風格を感じる「宇佐神宮」西大門
「宇佐神宮」大鳥居
御神燈の温かな灯りの道がどこまでも続いていく
御神幸祭(御祓会)とは「夏越神事(なごしのしんじ)」の事。
宮司は輿に乗り、道ばやしの太鼓や笛を打鳴しながら300余人が神輿のお供をする。
鎮疫祭(御心経会)この祭典は「疫病災禍」を祓(はら)い鎮めるためのものである。
厄除開運について
「厄年」とは、運気が下がり災難や不幸事に遭いやすい時期を言いますが、一方で「役」に通じ、祭礼や公共の役目に就くことで「役が除けられる」とも言われてきました。私たちの祖先は古くから積み重ねた経験と智慧から、人生には要所要所で節目があり、肉体的・社会的にも様々な変化による区切りがあることを見いだしました。その節目にあたり、あらかじめ心の準備を怠らぬよう「厄年」という習わしを意識したのである。「厄年」に当たる方は、今からでも遅くありません清々しい気分になれるので宇佐神宮で「厄除祈願」をどうぞ。
「宇佐神宮」平成29年酉年厄除早見表のご紹介
さまざまな厄年について
厄年には「前厄・本厄・後厄」と「廻り年」がある。
「前厄・本厄・後厄」は年齢により巡ってくる厄年であり、「本厄」は数え年にて、男性が25歳・42歳・61歳、女性が19歳・33歳・61歳で、その前後の年がそれぞれ「前厄・後厄」にあたる。厄年にあたる3年間は慎むべき年といわれており、特に「本厄」は、男性女性ともに身体や環境の変化などにより、災厄・災難に最も見舞われることが多い「大厄」の年ともいわれる。
また「廻り年」とは、12年に一度必ず廻ってくる自分の「干支の年」のことで、年男・年女とも称され男女共通の厄年に当たる「小厄」とされている。但し、還暦(数え年で61歳)と男性の25歳(数え年)は、前述の「本厄」の年に当たる。
さらに、初めて「廻り年」を迎える13歳は特に重要な年齢とされており、特別に「十三参り」としてお参りする習わしがある。
宇佐市について
宇佐市(うさし)は大分県の北部に位置し、瀬戸内海に突き出た国東半島の西側に接している。このため古代より波静かな内海を介して都と通じ、また東アジアの玄関口大宰府と陸路で通じる要衝の地として栄え、神仏習合の八幡神が誕生しました。そして、内なる伊勢、外なる八幡の二所宗廟として発展し、日本人の精神文化の支柱となっている。
八幡神成立の基盤となったのは、安心院・院内の山間部を流れ出た河川が合流した駅館川の流域に形成された宇佐平野と遠浅の豊前海など、豊かな自然の恵みでした。
2005年(平成13)に院内町・安心院町・宇佐市が合併して新宇佐市となりましたが、それはかつて繁栄した古代宇佐郡の復活でもある。
宇佐市の歴史と文化
宇佐市の地形は、大小の谷からなる院内エリア、盆地を中心とした安心院エリア、広大な海と平野からなる宇佐エリアによって構成されている。院内エリアの風景の特徴が高低変化であるのに対して、盆地を中心にいくつもの谷からなる安心院エリアは横の変化が特長である。そして、こうした山間の風景が、宇佐エリアの広大な平野や海と続くために変化に富んだ自然美を堪能することができる。
また、このような自然に働きかける人々の営みによって、個性的な歴史文化を育んできました。谷が深い院内エリアには、長い橋脚を特徴とする多くの石橋が架けられました。安心院エリアにはスッポンを食し、鏝絵で家を飾る生活文化が生まれました。そして、豊かな海と農地に恵まれた宇佐エリアには、宇佐神宮や県立宇佐風土記の丘の古墳群(県立歴史博物館)を始めとして全国的にも評価の高い文化遺産が伝えられている。
森を守るように建つ「宇佐神宮」
「宇佐神宮」祈祷殿と高さ約30メートル、幹まわり約5メートルの風格ある大楠の御神木。
クスノキ(樟、楠)について
クスノキ科ニッケイ属。常緑高木。一般的にクスノキに使われる「楠」という字は本来、中国のタブノキを指す字である。台湾、中国、ベトナムといった暖地に生息し、それらの地域から日本に入り、本州西部の太平洋側、四国、九州に広く見られるが、特に九州に多く、生息域は内陸部にまで広がっている。幹周囲10メートル以上の巨樹になるのも珍しくなく、単木ではこんもりとした横広がりで、丸みのある樹形となる。木肌は綿密で、耐湿・耐久性に優れている。葉はつやがあり、革質で、先の尖った楕円形で長さ5-10センチである。4月末から5月上旬にかけて落葉し、5-6月にかけて、白く淡い黄緑色の小さな花が咲き、10-11月から直径7-8mm程度の青緑色で球形の果実が紫黒色に熟する。各部全体から樟脳の香りがする。樟脳とはすなわちクスノキの枝葉を蒸留して得られる無色透明の固体のことで、防虫剤や医薬品等に使用される。また、防虫効果があり、巨材が得られるという長所から家具や飛鳥時代の仏像にも使われ、古来から船の材料としても重宝されており、古代の西日本では丸木舟の 材料として使われ、大阪湾沿岸からは、クスノキの大木を数本分連結し、舷側板を取り付けた古墳時代の舟が何艘も出土している。その様は、古事記の「仁徳記」に登場するクスノキ製の快速船「枯野」の逸話からもうかがうことができる。室町から江戸時代にかけて、軍船の材料にもなっている。近年では、クスノキの葉は厚みがあり、葉をつける密度が非常に高いため、交通騒音低減のために街路樹として活用されることも多い。 木材は散孔材で心材は黄褐色、紅褐色、肌目はやや粗く、木理は交走することが多く、玉杢などが現れるものがある。 材はやや軽軟から中庸、 耐朽性が高い。 建築では内装材、また社寺建築、建具、家具、器具、 楽器、彫刻、木象嵌その他に用いられる。 葉や幹、根などを蒸し、出て来る蒸気を冷やし(蒸留)、 固形にしたものは防虫剤やセルロイド、フィルムなどの材料になり、東南アジアでは古くからつくられていたが、日本では、意外にも歴史は浅く、江戸時代半ばからつくり始められ、明治時代 には最盛期となり、何と合成樟脳やプラスチックが出廻った戦後にはもう衰退の道をたどり始めた。 しかし、セルロイドがもてはやされていた明治から昭和のはじめ頃には、何と世界一の生産量となったことも あったほどで、その頃の日本の発展に樟脳、しいてはクスノキが重要な役割を果たしたといえる。宇佐神宮の御神木「大楠」同様に、 鹿児島県の「蒲生のクス」は有名で、目通り周囲 約24m高さ30m。推定樹令850年。このようにクスノキは、成長がさかんで、 さらにさらに長命なので、古くから神社や寺院に植えられ、巨樹、名木になっている。
以前にも書きましたが、日本書紀によると木の適材適所は「須佐之男命」が宣われたものである。
「宇佐神宮」宝物館 国指定文化財、県指定文化財等数百点の文化財を収蔵、展示公開している。八幡文化の殿堂。
宇佐神宮のお祭について
宇佐神宮では、年間大小併せて150近くの祭典が行われる。
10年に1度行われる勅使祭をはじめ、どれも由緒のある荘厳で勇壮な祭典である。
臨時奉幣祭(勅使祭)
祭典日:10年に一度斎行(前回は平成27年10月6日)
天皇の思し召しによって勅使を神社に参向させ、天皇の祭文を神前に捧げ、奉幣を行う「勅使参向の社(ちょくしさんこうのやしろ)」と称される神社が、伊勢神宮を始め現在では全国に16社ある。
そのうちの一社である宇佐神宮では「宇佐和気使(わけづかい)」と称される即位奉告使や、 「宇佐使」と称される恒例祭・臨時祈願使の参向が養老4年(720)以来たびたびある。大正14年からは現在の10年に1度の奉幣祭となった。祭典前夜の宇佐市民・崇敬者による提灯(ちょうちん)行列など、多くの奉納式典が故実に従い厳粛にとり行われる。
宇佐神宮勅使門
10年に一度の勅使祭。天皇の使者が派遣されて行われる神社の祭祀「勅使祭」そのときにだけしか扉が開かれることのない美しい神橋「呉橋」は大分県指定有形文化財である。
例祭(宇佐祭)
祭典日:3月18日
皇室より幣帛(へいはく)を賜り、斎行される宇佐神宮で最も重要な祭典で、宇佐祭といわれる。欽明天皇三十二年二月初卯の大神ご顕現ゆかりの日に斎行される。
御田植祭
祭典日:6月の第4日曜日
上宮神前での祭祀が終わると御田植神事に奉仕する斎主以下所役の行列が境内の斎田として設けられた祭場に向かう。
斎主祝詞、水守が水を注ぎ、御タ巡りなどの行事があり、神酒杯酌があって、奉楽のうちに花傘(はながさ)をかぶった早乙女が田植行事をします。素朴なうちにも典雅な神事である。
色彩に溢れ美しく楽しい伝統行事である。
御神幸祭(御祓会)
祭典日:7月下旬又、8月上旬の金土日曜日
古くは「御祓会」と呼ばれていましたが、今日の「夏越神事(なごしのしんじ)」のことです。上宮での祭典の後、本殿より三所のご神体が三基の神輿(みこし)に乗り境内の頓宮(とんぐう)(御仮屋)までご神幸になる。
行列は、猿田彦を先頭に蝶・鳥・駒(小学生奉仕)の美しい衣装を付けた前陣と、一文字笠に裃(はかま)を着けた供廻の人達と続く、宮司は輿に乗り、道ばやしの太鼓や笛を打鳴しながら300余人が神輿のお供をする。
この祭典は、三基の神輿が先陣争いをすることから、別名を「けんか祭」とも呼ばれています。神輿が頓宮に着くとご神体が仮殿に移され、その横を斎庭に設けられた祓所に三本の川御幣(昔は祓川の中に立てられていた)を立て、その前で「菅貫(すがぬき)神事」という解縄串(ときなわぐし)による古式の祓い神事が厳粛にとり行われ、国家安泰・五穀豊穣・万民息災などの祈念が込められいる。
三所のご神体は、頓宮で三日二夜ご滞在して、再び神輿にのせられ、上宮本殿にご還幸される。
仲秋祭(放生会)
祭典日:10月体育の日、前日、前々日、3日間
明治以前まで「放生会」と呼ばれていた祭典で、養老4年(720)大隈・日向の隼人(はやと)が反乱を起こしたとき、朝廷の祈願により八幡神は託宣を下し、鎮定のため同5年両国に行幸、3ヵ年にわたって抵抗する隼人を平定して、同7年ご還幸になられました。
このとき、百人もの隼人の首をもち帰って葬った所が、神宮より西約1キロの所にある「凶首塚」です。また、すぐ下に「隼人の霊」を祠(まつ)る百太夫殿が、その後造立されました。現在の『百体神社』です。 さらに、神亀元年(724)「隼人の霊を慰めるため放生会をすべし」との託宣があり、天平16年(744)八幡神は和間(わま)の浜に行幸され、蜷(にな)や貝を海に放つ『放生会』の祭典がとり行われました。これが「放生会」の始まりである。
風除報賽祭
祭典日:10月20日~21日
8月7日に行われる風除祭では大切な田畑の穀物を風水害や病虫害などの被害から守って頂けるよう祈念します。風除報賽祭はその祈念が成就した五穀豊穣のお礼として、報賽するお祭りで、神能、鉾(ほこ)立てなどの神事がある。
神能(10月21日)
神宮能楽殿の見所に神籬(ひもろぎ)を設けて大神をお招きし、能舞台で神能『宇佐観世』が催(もよお)される。この神能は、昔から宇佐神宮に伝わっているものである。
宇佐神宮 奉納御神能番組のご案内
宇佐神宮神能実行委員会主催による「御神能」が、下記日程にて奉納される。
【お問合せ】
宇佐神宮庁内神能事務局 TEL:0978-37-0001(永弘)
宇佐市観光協会 TEL:0978-37-0202
鉾立神事(10月19日~21日)
祭典の前日から、境内に風除報賽の意味で氏子が奉納した鉾(ほこ)を建てます。太綱を使った壮大なものである。
新嘗祭
祭典日:11月23日
一年の収穫を神々に感謝する祭で、宮中はじめ伊勢の神宮・全国の神社で行われる。
多数の参列者のもとご神前に新穀を供え、感謝の祝詞を奏上する。
鎮疫祭(御心経会)
祭典日:2月13日(2月12~15日)
この祭典は「疫病災禍」を祓(はら)い鎮めるためのもので、前日の宵祭、当日の本殿祭に続き八坂神社前で祭典が行われます。その昔、夜中にとり行われ、「般若心経」が唱えられていたので、今でも土地の人は『心経会』と言うことがある。
2月12日の夕方から行われる宵祭では、斎庭に用意された大木に神火が灯され古神札を焼納し、15日まで焚(た)き続けられます。この火によって焼かれた餅を食べると、一年間無病息災になるといわれている。
当日の13日は上宮と末社八坂神社で神事が斎行されます。八坂神社では宮司の祝詞奏上に続き、4メートルばかりの五色の大御幣を神職の従者(白丁)が鳥居越しに本殿に向かって投げかける。それを参拝者が、我先にと争って奪い合い、鎮疫の神符として家に持ち帰り、玄関に祀る風習が残っている。
※一般の方も、各祭典に参列することができます。詳しくは宇佐神宮庁までお問い合わせ下さい。
お問い合わせ
宇佐神宮庁 〒872-0102 大分県宇佐市大字南宇佐2859
TEL:0978-37-0001 / FAX:0978-37-2748
境内のご案内
国宝 本殿
宇佐神宮の建築様式は八幡造(はちまんづくり)とよばれています。この八幡造は、二棟の切妻造平入の建物が前後に接続した形で、両殿の間に一間の相の間(馬道)がつき、その上の両軒に接するところに大きな金の雨樋(あまどい)が渡されています。桧皮葺(ひはだぶき)で白壁朱漆塗柱の華麗な建物が、横一列に並んでいます。奥殿を「内院」・前殿を「外院」といいます。内院には御帳台があり、外院には御椅子が置かれ、いずれも御神座となっています。御帳台は神様の夜のご座所であり、椅子は昼のご座所と考えられています。神様が昼は前殿、夜は奥殿に移動することが八幡造の特徴です。また、八幡造のもととなったのは、二之御殿の脇殿・北辰神社の建物ではないかといわれています。一之御殿が神亀2年(725)、二之御殿が天平5年(733)、三之御殿が弘仁14年(823) にそれぞれ建てられました。
下宮(御炊宮)
嵯峨天皇の弘仁年間(810年代)勅願によって創建され、上宮の御分神をご鎮祭になったことがきっかけで、八幡大神様・比売大神様・神功皇后様は上下御両宮のご鎮座となりました。
「下宮参らにゃ片参り」と云われる所以です。下宮の八幡大神は、御饌(みけ)を司るとともに、農業や一般産業の発展、充実をお守りになるご神威を発揮されます。古くから日常の祭祀には、とくに国民一般の祈願や報賽(ほうさい)が行われてきました。
国指定重要文化財 摂社 若宮神社
天長元年(824)同7年、ご神託があって、仁壽2年(852)に造営使を派遣して造営創祀されました。応神天皇の若宮であられる大鷦鷯命(仁徳天皇)と皇子をお祀りしている。
除災難・厄難の神様として有名です。
県指定有形文化財 呉橋
影見れば月も南に寄藻川 くるるに橋を 渡る宮人
呉橋は西参道にある屋根がついた神橋です。
昔、呉の国の人が掛けたともいわれ、この名があります。鎌倉時代より以前からある橋です。上記の歌は後伏見天皇正安3年(1301)の勅使、和気篤成朝臣のものです。
神橋
県指定有形文化財 南中楼門(勅使門)
神宮内郭の南正門。勅使門で通常は開かずの門です。入母屋造桧皮葺楼門、正面5.34m、側面3.17m、背は10.6m。高良大明神、阿蘇大明神の二神を御門の神としてお祀りしている。
県指定有形文化財 西大門
西大門は文禄のころ(1592~)改築されたといわれ、以来この桃山風の華麗な構造となっています。屋根は切妻及び向唐破風造りで桧皮葺、内部はとくに極彩色が多用されています。国宝の本殿、勅使門などと共に宇佐神宮の景観を象徴する建物です。
大尾神社
天平勝宝元年(749)八幡大神は比売大神とともに奈良に行幸、天平勝宝7年(755)伊予の宇和に移り、10年後奈多宮を経由して宇佐に御帰還になりました。その時、宇佐三山の一つ大尾山の頂上に御鎮座するとの託宣があったので、天平神護元年(765)に造営し、八幡大神様はここに約15年御鎮座されました。この間の神護景雲3年(769)7月11日、和気清麻呂公が弓削道鏡の事件に際して勅使として参拝され、八幡大神様より国体擁護の御神教を授かった霊地です。
護皇神社
道鏡事件の際、八幡大神様の神託を受けて国の危機を救った和気清麻呂をお祀りしています。
水分神社
水を司る五神を祀る神社です。菱形池、御霊水前の小島に鎮座され、中島の竜宮様とも申し上げます。
頓宮
七月末、八月上旬毎年行われる神幸祭に、三日二夜の間御滞在になる御旅所(おたびじょ)に当る社殿です。昭和御造営に臨み、大鳥居の外側にあった社殿を応永年間の頓宮旧蹟に復されました。昔の造替の時の上宮、下宮、若宮の頓宮は、当時の各社殿に準じ、大きな規模であったことが古図に残っています。
春宮神社
応神天皇の御子神で、勉学に励み寵愛されていましたが、兄の大鷦鷯命に皇太子の座を譲りました。学問の神としてご守護くださいます。
菱形池
欽明天皇三十二年、八幡大神が御現われになった霊池です。その名の所以は宇佐の三山、菱形にかこまれているため。古くから霊池として有名です。
寄藻川
宇佐神宮の神域を流れる川で、源は御許山の南にあり、流れの末端は、古くから放生会を行っている和間の浜で、周防灘に注いでいます。寄藻川は、この川の総称で、呉橋から川上を寄藻川、また呉橋川といい、呉橋から表参道の神橋までを月瀬川、表参道神橋から神社の境域付近を浅瀬川といい、場所によって名が変わります。 『古事記』、『日本書紀』にある『菟狭の川上』はここのことで、寄藻川沿岸はいろいろな史蹟に富んでいます。
八坂神社
須佐之男命(すさのおのみこと)をお祀りしています。この神社の西側に昔の神宮寺弥勒寺の金堂や講堂の旧蹟があります。この神社の前で、毎年二月十三日に鎮疫祭(ちんえきさい)が行われます。
県指定有形文化財 宇佐鳥居
西大門前のこの木造鳥居は宇佐鳥居と称し大鳥居をはじめ他の鳥居はすべてこれと同じ形式のものです。 この鳥居は宇佐古来の形式をもつ鳥居として有名で、額束はなく、台輪を柱上に置いています。宇佐の鳥居の規格となるものです。
御霊水
上宮の裏、菱形池のほとりに三つの霊泉がある。御霊水(ごれいすい)、または御鍛冶場(おかじば)、下井の霊水とも言い、八幡大神が御現れになったところであるとされている。ここには八角の影向石(ようごうぜき)があり大神が神馬に召され、天翔けられたと伝えられる馬蹄の跡がある。また、奈良朝の末ごろ、社僧の神息(しんそく)が御霊水の前に三個の井戸を掘り、この水で八幡大神の神威を頂いて刀を鍛えました。これが社宝となっている『神息の刀』と伝えられている。
木匠祖神社
宮大工・寺大工・桧皮師・塗師の職人達と、近郷近住の職人の守護神である。
祓所
勅使奉幣祭をはじめ大祓式などの祭典の祓の儀を行う所です。この前の広場を古くより御輿掛(おこしかけ)と称し、宮司の輿を倚するところです。
黒男神社
武内宿祢は、景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇と、五代の天皇に二百四十余年もの間大臣として仕えたと伝えられます。数多くの功労があり、忠誠を尽くされたことをもってお祀りされています。八幡大神にご奉仕された神であり、古くから大鳥居の外に鎮座になって大神をお護りされています。長寿、忠誠、奉仕などの高いご神徳を授けられます。
八子神社
八幡大神の八王子神をお祀りしております。社殿の構えはなく、上宮、西回廊の楠の木に鎮まっておられます。
宇佐神社宝物館
国宝 孔雀文磬(くじゃくもんけい)
宇佐神宮宝物館
宇佐神宮は、昭和60年(1985)10月6日、第253回の 勅使奉幣大祭を斎行するにあたり、この記念事業として 宝物館参集殿を建設。 宇佐神宮関係の国指定文化財、県指定文化財等数百点の文化財を収蔵、展示公開している。深遠な宇佐の歴史と文化に触れることの出来る八幡文化の殿堂である。
開館時間 9時00分~16時00分 ※火曜休館
まだご紹介したい観光地や温泉など沢山ありますが、相変わらずかなりの時間オーバーしてしまいましたので、また次の機会にご紹介いたします。 鎹八咫烏 記
宇佐神宮御本殿特別拝観・ライトアップ(非公開文化財特別公開)
国東半島宇佐地域・六郷満山開山1300年誘客キャンペーン実行委員会主催による「非公開文化財特別公開ライトアップイベント」が開催されます。
宇佐神宮では、御本殿を3日間限定で一般公開致します。
廻廊に囲まれて平素は全容を見ることが出来ない国宝の八幡造本殿や、御垣内に鎮座するため一般の参拝者が目にすることの限られる北辰神社(県指定文化財・国宝本殿の原型)・春日神社(一之御殿脇侍の神社)を間近に参拝・拝観頂ける機会であります。
なお、御神体や本殿内部の公開は致しませんので、予めご承知ください。
また、内2日間はライトアップを実施致します。
上宮を始め呉橋、一の鳥居等を照らし、参拝される方々を静寂で幻想的な雰囲気でお迎えします。
なお、ライトアップ点灯時は、御本殿拝観は実施致しませんので、ご了承ください。
日程
御本殿特別拝観】
平成29年11月3日(金)から11月5日(日)
午前9時から午後4時00分まで
(受付は午後3時30分までとなります)
【ライトアップ】
平成29年11月3日(金)・11月4日(土)
午後7時より午後9時まで
御本殿拝観料】
一般(中学生以上) 800円
小学生以下 無料
【ライトアップ】
無料でご観覧できます
【拝観特典】
特別記念品を授与致します。
宝物館を無料で拝観できます。
非公開文化財特別公開ライトアップのご案内
鎹八咫烏 記
協力(順不同・敬称略)
宇佐神宮 〒872-0102 大分県宇佐市大字南宇佐2859 TEL:0978-37-0001
一般社団法人 宇佐市観光協会
〒872-0102 大分県宇佐市南宇佐2179-3
TEL:0978-37-0202
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話(代表)03(5253)4111
中川木材産業(株)
〒587-0042 大阪府堺市美原区木材通1-11-13 TEL:072-361-5501
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