11月24日(金)、25日(土)、26日(日)の3日間にわたり名古屋市において(一社)日本色彩学会の全国大会が開催されることは、先般当サイトにおいてプレイベント、シンポジウム・ワークショップ等ご紹介したところです。その折に名古屋市内の見どころ情報も併せて掲載いたしました。
ところで最近、歴史好きの方たちに大変人気の日曜日夜8時からのNHK大河ドラマ「女城主 直虎」、同じ時代に活躍したもうひとりの女城主の城が、名古屋から比較的近い所に在ります。この機会にご紹介したいと思います。余談ですが、その近くには桜吹雪の南町奉行「遠山金四郎」の御親戚筋もお住まいとか・・・
岩村城跡
岩村藩士の家に生まれた娘がいました。その娘は17歳で上京する折、故郷の三国山の峠で「綾錦着て帰らずは三国山 またふたたびは越えじとぞ思ふ」という歌を詠んでいます。また、なんと6歳にして桜田門外の変を聞き、俳句で「桜田に 思い残りて 今日の雪」と詠んだとのことです。その和歌の才能で皇后・美子から寵愛され「歌子」の名を賜ったのが、神童といわれた下田歌子でした。英国留学後皇女の教育係りを経て、実践女子学園の基礎を築きました。その後、実践女子大学のOGで女優の渡辺美佐子が、岩村城の女城主になったのは、あまりにも有名な話です。
岩村の出身「下田歌子」女子教育の道に進み、実践女子学園・女子工芸学校を創設し、校長となり、明治・大正を代表する女子教育者となりました。
それでは、織田信長公の叔母にあたる「女城主」を紹介いたします。
岐阜県の東南、日本のほぼ真ん中に位置し、自然豊かで歴史の足跡が色濃く残る恵那市。
市街地から車で約20分の岩村町は、戦国の世に翻弄されながら必死に生きた、おんな城主の逸話が残ります。
築城から800年あまり、日本三大山城の一つで、日本百名城にも選ばれている岩村城は、 織田信長の叔母にあたる、おんな城主「おつや」が善政を敷き、最後まで領民を守ったと伝えられていることから「女城主の里」と呼ばれています。 彼女も愛したであろう恵那の山々と岩村のまち。 ここには、古くから伝わる日本の美しさがあります。
岩村城は、大和の高取城(奈良県)備中の松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる名城です。城は江戸諸藩の府城の中でも最も高い所(標高717m)に築かれ、高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、霧の湧き易い気象までも城造りに活かされており、別名「霧ケ城」ともよばれています。この城が名城と言われる由縁は、単にその規模と大きさだけでなく、その永い歴史に由来しています。1185年(文治元年)源頼朝の重臣「加藤景廉(かとうかげかど)」がこの地の地頭に補せられ創築されてから、鎌倉・室町の300年間、戦国の100年間、更に江戸期の300年間に亙り城と城主が連綿と続き、明治に至り廃城令で廃城されるまで、連綿と存続しました。700年間に及ぶ城の歴史は、日本の城史にも例を見ないものなのです。
岩村の町並み
激動の時代を凛として生きた、おんな城主「おつや」
1185 年(文治元年)、源頼朝の家臣「加藤景廉」が遠山荘の地頭となり、景廉の長男景朝が 岩村城を築き、遠山氏を称しました。 戦国時代末期、城主の「遠山景任」が病没し、養子として迎えていた織田信長の五男「御坊丸」がまだ幼少であったため、その夫人(織田信長の叔母)が実質的な城主として、領地を 治めていました。いわゆるおんな城主「おつやの方」です。 おんな城主は大変聡明で美しく、領民に慕われていたそうです。 1572 年(元亀 3 年)、武田信玄の 24 将のひとり「秋山虎繁(信友)」が侵攻してきました。 おんな城主は自ら采配を振るい、信長の支援を待って籠城作戦に出ました。しかし、この時、信長は長島の一揆などで前に進めずにいました。籠城は 3 ヶ月にわたり、城内の食糧も不足 して来たところ、虎繁から女城主を妻とすることを条件に無血開城を申し入れてきました。 おんな城主は苦渋の末、城兵や領民の命を守るため敵将との結婚を決意し、開城しました。 その後の数年間、おんな城主は虎繁とともに、城の普請や城下町の守備に勤しみ、平和な日々を 過ごしました。 しかし、御坊丸は信玄のもとへ人質として送られてしまい、岩村城も乗っ取られてしまった ことに信長は黙っていませんでした。 1575 年(天正 3 年)、長篠の戦いに武田勝頼軍が敗戦したことにより、武田と織田の勢力が 逆転し、信長の嫡男「織田信忠」率いる織田軍が攻め入りました。この時も半年に及ぶ籠城 で城を守りましたが、武田の援軍も望めず、信長からの条件を呑み、開城しました。その条件とは、領民を守り、おんな城主と虎繁の命を守るという約束でした。しかし、信長はこれを反故にし、夫妻は磔刑に処されてしまいました。
もうひとりの女城主「おんな城主 直虎」
龍潭寺 作庭は小堀遠州
女城主の里いわむらから、車で南下すること約 2 時間、静岡県浜松市引佐町にも、ほぼ同時期に「おんな城主」が存在していました。その名は、井伊直虎(いいなおとら)。井伊直虎は、江戸時代 270 年にわたる平和の礎を築いた徳川家康を支え続けた、徳川四天王の一人井伊直政の養母で、井伊家二十二代当主直盛の一人娘。 井伊家の男が次々と戦死・殺害される中、幼少の直政を後見人として養育しつつ、おんな城主として井伊家を断絶の危機から救いました。龍潭寺で出家した際は、「次郎法師」と名乗り、その後、井伊家からは井伊直弼が輩出されました。井伊直弼が、幕府の要職である大老として、開国を決したのは、あまりにも有名です。
井伊直弼の居城 彦根城空撮、近くの多賀町には多賀大社がある。
「世の中を よそに見つつも埋もれ木の 埋もれてをらむ心なき身は」井伊直弼
おんな城主が暮らし愛した「岩村城」
戦国の世に波乱に充ちた人生を送った「おんな城主(おつや)」が暮らした岩村城は、現在も総延長 1.7 kmに渡る壮大な石垣が当時の面影をひっそりと伝えています。
日本百名城・日本三大山城 岩村城跡
備中松山城(岡山県) 紅葉した備中松山城が雲海に浮かぶ景色も幻想的です。
奈良高取城
山城特有の自然に恵まれた高取城。
春夏秋冬、いずれの季節に訪れても壮大な石垣に調和した、草木の様々な表情に出会うことができます。
岩村城跡
江戸時代の城の中で日本一標高が高い場所に築かれていた山城が「岩村城」。天守閣が残 るお城の中で最も標高が高いところにある「備中松山城(岡山県)」、麓と本丸の標高差が最 も高い「大和高取城(奈良県)」とともに、日本三大山城と呼ばれ、広く知られています。 また、日本城郭協会が認定する日本百名城に認定されており、岐阜県では「岐阜城」と「岩村城」のみが認定されています。
岐阜城 義父「斎藤道三」から「織田信長」に受け継がれた・・・
霧ヶ城伝説
岩村城には 17 箇所もの井戸がありました。そのため、籠城の際にも飲み水に困ることがあ りませんでした。なかでも八幡曲輪にある霧ヶ井は、城主専用の霊泉で「巌邑府誌」という 書物に、敵が攻めてきた時、城内秘蔵の大蛇の骨をこの井戸に投じると、たちまちにして雲 霧が湧き出て城を覆い尽くし、城を守ったと記してあります。 ゆえに、岩村城は別名を「霧ヶ城」と呼ばれています。
岩村城散策のポイント
【徒歩で行く】
岩村歴史資料館に車を停めて、登城坂の石畳を800m登れば約20~30分で城址本丸に到着します。 特に足腰に不安のない方は、徒歩での登城をオススメします。 難攻不落の山城の壮大さがより肌で感じられ、どのようにして山の頂きに石垣が積まれていったのかなどに思いをめぐらせながら散策してください。
【車で行く】
総延長1.7kmにもおよぶ壮大なスケールの石垣類が集中して残る城址本丸付近まで車で行くことができます。 国道257号線から城山観光道路(マイクロバスまで通行可)に入り、約3分の道のりです。
六段壁
本丸の北東面には雛壇に築かれた六段の見事な石垣が残されています。 その構築技法より、江戸時代後半に築かれたもので、背面の高石垣の崩落を防ぐ補強の石垣 でした。
本丸西面の高石垣
今立っている場所には二ノ丸の裏門である不明門(あかずのもん)が建っていました。本丸 下段の土塀の中にはここからしか行くことができず、左手の高石垣の上には、手前から納戸 櫓、本丸西多門櫓、二重櫓が建ち並んでいました。
本丸埋門
二の丸から本丸へ入る門。位置的には本丸北口で有り、裏門にあたります。 石垣は積み方や石の加工法によって、野面積み・打ち込みハギ・切込ハギに分類されます。 ここでは、三種の積み方が一度に見られる日本でも珍しい場所です。
菱櫓
二の丸東側の石垣は、自然地形に沿って鈍角に積まれている。この石垣に合わせて平面を「く」の字状とした菱櫓が建てられていました。
霧ヶ井
霧ヶ井と呼ばれる井戸は城主専用の霊泉でした。敵が攻めてきたときに、城内秘蔵の蛇骨を この井戸に投じると、たちまちに霧に被われて城を守ったと言われ、岩村城の別名は「霧ヶ 城」と呼ばれています。
追手門・三重櫓・畳橋
土岐門に続く第三の門が追手門で、前面の空堀には畳橋と呼ばれる木橋がかかっていまし た。追手門の脇には天守に相当する三重櫓(橋櫓)が構えられていました。
土岐門
土岐門は一の門に続く、岩村城第二の門で、城主遠山氏が土岐氏を破って、その居城の城門 を奪い、ここに移したという伝承から、この名がついた。
一の門
藩主邸からの登城道の最初に設けられた岩村城第一の門で、櫓門とその脇に単層の櫓が構 えられていました。
復元された藩主邸
慶長6年(1601)松平家乗によって岩村城の北西山麓に藩主邸が構えられました。 下屋敷とも呼ばれましたが、明治 14 年(1881)に火事で全焼してしまいました。 平成2年に太鼓櫓、表御門、平重門などが復元されました。
岩村歴史資料館
主邸跡に建つ資料館。城内の八幡神社の棟札、岩村城絵図、佐藤一斎自讃画像軸(いずれ も重要文化財)など、岩村城、岩村藩の史料を収蔵・展示している。
【住所】岐阜県恵那市岩村町98番地
【電話】0573-43-3057
【開館時間】9:00~17:00(4 月~11 月)9:30~16:30(12 月~3 月)
【入場料】(一般)300 円(65 歳以上)200 円(高校生以下)無料
岩村城再現 CG ビューア
「享保の岩村城絵図」を元に、忠実に再現した岩村城再現 CG をご覧頂くことができます。 城内 15 ヶ所に設置された看板の QR コードをスマホ・タブレットで読み込むと、それぞれ の箇所の音声ナレーションによる解説とともに、再現 CG 映像が流れます。
午前3時15分、本日は時間切れとなりました。次号に続く・・・
鎹八咫烏 記
恵那市岩村町へのアクセス
● お車でお越しの方は ●
● 公共交通でお越しの方は ●
協力(順不同)
(一社)恵那市観光協会 〒509-7201 岐阜県恵那市大井町286番地25 TEL:0573-25-4058
(公社)びわこビジターズビューロー
〒520-0806 大津市打出浜2番1号「コラボしが21」6階 TEL 077-511-1530
高梁市役所 〒716-8501 岡山県高梁市松原通2043番地 Tel:0866-21-0200 (代表)
高取町観光協会
〒635-0152 奈良県高市郡高取町上土佐20-2 夢創舘内 Tel:0744-52-1150
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