朝鮮通信使行列再現 厳原まつり
対馬市のプロフィール
NPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会様、財団法人釜山文化財団様、各関係団体の皆様に、
心からのお祝いとお礼
対馬市市長 比田勝尚喜
朝鮮通信使のユネスコ記憶遺産決定との報に接し、本当に喜ばしく感じております。
昭和53年に対馬市の故 庄野晃三郎様が最初に朝鮮通信使行列の再現を行ってから、昭和55年の朝鮮通信使行列振興会の立ち上げを経て、世に埋もれていた朝鮮通信使の歴史を発信し続け、平成7年には、この度、釜山文化財団と共同申請においてユネスコ記憶遺産の申請を行った、朝鮮通信使縁地連絡協議会を松原一征様が立ち上げ、全国各地の朝鮮通信使ゆかりの地や韓国内への呼びかけを続けてこられました。
対馬市にあるこの2団体の活動が、現在の朝鮮通信使の形を作ったといっても過言ではありません。誠に誇らしく、今回のユネスコ記憶遺産の登録はこの2団体の活動の集大成といえるものであると感じています。対馬市は、今後もより一層、朝鮮通信使に関する活動を支え、推進する所存であります。
最後に、今回のユネスコ記憶遺産の申請者として本当に多大なご尽力をされたNPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会様、財団法人釜山文化財団様、各関係団体の皆様に、心からのお祝いとお礼を申し上げます。
自然
龍良山を守ってきた天道信仰の聖地のひとつ「裏八丁郭」。
龍良山は、対馬独自の天道信仰の聖地として立ち入りが禁じられ、千古斧の入ったことのない原始の照葉樹林として、国の天然記念物に指定されています。森の平均樹齢は200年で、スダジイ・イスノキなどが他の地域では見ることのできない巨大な姿を見せています。
低域部は雰囲気の良い照葉樹木原始林で、1時間程度の散策を楽しめます。山頂までは往復4~5時間。
龍良山は、かつて西日本一帯に広がっていた照葉樹(シイ・カシなどの常緑樹)原始林の貴重な生き残りです。現在では手付かずの照葉樹原始林は、屋久島の西部林道、対馬南部の龍良山などにわずかに残るのみです。
「西日本本来の森の姿」「森の神が棲む世界」を見たければ、龍良山を訪問してみましょう。人の活動が自然に何をもたらしたのか、原始の森から何を奪い、何を得てきたのかを実感できます。
原始林のすぐ近くまで植林・伐採が迫っており、原始の森が残ったのは奇跡だと感じる。
霊山 白嶽
白嶽(しらたけ)は古来より霊山として崇められた対馬のシンボル的存在。大陸系植物と日本系植物が混生する独自の生態系をもつ原生林として、国の天然記念物に指定されています。標高519メートル。登山口から頂上までは75分程度。登山道からの眺めもよく、また山頂に登ると360度の眺望が広がり圧巻。白嶽 雄嶽山頂から見た雌嶽と浅茅湾。絶景。
対馬は山林が面積の89%を占める自然豊かな島です。厳原町の龍良山と美津島町の白嶽には原始林が残り、国の天然記念物に指定されています。島の地形は標高200m~300mの山々が海岸まで続き、場所によっては高さ100mの断崖絶壁もあり、勇壮な自然を目にすることができます。
対馬中央部の浅茅湾は対馬を代表する風景のよいところです。大小幾つもの入江と島々が複雑に入り組んだリアス式海岸で、壱岐対馬国定公園に指定されてい ます。
対馬の豊かな自然には、国の天然記念物のツシマヤマネコをはじめ、対馬でしか見ることのできない生物や、朝鮮半島などの大陸系の動植物が多く生息しています。また、渡り鳥の中継地であることから、世界でも有数の野鳥の観察地になっています。
上県町には、これらの野生生物の保護・研究を行う場所として対馬野生生物保護センターが設置されています。
気候
烏帽子岳からの眺め
海に囲まれた対馬は、対馬暖流の影響を受ける温暖で雨が多い海洋性の気候です。春はアジア大陸からの季節風で黄砂が運ばれてきます。この頃は寒さと暖かさが交互にやってくる三寒四温の時期でもあります。約ひと月の梅雨がありますが夏は比較的涼しく過ごすことが出来ます。秋は時々台風がやってきて雨量も多いほうですが、10月頃から晴れた日が多くなります。冬は大陸からの強い季節風で肌寒く冷え込みがきびしくなりますが、雪が積もることはあまりありません。
歴史
弥生時代後期前半の埋葬跡
積石塚の外観やT字形の石室の形状、金銅製刀装具や銅腕などの出土品から7世紀代の終末期古墳として注目される。
朝鮮式山城の金田城跡
対馬は、日本の中で朝鮮半島に最も近いという地理的条件から、大陸からの石器文化、青銅器文化、稲作、仏教、漢字などを伝える日本の窓口でした。また、朝鮮半島との間では古くから貿易などの交流が盛んに行われていました。この活発な交流から、対馬には数多くの書物、仏像、建造物、朝鮮式山城の金田城跡や古墳などの文化財が残っています。
朝鮮半島との友好な交流の歴史の中、1592年~97年の文禄・慶長の役で交流が中断してしまいましたが、対馬藩十万石の藩主・宗家は朝鮮との関係を元に戻すため、朝鮮通信使を江戸まで案内するなど日本と朝鮮の交流再開に努力しました。
20世紀に入り、一時期、対馬と朝鮮半島との交流が中断した時代もありましたが、対馬にとって朝鮮半島は身近な存在であることは変わりありません。それに過去の長い友好の歴史がありました。一時期中断していた交流も、今では対馬と韓国の釜山が定期航路で結ばれるなど、文化、経済、教育の活発な交流が再開されています。
「朝鮮通信使に関する記録」
2012年5月5日に「朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会釜山大会」が開催
発端は、2012年5月5日に「朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会釜山大会」が開催された際、財団法人 釜山文化財団(以下、釜山文化財団)から、ユネスコの記憶遺産への日韓共同登録推進が提案されたこと。
同年より対馬市や釜山市でユネスコ共同登録への講演会・シンポジウムなどが開催され、日韓政府レベルでの共同申請を模索しますが、日韓関係の悪化(2012年8月の李明博(イ・ミョンバク)大統領による竹島上陸など)もあり、NPO法人 朝鮮通信使縁地連絡協議会(以下、縁地連と略)と釜山文化財団を主体とした民間中心の共同申請を目指すことになります。
ちなみに縁地連は、江戸時代に朝鮮通信使が往来した九州~関東の19の関連自治体(対馬市、日光市、京都市など)や、朝鮮通信使行列振興会などの70の民間団体、約100名の個人で構成されています。
その後、関連自治体での組織の設立・協議・申請資料の検討などが重ねられ、2016年1月29日、対馬市で「朝鮮通信使ユネスコ世界記憶遺産日韓共同申請書調印式」が開催されました。
同年3月30日にユネスコに申請書が提出され、1年7か月に及ぶ国際諮問委員会による審査の結果、2017年10月31日、登録が認定されました!
申請案件名は、
「朝鮮通信使に関する記録 ‐ 17世紀~19世紀の日韓間の平和構築と文化交流の歴史」
申請者は、
「NPO法人 朝鮮通信使縁地連絡協議会 と 財団法人 釜山文化財団」
内容は、1607年から1811年の間に12回、朝鮮国から日本国に派遣された外交使節団に関するもので、
1.外交記録・・・朝鮮国王から徳川将軍への国書(対馬藩により改ざんされたものも含まれる)など。
2.旅程の記録・・・通信使に関する各藩の記録、通信使を描いた絵巻など。
3.文化交流の記録・・・通信使の詩書など、
で、日本・韓国双方の資料が対象となっています。
日本側の資料総数は48件209点(うち、外交記録3件19点、旅程27件69点、文化交流18件121点)
韓国側は総数63件124点(外交2件32点、旅程38件67点、文化23件25点)です。
「朝鮮人物旗仗轎輿之図」蓬左文庫(名古屋市)所蔵
「朝鮮人御饗応七五三膳部図」蓬左文庫所蔵
朝鮮人御饗応七五三膳部図 蓬左文庫所蔵
朝鮮人物仗 興之図 蓬左文庫所蔵
朝鮮内訓(朝鮮金属活字本)蓬左文庫所蔵
朝鮮通信使行列図屏風 六曲一双の内 崇覚寺(名古屋市中区)所蔵
時代背景としては、
徳川家康公 徳川美術館(名古屋市)所蔵
■ 文禄慶長の役(豊臣秀吉の朝鮮出兵)により日朝関係が致命的に悪化。
↓
■ 新たに天下人となった徳川家康、農地が少なく交易が命綱の対馬、北方の女真族の脅威にさらされる朝鮮など、それぞれの事情により和平を模索。
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■ 初代対馬藩主・宗 義智(そう よしとし)による外交交渉が始まるが、家康から先に国書を出す(謝罪を意味する)という難題に直面し、宗家による「国書偽造」が行われる。
↓
■ 朝鮮から江戸幕府へ「回答兼刷還使」が派遣される。目的は、国書による回答(謝罪要求)、文禄慶長の役の捕虜の送還など。
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■ 二代藩主・宗 義成の時代に、柳川一件(対馬藩家老による国書偽造の暴露、いまで言う内部告発)が発生し、徳川家光(三代将軍)直々の裁判により、宗家は安堵される。
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■ 戦後処理が一段落し、回答兼刷還使が「通信使」となり、徳川将軍の襲名や世継ぎ誕生のお祝いを名目に派遣されるようになる。
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■ 江戸元禄時代、倭館(釜山の龍頭山周辺にあった対馬藩の出先機関で、面積は10万坪)を拠点とする朝鮮貿易により対馬藩は空前の賑わいをみせ、城下町整備や有能な儒学者の起用など政治・経済・外交など様々な面で爛熟期を迎える。
↓
■ 通信使の来日は数十年に一度であり、幕府は政権の権威付け、朝鮮は日本の内情視察、対馬は外交能力の誇示などさまざまな利害が合致したこともあり、その盛大なパレードは庶民から文人まで熱狂的に歓迎され、文化交流も行われる。
↓
■ やがて、莫大な経費を必要とする通信使の派遣は日朝両国の負担となり、12回目の通信使派遣の際は対馬で国書が交換され、以降、通信使の派遣は途絶える。
朝鮮通信使が往来した200年間、日朝両国間で戦争は起きませんでした。
申請書ではその意義を、
「朝鮮通信使に関する記録は、外交記録、旅程の記録、文化交流の記録からなる総合資産であり、朝鮮通信使が往来する両国の人々の憎しみや誤解を解き、相互理解を深め、外交のみならず学術、芸術、産業、文化などさまざまな分野において活発に交流がなされた成果である」
「この記録には悲惨な戦争を経験した両国が平和な時代を構築し、これを維持していくための方法と知恵が凝縮されており、「誠信交隣」を共通の交流理念として、対等な立場で相手を尊重する異民族間の交流を具現化したものである。その結果、両国はもとより東アジア地域にも政治的な安定をもたらしたとともに、交易ルートも長期間、安定的に確保することができた」
としています。
残念なことに、「朝鮮国信使絵巻」などを保管する長崎県立対馬歴史民俗資料館は、新博物館建設のためこの4月より閉館しており、2020年(予定)の開館を待つ状況です。
対馬市では次年度から説明板などの整備を行う予定であり、今回ご協力いただいた(一社)対馬観光物産協会としては「朝鮮通信使に関する記録」や日本遺産などをテーマとする観光案内・ガイドの充実を図っていくとのことです。
厳原港周辺の朝鮮通信使関連の史跡の一部を紹介いたします。
清水山城(しみずやまじょう)
文禄慶長の役に際して築かれた戦国末期の山城。良好な石積み遺構が見られ、国の史跡に指定。
万松院(ばんしょういん)
初代対馬藩主・宗 義智のために、子の義成が建立した宗家の菩提寺。国史跡。
金石城跡(かねいしじょうあと) 清水山のふもと、万松院に隣接する宗家の城跡。国史跡。
旧金石城庭園(きゅうかねいしじょうていえん) 金石城・万松院に隣接する宗家の庭園。国名勝。
お船江(ふなえ) 江戸時代の藩の船着場。県指定史跡。
「観光情報館ふれあい処つしま」の観光の間には対馬の自然・歴史に関する展示があり、案内所では地図やガイドブックを入手できます。
また、対馬の激動の歴史を、実際に史跡をめぐりながら、楽しく案内してくれる「対馬観光ガイドの会やんこも」もあり「観光情報館ふれあい処つしま」で相談にのってもらえます。
対馬のランドマーク「観光情報館ふれあい処つしま」和風の建物です。
「観光情報館ふれあい処つしま」内部の一角です
ユネスコでプレゼンテーションするNPO 法人朝鮮通信使縁地連絡協議会 松原一征 理事長
登録決定コメント
NPO 法人朝鮮通信使縁地連絡協議会 理事長 松原一征
朝鮮通信使のユネスコ記憶遺産登録決定の報に接し感無量でございます。
平成24年にユネスコ記憶遺産登録を目指し活動を始めて今日まで、日韓両
国の民間団体による共同申請を行うにあたり、お互いの文化の壁などを乗り越
えつつ協議を重ね、平成28年3月に申請にこぎつけました。
そこから1年と 8 か月の間広報活動を続けながら今か今かと結果を待ち続け、
本日ついに登録が達成されたわけであります。
この登録は、NPO 法人朝鮮通信使縁地連結成から23年の集大成であり、ま
た悲願ともいえるものです。
この間ご苦労されたユネスコ日本推進部会の皆様、ユネスコ日本学術部会の
皆様、本当にお疲れ様でした。また、ご支援くださった長崎県様、山口県様、
滋賀県様、福岡県様、そして共同申請者として一緒に汗をかいてくださった韓
国の釜山文化財団様、本当にありがとうございました。皆様のおかげをもちま
してこのような素晴らしい日を迎えることができました。
これから、この登録を活かしてますます朝鮮通信使ゆかりの地間の結束を深
め、平和友好の遺産である朝鮮通信使が国内的にも世界的にも定着していくよ
う邁進していく所存です。
これまで、私どもの活動にご支援、ご声援を頂いた関係者の皆様、全国の皆様
方に深く感謝を申し上げます。
朝鮮通信使シンポジウム 関係各地で行われた朝鮮通信使浸透のためのデモンストレーション
韓国釜山で朝鮮通信使パレード
小江戸 川越の祭りで朝鮮通信使パレード
厳原アリラン祭りにて
対馬 厳原まつり 朝鮮通信使行列再現
下関市 馬関まつり参加
対馬 朝鮮國通信使之碑、周囲の環境もよいのでお見逃しなく。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同)
NPO 法人朝鮮通信使縁地連絡協議会
〒817-0022 長崎県対馬市厳原町国分1441番地 対馬市役所 観光交流商工課内
TEL 0920-53-6111
一般社団法人 対馬観光物産協会 〒817-0021 長崎県対馬市厳原町今屋敷672番地1
観光情報館 ふれあい処つしま
TEL.0920-52-1566
対馬市役所 〒817-8510 長崎県対馬市厳原町国分1441番地 TEL.0920-53-6111
徳川美術館 〒461-0023 愛知県名古屋市東区徳川町1017 電話:052-935-6262
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