8月19日、20日2日間にわたりご紹介した山形「新庄まつり」、早速、記事をご覧になられた方たちからメールをいただき、山車の内容をもっと詳しく知りたいとのことでしたので、今号は、特別編として、新庄まつり実行委員会様のご協力により「新庄まつり」の真骨頂、昨年(平成28年)出展の20基の「山車」についてご紹介いたします。
平成29年の山車は、是非会場にてご覧ください。
物語部門最優秀
歌舞伎部門最優秀
あめりあ展示
新庄まつり261年目(平成28年各町の山車)
新庄まつりの山車を、市民は「やたい」と呼んでいます。町衆は若連という組織を作り、毎年町内単位で山車を作ります。題材は能・歌舞伎や歴史物話・伝説などから選び、等身大の人形を中心に、山・館・花・滝などを周りに配します。
解説
1番運行 風流 鏡獅子
江戸城の大奥にて御嘉例の御鏡開きの式が行われた日、その席にいた女小姓の弥生は無理に引き出されてご祝儀の舞をせねばならなくなりました。御神前に飾られてあった獅子頭を手にとって舞い始めると、獅子頭が蝶に狂っているうちに、名作の魂が弥生にのり移って、魅せられたように段々と獅子になり、狂い狂っていづこともなく惹かれてしまいました。すると以前の弥生が立派な獅子の精になって現れ、勇壮に舞いはじめます。
2番運行 風流 九尾狐
中国からインドに逃げた「九尾の狐」は美人に化け、インドの王子の妻になりました。 「九尾の狐」は妖術で王子をあやつり、無実の人びとの首をはねたり、悪事の限りを尽くしました。しかし、人間に魔法の杖でたたかれると、たちまち「九尾の狐」の姿を現し、再び逃げました。さらに、若藻という十代の美少女に化け、船にもぐりこみ、日本にわたることに成功しました。そして、玉藻前という美人になりすまし、鳥羽上皇のそばにつかえ、日本を混乱におとしいれる計画をねります。しかし、陰陽師安倍晴明に正体を見やぶられ、京都から北関東まで逃げますが最後は退治され、石となってしまいました。 「九尾の狐」が化けた玉藻前の姿はとても美しい女性であったそうです。
3番運行 風流 魔界転生
寛永十五年、キリシタン弾圧に端を発する島原の乱。幕府軍によりことごとく一揆衆は惨殺され、無念の自害をした天草四郎時貞。 彼はその怒りと憎しみでこの国を焼きつくさんものと、黄泉の国から蘇り、「エロイムエッサイム。我は求め訴えたり」と唱え、細川忠興に見捨てられ火の海に取り残された細川ガラシャ、将軍家御留流と称して柳井但馬守親子と戦えず無念の思いを残しこの世を去った宮本武蔵など、悪魔や化け物からなる魔界衆を現世へと呼び出し、幕府の崩壊を謀ります。 様々な人の思い、怨念、執念がぶつかり合う戦いの中、魔界衆の手により、ついに江戸城は紅蓮の炎に包まれます。身体中に魔除けの梵字を纏い、妖刀「村正」を手にした柳井十兵衛と、破壊にうち震え喜ぶ天草四郎。今まさに柳井十兵衛と天草四郎の最後の戦いが始まろうとしています。 現世で果たせなかった怨念を果たすべく、再びこの世に蘇り、歴史の時空間を超えて暗躍する戦いの火蓋が今切られました。
4番運行 風流 ひよどりごえ
寿永三年、義経は一の谷のひよどりごえから平家本陣を眼科に見下ろしていました。人馬が降りるのは到底不可能と思われる急斜面を、鹿が駆けるのであれば馬も駆けるに相違ないと、義経は騎馬奇襲にて、平宗盛、教経等が率いる平家本陣の背後を突きました。その最中、畠山重忠は自分の馬が傷つくのを恐れ、己が腕力にて愛馬三日月を担ぎ上げ、ひよどりごえの急斜面を駆け下りたのでした。
源氏の奇襲に虚を付かれた平家の者共は、我先にとばかりに海上の船へと逃げ惑うばかりであったといいます。
平安時代の悲劇の英雄、源義経と坂東武士の鑑と称された畠山重忠による、ひよどりごえの名場面です。
5番運行 風流 桃太郎
昔々ある所にお爺さんとお婆さんが住んでいました。ある日お婆さんが川で洗濯していると、大きな桃が流れてきたので家に持ち帰りました。お爺さんと一緒に桃を割ると中から男の子が出てきたので桃太郎と名付けて大事に育てました。大きくなった桃太郎は鬼が人々を苦しめていることを知り、鬼退治に行くことを決意しました。お爺さんとお婆さんにきびだんごをもらい鬼退治に行く途中に出会ったイヌ、サル、キジにきびだんごをあげて家来にすることにしました。鬼ヶ島で鬼と戦い、見事に勝った桃太郎達は、鬼が奪った財宝を持ち帰り、お爺さんお婆さんの元に帰り桃太郎は幸せに暮らしました。
本山車では、桃を割って桃太郎が出てくる場面、鬼ヶ島で鬼と戦っている場面、財宝を持ち帰る場面の三場面を再現しました。
6番運行 風流 長篠の戦
時は天正三年五月二十一日(一五七五年六月二十九日)、長篠城をめぐり、織田信長率いる織田・徳川連合軍と武田勝頼率いる武田軍との間で、戦いが勃発しました。いわゆる「長篠の戦い」です。
当時、最強を誇っていた武田の騎馬隊に対し、織田は三千丁もの鉄砲、そして三段撃ちという新戦法を擁し、迎え撃ちます。織田の戦術が功を奏したのか、織田・徳川連合軍の圧勝という形で、戦いの幕は閉じました。
この敗戦がきっかけとなり、武田軍は弱体化、滅亡へと追い込まれていきます。片や、信長は勢いを増し、天下取りへと突き進んでいきます。
戦国時代の英雄・織田信長、後に天下人となる徳川家康、そして猛将信玄の子・武田勝頼ら、時代を代表する武将が登場し、いまなお語り継がれている名場面の再現です。
7番運行 風流 七福神外伝・恵比寿神話
伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)による神産みにより、二神の間に生まれた、水蛭子(ひるこ)後の恵比寿は、三歳になっても足が立たなかった為に葦の船に乗せられ流し捨てられてしまいます。
しかし、海からやって来て漂着する水蛭子の姿が海の神に見えたことから恵比寿神となります。
恵比寿神は、海神、漁業神として、また、ふくよかな笑顔から福神として信仰されるようになります。
七福神とされる内の六神、布袋、大黒天、毘沙門天、福禄寿、寿老人、弁財天は、宝船にの乗り恵比寿神を七福神の一神として迎える為に、遙か遠き海よりやって来ました。
六神の誘いを受け、唯一日本の神として、七福神となりました。
これが恵比寿神話です。
8番運行 風流 雪女
むがーす、むがす、あったけど。
昔、ある村に親子の猟師がおりました。
ある年の冬のこと、猟に出掛けた二人は猛吹雪に合い、やっとのことで命からがら山小屋にたどり着きました。囲炉裏に火を焚くと、次第に二人は生きた心地がして親子で喜び合い、やがて眠りにつきました。
夜中、息子の音松は小屋の戸が開く気配がして目が覚めました。すると、黒い髪を長くたらした恐ろしくも美しい娘がたっておりました。娘は父親の顔に白い息を吹きかけると、見る見るうちに凍りついていきます。娘は音松にも近づきますが、今夜見たことは誰にも言ってはならないと告げ、消えてしまいました。
翌年、生き残った猟師の元に一人の旅の娘「おゆき」が道に迷い訪れます・・・。
各地に残る「雪女」の伝承。新庄・最上にも幾つか言い伝えられています。
9番運行 風流 鬼揃紅葉狩
平維茂は信州戸隠山での紅葉狩の道中、更科姫一行の酒宴に出会います。維茂は更科姫の誘いを受け、盃を重ね美女たちの舞に見とれている内に寝入ってしまい、いつの間にか姫たちは山中に姿を消しました。すると維茂の夢の仲に男山八幡の神女八百媛が現れ、更科姫一行は実は戸隠山の鬼女であることを告げ、維茂に神剣を授けます。
維茂が目を覚ますと先程の酒宴の席は跡形もなく、やがて雷鳴が轟き山風が吹き荒れてきました。すると、更科姫たちは鬼女へと姿を変えて維茂を襲いかかります。維茂は神剣を抜いて応戦し、激しい格闘を繰り広げるという、市川猿之助四十八撰の内の名場面です。
10番運行 風流 娘道成寺
女形歌舞伎舞踊の最高傑作といわれる「京鹿子娘道成寺」はもともと能の「娘道成寺」を素材にして作られ、舞もさることながら豪華絢爛たる様式美、色彩美を展開する構成となりました。この物語は、恋する男、安珍の後を追い、白拍子花子に身をやつした清姫が、紀州道成寺に到着しますが、女人禁制の道成寺に入ることがかなわず寺僧の前で舞を踊り、寺僧達が舞に酔いしれている隙に、安珍の隠れ潜んでいる鐘を蛇神となり恋の炎、執念の炎で溶け殺そうとするというものです。これを抑えようとする道成寺の寺侍、大舘左馬五郎の大活躍、いわゆる歌舞伎十八番「押し戻し」の場面となります。
11番運行 風流 慶長出羽合戦 長谷堂の戦い
慶長五年、天下分け目の戦い「関ケ原の戦い」が始まりました。時を同じくして出羽を舞台に始まったのが、もう一つの関ケ原とも呼ばれる戦い「慶長出羽合戦」です。豊臣方西軍上杉景勝の重臣直江兼続は二万余りの軍勢を率いて、徳川方東軍の最上義光を討とうと山形を攻めてきました。最上軍はわずか約三千。畑谷城を落城させた直江軍は、勢いに乗って長谷堂城へと攻め入ってきました。義光はこの城を守るために全力を挙げます。直江軍は三回の総攻撃をかけますが、激しい攻防戦が約半月も続いたころ、関ケ原での徳川軍勝利の知らせが両軍のもとに届きます。両軍ともに一歩も譲らぬ合戦の最中、直江兼続は西軍の敗北を知ると陣を引き払い、鉄砲隊を巧みに使って三万余りの軍勢を無事に米沢城に帰還させました。武勇・学問ともに優れ、人望厚い直江兼続の潔い退却は見事なものと義光が感心するほどの戦であったと伝えられた場面です。
12番運行 風流 大津絵道成寺
大津絵とは、江戸時代近江の国、大津の土産物、護符として評判になり、元禄の頃に最盛期となった、肉筆の素朴な風俗画、風刺画、仏画などをいいます。
「大津絵道成寺」は長唄、京鹿子娘道成寺を下地にした大津絵で、それを元に歌舞伎の演目に取り入れられました。大津絵の人物が次々に替わり踊りを舞う変化舞踊です。
場面は、絵の題材である、鷹匠、座頭、船頭などが登場しそれぞれが踊りを見せます。最後に藤の花の精の娘「藤娘」が現れ踊っていると、突然、鐘が落ちてきて「藤娘」が閉じ込められてしまいます。そこへ「武蔵坊弁慶」が現れます。念仏を唱え、鐘を釣り上げてみると、そこから出てきたのは「鬼」でした。「鬼」が暴れているところへ「矢の根蘇我五郎」が現れ、「武蔵坊弁慶」と共に「鬼」と大立ち回りを見せ、遂に「鬼」を退治したのでした。
13番運行 風流 渡辺綱
渡辺綱は頼光四天王の筆頭として、土蜘蛛、鬼を退治した武勇の伝説で知られます。
綱は主人の源頼光の使いの帰りに、一条戻橋にさしかかりました。その時に美しい女が一人南へ向かうのを見ます。女に、夜も更けて恐ろしいので家まで送ってほしいと頼まれます。綱はこんな夜中に女が一人でいるとは怪しいと思いながらも、それを引き受け馬に乗せました。すると女はたちまち鬼に姿を変え、「我が行くところは愛宕山なるぞ」と言うと綱の髪をつかんで宙に浮き上がりました。綱は鬼の腕を名刀「髭切」で切り落として逃げることができました。鬼は片腕を失いながら、愛宕山の方向へ飛び去りました。
綱は頼光のところへ戻り、残された鬼の腕を見せます。鬼の腕は漆黒の肌色で、白銀のような毛がびっしりと生えていました。
綱は七日間、厳重に物忌みをすることとなりました。しかし、綱の伯母で養母にあたる者が上洛し、綱は潔斎を破って対面し、仕方なく鬼の腕を見せてしまいます。伯母は鬼の腕を眺めていましたが、突然鬼となって「これは我が手だ、持っていくぞ」と言うと飛び上がり、破風を蹴破って外に出、光となって虚空に消えました。
14番運行 風流 川中島の戦い
天下取りの野望に燃える武田信玄は、上杉謙信との十一年にわたる川中島の戦いに時間を費やしましたが、ついに天下を取ることはできませんでした。信玄は智謀にたけた戦略家であるのに対して謙信は気性の激しい天才的な武将といわれ、龍虎相撃つ四度目の川中島の合戦は大激戦となりました。
永禄四年(一五六一年)、信玄と謙信の大軍団が千曲川をはさんで対陣しました。信玄はキツツキ戦法と呼ばれるはさみうち作戦をしようとしましたが、それをあらかじめ知った謙信が信玄の本陣を急襲し武田軍は苦戦を強いられます。しかし、それを知った側面攻撃隊が急いで引き返してからは形勢が逆転し、上杉軍が敗走し戦いが終わりました。
信玄が謙信と一騎打ちをしたといわれるのがこの戦いであり、両軍合わせての死者は五千を超えたといわれる大激戦でありました。
15番運行 風流 リュウオー・龍王
昔、中国と日本との間底深く、龍王の住む竜宮がありました。哪吒は霊珠神の申し子、龍をも落とし虎をも伏するという乾神の輪と、ひと振りすれば神をも目を回すという混天の綾の二つの宝物を持っていました。日本の漁師海彦の妻、天道が龍王の兵にさらわれ、哪吒に助けられます。哪吒と海彦は義兄弟の契りを結びました。しかし、龍王の都への攻めから人々を守るため哪吒は自らの命を絶つのでした。海彦夫婦は哪吒を蘇らせるため、中国に渡り、堂を建て三年の間、番を手向け哪吒の魂を蘇らせました。その際、天道は龍王の邪剣に倒れていたのでした。日本から漁師タケハニをはじめ漁師たちが応援に駆け付け、龍王と猛烈な戦いが始まりました。苦しく厳しい戦いの末、龍王は海彦と哪吒の友情に打ち伏されます。中国と日本の間に広がる大海原にも平安が戻り、哪吒と海彦は永遠に変わらぬ兄弟の契りを誓い合うのでした。
16番運行 風流 碇知盛
源氏と平家が繰り広げた源平合戦の一つ、摂津大物浦での場面です。源氏に追い詰められた知盛は幼い安徳帝を擁し平家の再興を狙い、義経に返報せんと最後の奇襲に打って出ます。海上の嵐に乗じて義経を葬ろうと出かけていきますが、まさかの返り討ちにあい平家軍は知盛のみとなってしまいました。髪はおおわらわ体には矢を多く受け負傷した知盛。しかし、義経は、安徳帝の身柄について決して悪いようにはしないと云います。それでもなお義経に立ち向かおうとする知盛、それを見た典侍の局は持っていた懐剣で自害すると、ついに知盛は天照大神の罰があたったのだと最期を悟り、帝を義経に託し、自らは掟を担ぎ、大海原へ身を投げ果てたのでありました。
17番運行 風流 かぐや姫「昇天」
ある日、かぐや姫は、月を見て物思いにふけるようになった理由を翁に告白します。「自分は月の人であり、八月十五日には月に帰らなければならない」と。この言葉に翁は激怒し、帝に警護の兵を賜るよう奏上し、帝は二千の兵を派遣しました。夜中の十二時、屋敷の周辺が光に包まれ、そこに月の使者が現れます。兵は勿論、翁でさえその光景を見守る以外になす術なく、呆然としています。かぐや姫は、着れば思い悩むことがなくなるという天の羽衣をまとい、もはや翁への思いすらなく、そして、飛ぶ車に乗り、大勢の天人を連れ、天に昇っていったのでした。
18番運行 風流 歌舞伎十八番 勧進帳
加賀の国安宅の関富樫左衛門、頼朝と不和になり、山伏姿になって奥州に逃れようとしている源義経主従を捕まえよと命が下りました。案の定、義経主従が関にさしかかると、富樫は早速訊問しました。しかし、弁慶は南都東大寺の勧進帳脚だと答えます。ならば勧進帳を読めと詰め寄ります。やむなく弁慶は巻物を一つ取り出し勧進帳と称して読み上げます。富樫はさらに山伏に関する色々な問いを浴びせますが弁慶はとっさの機転で答え抜き関を通る許可が下ります。しかし、富樫は強力姿の義経を怪しみ呼び止めます。主君の一大事と弁慶は心を鬼にして金剛杖で義経をさんざんに打ちました。富樫はすべてを推察し、主従の情にに感じ入り、一同を見逃してやる決意をします。
19番運行 風流 摂州大物浦 平家怨霊顕る
平家追討に武功を立てた源義経は、皮肉にもその功績ゆえに兄の頼朝に謀反を疑われ、都落ちを決意します。文治元年(一一八五年)、義経一行は摂津国大物浦、今の兵庫県尼崎市神崎川の河口にあった港から西国に船出しました。
港を出て間もなく、「天にわかにかき曇り、嵐が吹き起こり、大波にほんろうされ船はたちまち沖合へ。そこに壇ノ浦の戦いで義経一行に滅ぼされた平家一門の怨霊が現れ行く手を阻みます。中でも平知盛の亡霊の恨みは凄まじく、義経を海に沈めようと長刀をもって襲いかかります。義経一行の運命はいかに。手に汗を握る大迫力の場面をお楽しみ下さい。
20番運行 風流 雷神不動北山櫻
市川宗家のお家芸である歌舞伎十八番の中でも、現在は独立して演じられることの多い「毛抜」・「鳴神」・「不動」。これらを「通し狂言」という上演手法で表現したのが、本演目「雷鳴不動北山櫻」です。「毛抜」では、公家の家臣である粂寺弾正の名推理が冴えわたり、主君の許嫁の髪が逆立つ奇病を、実は忍びの持つ磁石が原因だと見破る痛快なお話です。山車の中では、弾正が見事に忍びを捕らえ成敗している場面を表しています。「鳴神」では、朝廷への恨みから世を干ばつの被害に陥れた鳴神上人が、勅命により差し向けられた雲絶間姫により、酒や色香に溺れた挙句眠ってしまいます。その間に絶間姫は、滝壺に封印された龍神を解き放ち、龍は瞬く間に昇天し雨を降らせました。上人はあまりの怒りに雷へと姿を変えてしまいます。最後の「不動」で、ついに勧善懲悪の化身である不動明王が降臨し、あらゆる問題を解決に導き、物語はクライマックスを迎えるのです。
町衆が山車作りに精を出している頃、
在方の村々では、若衆が集まり囃子の練習に励んでいます。
曲目は「寄せ笛」・「二上がり」・「羯鼓」・「宿渡」の4曲
囃子の曲は、花車大八という侠客が京都祇園祭の囃子にヒントを得て作ったものだと伝えられています。曲目は、17地区ある囃子若連の共通の持ち曲である「羯鼓」と「宿渡」、関屋囃子若連などが山車が出発する前に集合の合図として演奏される「寄せ笛」、そして、囃子萩野若連のみに伝わる「二上がり」の4曲です。
楽器について
大太鼓1張りと小太鼓2張りを1組にして、山車の後ろに2組(打ち手は計4人)つき、
その後に横笛と手びら鉦(かね)がつき、三味線が加わるところもあります。
このうち、鉦は地元の鉄工所でそれぞれ作ってもらうため、音量も様々です。
そのため、鉦をたたく人数は、各囃子若連によって違ってきます。
山車は神を招くための道標であり、神へのお供え物
神に捧げるものであるからには季節を問わず、春には春の美、秋には秋の美、
最も美しい花々を供えるという考えが山車作りには根付いています。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同)
新庄まつり実行委員会 〒996-0022 山形県新庄市住吉町3番8号
新庄商工会議所内 TEL. 0233-22-6855
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111
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