ZIPANG TOKIO 2020「世界記憶遺産認定  上野三碑[こうずけさんぴ]高崎市」

山上碑【銘文】

■現代語訳
辛巳年(天武天皇十年=西暦六八一年)十月三日に記す
佐野屯倉をお定めになった健守命の子孫の黒売刀自。これが、新川臣の子の斯多々弥足尼の子孫である大児臣に嫁いで生まれた子である(わたくし)長利僧が母(黒売刀自)の為に記し定めた文である。放光寺の僧。

Commentary

The Yamanoue stela, erected in 681, is the oldest still-standing stela in Japan.

According to the inscription, Priest Chori erected this stela in memory of his mother, and, by listing his matrilineal and patrilineal ancestors, he wanted to express his pride as a priest of a major Buddhist temple and as a descendant of influential families.

This stela clearly documents how Buddhism and the Chinese writing system were adopted and accepted by the ancient society of Japan.


多胡碑【銘文】

■現代語訳
朝廷の弁官局から命令があった。上野国片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新たに郡をつくり、羊に支配を任せる。郡の名は多胡郡としなさい。和銅四(七一一)年三月九日甲寅。左中弁正五位下多治比真人による宣旨である。太政官の二品穂積親王、左太臣正二位石上(麻呂)尊、右太臣正二位藤原(不比等[ふひと])尊。

Commentary

The Tago Stela was erected in 711 by Yo, who was the first Tago County Magistrate, in order to commemorate the establishment of Tago County.

The content of the inscription confirms an article in the Shoku-Nihongi, an official history of Japan, that Tago County had been established.

The name Yo suggests that he was an immigrant from abroad. Indeed, Tago County was an craft-production center where immigrants settled and introduced advanced technologies from the Korean peninsula.

The content of the stela vividly illustrates how the central government of Japan tried to gain control over this local industrial center by re-organizing regional boundaries.


※は「ひづめ」(馬偏に爪)

■現代語訳
上野国群馬郡下賛郷高田里に住む三家子□が(発願して)、祖先および父母の為に、ただいま家刀自(主婦)の立場にある他田君目頬刀自、その子の加那刀自、孫の物部君午足、次の※刀自、その子の若※刀自の合わせて六人、また既に仏の教えで結ばれた人たちである三家毛人、次の知万呂、鍛師の礒部君身麻呂の合わせて三人が、このように仏の教えによって(我が家と一族の繁栄を願って)お祈り申し上げる石文である。

神亀三年(七二六年)丙寅二月二十九日

*用語
家刀自―家を統括する女性の位。主婦。
知識―仏教の教え。
鍛師―製鉄や金属加工に携わる職。

Commentary

The Kanaizawa Stela was erected in 726 by the Miyake Family in honor of their family and in the memory of their ancestors.

The inscription lists the names of nine members of the Miyake Family and their relatives, four of whom are women.

The content of the inscription indicates how this locally influential family and its relatives strengthened their ties through marriage and the propagation of Buddhism.

It is very noteworthy that women at that time played a major role in family management and rituals.

The inscription also suggests how Buddhism spread and how the central government’s administration was maintained in such local regions of eastern Japan. Current condition of the stela



ユネスコ「世界の記憶」(国際登録)について

1.概要

世界的に重要な記録物への認識を高め、保存やアクセスを促進することを目的とし、ユネスコの事業として1992年に開始された。審査は2年に1回で、1か国からの申請は2件以内とされている。

2.目的

世界的に重要な記憶遺産の保存を最も相応しい技術を用いて促進すること
重要な記憶遺産になるべく多くの人がアクセスできるようにすること
加盟国における記憶遺産の存在及び重要性への認識を高めること

3.記憶遺産の対象

手書き原稿、書籍、新聞、ポスター、図画、地図、音楽、フィルム、写真等

4.登録状況

427件登録(2017年10月現在)

(登録例)

人権宣言(フランス)(2003年)
ゲーテの直筆文学作品、日記、手紙等(ドイツ)(2001年)
現存する世界最古のコーラン(ウズベキスタン)(1997年)
リグヴェーダ(インド)(2007年)

5.我が国の登録状況

2011年5月 「山本作兵衛炭坑記録画・記録文書」登録
2013年6月 「御堂関白記」「慶長遣欧使節関係資料」登録
2015年10月 「舞鶴への生還」「東寺百合文書」登録
2017年10月 「朝鮮通信使」登録
2017年10月 「上野三碑」登録


「上野三碑」のユネスコ「世界の記憶」登録決定について

第13回ユネスコ「世界の記憶」国際諮問委員会(IAC)*の審議を経て、ユネスコ事務局長決定により、日本ユネスコ国内委員会からの推薦物件のうち「上野三碑(こうずけさんぴ)」が、ユネスコ「世界の記憶」として登録されることが決定しました。

 ※平成29年10月24日(火曜日)から10月27日(金曜日)までパリ(フランス)にて開催。


登録物件概要及びこれまでの経緯等については、以下のとおりです。

○上野三碑(申請者:上野三碑世界記憶遺産登録推進協議会)

古代から近世まで上野国(こうずけのくに)と呼ばれた群馬県地域の南西部に、近接して所在する山上碑(やまのうえひ)(681年)・多胡碑(たごひ)(711年頃)・金井沢碑(かないざわひ)(726年)の三つの古代石碑。

登録までの経緯

平成24年6月5日
県議会の一般質問において、大澤知事が「夢のある話」として、地元高崎市と協議して登録を進めたいとの答弁を行う。
平成24年9月21日
専門家、群馬県、高崎市による上野三碑世界記憶遺産研究会を設置する。(平成26年3月までに6回の会合を開いて登録の目的と選定基準に値することを 確認する。)
平成25年8月29日
地元の有志を中心とした上野三碑顕彰会(会長:元NHK解説主幹 横島 庄治)が発会する。(同年12月8日に、高崎経済大学で発会記念講演会を開催する。)
平成26年11月1日
官民一体となって登録を実現するため、県、高崎市、企業、民間団体、 専門家からなる上野三碑世界記憶遺産登録推進協議会が発足する。設立 記念総会・シンポジウムが、ヤマダ電機 LABI1高崎 LABIGATEで開かれる。(名誉会長:元内閣総理大臣 福田 康夫、会長:上野三碑顕彰会会長 横島 庄治)
平成27年6月16日
ユネスコ国内委員会へ国内候補の申請書を提出する。
平成27年7月28日
上野三碑世界記憶遺産登録推進議員連盟(会長:中曽根弘文 参議院議員、特 別顧問:下村博文 衆議院議員)が設立される。
平成27年8月7日
上野三碑世界記憶遺産登録推進サポーター(上野三碑の価値をPRし、「世界 の記憶」への登録実現を応援する民間企業)の募集を開始する。(平成29年10 月現在:157名)
平成27年9月24日
ユネスコ国内委員会から、国内候補に選定される。
平成28年3月6日
高崎市吉井文化会館で、上野三碑・杉原リスト共同シンポジウムを開催 する。
平成28年4月24日
上野三碑ボランティア会が設立される。
平成28年5月7日
エテルナ高崎で、日中韓専門家による上野三碑を考える集いを開催する。
平成28年5月30日
文部科学省を通じてユネスコへ登録申請書を提出する。

平成29年(2017)年 10月
第13回ユネスコ「世界の記憶」国際諮問委員会(IAC)の審議を経てユネスコ事務局長が決定。


上野三碑[こうずけさんぴ]とは

上野三碑(左から順番に、「山上碑」「多胡碑」「金井沢碑」)

日本列島東部の古代上野国[こうずけのくに](現在の群馬県[ぐんまけん])に存在する三つの石碑「上野三碑[こうずけさんぴ]」は、日本に18例しか現存しない古代(7~11世紀)の石碑のなかで最古の石碑群であり、大切に守られてきました。

それらは、山上碑[やまのうえひ](681年)、多胡碑[たごひ](711年頃)、金井沢碑[かないざわひ](726年)と呼ばれています。三碑の記録形態は、上野国に住み着いた朝鮮半島からの渡来人がもたらしたもので、かれらとの密接な交流の中で、当時の都(飛鳥、奈良)から遠く離れた地元の人々によって文字で刻まれたものです。山上碑は日本語の語順で漢字を並べた最古級の歴史資料です。多胡碑は、18世紀以来、中国の「書」の手本となってきました。金井沢碑は、この地での仏教の広がりを刻んでいます。これらの三碑は、東アジアにおける文化交流の実像を示す極めて重要な歴史資料です。

三碑に刻まれた内容は、中国を起源とする政治制度、漢字文化、インドを起源とする仏教が、ユーラシア東端の地である日本に到達しただけでなく、さらに遠く離れた東部の上野国に多数の渡来人の移動とともに伝来し、地元の人々に受容され、広まっていったことを証明しています。

このように三碑は、歴史的、文化的、社会的、政治的に、「世界の記憶」にふさわしい希有な価値を有するものです。


山上碑(特別史跡指定:昭和29[1954]年3月20日)


山上碑は飛鳥時代の681年に建てられたもので、完全な形で残っているものとしては日本最古の石碑です。自然石をあまり加工しないで使っており、朝鮮半島の新羅[しらぎ]の石碑(6世紀)に類似しています。 碑文には、放光寺[ほうこうじ]の長利[ちょうり]という名の僧が母のために石碑を建てたことと、長利の母方、父方双方の系譜が記されています。長利の母である黒売刀自[くろめとじ]は、ヤマト政権の直轄地である佐野三家[さののみやけ](屯倉[みやけ])の管理者であった健守命[たけもりのみこと]の子孫で、父である大児臣[おおごのおみ]は、赤城山南麓の豪族とみられる新川臣[にっかわのおみ]の子孫です。 前橋市総社町にある山王廃寺[さんのうはいじ]から「放光寺」の文字を刻んだ瓦が出土しているため、長利が勤めた放光寺は山王廃寺であると推定されています。放光寺が東国有数の大寺院であったことや、仏教が当時の先進的な思想であったことから、長利はかなりの知識人であったと思われます。 こうしたことから、長利は母である黒売刀自を供養するとともに、上野国の有力豪族の子孫であり、大寺院の僧でもある自らの存在を後世に伝えるために碑を建てたと考えられます。 碑文は、すべて漢字で書かれていますが、日本語の語順で読むことができます。現在につながる日本独自の漢字の使用法が確認できる非常に貴重な史料です。 このように、山上碑からは、ユーラシア大陸から伝わった漢字文化と仏教信仰が日本の古代社会に根付いていく様子をうかがい知ることができます。

碑の現状

大きさは高さ111センチ、幅47センチ、厚さ52センチと。硬質の輝石安山岩[きせきあんざんがん]の自然石を使用し、前面の平らな部分に縦書き4行で53字が刻まれています。風化のため、一部判読しにくい部分があります。

所在地:高崎市山名町字山神谷2104


山上古墳

山上古墳は、山上碑の東隣にある直径15mの円墳です。中心には南に開いた横穴式石室(奥行き7.4m)があり、地元産の凝灰岩[ぎょうかいがん]の切石を組み、仕上げてあります。こうした切石積み石室は、飛鳥時代(7世紀)につくられたもので、碑に近接することから黒売刀自の墓所と推定されます。

ただし、本古墳は7世紀前半から中頃のもので、山上碑が建てられた時期(681年)よりも数十年古いと考えられます。このことから、もともとは黒売刀自の親の墓として造られ、後に黒売刀自が追葬[ついそう]されたのでしょう。


多胡碑(特別史跡:昭和29[1954]年3月20日)


多胡碑は、奈良時代初めの和銅[わどう]4(711)年に上野国の14番目の郡として、多胡郡が建郡されたことを記念して建てられた石碑です。 建郡に際しては、「羊[ひつじ]」という渡来人[とらいじん]とおもわれる人物が大きな役割を果たし、初代の郡長官になったようです。碑を建てたのも、この「羊」であると考えられ、碑の後段には当時の政府首脳の名を挙げて権威付けをはかっています。 多胡郡の範囲は、現在の高崎市山名町から吉井町一帯で、かつて緑野屯倉[みどののみやけ]や佐野屯倉[さののみやけ]というヤマト政権の直轄地が設置されていた領域と重なります。そのため、当時は先進的な渡来系技術が導入され、窯業[ようぎょう]、布生産、石材や木材の産出などが盛んな手工業地帯になっていました。 このことから、多胡郡建郡は当時の政府による生産拠点のとりまとめと、それに伴う郡の区割りの見直しが目的であったと考えられます。 碑身[ひしん]に笠石[かさいし]をのせる形状や楷書体[かいしょたい]の文字には、当時最先端の中国文化の影響がみられますが、一方で18世紀に多胡碑の拓本が朝鮮通信使を通して中国に渡り、書の手本として中国の書家に影響を与えました。このように、多胡碑は東アジアの文化交流の様子を示す重要な資料です。

碑の現状

笠石[かさいし]・碑身[ひしん]・台石[だいいし]から構成され、笠石は幅95センチ・奥行90センチ・中央厚さ27センチ・軒面厚さ15~17センチで、方形の笠のような形で下部がへこんでいます。

碑身は高さ129センチ・幅69センチ・厚さ62センチの方柱状で上部に低いホゾがあり、この上に笠石が載っています。

牛伏砂岩[うしぶせさがん]といわれる花崗岩質砂岩[かこうがんしつさがん](別名天引石[あまびきいし]・多胡石[たごいし])の転石[てんせき]を成形し、前面の平らな部部に縦書き6行で80字が丸底彫り[まるぞこぼり]されている。台石は第二次大戦後、コンクリート製に造り替えられました。

所在地:高崎市吉井町池1095


金井沢碑(特別史跡:昭和29[1954]年3月20日)


金井沢碑は、奈良時代前半の726(神亀[じんき]3)年に三家氏[みやけし]を名乗る豪族が、先祖の供養と一族の繁栄を祈って建てた石碑です。三家氏は、佐野三家[さののみやけ]を管理し、山上碑[やまのうえひ]を建てた豪族の子孫であると考えられます。 碑文には、三家氏を中心とした9人の名前が記されています。碑を建てたのは三家子□(□は欠字)という人物で、上野国群馬郡下賛郷高田里[こうずけのくにくるまのこおりしもさぬごうたかだのさと](現在の高崎市上佐野町・下佐野町周辺か)に住んでいたようです。続いて、三家子□の妻と娘[物部君[もののべのきみ]氏に嫁ぐ]、孫3人の名前が登場します(グループ1)。この6人ほか、同族とみられる三家毛人[みやけのえみし]・知万呂[ちまろ]の兄弟と礒部君身麻呂[いそべのきみみまろ]の3人の名がでてきます(グループ2)。 この9人のうち4人が女性で、結婚後も実家の氏の名で呼ばれていること、子供達と共に実家の祖先祭祀に参加していることから、家族のつながりに女性が大きな役割を果たしていたと考えられます。 さらに、地名の表記などからは、当時の行政制度(国郡郷里[こくぐんごうり]制)の整備状況が分かります。ちなみに、碑文に出てくる「群馬」の文字は、県内では最古の事例であり、群馬県の名前のルーツを知る上で非常に重要な資料です。 このように、金井沢碑からは、古代東国での仏教の広がり、家族関係、行政制度の実態などを知ることができます。

碑の現状

大きさは高さ110センチ、幅70センチ、厚さ65センチ。硬質の輝石[きせき]安山岩[あんざんがん]の自然石を使用し、前面の平らな部分に、縦書き9行で112字が刻まれています。風化のため文字が判読しにくい部分があります。

所在地:高崎市山名町金井沢2334


「上野三碑」交通アクセス


補足資料



鎹八咫烏 記



協力(順不同・敬称略)

上野三碑世界記憶遺産登録推進協議会
〒370-8501 群馬県高崎市高松町35番地1 TEL: 027-321-1292

高崎市役所 〒370-8501 群馬県高崎市高松町35番地1 電話:027-321-1111

一般社団法人 高崎観光協会
〒370-0849 群馬県高崎市八島町32番地2 岩崎ビル2階 電話:027-330-5333

群馬県庁 〒371-8570 前橋市大手町1-1-1 電話番号(代表):027-223-1111

文部科学省 〒100-8959 東京都千代田区霞が関三丁目2番2号
電話番号:03-5253-4111(代表)


ZIPANG TOKIO 2020

2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。 この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、伝統芸能、行事、風習、ものづくりの技の美等、 サイトを通じて、平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです

もしもこのサイトに同じ思いをお持ちの皆様から、素敵な情報や画像をお寄せ戴ければこの上ない喜びです。以下のEメールアドレスへご連絡下さい。

E-mail aromajinja@gmail.com ( ZIPANG 2020 編集部 )。

2020, will be held the Olympic Games and Paralympic in Tokyo.

On this occasion, for the little-known beauty of the spiritual culture and national land of Japan to the people of the world I think that if we help to re-discover.

Climate, nature of the four seasons, of food, clothing and shelter cultural beauty, traditional arts, events, customs, beauty, etc. of the work of making things,

Through the site, peaceful country, a strange country, if the interest is more depth or round to ZIPANG Japan, is where I want secretly.


写真ご協力:高山祭(高山市)/ 富士山(富士市)

ZIPANG TOKIO 2020

2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。 この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、伝統芸能、行事、風習、ものづくりの技の美等、 サイトを通じて、平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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E-mail aromajinja@gmail.com ( ZIPANG 2020 編集部 )

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On this occasion, for the little-known beauty of the spiritual culture and national land of Japan to the people of the world I think that if we help to re-discover.

Climate, nature of the four seasons, of food, clothing and shelter cultural beauty, traditional arts, events, customs, beauty, etc. of the work of making things,

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