『古事記・日本書紀』の国生み神話によると、イザナギ、イザナミ2尊が、天の浮橋の上に立って天の瓊矛で青海原をかきまわし、その矛先からしたたり落ちた潮が凝り固ってできたのがこの自凝島(おのころじま)で、2尊はこの島に降りて、淡路島をはじめ日本の国土を生んだとされている。
服部嵐雪の名句「梅一輪一輪ほどのあたたかさ」の句碑
この山頂の「自凝島神社(おのころ島神社)」には、二尊が祀られており、日本三大鳥居(高さ21.7m柱間口12.7m笠木全長31.2m)の一つといわれる大鳥居がある。また、境内には服部嵐雪の名句「梅一輪一輪ほどのあたたかさ」の句碑が建っている。
国生み神話
古事記、日本書紀によると、伊弉諾尊(いざなぎ)・伊弉冊尊(いざなみ)の二神が天上の「天の浮橋」に立って、「天のぬ矛」をもって青海原をかきまわし、その矛を引き上げたときに、矛の先から滴り落ちる潮(しお)が凝(こ)り固まって一つの島となった。これが「おのころ島」で、二神は、その島に降りて、夫婦の契りを結んで国生みをされた。はじめに造られたのが淡路島でつぎつぎと大八洲(おおやしま)の国々(日本列島)をつくられたとある。
この神話は、もとは、淡路の海人族(あまぞく)が伝えた「島生み神話」であったといわれている。それが、大和朝廷の起源を語る『古事記』や『日本書紀』に取り入れられ、その冒頭にすえられるようになったのは、大和朝廷が淡路に屯倉(みやけ)をおいて、淡路島を直接の支配下におき、さらに御饌都国(みけつくに)と呼んで食料貢献の特別な地としたことに関係する。
このようなことから、淡路の海人が朝廷に出仕するようになり、淡路の神話が宮廷に伝えられて、古事記や日本書紀の編纂の時期(奈良時代)に壮大な「国生み神話」となって語られたのであろうといわれている。
葦原国(あしはらのくに)
古事記、日本書紀によると、天(あめ)と地(つち)がひらけるはじめは、国土が浮き漂い遊魚が水の上に浮かぶようであった。その中から葦芽(あしかび)のようなものが生じて神となり、国常立尊(くにのとこたちのみこと)ともうしました。・・・・・以下、伊弉諾尊・伊弉冊尊までを神代七代(かみよななよ)と称します。
このようなことから、葦原国は、古代伝承にもとづく日本国の別の呼名とされている。海辺に葦が繁っていて、その中に五穀豊穣の沃土があるというのである。
「葦原国」榎列下幡多おのころ島神社周辺のくにうみ伝説ゆかりの地。
現在、おのころ島神社の西方約500mにある葦原国のまわりには、葦が茂っていたといわれ、中には「千速(ちはや)振る神代の昔あしはらを ひらきそめにし国常跡」の歌碑が建てられている。
おのころ島の所在
天の浮橋
鶺鴒石(せきれい石)
おのころ島の所在については、旧三原町のおのころ島、旧南淡町の沼島、淡路町の絵島、または、淡路島全体がおのころ島であるなど、いろいろの説がありますが、旧三原町榎列におのころ島の地名が古くからあり、おのころ島の頂上には、おのころ島神社が祀られ、近くには国生み神話に関連する葦原国(あしはらのくに)や天の浮橋、せきれい石、塩砂(御砂所)などがある。
おのころ島は、陸地にあってなぜ島なのか?
おのころ島は、現在、陸地の小高い丘になっていますが、おのころ島の西部山裾に塩砂(お砂所)があり、数千年前の縄文時代には、三原平野の低い所が入江であった(縄文海進)とされていることから、また、水辺に群生する葦が最近まで島の北部一帯に広がっていたことからも、むかしは、海の中に浮かぶ小島であったと考えられている。
伊弉諾尊(イザナギ)・伊弉冊尊(イザナミ)を祀る神社
淡路島の伊弉諾尊・伊弉冊尊を祀る神社は、二尊がこの島で日本国の島々を生んだとされるおのころ島に祀る「おのころ島神社」のほかに、島内には多くの二尊を祀る神社があります。おのころ島神社の屋根は、かつては、葦原国にちなんで葦(あし)で葺いてありました。現在は、銅板で葺いてあるが、その下は葦で葺かれており、また、千木(ちぎ)は上端が水平であり、鰹木(かつおぎ)は8本となっている。
神話について
国生み神話のもとになったものは、祖先である淡路島の海人族(あまぞく)のあいだで語り伝えられていた「島生み神話」であったといわれている。 この神話の中には、祖先達の暮らしの何らかの史実が反映されているとの見方もあり、祖先達の此のロマンに満ちた素朴な島生み伝承を大切に伝えたいものである。
おのころ島神社
由来
おのころ島神社は、古代の御原入江の中にあって伊弉諾命・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり、古くから「おのころ島」と親しまれ崇敬されてきました。
古事記・日本書紀によれば神代の昔国土創世の時、二神は天の浮橋にお立ちになり、天の沼矛を持って海原をかき回すに、その矛より滴る潮がおのずと凝り固まって島となる、これが自凝島である。
二神はこの島に降り立たれ、八尋殿(やひろでん)を建て 先ず淡路島を造り次々と大八洲(おおやしま)を拓かれたと記されている。
おのころ島神社には伊弉諾命・伊弉冉命の二神がお祀りされており、縁結び、安産の神として知られている。また、この二神は天照大御神様の親神様である。
昭和57年3月に建立された、高さ21.7mの朱塗りの大鳥居が目を引きます。
おのころ島神社「正殿」
正殿は、大鳥居をくぐり石階段を登った正面にあります。
おのころ島神社の正殿は伊勢神宮と同じ神明造となっており、また伊勢神宮の内宮の鰹木は十本、外宮は九本あり、おのころ島神社は、八本となっております。
正殿では結婚式や七五三・お宮参りなどの各御祈祷が行われます。
おのころ島神社「御神木」
正殿の東側に何年前かと思われる古い夫婦松(こえ松)の御神木がある。
おのころ島神社「八百萬神社」
正殿の西側御奥に八百萬神社がある。
伊弉諾命・伊弉册命の御子神様を奉斎しております。
おのころ島神社「安産の御砂場」
神社を西側に降りると産宮神社(お砂所)があります。
自凝島神社の塩砂は、大八洲の国生みの故事である「天の沼矛」から滴り落ちた塩なので、安産の神様として妊婦さんが参拝し安産を御願いされている。
おのころ島神社「鶺鴒石」
伊弉諾命・伊弉册命の二神様は、正殿前にあるこの石の上につがいの鶺鴒が止まり夫婦の契りを交わしている姿を見て、夫婦の道を開かれ御子様をお生みになられました。
おのころ島神社「天の浮橋」
おのころ島神社東側の五十鈴川沿いに
天の浮橋分社がある。
おのころ島神社「葦原の国」
おのころ島神社裏の五十鈴川沿いに葦原国分社がある。
おのころ島神社
御祭神 伊弉諾命(イザナギのミコト)
伊弉冉命(イザナミのミコト)
合祀 菊理媛命(キクリヒメのミコト、別名ククリヒメのミコト)
摂社 八百萬神社
御神徳 健康長寿・良縁堅固・夫婦和合・安産塩砂
御祭日 春大祭 五月三日
夏大祭 七月八日
八百萬神社 九月一日
祭り ~まつりに刻まれた島人達の精神性~おのころ島神社「春の大祭」
国生み神話の舞台となった淡路島では、祭りが大変盛んである。
淡路島が誇る多種多様な祭りには、それぞれの土地の地域性が色濃く反映され、人々の素朴な信仰心が現代まで脈々と受け継がれてきました。
中には疫病や旱魃などをきっかけに生まれた祭りもあり、過酷な自然条件を祭りという文化にまで変えていった先人達の精神性には目を見張るものがある。
祭りには人と自然との間で繰り広げられてきた壮大なドラマが秘められているのです 中でも一際目をひくのが「だんじり」。
だんじりとは、神社のお祭りの時に曳きまわす神座の事。
淡路島のだんじりは赤い布団を5枚重ね、そこに豪華な飾りや刺繍を施した「布団だんじり」が主流で、春祭りや秋祭りには、見るも鮮やかな布団だんじりが、島内各地を駆け巡る。
他にも縦横無尽にひっくり返しながらかつぐ「つかいだんじり」や、上田八幡神社の「投げだんじり」、鳥飼八幡神社の「舟だんじり」など、大変個性的なだんじりもある。
こうしただんじりは地域の誇りであり、淡路島屈指の有形文化財なのである。
だんじりと共に人々を楽しませてくれるのが、同じく島民の誇りである「だんじり唄」。
だんじり唄は別名「浄瑠璃くずし」と呼ばれるように、祭りの余興に、人形浄瑠璃の題材から物語のハイライトをうまく取り出してメロディーをつけてアレンジした団体芸、言わば氏子達による大衆オペラである。
圧倒的な迫力で演じられるだんじり唄は、淡路人形浄瑠璃という伝統文化の土壌の中で育まれたふるさとの心。
祭りの日には、氏子達はみな誇らしげに、それぞれのだんじりを担ぎ、そしてそれぞれのだんじり唄を熱演するのである。
日本遺産 構成文化財の位置図(南あわじ市域)
22 大和大國魂神社
交通アクセス
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同)
自凝島神社(おのころ島神社)
〒656-0423 兵庫県南あわじ市榎列下幡多415番地
電話: 0799-42-5320
一般社団法人 淡路島観光協会 〒656-0027 兵庫県洲本市港2-洲本バスセンター内
TEL.0799-25-5820
南あわじ市役所 〒656-0492 兵庫県南あわじ市市善光寺22番地1
Tel:0799-43-5001(代表)
一般財団法人 淡路島くにうみ協会
〒656-0022 兵庫県洲本市海岸通1丁目11-1 洲本ポートターミナルビル3階
Tel: 0799-24-2001
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話(代表) 03(5253)4111
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