ZIPANG TOKIO 2020「対馬の歴史~江戸時代~(第二話)いよいよ対馬で【対馬検定】開始!ご参加を」

「根緒の漁火」国境の町対馬の夜の海はどこまでも暗く、あちらこちらで「ぽっぽっ」と一つづつ灯が灯る。目を開くといつしか漁火の海である。明け方になると大漁の灯りが揺れ港に兄弟舟が帰って行く。

韓国展望台からの眺め釜山港の海岸通りのネオンサインが見えるくらいの近さである。橋があるならマラソンで行ける距離である。

烏帽子岳からの眺め、手を伸ばせば天まで届きそうだ、雲が流れるように早い!

対馬南端、広大な水平線が広がる豆酘崎(つつざき)。まさに、天地創造!
「古事記」の国生み神話では本州・九州と並び最初に創造される大八島国の一つ「対馬」

厳原町久田道(くたみち)の与良祖(よらのみおや)神社。神功皇后が神事を行い、朝鮮三国(新羅、高句麗、百済)を服属させた「三韓征伐」して凱旋後にも再拝したところ。
祭神の豊玉姫が、「新羅は外側は強いが内部が脆い。急襲せよ!」と神託を下した。
100以上神社を巡られた(一社)対馬観光物産協会の西氏によると「写真のご神体周辺にはとんでもないものが潜んでいるような、ピリピリした空気が漂っています。迂闊には近づけません(-_-;)」とのことです。この辺りは古代の古墳が発見された所。
対馬に行ったら何を差し置いてでも、訪ねたいような気もするし・・・


前号に引き続き対馬の歴史「江戸時代」を紹介いたします。

その前に、一般社団法人 対馬観光物産協会主催により「対馬楽講座&対馬検定」が開催されますので紹介いたします。

対馬の歴史を楽しもう! 対馬楽講座~歴史編~

講師陣は、対馬市教育委員会文化財課、朝鮮通信使対馬顕彰事業会、対馬の自然と文化を守る会、対馬観光ガイドの会やんこもの皆様です。
今回は島外からスペシャルゲスト講師として、公益財団法人日本城郭協会理事で城郭ライター・萩原さちこさんも参加されます。

対馬の歴史を楽しもう! 対馬楽講座 ~歴史編~

ツシマヤマネコ

日本最初の寺院「梅林寺」

日本書紀に登場する日神をまつる「阿麻氐留神社(あまてるじんじゃ)」

阿麻氐留神社(あまてるじんじゃ)神事

雄大な自然に恵まれ、ツシマヤマネコが生息する国境の島・対馬。
魏志倭人伝や古事記、万葉集などの古典にも登場する、悠久の歴史を誇る島でもあります。
ただ、歴史は奥が深く、難しい印象をもっている人も多いと思います。
そこで・・・


対馬の歴史を、わかりやすく、楽しく学ぶ講座を開催いたします! 

【開催日】 平成29年12月5日(火)~平成30年1月30日(火)
                    ※毎週火曜日、1月2日は休講 【会 場】 対馬市交流センター 3階(長崎県対馬市厳原町今屋敷661-3) 【時 間】 19:00~20:30 【受講料】 無料 【定 員】 30名(先着順) 【主 催】 一般社団法人 対馬観光物産協会 【申 込】 資料準備のため、事前に申し込みが必要です。1回だけの受講なども可能です。  欠席等で余裕がある場合は各講座の前日17:00までの申し込みで追加受講もできますが、定員を超える場合は先着順になります。

住吉神社

和多都美神社

厳原八幡宮


平成29年 12/5(火) 第1回  国境の島・対馬の神社を楽しもう! ~九州最多の式内社を中心に~  案内 対馬観光物産協会 西 護
 

弥生時代後期前半の埋葬遺跡。【昭和52年 国指定文化財】


12/12(火)第2回  考古学と弥生墓 ~考古学とはどういう学問なのか、考古学で見る弥生時代の対馬~  講師 対馬市教育委員会文化財課 尾上 博一 氏  


金田城跡


12/19(火) 第3回  古代山城・金田城の過去・現在・未来 ~1350年耐えた金田城を次世代に伝えるために今できること~  講師 対馬市教育委員会文化財課 田中 淳也 氏 

対馬藩主宗家墓所・万松院(ばんしょういん)


12/26(火) 第4回  中世の宗氏 ~たまには、中世にもスポットを当ててみよう~  講師 対馬市教育委員会文化財課 村瀬 達郎 氏 

厳原港まつり「朝鮮通信使行列」

 
平成30年1/9(火) 第5回  江戸時代の日朝交流と対馬藩 ~その実情と通信使交流の果たした意義~  講師 朝鮮通信使対馬顕彰事業会 会長 小島 武博 氏

文禄慶長の役に際して築かれた戦国末期の山城。良好な石積み遺構が見られ、国の史跡に指定。


1/16(火)第6回  朝鮮出兵と清水山城  講師 城郭ライター・編集者 萩原 さちこ 氏 


国宝・重要文化財(国立国会図書館所蔵)江戸時代に朝鮮国との外交・貿易を独占的に管掌した対馬宗家が、釜山の倭館で作成・保存した一括資料である。倭館は朝鮮国内の日本人居留地域であり、日本人使節を接待する「客館」や、貿易を行う「商館」、さらには外交実務を行う「在外公館」としての機能を有した。


1/23(火)第7回  倭館での暮らしぶり ~釜山にあった対馬の外交拠点~  講師 対馬の自然と文化を守る会 会長 永留 史彦 氏  


「姫神山砲台」日本本土と大陸の中間に位置する国境の島対馬は、国防そして大陸に向かう最前線基地として明治20年から昭和20年までに30箇所を超える多くの砲台が建設され、島の要塞化が進められました。姫神山砲台は、明治33年2月着工、翌年11月に竣工し、その後明治37年1月に6門の28センチ榴弾砲が備え付けられました。対馬の明治期を代表する砲台跡です。施設は、赤レンガと砂岩で造られており、今では周囲の自然と調和・融合し、レトロな雰囲気が美しい空間を醸し出しています。

対馬市美津島町緒方(みつしままちおかた)集落から砲台跡まで、なだらかな軍道が続いています。遺跡のような雰囲気を漂わせる近代土木遺産であり、山頂の観測所からは対馬海峡の水平線が一望できます。片道2.5km、徒歩約40分。

1/30(火) 第8回  対馬要塞に学ぶ ~近代化遺産を活かそう!~  講師 対馬観光ガイドの会やんこも 小松 津代志 氏  

 


【国境の島・対馬検定】

「小茂田濱神社大祭子ども相撲」文永の役(1274年)で元軍に敗れた宗助国は軍神となり、毎年11月12日に士族の末裔が伝来の鎧に身をかためて小茂田濱に集い、神主が海に向かって鏑矢を放つ「鳴弦の儀」が行われるようになったことから、この日に行われています。

観客が意外と少なそうに見えますが、実はそうではないのです。菰樽(こもだる)から手前の芝生はなだらかな丘になっていて観光客も交え町内総出の応援です。皆さんに声を聴かせたいぐらいです。
名古屋も昔は各町内で子ども相撲大会が行われていましたが、いまは・・・
写真の奥側は海の延長でビックリするくらい沢山の漁船が停留しています。(あの漁火の正体はこの船かも)

あ、そうそう前号で紹介した椎根の石屋根は、無理をすれば歩いても行ける距離です(かなりハードですが)。バスも通っていますが時間に気を付けてください。(一社)対馬観光物産協会さんにご相談ください、島内のツアーが組まれているかもしれませんので。

     神主が海に向かって鏑矢を放つ「鳴弦の儀」

元寇古戦場の佐須浦は、現在の金田小学校付近と考えられています。周辺には、宗 助国公の首塚・胴塚・かいな塚・太刀塚などがあり、合戦の激しさを今に伝えます。その後、土砂の堆積等で海岸線が西に広がり、小茂田濱(こもだはま)と呼ばれるようになり、宗 助国を祭る小茂田濱神社が建立されました。

海辺にある小茂田濱神社。毎年11月12日には「小茂田濱神社大祭子ども相撲」が行われる。

小茂田濱神社大祭の日のみ近くのお店の前に簡単な屋台を出して販売されますが、すぐに売り切れます。「お餅を焼いていた時に蒙古が襲来して村人たちは半生焼の状態で餅をもって逃げたことからその時のことをいつまでも忘れないように記念日にだけ半生焼の餅を作って売っているのだ」と屋台のおじさんが教えてくれました。そういえば、餅も小豆も硬かった。あれから数十年おじさんは元気にしてるのだろうか・・・いつかお会いしましょう。


対馬検定とは

「ふるさと自慢のできる対馬の子どもたちを育てる」

ことを目的に、平成28年3月、「つしまっ子郷土読本」(発行:対馬市教育委員会)が対馬市内の小学5年生~高校3年生に配布されました。  対馬の入門書として最適であり、このたび、同書をテキストとする「対馬検定」の開催を企画いたしました。  学生に限らず、島内外のどなたでも受験できますので、ふるってご参加ください。  対馬に住んでいるだけでは意外と知らないことも多いので、この際にしっかりと勉強してみませんか?

【日 時】 平成30年2月11日(日・祝) 受付10:00、試験時間10:30~12:00 【会 場】 対馬市交流センター3階 大会議室 【定 員】 100名 【締 切】 平成30年1月31日(水)必着 【参加料】 無料 【難易度】 初心者向け・選択式(4択) ※すべて「つしまっ子郷土読本」から出題します。 【テキスト購入】 同書(同内容)の普及版(1,400円+消費税)を当協会で販売しています。 【備 考】 筆記用具持参、携帯電話等使用不可、上位者はHPにて発表、試験結果は郵送いたします。 

【お申込】

お名前、性別、年齢、ご住所、電話番号、受講希望 対馬楽講座・対馬検定(両方受講もOK)を、下記 電話・FAXからお申込みください。

〒817-0021 長崎県対馬市厳原町今屋敷672-1観光情報館ふれあい処つしま 一般社団法人 対馬観光物産協会 担当 西・舟橋 TEL 0920-52-1566 / FAX 0920-52-1585


九州最北端の島 晴れていれば釜山市の街並が望める

韓国展望台から見る韓国はこんなに近い!

九州と朝鮮半島の間に浮かぶ島・対馬。九州最北端に位置し、お隣韓国までは49.5kmの近さにあり、天気がよければ釜山市の街並を望むことができます。最終氷河期(7万年前から1万年前)には大陸・日本列島と陸続きだったと考えられており、ツシマヤマネコに代表する大陸系の動物たちが生息していました。温暖化が進むにつれて対馬はふたたび孤島となりますが、九州の土器・黒曜石と朝鮮半島の土器が出土していることから、孤島となったのちも人々が九州と朝鮮半島を往来していたと考えられます。魏志倭人伝(3世紀)に最初に登場する倭国(日本)のクニとして描かれ、古くから日本と大陸を結ぶ海上交通の要衝でした。4世紀後半には畿内系高塚古墳が対馬にも出現し、「古事記」の国生み神話では本州・九州と並び最初に創造される大八島国の一つとして描かれるなど、一貫して日本の国土として認識されていました。


さて、これからが本日のテーマです。どうか最後までお付き合いください。


柳川一件 ~幕府を震撼させた国書偽造事件~

宗家の居城「金石城」跡

旧金石城庭園

李氏朝鮮が対馬藩の要請に応じて通信使を派遣するにあたり、いくつかの条件が提示されました。戦で捕虜となった朝鮮人の帰国、朝鮮王の墳墓を暴いた犯人の送還、家康が先に国書を通じること、などです。1390名の捕虜の帰国は実現したものの、残りふたつの実現は難しく、苦慮した対馬藩は、対馬の罪人を犯人に仕立て上げて朝鮮に送り、さらには家康の国書を偽造するというギリギリの外交交渉を行います。そして、以前から繰り返されていたこの偽造行為が、対馬藩のお家騒動を発端として露見し、徳川3代将軍家光を巻き込んだ外交事件へと発展してしまいます。

偽造事件を暴露したのは、対馬藩の重臣・柳川調興(やながわしげおき)でした。朝鮮との外交交渉で辣腕をふるった柳川調信(しげのぶ)を父に持ち、幕閣や宗家内部にも支持者の多かった調興は、主家である宗義成(そうよしなり)と対立し、宗家の極秘事項であった国書の改ざんを暴露、宗家の追放をもくろみます。事件は幕府を揺るがす外交事件に発展し、諸大名の並ぶ江戸城大広間で家光直々の親裁が下され、宗義成は無罪、柳川調興は津軽へ流罪となりました。


朝鮮貿易 ~対馬の黄金時代~

お船江(藩船のドッグ)

江戸元禄、宗義真(そう よしざね)の治世は対馬の黄金時代でした。朝鮮貿易によって生み出された莫大な利益をもとに、大船越瀬戸の堀切、お船江(藩船のドッグ)の築造、阿須川の掘削など大規模な公共事業が行われました。儒学者・雨森芳洲を招聘し、日本最初の小学校が設置されたのもこの時代です。朝鮮からの輸入品は生糸・朝鮮人参、日本からの輸出品は銀などでした。朝鮮人参は万能薬として珍重され、生糸は京都で西陣織に加工された後、大阪や江戸の富裕な商人層によって消費されました。朝鮮貿易がもたらした莫大な富により、対馬藩は西の長者と称えられました。

朝鮮王朝から贈られた仏具・三具足(みつぐそく)。日光東照宮にも贈られています。

厳原町国分の万松院は宗家の菩提寺であり、歴代藩主の巨大な墓石が立ち並び、また、朝鮮国王から贈られた銅製の三具足や、徳川幕府から贈られた歴代将軍の遺影等が安置されています。万松院の歴代藩主の墓石のうち宗義成・宗善真のものが最大で、以降、墓石の規模は徐々に小さくなっていきます。それは、朝鮮貿易の盛衰による対馬藩の財政力の変動をそのまま反映しているかのようです。


雨森芳洲 ~元禄の国際人~

初代藩主・宗 義智(そう よしとし)、儒学者 雨森 芳洲(あめのもり ほうしゅう)、陶山 訥庵(すやま とつあん)などの偉人と、神事や民俗文化を紹介するコーナー。右側は観光地マップ、観光モデルコースです。(「(一社)対馬観光物産協会」のある、観光情報館 ふれあい処つしま)

対馬の古代から現代までの情報が得られる観光情報館 ふれあい処つしまの和風の外観

1990年、韓国の盧泰愚(ノテウ)大統領が来日した際の国会演説で、江戸時代の儒学者・雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)が話題にのぼりました。日本でも忘れられていた芳洲が脚光を浴び、その外交思想や姿勢に注目が集まることになったのです。

雨森芳洲(1668~1755)は、高月村(現滋賀県伊香郡高月町雨森)で誕生したと言われています。医者であった父の跡を継いで医者を志しますが、やがて儒学に転じ、木下順庵の門下生として頭角を現します。22歳の時に、順庵の推薦により日朝外交の窓口であった対馬藩に仕官し、26歳で対馬に赴任。35歳の時に朝鮮に渡って朝鮮の地理・歴史・言語を学び、朝鮮側の日本語辞書の編集に携わり、自らも朝鮮語の入門書を作成します。徳川家宣と徳川吉宗の就任祝いの朝鮮通信使に随行して対馬~江戸を往復し、日朝の外交交渉に尽力しました。また、藩内での人材育成の必要性を説き、通訳養成制度の確立に貢献し、私塾を開いて多くの子弟を育てました。晩年は、教育に情熱を捧げる一方、和歌1万首を作成するなど、政治・外交・教育・学問・芸術など多方面にわたって活躍しました。享年88歳、厳原町長寿院に眠ります。

 「篤実の儒学者」雨森芳洲の先進的な国際感覚と思想は、現代の日朝関係、外国との関係においても十分通用するものとしてあらためて注目を集めています。


陶山訥庵 ~島の自立を願った対馬聖人~

佐護米の産地

陶山訥庵(すやまとつあん。1657~1732)は雨森芳洲と同じく木下順庵の門下生であり、主に農政で活躍した儒学者です。島内ではイノシシ退治の偉業で有名ですが、この事業の背景にはもっと深い意図があったようです。当時、対馬藩による朝鮮貿易は斜陽の時期を迎え、藩の財政は破綻しかけていました。訥庵は、貿易による浮利ではなく、農業による対馬の自立を計画していたのです。

そのためにはまず、農作物を食い荒らし、農民の生産意欲を削いでいたイノシシを根絶する必要がありました。生類哀れみの令が発せられていた時代でもあり、農民たちは深山聖域へ踏みこみ殺生を行うことを恐れましたが、訥庵は持ち前の粘りと説得によって偉業を達成しました。  対馬を九つの区画に区切り、柵を作り、農民に銃の扱い方を教え、冬場の農閑期を利用してイノシシを一区画ずつ殲滅していく方法により、9年後には対馬からイノシシが姿を消しました。狩られたイノシシは8万頭、動員された農民はのべ23万人にのぼります。

さらに訥庵は、農民による島土防衛構想を持っていました。泰平の世に生きる島内の武士だけでこの広い島を守ることは不可能であるため、島内で銃を生産し、訓練された農民が対馬の深い山を利用してゲリラ作戦を行うしかない、と訥庵は考えていたようです。軍事訓練だけ行うと、謀反の疑いをかけられ、藩が取り潰されるおそれがあるため、イノシシ退治を隠れみのとして利用したのです。

死後しばらくは評価の定まらなかった訥庵ですが、次第に島人の尊崇を集めるようになり、対馬聖人として称えられるようになりました。

「国の事 能く知る人のなかりせば などか建てなんこの碑を」


孝行芋の来た道 

郷土料理「ろくべい汁」

1605年、野國 總管によって中国福建省から琉球にサツマイモが持ち込まれました。サツマイモはやがて、薩摩・長崎・関東などで広く栽培されるようになり、飢饉の際に多くの人々を救うことになります。上県町久原(くばら)の農家の次男である原田三郎右衛門は、少年時代に厳原で陶山訥庵の教えを聞いて感銘を受け、苦労して海を渡り、薩摩(鹿児島)に侵入し、藩外持ち出し禁止の種芋を対馬に持ち帰った、と伝えられています。サツマイモは山がちで耕地の少ない対馬の食糧事情を大きく改善させ、コウコイモ(孝行芋)と呼ばれるようになり、さらに朝鮮に渡ってコグマ(孝行芋の発音がなまったもの)と呼ばれるようになります。対馬では、この孝行芋を発酵させ、デンプンを取り出し、団子状に固めた独自の保存食「センダンゴ」が生み出され、センダンゴを麺状に伸ばして、すまし汁でいただく麺料理が郷土料理「ろくべえ汁」です。


対馬藩の斜陽 ~徳川吉宗以降~

江戸元禄時代、朝鮮人参や生糸の中継貿易は対馬藩に巨額の富をもたらし、対馬藩は西の長者と称えられました。その貿易景気も、やがて斜陽の時代を迎えることになります。

 オランダや朝鮮との貿易は、輸入品に支払う代価として日本国内の金・銀を使用しており、その結果、開幕からの100年の間に、国内の金の4分の1、銀にいたっては4分の3が国外に流出してしまったのです。江戸時代の政治家・学者の新井白石は、国外への金・銀の流出に歯止めをかけるため、輸入品の国内生産を計画し、貿易に規制をかけました。また、徳川8代将軍吉宗によって朝鮮人参や生糸の国内生産が行われるようになり、以降、対馬藩の貿易額は低下の一途を辿ることになります。

 対馬藩は収入源を失って財政難に陥り、幕府への借財を重ね、あげくの果てには畿内への国替えを申し出るありさまでした。


幕末 ~勝井騒動~

芋崎 幕末にロシアの軍艦ポサドニック号が不法占拠した芋崎の突端にある灯台です。

ポサドニック号事件の舞台のひとつ、大船越の瀬戸。江戸時代に開削された人工の運河で、かつて関所がありました。

 江戸末、諸外国の船が日本近海に出没し、鎖国を続けていた日本が外国の圧力にさらされるようになると、国内の各藩は佐幕(江戸幕府支持)か勤皇(幕府を倒して天皇親政)かで大きく揺れました。対馬も例外ではなく、1861年にロシア船ポサドニック号が芋崎へ駐留して数々の狼藉をはたらいたことを契機に尊皇攘夷の声が高まりました。対馬藩は、佐幕派と勤皇派に分かれて争い、やがて血なまぐさい事件に発展していきます。

まず、藩主・宗義達の叔父で佐幕派の勝井五八郎がクーデターを起こし、勤皇派100名を粛清。これに対して、勤皇派の平田大江が尽義隊を結成して抵抗。どちらの派閥を支援するか迫られた宗義達は、まず勝井を殺害し、さらに平田をも殺害し、事件を決着させます。この一連の騒動を勝井騒動といい、200名以上が犠牲になりました。事件は一応の決着をみたものの、対馬藩は多くの有能の士を失ったまま明治を迎えることになりました。(次号に続く)


鎹八咫烏 記



協力(順不同)

一般社団法人 対馬観光物産協会 〒817-0021 長崎県対馬市厳原町今屋敷672番地1
観光情報館ふれあい処つしまTEL.0920-52-1566 

 (一社)長崎県観光連盟 長崎県文化観光国際部観光振興課
〒850-0035 長崎市元船町14-10 橋本商会ビル8階 TEL.095-822-9690

文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表) 03(5253)4111

長崎県 土木部港湾課 〒850-8570 長崎市江戸町2-13  TEL.095-824-1111

対馬市役所 〒817-8510 長崎県対馬市厳原町国分1441番地 TEL.0920-53-6111

公益社団法人びわこビジターズビューロー
〒520-0806 滋賀県大津市打出浜2番1号「コラボしが21」6階 TEL: 077-511-1530 


ZIPANG TOKIO 2020

2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。 この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、伝統芸能、行事、風習、ものづくりの技の美等、 サイトを通じて、平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです

もしもこのサイトに同じ思いをお持ちの皆様から、素敵な情報や画像をお寄せ戴ければこの上ない喜びです。以下のEメールアドレスへご連絡下さい。

E-mail aromajinja@gmail.com ( ZIPANG 2020 編集部 )。

2020, will be held the Olympic Games and Paralympic in Tokyo.

On this occasion, for the little-known beauty of the spiritual culture and national land of Japan to the people of the world I think that if we help to re-discover.

Climate, nature of the four seasons, of food, clothing and shelter cultural beauty, traditional arts, events, customs, beauty, etc. of the work of making things,

Through the site, peaceful country, a strange country, if the interest is more depth or round to ZIPANG Japan, is where I want secretly.


写真ご協力:高山祭(高山市)/ 富士山(富士市)

ZIPANG TOKIO 2020

2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。 この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、伝統芸能、行事、風習、ものづくりの技の美等、 サイトを通じて、平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

もしもこのサイトに同じ思いをお持ちの皆様から、素敵な情報や画像をお寄せ戴ければこの上ない喜びです。以下のEメールアドレスへご連絡下さい。

E-mail aromajinja@gmail.com ( ZIPANG 2020 編集部 )

2020, will be held the Olympic Games and Paralympic in Tokyo.

On this occasion, for the little-known beauty of the spiritual culture and national land of Japan to the people of the world I think that if we help to re-discover.

Climate, nature of the four seasons, of food, clothing and shelter cultural beauty, traditional arts, events, customs, beauty, etc. of the work of making things,

Through the site, peaceful country, a strange country, if the interest is more depth or round to ZIPANG Japan, is where I want secretly.

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