ご祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)がお山に鎮まるために、古来本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社です。
ご由来
大神神社の創祀(そうし)に関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀(まつ)られることを望んだとあります。 また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂(みたま)として顕現(けんげん)され、三輪山に鎮(しず)まられたということです。
この様に記紀(きき)の神話に創祀(そうし)の伝承が明瞭に記されていることは貴重なことで、大神神社が神代に始まった古社中の古社と認識されており、ご祭神(さいじん)の神格が如何に高かったかを物語っていると言えます。 そして、ご祭神(さいじん)がお山に鎮(しず)まるために、大神神社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初(げんしょ)の神祀りの様を今に伝えており、その祭祀(さいし)の姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれています。
「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代崇神(すじん)天皇の時代には国造り神、国家の守護神として篤(あつ)く祀(まつ)られました。平安時代に至っても大神祭(おおみわのまつり)、鎮花祭(はなしずめのまつり)、三枝祭(さいくさのまつり)が朝廷のお祭りとして絶えることなく斎行され、神階は貞観(じょうがん)元年(859)に最高位の正一位(しょういちい)となりました。延喜式(えんぎしき)の社格は官幣大社(かんぺいたいしゃ)で、のちに大和国一之宮(やまとのくにいちのみや)となり、二十二社の一社にも列なるなど最高の待遇に預かりました。 中世には神宮寺(じんぐうじ)であった大御輪寺(だいごりんじ )や平等寺を中心に三輪流神道が広まり、 広く全国に普及し人々に強い影響を及ぼしました。近世に入ると幕府により社領が安堵(あんど)されて三輪山は格別の保護を受け、明治時代にはその由緒によって官幣大社(かんぺいたいしゃ)となりました。現在も国造りの神様、生活全般の守護神として全国からの参拝があり、信仰厚い人々に支えられて社頭は賑わっています。
ご祭神
大神神社「四季のおまつり」
大神神社では1日に月次祭、15日には講社崇敬会月次祭、十二支の卯の日(上の卯)に卯の日祭が毎月執り行われます。
月次祭は氏子崇敬者の前月の神恩感謝と今月のご隆昌とご安全を祈ります。講社崇敬会月次祭は当社の講員・崇敬会員のご隆昌とご安全を祈り、併せて交通安全祈願祭を執り行います。
卯の日祭は崇神天皇が卯の日に大神祭(おおみわのまつり)を始められて以来、大神祭が「卯の日神事」と呼ばれるほどに卯の日がご神縁の日であり、その干支の日を大切にして毎月行われるものです。
各祭典では神楽が神前に奉納され、斎主以下参列者全員で「大祓詞(おおはらえのことば)」「神拝詞」「いのりの詞」を唱和します。また、講社崇敬会月次祭では、みわ鈴を手のひらにつつみ、鈴を振る「むすびの鈴行(すずぎょう)」を全員で行い、神明のご加護を祈ります。
いずれの祭典も自由にご参列いただけますので、お誘い合わせの上でお気軽にご参拝ください。
※1月元日は月次祭はありません。
※卯の日が月に2回ある時は最初の卯の日、3回ある時は、中の卯の日に祭典が行われます。
四季のおまつり
1月のおまつり
1/1
繞道祭 (にょうどうさい)
大神神社の年頭を飾るご神火の祭典で、国家・御皇室の安泰と国民の幸福を祈ります。繞道祭に用いられるご神火は新年の始まりの午前零時を期して、拝殿の東方、禁足地内で宮司によりきり出されて、拝殿大床の燈籠に移し置かれます。 祭典では宮司祝詞奏上の後、ご神火を小松明に点し2人の神職が拝殿内を走り出て、拝殿前の斎庭で待つ3本の大松明に火が継がれます。そして、先入道(さきのにゅうどう)・後入道(あとのにゅうどう)と称する2本の大松明(長さ約3メートル)と少し小さめの神饌松明の計3本を氏子の若者がかつぎ、神職と共に山麓に鎮座する摂末社19社を巡拝します。ちなみに「繞」とは、「めぐる」という意味です。ご神火が境内のご神火拝戴所に移されると、待ちかまえていた参拝者が先を争って持参の火縄やカイロに火を移しとります。このご神火はそれぞれの家庭に持ち帰られ、神棚のお灯明や雑煮の祝火に用いられ、一年間の無事息災が祈られます。大和の正月は繞道祭で明けるといわれる年初の勇壮な火の祭典、繞道祭は浄火を尊んできた日本人の古代からの信仰を今に受け継いでいます。
1/15 大とんど
ご神火をもって正月のしめ飾りや旧年のご神札を焼き上げる伝統神事です。
2月のおまつり
2/3 節分祭 福寿豆撒き式
狂言「福の神」で大神神社に参詣した太郎冠者が、三輪大明神はお山が御神体であるから「福は山」と囃して豆を撒くという場面があります。開運厄除の祭典である当社の節分祭・福寿豆撒き式では、裃(かみしも)を着けた年男・年女が拝殿より賑やかに福豆と福餅を撒きますが、「福の神」と同様に「福は山」の掛け声と共に豆を撒くことが特徴です。
立春・立夏・立秋・立冬の前日が節分ですが、特に立春前の節分には全国各地で厄祓いの行事が行なわれます。当社でもこの節分の前後に多くの人が除災招福の祈願に参拝され、豆撒き式の時には拝殿前は参拝者で埋め尽くされます。拝殿向拝・到着殿前・勅使殿前の三方に年男・年女が福枡を持って並び、宮司の「福は山」の発声に合わせて福豆と福餅が撒かれると、斎庭からは大きな歓声が上がります。撒かれる福餅の中には大黒面などの縁起物が当たる福引きの紙が入っており、境内は福を授かった方々の笑顔に満ち溢れます。また、節分に併せて開運厄除けの吉兆笹も授与されます。これは笹の枝に大黒様の面や小判の縁起物が付けられたもので、節分前後に多くの方がお受けになられます。
2/5 ト定祭 (ぼくじょうさい)
奈良時代に当神社の神主であった大神朝臣狭井久佐(さいくさ)の次男、穀主(たねぬし)が、ご祭神のご神意を得て素麺作りを始めたという伝承が伝わっています。このことから素麺作りに携わる人々からご祭神は素麺作りの守護神として崇められます。
卜定祭はご祭神に地元特産の三輪素麺の卸値を占う祭典で、生産者や販売業者の参列のもと、神職が三ツ鳥居前の大床で卜定の儀式を行い、新しい年の卸値がご神意のまにまに決められます。かつて三輪の町には市場があり、穀物の相場を占っていたと言われますが、卜定祭もその伝統を引き継ぐものです。地元の素麺組合では基準になる三輪素麺を卜定による卸値で取引することとなります。祭典終了後、拝殿前で素麺作りの過程を真似たユニークな「三輪素麺掛け頭」などの踊りが三輪素麺音頭保存会のご婦人方により奉納されます。
2/6 おんだ祭 豊年講大祭
春の初めにあたり五穀豊穣を予祝する祭典で、往昔は正月の初卯の日に行われていましたが、現在は2月6日に斎行され、篤農家の崇敬組織である豊年講の大祭が併せて執り行われます。
祭典の中で、拝殿の向拝を神田に見立て、木製の鍬、木型の牛、練り棒を使って白丁(はくちょう)姿の田作男(たづくりおとこ)が台詞も面白おかしく田作りの所作を演じるところに特徴があります。苗代ができ上がると水口(みなくち)神主(神職)が鍬と扇子を持って水口祭りを勤め、神前から撤下された籾種を田作男が古風な台詞回しで撒きます。ついで、早乙女(巫女2名)が松の小枝を束ねたもの(苗松)を早苗になぞらえ、太鼓に合わせて田植えを行うなど、おんだの神事はすこぶる古式を残すものです。そして田作男の面白い台詞に参拝者の笑いが起こり、その笑いが大きければ大きい程にその年は豊年であると言われます。祭典の終わりに田作男によって撒かれる籾種を農家の方々が大切に持ち帰り、自らの苗代に撒いて、稲を育てていくことになります。
2/17 祈年祭
春のはじめにその年の農作物の豊作を祈ると共に、皇室国家の隆昌と諸産業の発展、国民の安泰を祈る祭典が大祭式で執り行われます。
3月のおまつり
3/3 成願稲荷神社例祭 (初午祭)
成願稲荷神社(じょうがんいなりじんじゃ)は、当神社の末社で商売繁昌、念願成就に霊験あらたかな神様です。
3/21 春季皇霊祭遙拝
宮司以下神職が遙か皇居を遙拝し、歴代天皇や皇室の方々の偉業を偲び奉ります。
3/24 3/25
春の講社崇敬会大祭(第4土曜・日曜日)
大神神社のご祭神とご神縁を結ぶ全国の報本講社の講員、崇敬会の会員のご隆昌とご平安を祈る祭典が3月と9月の第4土曜・日曜日に行われ、参道に奉納の幟り旗が並ぶ中を全国から講員・会員が参拝されます。
神様へのお手紙である「祈願詞」が全国の講員・会員から寄せられ、祭典ではその「祈願詞」を大前に奉奠し、宮司が祝詞を奏上します。神楽「浦安の舞」もこの祭典では正装束を四人の巫女が纏って優雅に舞い納めます。そして神職と参列者が共に「大祓詞(おおはらえのことば)」・「神拝詞」・「鎮魂詞(いのりのことば)」を唱え、みわ鈴を振り鳴らして祈る「むすびの鈴行(すずぎょう)」を行って、神前に篤い祈りを捧げます。
また講員、崇敬会員が中心になって神賑行事を盛り上げることもこの祭典の特徴です。和太鼓の奉納演奏、千本杵餅つきの餅や樽酒の振る舞い、三輪山福袋の販売、飲食店や名産品の各種バザー店の出店、金魚すくいや子供広場でのゲームなど多彩な催しで、まさに神職と崇敬者が一体となって行われる祭典として社頭は終日賑わいを見せます。
3/25 玉列神社椿まつり
大物主大神の御子神「玉列王子神(たまつらおうじのかみ)」を祀る摂社で、椿が咲くことで有名です。境内に植えられた椿の花が彩りを添える中で祭典が執り行われ、境内では椿苗・「椿饅頭」の即売、「煮麺」のふるまい、椿の盆栽展示が行われます。
4月のおまつり
4/3 神武天皇祭遙拝
宮中と神武天皇陵にてお祀りする神武天皇祭が行われるにあたり、宮司以下神職が遙拝し、神武天皇の偉業を偲び奉ります。
4/8 春の大神祭宵宮祭
明日の「春の大神祭」が無事に斎行されることを祈る祭典「宵宮祭」が執り行われます。
4/9 春の大神祭
第十代崇神(すじん)天皇の御代に疫病が大流行し多くの国民が亡くなるという国難が起こった時、ご祭神の神示により神孫の大直禰子命(おおたたねこのみこと)を神主としてご祭神を篤くお祀りし直したところ、平安が戻って国が富み栄えました。このことが大神祭の起源で、二千年来の伝統を誇る大祭です。祭祀が卯の日に行われたことから、古くは「卯の日神事」と呼ばれ、4月、12月の上卯日に執行するという伝統を有しました。明治6年の上卯日が9日であったことから例祭日が4月9日と定められて今日に至っています。
祭典は8日の宵宮祭、9日の大神祭、10日の後宴祭と三日間にわたり、「例祭」と呼ばれる大神神社で最も大切な祭典です。神孫の大直禰子命(若宮様)を神主としてお迎えした故事に則り、8日午前に大直禰子神社(若宮社)で例祭を行い、御分霊(ごぶんれい)を若宮社から本社にお遷しすることから祭儀が始まります。
9日の午前には神社関係者・氏子崇敬者・各種団体関係者など千名近くの参列を得て、拝殿で例祭の大神祭が大祭式で盛大に行われ、神楽「うま酒みわの舞」が奉奏されます。午後からは若宮の御分霊を神輿にお遷しし、三輪の町中を巡幸する若宮神幸祭(わかみやしんこうさい)が行われます。これは大直禰子命を里人がお迎えしたさまを伝えるものと言われ、神輿を中心に、馬に乗った宮司以下神職、時代装束を着用し各地区の幟や神宝を持った氏子、稚児や甲冑騎馬武者など総勢250名余がお供をして三輪の町を巡幸します。
10日の後宴祭の後に、若宮の御分霊を若宮社にお戻しする祭儀が行われると、正午からは祭りを締めくくる後宴能が催されます。斎庭に設けられた桧舞台で、神社ゆかりの能「三輪」、狂言「福の神」などがその道の大家によって演じられ、3日間にわたる春の大神祭は目出度くとり納められます。
4/9 若宮神幸祭
若宮の御分霊を神輿にお遷しし、神職や時代装束に身を包んだ氏子が神輿のお供をして三輪の町中を巡幸します。桜の花が舞う中の華やかな時代行列を多くの人々が見守ります。
4/10 春の大神祭後宴祭
「春の大神祭」が無事に斎行されたことを感謝する祭典です。祭典後、若宮の御分霊が大直禰子神社にお戻りになります。
4/10 後宴能
例祭を締めくくる能が催されます。神社にゆかりの能「三輪」、狂言「福の神」などがその道の大家によって演じられます。
4/18 鎮花祭(薬まつり)
平安時代の律令の注釈書『令義解(りょうのぎげ)』に鎮花祭のことが記され、春の花びらが散る時に疫神が分散して流行病を起こすために、これを鎮遏(ちんあつ)するために大神神社と狭井神社で祭りを行うとあります。この注釈書からこの祭儀が『大宝律令』(701年)に国家の祭祀として行うことが定められていたことがわかります。
春の大神祭のところでも述べましたが、崇神天皇の御代に疫病が大流行した時、大物主大神が疫病を鎮められました。病気鎮遏(ちんあつ)のご神徳を仰ぎ、更には荒魂(あらみたま)を奉祭する狭井神社の霊威のご発動をも願って、大神神社と狭井神社の二社で鎮花祭が行われたもので、疫病除けの祭典として二千年来の由緒があります。
現在も特殊神饌として、薬草の忍冬(すいかずら)と百合根が供えられます。祭典には奈良・大阪・京都を始め各県の製薬業者や医療関係者が多数参列し、多くの医薬品が奉献されることから「薬まつり」の名でも知られています。 また、当日祭典後より疫病除け「鎮花御幣(ちんかごへい)」と「忍冬酒」が期間限定で授与されます。
4/29 昭和祭
昭和天皇のご生誕のこの日、御聖徳を仰ぎ、またこれからの国の隆昌を祈ります。 ⓒ共同
昭和59年10月13日の、昭和天皇ご親拝を記念、また御在位60年を奉祝して建立され、昭和61年5月28日に竣功しました。
高さ32、2メートル、柱間23メートルの偉容を誇る。耐久年数1、300年と言われています。
4/29 献茶祭
献茶祭は、毎年表千家・裏千家・武者小路千家(官休庵)3千家の家元が順番で奉仕されており、新緑の美しい境内の各所には、拝服席、副席や点心席が設けられます。
5月のおまつり
5/5 久延彦神社就学安全祈願祭
新一年生をはじめとする学生さんの健やかなる成長や学力の向上、そして学生生活のご安全を祈ります。参列の方全員に久延彦神社学業成就鉛筆が授与されます。
5/12 播種祭(はしゅさい)
大美和の杜の神饌田(しんせんでん)で今年の米作りの最初の神事として籾種を播きます。この苗代で育った早苗が、6月25日の御田植祭で植えられます。
6月のおまつり
6/17 三枝祭(さいくさのまつり)
奈良市鎮座の境外摂社、率川(いさかわ)神社の例祭で、鎮花祭と同じく『大宝律令』で国家の祭祀として定められた疫病除けの祭典です。ご祭神の媛蹈五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)が三輪山麓、笹百合が咲き誇る狭井河近くにお住まいになられていた故事により、笹百合の花で罇(そん)・缶(ほとぎ)と呼ばれる酒樽を飾り神前にお供えすることが特徴で、平安時代の律令の注釈書『令義解(りょうのぎげ)』にも、三枝(笹百合)の花をもって酒罇(みか)を飾りて祭る。ゆえに三枝というと、祭典名の由来が記されています。
祭典では古式により、黒木の案に特殊神饌を入れた折櫃(おりひつ)を載せ、柏の葉で作った蓋をして神職が神前にお供えします。そして宮司が罇から黒酒くろき、缶から白酒しろきを柄杓に汲み取り、土器(かわらけ)に注いで、神様に献ります。巫女もまた笹百合の花を手に神楽「うま酒みわの舞」を奉奏します。三枝祭はまさに笹百合の美しさに彩られた祭典です。 午後からはご祭神の五十鈴姫命に扮した女性を中心に、七媛女・ゆり姫・稚児と花車の時代行列が街中を巡行します。七媛女の綺麗な古代衣装も見所の一つです。
6/25 御田植祭
かつて大神神社には神饌田(しんせんでん)がありましたが、戦後はなくなっていました。そこで平成2年に天皇陛下のご即位を記念して、篤農家の集まりである豊年講の人たちの協力によって「大美和の杜」に神饌田を復活させ、狭井川の清水をそそぎ入れてお米づくりが始まりました。
5月12日には苗代に籾種を播く「播種祭」、6月25日には水を湛えた田に早苗を植える「御田植祭」、10月20日にはたわわに実った稲穂を刈る「抜穂祭」がそれぞれ行われます。 なかでも、御田植祭は白丁(はくちょう)という白い装束に赤や青の襷(たすき)をかけ、菅笠をかぶった早乙女、田作男により整然と早苗が植えられるという、昔懐かしい田植えの光景が見られます。田長(たおさ)の打ちならす太鼓の音を合図に、古式ゆかしい神事の形で、手作業により植えられていく御田植祭は自然の恵みに対する深い感謝と、日本人の原風景を見ることができる貴重な祭典です。
この神饌田で作られるお米は大神神社の祭典で御饌米(みけまい)としてお供えされ、御神酒の醸造用にも用いられます。また、稲藁は注連縄の材料として使用されます。
6/30 夏越の大祓 みわの茅の輪神事
大祓は6月晦日と12月大晦日の年2回行われ、半年の間についた罪・穢れを、身代わりとなる人形に託してお祓いし、清々しい心身に立ち返るための神事です。大祓は古代の律令に既に規定されており、由緒ある神事で、現在も全国の神社で執り行わています。
特に6月の大祓は夏越しの祓と呼ばれ、茅の輪くぐりが行われます。茅の輪の由来は蘇民将来という人が武塔神(むとうのかみ)の教えに従って、茅(ちがや)で作った輪を身につけたところ疫病からの災厄を免れた故事によるものです。神社では祈祷殿前に茅の輪を設置し、大祓の後で「みわの茅の輪神事」として古歌「水無月の 夏越しの祓 する人は 千歳の命 延ぶといふなり 」 を唱えながら神職・参列者全員が茅の輪をくぐります。
また、夏至の頃から7月第一週にかけて拝殿の前には三ツ鳥居の形に似せた「三輪の茅の輪」が設けられ、この期間に参拝者はこの茅の輪をくぐり、暑い季節の無病息災を祈ります。
7月のおまつり
7/30 綱越神社例祭宵宮祭
暑い夏を無病息災に過ごすためのお祓いの祭りが摂社綱越神社で行われます。 宵宮祭では祭典後にパレードや盆踊りが行われ、お祭り広場では様々な奉納演芸が行われます。
7/31 綱越神社例祭(おんぱら祭)
大鳥居の南側に位置する摂社綱越神社で行われ、夏を無病息災で過ごすことを祈る「夏越(なごし)の祓」の祭典です。綱越神社は平安時代の『延喜式神名帳』に記載される古社で祓戸の四神を祀り、街道筋から大神神社に参拝する際に先ずお参りするお祓いの社です。神社の名前の「綱越」は「夏越し」が訛ったものと言われます。祭典名の「おんぱら祭」も「御祓い」の転訛で、神社は親しみを込めて「おんぱらさん」と呼ばれています。
祭典では、大祓詞を神職が唱える間に神馬が境内を三周する「神馬(しんめ)引き」や、「水無月の 夏越しの祓へ する人は 千歳の命 延ぶといふなり」という古歌を唱えながら「茅の輪」をくぐるお祓いの神事が古式に則り行われます。 この「おんぱら祭」の日と前日の宵宮祭の日の二日間、参拝者は自由に人形(ひとがた)に託して罪・穢れを祓い遣り、息災を祈って茅の輪をくぐっておられます。
また、境内脇の大鳥居南側の駐車場では「お祭り広場」が設けられてバザー店が並び、舞台では数々の出し物が奉納されます。宵宮祭後には自衛隊音楽隊や市内高校のバトントワラーズの市中パレードや子供会による盆踊り、おんぱら祭当日の夜には奉納花火大会が催され、約2000発の花火が夜空を焦がします。沿道には多くの露天も並び、地元の夏祭りとして親しまれています。
7/31 おんぱら祭奉納花火大会
おんぱら祭を締めくくる奉納花火大会が行われ、例年2,000発の花火が華やかに夜空を焦がします。
8月のおまつり
8/7 七夕祭
一月遅れの8月7日に七夕の祭りが行われます。拝殿前に笹竹が立てられ、短冊に自由に願い事を書くことができます。
9月のおまつり
9/17 郷中敬老祭
氏子区域34ヶ大字の八十歳以上の敬老者を招待して祭典が行われ、長寿を寿いで益々のご健康を祈ります。祭典後、式典が行われ記念品を呈上、演芸も行われます。
9/22 9/23
秋の講社崇敬会大祭(第4土曜・日曜日)
大神神社のご祭神とご神縁を結ぶ全国の報本講社の講員、崇敬会の会員のご隆昌とご平安を祈る祭典が3月と9月の第4土曜・日曜日に行われ、参道に奉納の幟り旗が並ぶ中を全国から講員・会員が参拝されます。
神様へのお手紙である「祈願詞」が全国の講員・会員から寄せられ、祭典ではその「祈願詞」を大前に奉奠し、宮司が祝詞を奏上します。神楽「浦安の舞」もこの祭典では正装束を四人の巫女が纏って優雅に舞い納めます。そして神職と参列者が共に「大祓詞(おおはらえのことば)」・「神拝詞」・「鎮魂詞(いのりのことば)」を唱え、みわ鈴を振り鳴らして祈る「むすびの鈴行(すずぎょう)」を行って、神前に篤い祈りを捧げます。
また講員、崇敬会員が中心になって神賑行事を盛り上げることもこの祭典の特徴です。和太鼓の奉納演奏、千本杵餅つきの餅や樽酒の振る舞い、三輪山福袋の販売、飲食店や名産品の各種バザー店の出店、金魚すくいや子供広場でのゲームなど多彩な催しで、まさに神職と崇敬者が一体となって行われる祭典として社頭は終日賑わいを見せます。
9/23 秋季皇霊祭遙拝
宮司以下神職が遙か皇居を遙拝し、歴代天皇や皇室の方々の偉業を偲び奉ります。
9/24 観月祭
仲秋の名月にあたる日に満月をたたえて観月祭が行われます。午後3時から夕闇迫る頃まで観月の野点席が祭場脇に設けられ、日没と共に 正面参道をはじめ、境内に設けられた灯火、竹灯籠、雪洞に灯りが点されると辺りは幻想的な雰囲気に包まれ出します。
祭典は祈祷殿前で行われ、月見に因み、神前に萩・ススキ、神饌の一台には月見団子が供えられます。祭典は名月を称える宮司の祝詞奏上、日中に行われた観月句会の入選句披露、雅楽の演奏や舞楽・神楽の奉納と続き、祭典の途中で山の端から月が顔を出すと、参列者は感嘆の声をあげられます。観月祭はことのほか雅やかな祭典で例年多くの方々が月をめでるために参拝されます。
10月のおまつり
10/12
玉列神社例祭
桜井市慈恩寺にある摂社で、氏神様ののどかな秋祭りと呼ぶにふさわしい祭りです。境内では演芸が行われ、福引き付きの餅まきも行われます。
10/17 神嘗祭遙拝
伊勢の神宮で神嘗祭が行われるにあたり、宮司以下神職が神宮を遥拝します。
10/20 抜穂祭
秋の収穫を感謝し、神饌田にて抜穂の神事が執り行われます。収穫されたお米は神社の祭典に供えられ、稲藁は新年の注連縄に用いられます。
10/23 秋の大神祭宵宮祭
春の大神祭同様に二千年の伝統を持つ祭典が三日間に渡り執り行われます。明日の大神祭が無事に斎行されることを宵宮に祈ります。夜に青年会の太鼓台が三輪の町を巡り、宵宮に色を添えます。
10/24 秋の大神祭
崇神天皇の御代にはじまる二千年来の伝統をもつ大祭です。古く4月と12月の上卯の日に行われた「卯の日神事」で、4月が春の大神祭ならば、12月がこの秋の大神祭に当たります。
明治時代になり、例祭日を一年に一度とすることが定められてからは、氏子の秋祭りとして収穫を感謝し、人々の平安を祈る意味合いが強くなりました。大祭式で行われ、春の大神祭同様、前日に宵宮祭、翌日に後宴祭が行われます。
また、秋の大神祭当日は午後から氏子の子供たちや青年会の太鼓台が三輪の町中を練り歩き、最後に拝殿前に集合、境内は元気な歓声に包まれます。
11月のおまつり
11/3 献詠祭
一般・学生から広く短歌を募集し、優秀作を選考する「三輪山まほろば短歌賞」の表彰式の前に神前に応募作品を奉奠し、選者や優秀作の短歌を披講する祭典が執り行われます。
11/14 醸造安全祈願祭(酒まつり)
酒造りの神様と仰がれるご祭神の神徳を称えて、新酒の醸造の安全を祈る祭典で、全国の酒造家・杜氏・酒造関係者が参列します。祭典後から醸造安全の赤い御幣と酒屋のシンボル「しるしの杉玉」が全国の酒造家・醸造元に授与されます。
『日本書紀』の崇神天皇条には、高橋活日命(たかはしのいくひのみこと)が天皇に神酒を献じた時に「この神酒(みき)は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸(か)みし神酒 幾久(いくひさ) 幾久」と歌ったとあり、大物主神のご神助により、会心の美酒を造ることが出来たことが記されています。このことからご祭神が酒造りの神として敬われることとなったのです。祭典では活日命の和歌で作られた神楽「うま酒みわの舞」が四人の巫女により舞われます。そして、境内では各地から奉献された銘柄を展示する全国銘酒展が催され、樽酒の振る舞いも行われます。
また、祭典前日には拝殿と祈祷殿に取り付けられている直径約1.5m、重さ約200kgもある「大杉玉」が青々としたものに掛け替えられます。
11/15 七五三詣生育安全祈願祭
11月の講社崇敬会月次祭にあわせて七五三詣の子供たちの生育安全を祈ります。この時期の社頭は晴れ着に着飾った七五三詣の子供達で賑やかです。
11/23 新嘗祭 農林産物品評会
新穀の収穫を感謝する祭典で、2月の祈年祭・4月と10月の大神祭と共に大祭式にて執行されます。その起源は稲作が始まった弥生時代ともいわれ、『万葉集』にも新嘗(にいなめ)のことが詠われており、古代から民間でも収穫を感謝する儀礼が行われていたことがわかります。古くは11月下の卯の日に行われていましたが、明治6年の下の卯の日が23日であったことから、この日を祭日と定め、現在も宮中をはじめ全国の神社で祭典が執り行われています。
神社では神饌田で収穫された米を濁酒に醸造し、新嘗祭からお供えします。祭典では崇神天皇の御代に天照大御神を倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら・現在の檜原神社)を奉祀したさまを詠った神楽歌で作られた「磯城の舞」が四人の巫女によって奉奏されます。 また、新嘗祭に併せ、県内でも最大規模の「農林産物品評会」が開催され、見事な作物が出品、審査されます。23日午後1時からこれらの作物の即売会も行われ、好評を博しています。
12月のおまつり
12/2 久延彦神社入試合格安全祈願祭
入学試験の時期にあたり、受験生の合格を知恵・学問の神様である久延毘古命に祈る祭典が行われます。参列者に久延彦神社学業成就鉛筆が配られます。
12/3 献菓祭
県内の菓子業者が参列し、銘菓がお供えされて菓子業界の発展と安全が祈られます。
12/23 天長祭
天皇陛下のご誕生日をお祝いし、聖体のご清安をお祈りすると共に国家の安泰を祈願する祭典です。
12/31 年越しの大祓
半年間の間に身についた罪や穢を人形に託して祓い、心身共に清々しく新年を迎えることを祈ります。
12/31 除夜祭
一年間の最後に行われる祭典で、この年の息災を感謝し、うるわしく新年を迎えられることを祈ります。
続く・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力
大和国一之宮三輪明神 大神神社
〒633-8538 奈良県桜井市三輪1422 TEL 0744-42-6633 FAX 0744-42-0381
日原もとこ 東北芸術工科大学名誉教授 風土・色彩文化研究所主宰 まんだら塾塾長
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