昨年の9月7日、環白山広域観光ガイド「ウエルカム白山」さんのご協力により、白山と白山比咩神社を次のように紹介いたしました。
「『白山信仰』2017年に開山1300年を迎える、 全国約3000社余りとされる白山神社の総本宮『白山比咩神社』の奥宮が開山1300年を迎える。来年節目の年を迎えるにあたり『白山』について紹介いたします。」以上のように当サイトで紹介してから、月日の経つのは早いもので、まさに『光陰流水の如し』です。
桜の花が咲くころに再度ご紹介することになっておりましたが、中部地方は、まだ桜の花は蕾です。しかし、伊豆の河津桜はとうに咲いておりますので、本日、続編(その1)を掲載いたしました。
「無理やり変な理屈をつけました(苦笑い)」
白山はいつしか秋の装い紅葉から・・・、雷鳥の羽根も白に衣替え。(平成21年10月26日、70年ぶりに白山で雷鳥が確認されたそうです。)
そして、春が芽吹いてくる、2017年4月29日には、 白山比咩神社創祀之地顕彰祭が行なわれます。
翌30日には小松市の那谷寺金堂において、神式、仏式の合同の大祭白山比咩神社宮司と那谷寺住職による奉仕です。
平成29年白山開山1300年のための各地の行事予定をご覧下さい。
スケジュールをチェックしてご希望の場所にお出かけ下さい。
それではまず、「白山信仰と白山比咩神社」についてご案内いたします。
白山信仰と白山比咩神社
石川、福井、岐阜の3県にわたり高くそびえる白山は、古くから霊山信仰の聖地として仰がれてきました。ふもとに暮らす人々や遥かに秀麗な山容を望む平野部の人々にとって、白山は聖域であり、生活に不可欠な“命の水”を供給してくれる神々の座でした。
やがて山への信仰は、登拝という形に変化し、山頂に至る登山道が開かれました。加賀(石川県)の登拝の拠点として御鎮座二千百年を越える白山比咩神社は、霊峰白山を御神体とする全国白山神社の総本宮です。
歴史
崇神天皇(すじんてんのう)7年(前91)、本宮の北にある標高178mの舟岡山(白山市八幡町)に神地を定めたのが創建と伝わります。応神天皇(おうじんてんのう)28年(297)には手取川の河畔「十八講河原」へ遷り(うつり)ましたが、氾濫のためしばしば社地が崩壊するので、霊亀2年(716)に手取川沿いの「安久濤の森」に遷座しました。
文明12年(1480)の大火によって、40余りの堂塔伽藍がことごとく焼失し、末社三宮が鎮座していた現在地へ遷りました。
ご祭神 菊理媛尊
白山比咩大神(=菊理媛尊)
日本には、『古事記』や『日本書紀』といった奈良時代初期に完成した古い歴史書に見られる神々を祭神とする神社が数多く存在します。
全国約三千社にのぼる白山神社の総本宮である白山比咩神社の祭神「白山比咩大神(=菊理媛尊)」も『日本書紀』に登場する女神のひとりです。
『日本書紀』によると、天地が分かれたばかりのころ、天の世界である高天原(たかまのはら)に、次々と神が出現し、最後に現れたのが、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)でした。この男女の神には、国土を誕生させる「国生み」と、地上の営みを司る神々を誕生させる「神生み」が命じられました。
伊弉冉尊が火の神を出産した時のやけどで亡くなってしまうと、悲しんだ伊弉諾尊は、死の国である「黄泉の国」へ妻を迎えにいきます。ところが、醜く変わった妻の姿を見て伊弉諾尊は逃げ出してしまい、怒った伊弉冉尊は
夫の後を追います。
黄泉の国との境界で対峙するふたりの前に登場するのが菊理媛尊で、伊弉諾尊・伊弉冉尊二神の仲裁をし、その後、天照大御神(あまてらすおおみかみ)や月読尊(つくよみのみこと)、須佐之男尊(すさのおのみこと)が生れます。
白山比咩神社では、菊理媛尊とともに伊弉諾尊・伊弉冉尊も祭神として祀られています。菊理媛の「くくり」は「括る」にもつながり、現在は「和合の神」「縁結びの神」としても崇敬を受けています。
重要文化財「絹本著色白山三社神像」
鎌倉時代の作。中央が白山妙理権現(白山宮)の女神像、向かって右は剣明神(金劍宮)の男神像、左は三宮姫(三宮)の女神を配している。
霊峰「白山」
白山は、最高峰の御前峰(ごぜんがみね・2702m)を中心に、大汝峰(おおなんじみね・2684m)、剣ヶ峰(けんがみね・2677m)、別山(べつざん・2399m)を主峰とする峰々の総称です。1億年余り前には、湖底にありましたが、その後少しずつ盛り上がってきて、何度も噴火を繰り返し、今日の姿になりました。
現在は、石川、福井、岐阜、富山の4県にまたがり、面積47700haにも及ぶ白山国立公園として大勢の登山者に親しまれ、ユネスコの生物圏保存地域に指定されるなど、その自然環境は国際的にも高い評価を得ています。
白山の一番の特徴は、頂上付近の高山植物の豊富さで、7~8月に高山植物が山肌を埋め尽くす景観は、まさに雲上の楽園です。
頂上からは、美しい雲海のかなたに白馬・剱・立山などの山並みが一望でき、北アルプスから昇る日の出は感動的な美しさです。
ハクサンコザクラ
白山信仰
富士山・立山と並ぶ日本三名山の一つ「白山」。雪を頂き、光を浴びて輝く姿に、古来より人々は白山を「白き神々の座」と信じ、崇めてきました。 また、農耕に不可欠な水を供給する山の神としてだけではなく、日本海を航行する船からも、航海の指標となる海の神として崇められていました。
北陸は、『日本書紀』の時代には「越の国」と呼ばれており、白山はそこにそびえる白き山という意味を込めて、古くは「越のしらやま」と呼ばれていました。
古来より白は神聖な色であったことから、平安時代には「越のしらやま」は都人にとって憧憬の山となり、当代一流の歌人たちの歌にも白山の名を見ることができます。
日本では、もともと「山」に対して二つの信仰が存在してきました。一つは遠くから眺めて神秘を感じ、山の神に感謝を捧げる「遥拝(ようはい)」で、北陸道筋には、白山を眺めるための「遥拝所(ようはいじょ)」が設けられていました。
もう一つは、山中に分け入って厳しい修行を積み、宗教的境地を目指す「修験」で、白山には全国から修験者(山伏)が集まりました。
どちらの信仰においても、白山ほど霊峰という冠が似合う山はなく、神々しいまでの美しさは多くの人を魅了し続けています。
白山信仰の始まり
養老元年(717)、越前(福井県)の僧「泰澄(たいちょう)」が初めて白山に登拝し、翌年山頂に奥宮を祀りました。以来、神々しい神の山は人々の憧れとなり、白山信仰は急速に全国に広まっていきました。
白山登拝が盛んになると、加賀(石川県)、越前(福井県)、美濃(岐阜県)には、その拠点となる馬場(ばんば)が設けられ、多くの人々で賑いました。
白山比咩神社は、加賀馬場の中心として栄え、比叡山延暦寺の末寺として多くの衆徒(しゅうと)を擁し、北陸道全域に勢力をおよぼしました。
武家の崇敬も厚く
鎌倉時代には、源頼朝の寄進を受けるなど、武家からも厚く崇敬されました。しかし、戦国の混乱や一向一揆の台頭によって一時衰退します。
江戸時代になると、加賀藩主前田家の庇護のもと復興し、前田家の祈願所にもなりました。
そして明和7年(1770)、時の10代藩主前田重教(しげみち)によって現在の本殿が寄進されました。
前田利家奉加帳
天正14年(1586)に加賀藩祖前田利家が白山本宮に金品の奉加を行った。これ以後、歴代の藩主によって奉加が行われている。
今に生きる白山信仰
明治時代を迎えると、神社と寺院を区別させる神仏分離令が発令され、仏像や仏具が白山の頂より下ろされることとなりました。それらの仏像は「白山下山仏」として現在も白山の山麓の白山本地堂や尾添白山社などに安置されています。
明治10年(1877)には、白山比咩神社を本宮、山頂の神祠が奥宮と定められ、御鎮座二千百年を越える信仰の地として親しまれています。
重要文化財「銅造十一面観音立像」(白山市林西寺所蔵)
神仏分離で白山から下ろされた下山仏の1軀。平安時代につくられた傑作。
泰澄(たいちょう)
長い間、人が足を踏み入れることを許さなかった白山に、はじめて登拝(とはい)したのが僧泰澄です。
泰澄は、天武天皇11年(682)に、越前(現在の福井県)麻生津(あそうず)に生まれました。幼いころより神童の誉れ高く、14歳のとき、夢で十一面観音のお告げを受け、故郷の越知山(おちざん)にこもって修行にあけくれるようになりました。
霊亀2年(716)、泰澄は夢で、虚空から現われた女神に、「白山に来たれ」と呼びかけられます。お告げを信じた泰澄は、それまで誰も成し遂げられなかった白山登拝を決意し、弟子とともに白山を目指して旅立ちました。そして幾多の困難の末、ついに山頂に到達。養老元年(717)、泰澄36歳のときでした。
白山の開山以来、泰澄の名声はとみに高まり、都に赴き元正天皇の病を祈祷で治したり、大流行した天然痘を鎮めるなど、華々しい活躍をします。
開山から8年後の神亀2年(725)には、白山山頂で奈良時代を代表する名僧行基と出会い、極楽での再会を約束したとも伝えられています。
数々の伝説を残し、「越の大徳」と讃えられた泰澄は、神護景雲元年(767)に越知山で遷化。享年86歳でした。
三馬場と禅定道
もともと山は神の聖域として仰ぎ見る存在でしたが、6世紀に大陸から仏教が伝わると、山の霊気に触れ、超人的な力を身に付けようとする修行の場として開拓されていきました。
白山においても、泰澄の開山後、山岳信仰の高まりから修験の霊場として登拝する修行僧が増え、修行登山路=「禅定道」として発展していきます。
『白山記』(白山比咩神社所蔵)によれば、泰澄が白山を開山してからおよそ115年後の天長9年(832)には、加賀、越前、美濃に登拝の拠点となる「馬場」が開かれたと記されています。馬場という呼び方には、白山へ登る際、馬でそこまで行き、馬をつなぎとめておいた場所、あるいは馬がそれ以上進めない神域への入口だからそう呼ばれたという説が残っています。
加賀馬場(石川県)の中心が現在の白山比咩神社、越前馬場(福井県)は現在の平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)、美濃馬場(岐阜県)が現在の長滝白山神社で、山伏のみならず白山の水の恵みを受けて生活する農民から霊峰に憧れる都人まで、多くの人が馬場から白山を目指しました。
平泉寺白山神社(福井県勝山市)
司馬遼太郎の著書『街道をゆく』に描かれたように、境内一面を覆う苔の見事さで知られます。36歳の泰澄が白山を目指しこの地へ来たとき、木立の中に泉が湧き出ているのを発見し、神託によって神社を建てたのが始まりと伝えられます。最盛期には、僧兵8千人が暮らし、現在も宗教都市の面影を偲ばせる石垣などが残されています。
長滝白山神社(岐阜県郡上市)
白山の南側、岐阜県にある「美濃馬場」の拠点です。農閑期に諸国を旅し、白山信仰を全国に広げる「御師(おし)」と呼ばれる山麓の村人の働きもあって、「上り千人、下り千人」と称されるほど隆盛を極めました。
白山の水
白山の水は、「生命の水」となってあらゆる命を育んできました。山頂から流れる雪解け水は、山に暮らす動植物の命を支え、手取川(てどりがわ・石川県)、九頭竜川(くずりゅうがわ・福井県)、長良川(ながらがわ・岐阜県)、庄川(しょうがわ・富山県)の4水系になり、大地を潤します。
ふもとの人々は、「白山の水をいただく」という感覚で農耕にいそしみ、山を仰いでは感謝の祈りを捧げてきました。
また、白山を源に、長い年月をかけて地中を流れる伏流水は、酒づくりにも最適で、全国に名だたる銘酒を醸してきました。近年は、手取川扇状地を潤す潤沢な地下水脈が呼び水となり、世界的規模の企業誘致を実現するなど、白山の水は人々の暮らしに大きな恩恵を与えています。
境内のご案内
本宮と奥宮
養老元年(717)、初めて白山に登拝した僧泰澄は、翌年山頂に奥宮を建立しました。泰澄の登拝以来、白山信仰は急速に全国へと広まり、各地に白山登拝の拠点となる馬場(ばんば)が設けられました。その中で、加賀(石川県)馬場として栄えたのが、白山比咩神社を中心とした白山七社でした。 白山比咩神社の本宮は、県内一の大河「手取川」と奥獅子吼山(928m)に挟まれた平坦地にたたずみます。47000m²もの広大な境内には、天に向ってそびえる古木に抱かれるように社殿が並び、御力(みちから)に満ちた神域にふさわしい厳かな雰囲気が漂います。
奥宮
白山山頂にある奥宮へは、石川県白山市白峰から別当出合登山口まで行き、そこから登るルートが一般的です。標高2450mの室堂には、奥宮登拝の拠点となる白山比咩神社の祈祷殿(きとうでん)や、一般登山者のための宿泊施設があります。室堂から約40分の御前峰(ごぜんがみね)山頂付近に鎮まる奥宮は、養老2年(718)に創建。現在の一間社流造り、檜造りの社殿は、昭和63年(1988)に建立されたものです。
本殿
ご祭神である白山比咩大神(菊理媛尊)を祀る社殿です。江戸時代の明和7年(1770)に、加賀藩10代藩主前田重教(しげみち)の寄進によって造営されました。造営は、前田家御抱(おかか)えの大工や地元の職人の手で行われました。
「白山比咩神社」案内図
「白山比咩神社」へのアクセス情報
拡大
高速道路をご利用の場合
北陸自動車道をご利用の場合、美川ICからがおすすめです。
美川IC
(約20分) インターを下りてそのまま直進。国道157号線(T字交差点)を右折。そのまま標識の案内に従ってください。
金沢西IC
(約30分) インターを下りて白山市の方向へ直進。「乾東」交差点を左折、国道157号線を白山方面に直進。そのまま標識の案内に従ってください。
金沢森本IC
(約50分) インターを下りて山側環状線を金沢市街の方向へ直進。「安養寺北」交差点を左折、国道157号線を白山方面に直進。そのまま標識の案内に従ってください。
小松IC
(約50分) インターを下りて小松空港方面へ。国道360号線を左折し直進。「軽海西」交差点を左折、加賀産業道路を金沢方面に直進。「三ツ口」交差点を右折し直進。そのまま標識の案内に従ってください。
JR北陸本線(金沢駅)
遠方の場合、JR金沢駅までお越しください。 北鉄バス (約16分) JR金沢駅東口バスターミナルから、北鉄バス有松方面行きに乗車、バス停「野町」まで。 北陸本線 (約5分) JR金沢駅から、普通列車でJR西金沢駅へ。 タクシー (約50分) JR金沢駅東口タクシープールより、そのまま白山比咩神社へ。
白山奥宮へのアクセス
拡大
白山登山について
白山への登山口は、石川・福井・岐阜の各県に整備されています。よく利用されるのが石川県の別当出合を基点としたコースです。
金沢駅~別当出合
(約2時間10分) 夏山開山期間中、金沢駅から別当出合まで白山登山バスが運行しています。
別当出合~白山奥宮
(約3時間~5時間) 別当出合より登山路約6km。徒歩約3時間~5時間にて山頂に達します。
立春はとうに過ぎたとは言え、昔から「山の天気?と秋の空」どうか備えをお忘れなく。
続編その2へ続く・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
白山本宮・加賀一ノ宮 白山比咩神社 〒920-2114 石川県白山市三宮町ニ105-1
TEL (076)272-0680 FAX (076)273-0933
環白山広域観光ガイド ウェルカム白山 〒920-2121 石川県白山市鶴来本町2-ワ121
TEL:076-255-7655FAX:076-255-7478
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