞭をとるかたわら「文学界」で北村透谷らとともに浪漫派詩人として活躍。
明治30年には第一詩集『若菜集』を刊行し、近代日本浪漫主義の代表詩人としてその文学的第一歩を踏み出した。
『一葉舟』『夏草』と続刊、明治32年函館出身の秦冬子と結婚。
長野県小諸義塾に赴任。第四詩集『落梅集』を刊行。
『千曲川旅情のうた』『椰子の実』『惜別のうた』などは一世紀を越えた今も歌い継がれている。
詩人として出発した藤村は、徐々に散文に移行。
明治38年に上京、翌年『破戒』を自費出版、筆一本の小説家に転身した。
続けて透谷らとの交遊を題材にした『春』、
二大旧家の没落を描いた『家』などを出版、
日本の自然主義文学を代表する作家となる。
明治43年、4人の幼い子供を残し妻死去。
大正2年に渡仏、第一次世界大戦に遭遇し帰国。
童話集『幼きものに』、小説『桜の実の熟する時』、『新生』、『嵐』、紀行文集『仏蘭西だより』『海へ』などを発表。
昭和3年、川越出身の加藤静子と再婚。
昭和4年より10年まで「中央公論」に、父をモデルとして明治維新前後を描いた長編小説『夜明け前』を連載、歴史小説として高い評価を受ける。
昭和10年、初代日本ペンクラブ会長に就任、翌年日本代表として南米アルゼンチンで開催された国際ペンクラブ大会に出席。
昭和18年、大磯の自宅で、『東方の門』執筆中に倒れ、
8月22日 71歳で逝去。
大磯町地福寺に埋葬される。
馬籠の菩提寺永昌寺には遺髪・遺爪が分葬される。 毎年命日の8月22日には菩提寺である永昌寺にて、
関係者らにより藤村忌が執り行われています。
柳田 國男 生家 兵庫県神東郡田原村辻川(現神崎郡福崎町西田原)
柳田 國男
柳田国男は日本民俗学の創始者といわれ、1875年、父松岡操の六男として兵庫県に生まれます(本名・松岡国男。のちに柳田家の養嗣子となる)。 青年時代は叙情詩人としても注目され、その文章は文学作品としての評価も高く、森鴎外・田山花袋・島崎藤村・国木田独歩など多くの文学者とも親交がありました。 東京帝国大学法科大学で農政学を学び、卒業後は農商務省に入省。法制局参事官、貴族院書記官長などの要職を歴任しますが、官界在職中から積極的に民俗学研究に取り組み、退官後の1935年、『民間伝承の会(のちの日本民俗学会)』を創始。雑誌「民間伝承」を刊行して日本民俗学の独自の立場を確立しました。 1962年、87歳で亡くなるまでに、「遠野物語」など百数十冊もの著作を発表。日本文化史研究上の広範な礎となった柳田国男は、近代日本を代表する「知の巨人」といえます。
補足
「日本の歴史的灯台」
日本における海の道しるべとしての灯台の歴史は,今から約1,300年前,九州地方の岬や島では昼は狼煙をあげ, 夜は篝火を燃やして船の指標したのが始まりと言われます。
(天皇の使の舟が唐の国、今の中国に渡った帰りに、ゆくえ不明になることがあったので、舟の帰り道にあたる九州地方の岬や島で、昼は煙をあげ、夜は火をもやして船の目じるしにしました。 )
近代日本(明治時代1,868年~1,912年)に建造され,現役で機能している灯台は全国で67基あります。 これらの灯台は,歴史的・文化財的価値を有し,あるいは地域のシンボルとして定着し文化資産的な灯台も数多くあります。
海上保安庁では,67基全ての灯台に有識者から構成する委員会を設置して価値の評価を加えています。 永い歴史故に保有耐力が危惧される灯台は,委員会の評価を基に適切な保全に努めています。
寄稿文 紅山子(日原もと子)
東北芸術工科大学 名誉教授・風土・色彩文化研究所 主宰
日本デザイン学会 名誉会員・日本インテリア学会 名誉会員
協力(順不同・敬称略)
渥美半島観光ビューロー
〒441-3492 愛知県田原市田原町南番場30-1 TEL:0531-23-3516
公益社団法人 燈光会
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