伊勢へ詣らば 元伊勢詣れ 元伊勢お伊勢の故郷じゃ 伊勢の神風海山越えて 天橋立吹き渡る
天照大神・豊受大神とは
天照大神は神々の中で最も尊い神としてお生まれになりました。皇室のご先祖であると同時に私たちのご先祖でもあります。天に輝く太陽のように広大無辺のお恵みを与えてくださる生命の源の先祖神です。神話によると、天照大神は孫神である邇邇芸命に高天原で作った稲穂を授け人間界を統治するよう命じ、稲や粟などを人間が生きていくための食べ物と位置づけ、更に養蚕も始められました。天照大神は邇邇芸命に稲穂の他に玉・鏡・剣(『書紀』では鏡のみ)も授けられました。邇邇芸命は天照大神の御魂が籠められた八咫鏡(やたのかがみ)を持って、日向の高千穂に降臨され、垂仁天皇の御代にその鏡は倭姫命によって伊勢に遷され、それ以来天照大神の血脈に繋がる天皇家が天照大神の祭祀を継承しています。
豊受大神は私たちの毎日の生活に必要な「衣食住」の守護神であります。また天照大神がご自身のお食事を司ってもらうために自ら丹後国からお迎えになった神でもあり、天照大神にエネルギーとパワーをお入れになる神でもあります。神話によると、豊受大神は彦火明命(籠神社主祭神であり、また海部家の始祖)の后神である天道日女命に五穀(人間の主食となる米・麦・粟・きび・豆)の種を授け、更に養蚕の技術を伝授し、私たちに生きるための糧や知恵を授けてくれました。それ以来日本人の「衣食住」の守護神として篤く崇敬されています。豊受大神は天孫降臨(邇邇芸命が天照大神の籠もられた御神鏡をもって天降り、地上を統治すること)の際、天火明命(彦火明命)と共に地上に天降られた神でもあります。彦火明命は天祖から豊受大神をお祀りするための御神鏡を授けられ、それをお祀りして国を統治するよう命じられました。彦火明命はその鏡を持って丹後国(旧丹波国)に降臨され、それをお祀りする神聖な場所を弓矢の飛ぶ方向によって、その子神である天香語山命が占い、ついに天橋立北浜に鎮座する当社奥宮の鎮座地・真名井原を豊受大神をお祀りする最高の場所と定め、「匏宮(よさのみや)」を創祀しました。それ以来彦火明命の血脈に繋がる海部家が世襲制で豊受大神の祭祀を現在に至るまで継承しています。
平成の元伊勢おかげ参り
-神々に感謝の気持ちを伝える-
「おかげ参り」とは、江戸時代に発祥し流行した伊勢神宮への参拝のことを云います。おかげ参りの特徴は大神様に「お願い事をするためのお参り」というよりも、むしろ私たちを「日々お守り下さっている大神様へ感謝の気持ちを伝えるためのお参り」であったと云われています。伊勢神宮では外宮先祭(外宮のお祭りを内宮より先に行う)というしきたりが古代から継承されていますが、江戸時代のおかげ参りの際にも、先ず外宮にお祀りされている「衣食住」の守護神である豊受大神様へ「日々の暮らしへの感謝の気持ち」を伝え、その後に内宮にお祀りされています天照大神様へ「生命を与えて下さっていることへの感謝の気持ち」を伝えたようです。 この「おかげ参り」の風習は伊勢神宮においてだけ行われたわけではなく、豊受大神の故郷である丹後天橋立まで波及し、文政年間には豊受大神の原初の祭祀場であった籠神社奥宮真名井神社へと「元伊勢おかげ参り」を願う多くの人々が押し寄せ天橋立は埋め尽くされました。天橋立北浜に鎮座する真名井神社と籠神社には、多くの参拝者が大神様へ作物・特産物や幟(のぼり)などを奉納し、日頃の「神恩に感謝」するため両手を合わせて静かにお祈りしたのです。奉納された幟の数は千本以上に及んだと伝えられています。その当時の光景を江戸時代の絵師松川龍椿が「元伊勢お蔭参りの図」に鮮明に描いています。
昨今予想もしない大災害が発生し、心を痛める人々が日本中に増えています。それと同時に、今ある「当たり前の暮らし」に感謝の念を抱く方々も増えています。籠神社は人々の暮らしをお守りする「衣食住」の神様である「豊受大神」をお祀りし、更に豊受大神を神代より丹後にお祀りした彦火明命を主祭神としてお祀りしています。籠神社は現在でも彦火明命の子孫が代々宮司となり、二千年来脈々と祭祀を継承し、現在の宮司で八十二代になります。籠神社の豊受大神は雄略天皇の御代に、天照大神のお食事を司る神として、天照大神の御神意によって、天橋立の籠神社から伊勢神宮へお迎えになった「天照大神の食事を司る神」でもあります。
籠神社の例祭「葵祭」とは
籠神社の例祭は明治以降四月二十四日に行われる。然し往古は四月の二の午の日に行われる古例であった。そして之の神事を葵祭又は葵神事を云い、又之の御神幸を御陰祭とも呼ぶ。之は山城の一之宮である賀茂別雷神社並びに賀茂御祖神社で古来四月の二の午の日に御陰祭が行われ、又同月二の酉の日に葵祭が行われたのと軌を一にし、欽明天皇の御代に始まったと伝えられる。當宮祭神を葵大神、又は青位大神とも申す古記も存する。之は御祭神の再誕に関する、所謂御生れの神事であるが、當神社に於ては更にその淵源をたどると、人皇四代懿徳天皇の御代四年甲午年に始まったと伝えられ、之の祭儀には豊受大神及び、彦火明命・彦火火出見命・丹波道主命に関する深秘がある。賀茂社と異る所は、賀茂の祭礼では祭員が葵の葉を付けるが、當社では祭員等が冠に藤の花を挿すことが古来の例になっている点である。このように籠神神社では藤の花が御祭神に深い由縁を持ち、その始めは藤祭と稱していたのであるが、欽明天皇の御代に始まった賀茂祭が葵祭と稱せられるに及んで、當神社でも葵祭と稱されるに至ったと伝えられる。 これは籠神社の元初の祭神豊受大神が水徳の大神であらせられ、与謝郡真名井原の天の真名井の水に因んだ本来の故事であったからである。
伊勢の祠官度会元長の神祇百首と云う和歌に、「藤花 花開ハ真名井ノ水ヲ結ブトテ藤岡山ハアカラメナセソ」とあり、註に「件ノ真名井ノ水ハ自天上降坐ス始ハ日向ノ高千穂ノ山ニ居置給フ其後、丹波与佐之宮ニ移シ居置タマフ、豊受大神勢州山田原ニ御遷幸仍彼水ヲ藤岡山ノ麓ニ居祝奉リ朝夕ノ大御饌料トナス」と見える。これは藤の花と真名井の水のことを詠じた歌であるが、外に當神社の祭に藤の花を用いたことは、後拾遺和歌集に良暹法師の詠める歌に、「千歳経ん君が頭挿せる藤の花、松に懸れる心地こそすれ」とあるに依って知られている。
本宮に対して奥宮である真名井神社の例祭は、豊受大神が御鎮座された日の九月十五日であったが、明治以後新暦を用いるようになってからは十月十五日となった。
豊受大神はその御神格の中に月神としての一面も持っておられ、真名井神社の昔の例祭が、九月十五日と云う満月の日に行われた事もその反映と思われる。又その御神徳が数字の奇数に関わりがあり、一年の五節句(一月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日)、殊に後の七七・九九の二節句とは最も深い結びつきの神秘がある。古来中国に於いて、奇数が陽とされ、偶数は、陰を表した事と照應する数字が、籠神社祭神秘伝の中に存するようである
籠神社の藤祭りが始まったのは、懿徳天皇四年(皇紀一五四年)と伝えられるが、平成六年は皇紀二六五四年となり、数えて藤祭り発祥満二五〇〇年目に當り、五月二十二日を吉日と卜して、藤祭葵祭発祥二千五百年祭を氏子中の奉仕により、盛大に行った。
太刀振神事
籠神 社の御神幸の神事は「御蔭神事」と申し、いわゆる「御生れの神事」として籠神社最重要の神事である。 海部氏の極秘伝に依れば、これは奥宮の元初の御祭神豊受大神の御生れの祭りとして発祥したが、後に豊受大神を祭った海部氏の祖神彦火明命が、宿縁により現身の丹波道主命となって天下蒼生に御稜威を垂れ給う神事と伝えられる。前記のような両神の関係を、「多次元同時存在」と宮司は名づけている。
この御神幸(お渡り)には、太刀振神事と云う典雅雄壮な特殊神事が遠く平安時代初期から行われている。更に神代からと伝えられている鶺鴒囃し(ささばやし)の古儀も行われるが、これは爺と孫、即ち祖孫共演の笹竹のはやしであり、弥生時代農耕社会の一つの習俗を、現代に伝えるきわめて貴重な神事であると云われている。
葵祭(葵神事)
當宮の例祭は葵祭と呼ばれ、4月24日に行われます。籠神社ともゆかりの深い京都の賀茂社の葵祭では祭員が冠に葵の葉を付けるのに対し、籠神社では豊受大神ゆかりの藤の花を挿すのが古例となっており、欽明朝以前は藤祭と呼ばれ、人皇4代懿徳天皇4年に始まったと伝えられています。平成6年には藤祭葵祭発祥2,500年祭が、盛大に営まれました。
祭の要となるのは御祭神の神霊(みたま)をお遷しした鳳輦(ほうれん)による御神幸(お渡り)で、御祭神の再誕(再生)を示す御生れ(みあれ)の神事であります。また御神幸の道中や祭典の前後に繰り広げられる平安時代以来の典雅勇壮な太刀振りや神楽などの奉納神事(京都府無形民族文化財)が、神の御生れを祝福すると共に神賑わいを盛り上げます。
最初の奉納神事「神楽」
神幸祭のお渡りの中で行われる
京都府指定無形文化財 太刀振神事
境内に響く、太鼓の音や笛の音色に合わせて
神事を行います
奉納神事の一つ 大神楽
古来より、獅子に噛まれることで
子供が元気で健やかに成長できると伝えられています
太刀振神事 最大の見せ場!!
多くの観客より拍手が飛び交います
眞名井神社 仮殿遷座祭
眞名井神社の本殿は、棟札により江戸時代の天保3年(1832)に造替されたもので、現在に至るまで、所々の修理を繰り返してきました。しかし、約180年もの歳月を重ねた社殿の損傷は著しく、ゆがみが生じるなど看過出来ない状態となり、本宮御鎮座千三百年の記念事業を一部変更し、眞名井神社本殿解体修理(遷宮)を行うことと致しました。
真名井神社の本殿は京都府の文化財に指定されておりますので、約二年の歳月をかけ宮大工が手工の業を尽くし修理していきます。(平成30年完成予定)
真名井神社の参拝は工事の都合上従来通りには出来ませんが、変わらず御参拝頂ければ幸いです。
仮殿遷座祭様子
眞名井神社 例祭
今年の眞名井神社の例祭には、仮殿遷座祭でも奏楽頂きました平安雅楽会の皆様に「胡蝶の舞」をご奉納賜りました。
真名井稲荷神社本宮再建祭
真名井稲荷神社本宮再建祭の様子
神楽「浦安の舞」
舞楽「賀殿の急」
元伊勢籠神社神宝・宝物
籠神社宮司家に伝わる神宝や籠神社に伝わる宝物を御紹介致します。
神宝
海部直伝世鏡 約2000年前の前漠鏡と後漠鏡が伝世されています。
息津鏡(学名 内行花文長宜子孫八葉鏡)
息津鏡(学名 内行花文長宜子孫八葉鏡)
神宝 海部氏伝世鏡
(約二千百年前、昭和六十二年十月三十一日初公開) 海部氏伝世鏡 息津鏡(学名 内行花文長宜子孫八葉鏡) 息津鏡(学名 内行花文長宜子孫八葉鏡) 昭和六十二年十月三十一日(旧暦九月九日・重陽の節句)に二千年の沈黙を破って突如発表されて世に衝撃を与えたこの二鏡は、元伊勢の祀職たる海部氏が當主から次の當主へと八十二代二千年に亘って厳重に伝世され来ったものである。日本最古の伝世鏡たる二鏡の内、邊津鏡は前漢時代、今から二〇五〇年位前のものである。 又、息津鏡は後漢時代で今から一九五〇年位前のものである。そしてこの神宝はその由緒が国宝海部氏勘注系図に記載されており、又當主の代替りごとに、口伝を以っても厳重に伝世されたものである。 現存最古の国宝海部氏系図並びに二千年前の伝世鏡は、當社の元伊勢たる史実を実証するものであろう。 詳しくは籠神社図録『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図 -改訂増補版-』に収載されています。
籠絵巻(他宝物古文書)
国宝 海部氏系図 平安時代
重文 藤原佐理卿筆額面 平安時代
重文 銅製経筒[文治四年銘](図録 No.49) 鎌倉時代
重文 銅製経筒[文治四年銘](図録 No.50) 鎌倉時代
重文 菊花双雀鏡(図録 No.57) 鎌倉時代
重文 桜花双鳥鏡(図録 No.58) 鎌倉時代
重文 魔除狛犬 鎌倉時代
国宝 海部氏系図
(平安時代初期 貞観年中書写)
籠名神社祝部海部直氏系図
これは昭和五十一年六月に、現存する日本最古の系図として国宝に指定された。同系図は平安時代初期貞観年中に書写されたいわゆる祝部系図(本系図)と、江戸時代初期に書写された勘注系図(丹波国造本記)とから成るが、勘注系図は本系図の省略箇所を補完するものとして同時に国宝に指定された。本系図は始祖彦火明命から平安時代初期に至るまで縦一本に、世襲した直系の當主名と在位年月だけを簡潔に記したいわゆる宗主系図であり、稲荷山鉄剣銘とよく似た様式で、竪系図の最も古い形を伝えたものと云われる。各當主名の上に押された二十八箇所にも及ぶ朱印は、今まで未解明であったが、昭和六十二年夏、美術印刷に秀れた便利堂の色分解に依る解析写真撮影で印影が浮かび上り、是を中世文書の権威村田正志博士が見事に解読して、「丹後國印」の文字である事が判明した。
是に依って當系図は海部氏が私に作成したものでなく、これを作成の後に丹後國庁に提出して認知を受け、更にそれを大和朝廷に差し出したいわゆる本系帳の副本であり得る事が証明され、国家公認のものとしてその権威が一段と高まったのである。
一方海部氏勘注系図は、始祖以来平安期までの系譜が省略なく記載され、これに當主の事績を始め兄弟等の傍系に至るまで詳密な注記が付されているが、その中には他の古記録には失われている古代の貴重な伝承も含まれていると云われ、今学界の注目を浴びている。
元伊勢の創祀以来の祀職である海部氏は神代以来血脈直系で世襲し、大化改新以前は丹波国造であったが、その後祝部となり、現宮司に至り八十二代と伝えられる。
※籠神社図録図録『元伊勢の秘宝と海部氏系図 -改訂増補版-』より転載
日本三景天橋立「三所詣」
宮津市と天橋立観光協会では、海渡る参道「天橋立」によってつながる1300年の古刹三所(智恩寺、元伊勢籠神社、成相寺)を巡る聖地周遊ルートの一層の浸透を目指し、「日本の聖地 天橋立三所詣GOワールドマップ」を下記のとおり作成しましたのでお知らせします。
これは京都府とNiantic, Inc.との観光振興に関する連携に基づき、『Pokémon GO』公認の西日本初となる観光マップであり、天橋立の聖地周遊ルート上にある観光名所と、ゲーム上の拠点である「ポケストップ」や「ジム」を掲載することで、周遊を促し、天橋立の周辺を歩いて散策していただき、その深い魅力と聖地の雰囲気を味わうことができるものとなっています。
智恩寺山門
元伊勢籠神社
成相寺五重塔
日本の聖地 天橋立「三所詣」是非、お出かけください。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力(敬称略)
籠神社 〒629-2242 京都府宮津市字大垣430 TEL 0772-27-0006 FAX 0772-27-1582
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