ZIPANG TOKIO 2020「『名舟大祭』天下一の越後の龍でさえ恐れを為した、地元に生まれたものにしか伝承されない御陣乗太鼓が鳴り響く!」


夏の輪島を彩る祭り。 海上に建立された鳥居まで漁船に乗った神輿が海上渡御し、子供組から若衆組と御陣乗太鼓の奉納打ちが披露される。名舟町に古くから伝わる太鼓で、天正5年(1577年)、上杉謙信の能登攻略のとき、古老の一計で、奇妙な面を付け、陣太鼓を打ち鳴らし上杉軍に奇襲をかけ敗走させたのが始まりといわれる。御陣乗太鼓の伝承は地元に生まれたものにしか資格がなく、地元の子供たちは週2回、大人は毎晩太鼓の練習をしている。毎年7月31日~8月1日の名舟大祭で太鼓がたたかれるほか、「道の駅・輪島 ふらっと訪夢」(実演会場が変更になることがあります)にて午後8時30分から実演されます(荒天の場合は中止になることがあります)どうぞおいでください。

名舟大祭

名舟大祭は御陣乗太鼓発祥の地である輪島市名舟町の夏祭り。7月31日は宵祭り、21:00頃にキリコが急な斜面の中に立つ奥津姫神社へ向けて行進を始め、21:30頃に到着し神事を行った後、お神輿を迎えて、海岸の鳥居へ向かいます。22:00頃神輿の海上渡御のあと、御陣乗太鼓の奉納打ちが行われます。 8月1日は本祭り、14:00に神輿が還御、14:40頃から海上渡御、15:00頃御陣乗太鼓の奉納打ちが行われます。 奇妙な面をつけ御陣乗太鼓を打ち鳴らす奉納打ちが見どころで、31日の夜には5基のキリコと神輿の海上渡御が行われる。

 キリコが勢ぞろいすると神輿とともに名舟海岸へ。海に立つ鳥居まで神輿が船に乗り、舳倉島にある奥津比咩神社の祭神を迎えます。神輿が海岸に戻ると、御陣乗太鼓を奉納。暗闇に浮かび上がる恐ろしい形相の面と鬼気迫る太鼓の音は迫力満点です。午後11時を回る頃から、神輿とキリコが町内を巡行し、その後も、お仮屋でキリコが勇壮に乱舞します。
2日目の本祭りでは、御陣乗太鼓が山車に乗って神輿を先導。道中を音で清める。

名舟大祭の目玉は、なんといってもこの地に古くから伝わる「御陣乗太鼓」! この地に伝わる伝統を体験ください…。


御陣乗太鼓由来

 天正4年(西暦1576年)越後の上杉謙信は、能登の名城であった七尾城を攻略して「霜は軍営に満ちて 秋気清し 越山を併せたり 能州の景」と詠じ、その余勢をかって奥能登平定に駒を進めた。

現在の珠洲市三崎町に上陸した上杉勢は、各地を平定し天正5年、破竹の勢いで名舟村へ押し寄せてきた。武器らしいものがない村人達は、鍬や鎌まで持ち出して上杉勢を迎撃する準備を進めたが、あまりにも無力であることは明白であった。しかし郷土防衛の一念に燃え立った村人達は、村の知恵者といわれる古老の指図に従い、樹の皮で仮面を作り、海藻を頭髪とし、太鼓を打ち鳴らしながら寝静まる上杉勢に夜襲をかけた。上杉勢は思いもよらぬ陣太鼓と奇怪きわまる怪物の夜襲に驚愕し、戦わずして退散したと伝えられている。

村人達は名舟沖にある舳倉島の奥津姫神の御神徳によるものとし、毎年奥津姫神社の大祭(名舟大祭・7月31日夜から8月1日)に仮面をつけて太鼓を打ち鳴らしながら神輿渡御の先駆をつとめ、氏神への感謝を捧げる習わしとなって現在に至っている。

御陣乗太鼓の発祥の地である名舟町は、輪島塗、朝市などで有名な輪島市街地から13Kmほど東にある海沿いの半漁村でしたが、現在では漁師は数少ない存在となっています。名舟町は70戸ほどの小さな町ですが、夏の大祭にかける意気込みは相当なもので、町をあげて祭りの準備に取り掛かり、一年の集大成というような気持ちで祭りに臨んでいます。

太鼓のリズムは始めはゆっくり、次いでやや早く、最後は最も早く打ち切る。すなわち、序・破・急の三段で打ち、これを何回も繰り返す。その間、打ち手は自由な形でミエを切るが、面に応じた身振り、身のこなしなど個性的な芸を入れるのです。非常に速いテンポで動きも早いだけに最後まできれいにその真髄を発揮して打ち切れる者は少ない。
それだけに各地の太鼓に比べ、リズム所作等がかもしだす異様な雰囲気には一種独特な迫力があり、人々の心に強く食い込んでくるのではないでしょうか。また、御陣乗太鼓は打ち手だけのものではなく、名舟町全体のものであることもこの太鼓の特徴でしょう。
昭和36年に輪島市指定文化財に、昭和38年には石川県無形文化財に指定される。

御陣乗太鼓 面の種類


夜叉面
夜叉は人を害する鬼神の半面、財宝神ともされ、仏法護持の神とも言われる。憤怒の形相から「神の怒り」と形容される。神は海藻のものと付け毛のものがある。

女幽霊面
悲しみに耐え忍ぶ能登の女の風情を表現し、「泣き女」とも呼ばれる。髪は地元でシゲと呼ばれる海藻と付け毛。

爺面1
「爺面」と呼ばれているが、大きな鼻柱や下あごには意思の強さが感じられ、労働で鍛えた逞しさがにじむ。髪は馬の尻尾と苧麻。

爺面(2)
固く結んだ口元に物言わぬ能登の漁師の頑固さがただよう。髪は苧麻。

 爺面(3)
地元では「シゲ面」と呼ばれ、シゲの髪が最もよく似合う。シゲは年に一度新しいものに付け替えるが、乾燥して切れやすいので、面をかぶる前には水で濡らす。

男幽霊(1)
頬がそげ、苦悩に満ちた表情は、海で死んだ男の亡霊を思わせる。「土左衛門」とも呼ばれる。髪は馬の尻尾に付け毛。

男幽霊(2)
痩せてやつれても、能登の風土に耐える男の悲しさがただよう。髪はシゲと付け毛。

達磨
「仏」の位置づけにあり、坊主だけに剃髪の態で、畏敬の中に親しみがただよう。頬かぶりに、インド僧の袈裟を表すオレンジ色の衣装を着ける。


奥津比咩神社(おきつひめじんじゃ)

御祭神 田心姫命

鎮座地 輪島市海士町舳倉島高見2

氏子区域 輪島市 海士町(舳倉島)

由緒
延喜式内社にあてられる古社。往古は西宮あるいは舳倉権現と称えたという。近世初期、筑前国より渡来の海士又兵衛以下12名が舳倉島を根拠として漁業を営むようになって深く崇信し、海士の故郷宗像神社の信仰と相まって、当社を産土神と仰ぐようになった。近年になって漁業の近代化、化のため、昭和50年、市内鳳来山麓に社殿を新築し、本社と末社の祭神の御分霊を奉斎して祭祀を行う。当社所蔵の千石積み渡海船の模型一隻と板図2枚は市重要文化財。

海士の故郷筑前宗像郡鐘崎(現在の福岡県玄海町)、宗像大社は世界遺産の登録が決定している。


奥津比咩神社(おきつひめじんじゃ) 里宮

舳倉島に鎮座する海士町の氏神の奥津比咩神社は延喜式内社です。近年までの一村挙げての舳倉島への季節移住もなくなった現在、この輪島の地にも氏神信仰の拠点が必要になったので、昭和50年(1975年)に鳳来山公園の一角に里宮として建立された神社です。


奈良時代に国守大伴家持公が能登を巡行された時、この地で詠まれたとも云い伝えられる万葉歌「沖つ島い行き渡りて潜(かづ)くちふ鰒珠(あわびだま)もが包みて遣(や)らむ」の歌碑が社前に建てられています。
また、同社所有の「千石船渡海船の模型と板図」「舳倉島の祭祀資料」は海士町自治会館に展示されています。

舳倉島は、輪島港の北方約50kmに位置し、周囲約4kmの小さな島です。

絶海の孤島であるため厳しい日本海の荒波のを直接受け、複雑な入り江や北西側の海岸は高さ10mにおよぶ断崖がつらなります。絶好の漁場であり夏には海女たちがアワビやサザエをとるため海に潜ります。また、バードウォッチングの穴場であり、日本でここでしか見られない渡り鳥も多いです。島へは定期船が一日一往復しています(所要時間 1時間30分)。野鳥観察に最適な愛らんどタワー(簡易水道高架配水塔)ができました。

40年以上前に舳倉島の知人から聞いた話だが、平坦な島で漁師は、輪島と舳倉島両方に家を持ち漁のシーズンになると舳倉島にわたり生活をしていたそうだ。


■島の概要

本島は対馬海流(暖流)の影響下にあって、好漁場であることから島渡りの歴史は古く、島の南西端に5世紀半ばと8世紀後半の「シラスナ遺跡」貝塚から、当時の食糧となった魚介類、海洋性ほ乳類の骨、牛骨などが出土し、このころすでに専業的漁業集団が漁を求めて島渡りする季節移住の跡が見られ、今日に至る潜水漁法や網漁による生活パターンが当時の人々によって展開されていたことがうかがわれる。

この人々が歴史の変遷を経て、越冬するようになったのは大正時代の末期からと言われ、昭和6年に灯台が完成し職員が常駐したため、これが刺激となって越冬も年々増加してきた。 昭和32年離島対策実施地域の指定を受け、漁港の改修、発電施設、離島航路の開設など基礎的な定住環境が整備され越冬から定住化へと変化している。 

また、本島北方沖合いには白山瀬、大和堆など好漁場が開発され沿岸漁業、沖合漁業の基地として大きな役割を担っている。

島名物 水上運動会
漁師と海女の島らしく、運動会も海の上。次々と海の中へ飛び込んでゆく子供たちの姿は楽しさいっぱい。小さな時から海に慣れ親しませようと言う教育でしょうか。とにかく珍しいこの運動会は毎年7月下旬に行われます。

金比羅神社(こんぴらじんじゃ)

金比羅神社は舳倉島の北側中央に建っている神社で、航海安全を祈願する島民のよりどころです。


八坂神社(やさかじんじゃ)

八坂神社は舳倉島の北側中央に建っている神社で、防疫神として心身の健康を祈願する島民のよりどころです。

 金比羅神社と八坂神社の間には「深湾洞遺跡(ふかわんどういせき)」、その北西には「シラナス遺跡」が点在し、弥生・古墳・奈良平安の複合遺跡ともいわれています。

また、舳倉島では多くの石積み(ケルン)が目に付きます。島内にその数70あまり。石積みが竜神さまの供養となってエゴ草がたくさん採れるとも、江戸時代に起きた海難事故後、低い島を少しでも高く見せ、海上からの標識になるよう積み上げられたともいわれています。アワビ採取の潜水場所を覚える「山だめ」としても利用されています。 

※ケルンは単なる石積みではなく、貴重な歴史的財産です。安易に手を触れたり、石を動かしたりしないでください。

 伊勢神社(いせじんじゃ)

「やしろ様」とも呼ばれる神社で、島に鎮座する七つの小宮の一つです。昔はここに奥津比め神社があり、島全体の総氏神であったといわれています。

 奥津比め神社が島の南西に移転してからは、この社が伊勢信仰の中心となり、8月の例大祭が海士町で行われるようになるまでは、神輿の御仮屋としてにぎわってきました。

境内の右手に自生する「タブ」の木は、舳倉島で唯一の大木で、神の依代(よりしろ)として昔から島民の尊崇を受けてきました。 

輪島市指定天然記念物 やしろ神のタブの木
昭和58年6月27日指定 全長:約12.6m/根回り:約4.8m/推定樹齢:約300

竜神池

竜神池は周囲約180mあり、底が竜宮城に通じていて決して水が枯れることは無いといわれています。

藩政末期に一旭上人(いっきしょうにん)という僧が島にやってきて、毎晩観音堂に島民を集めて説教をしていました。
いつも末座に若い女がじっと聞き入っているので、ある晩一旭上人がたずねると、女は「私はこの池に棲む竜なのです。難破船の錨の毒にあたって死んだのですが、未だに成仏できずにいます。どうか助けて下さい。」と涙を流してたのむのだった。
そこで翌朝、島民が池の水をくみ上げたところ、池の底から大小二体の骨が見つかりました。骨は樽四杯分にもなりました。
この母子の竜骨は法蔵寺分院に葬られました。人々は父親の竜が現在も近くの海に生息していると考え、神として祭って無他神社としました。
観音堂は中北組と上北組が管理しています。

舳倉島・観音堂(かんのんどう)


へぐら愛らんどタワー

舳倉島の飲用水(上水道)は海水を浄化したものです。 「へぐら愛らんどタワー」は舳倉島簡易水道の高架配水塔整備工事にあわせ、下部スペースを有効利用した施設です。

バードウォッチングや釣りなどで島へ訪れる方々に向けて、渡り鳥・舳倉島・七ッ島・輪島の名所・伝統芸能等を、パネルなどで展示しています。島の魅力・輪島の魅力を感じていただく場所として、また、島民の交流の場としても活用していただけるよう整備されています。
5階バルコニーからは、全島がパノラマ展望できます。


御陣乗太鼓発祥の地で魂の声を聞こう!


交通アクセス


鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使


協力(順不同)

御陣乗太鼓保存会 〒928-0254 石川県輪島市名舟町ニ部34番地 電話 0768-34-8282 

わじま観光案内センター 〒928-0001 石川県輪島市河井町20部1-131TEL:0768-23-1100

輪島市役所 観光課 〒928-8525 石川県輪島市二ツ屋町2字29番地 電話:0768-22-2211

石川県神社庁 〒920-0811 金沢市小坂町西44番地 TEL:076-252-7771

石川県観光連盟 〒920-8580 金沢市鞍月1丁目1番地 電話番号:076-201-8110

一般社団法人 能登半島広域観光協会  石川県七尾市三島町70-1 七尾産業福祉センター1階
TEL.0767-53-7767

文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号 03(5253)4111



ZIPANG TOKIO 2020

2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。 この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、伝統芸能、行事、風習、ものづくりの技の美等、 サイトを通じて、平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです

もしもこのサイトに同じ思いをお持ちの皆様から、素敵な情報や画像をお寄せ戴ければこの上ない喜びです。以下のEメールアドレスへご連絡下さい。

E-mail aromajinja@gmail.com ( ZIPANG 2020 編集部 )。

2020, will be held the Olympic Games and Paralympic in Tokyo.

On this occasion, for the little-known beauty of the spiritual culture and national land of Japan to the people of the world I think that if we help to re-discover.

Climate, nature of the four seasons, of food, clothing and shelter cultural beauty, traditional arts, events, customs, beauty, etc. of the work of making things,

Through the site, peaceful country, a strange country, if the interest is more depth or round to ZIPANG Japan, is where I want secretly.


写真ご協力:高山祭(高山市)/ 富士山(富士市)

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