壱岐「原の辻」一支国王都復元公園
対馬「椎根部落」の石屋根倉庫(厳原町)※柱は平柱で高床式
いま、世界が日本の建築に注目しています。丹下健三、谷口吉生、安藤忠雄、妹島和世など多くの日本人建築家たちが国際的に高い評価を得ているのは、古代からの豊かな伝統を礎とした日本の現代建築が、他に類を見ない独創的な発想と表現を内包しているからだとはいえないでしょうか。
日本は、明治維新からの150年間、大いなる建築の実験場でした。幾多の実践のなかで、日本の成熟した木造文化はいかに進化したのでしょうか。西洋は日本の建築にどのような魅力を見いだし、日本建築はそれにどう向き合ったのでしょうか。日々の暮らしや自然観といった目に見えないものの変遷も日本の建築を捉える上で重要な要素となるはずです。
今回の「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」は、いま、日本の建築を読み解く鍵と考えられる9つの特質で章を編成し、機能主義の近代建築では見過ごされながらも、古代から現代までその底流に脈々と潜む遺伝子を考察します。貴重な建築資料や模型から体験型インスタレーションまで100プロジェクト、400点を超える多彩な展示によって、日本建築の過去、現在だけでなく、未来像が照らしだされることでしょう。(森美術館)
丹下健三の登場を機に、日本の現代建築は世界の先端に躍り出て今にいたるが、それが可能になったのは、日本の伝統的建築の遺伝子が、建築家本人の自覚の有無とは別に、大きく関係している。たとえば、空間の感覚とか柱と壁による木の構造とか、内外の区分とか。
そうした伝統と現代の見えざる関係について、代表的建築家の実作を取りあげて明らかにする。
森美術館「建築の日本展」藤森照信(本展監修)
それではまず、「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」を監修した建築家 藤森照信とはどんな人(失礼)なのかを、紹介いたします。
この方が藤森照信です!建築作品は、モザイクタイルミュージアム」と呼ばれ、日本の夏の暑さでは全国1~2を誇る多治見市にあり、織部など美濃焼の故郷です。愛知県春日井市からは、かって難所とされた内津峠を越えて向かった場所でした。(多治見の暑さは決して美濃焼窯のせいではないのかも…)
スケッチ
季節や天候、時刻などによってさまざまな顔を見せてくれる建物や壁や人・・・
内部はまた様々な工夫がされています。ここではお見せいたしません。どうぞ、現地でご自身の眼で確かめご覧になって下さい・・・と申し上げたいところですが、折角の機会ですから最上階を紹介いたします。そこから楽しい空間を想像してみてください。
これまで「建築」には全くご興味のない方であっても建築とはこんなに楽しく、懐かしいものだったのか、藤森作品の写真を見て「これは、おにぎりでも転がってきそうな元々ここにあって子供たちが登ったりして遊んでた山じゃないの?」と思わせるような優しくて温かくて自然な建築作品をつくる方が監修した「建築の日本展」なら一度行ってみたいと思われるはず・・・
そして、多治見市で昨年開催されたのが四年に一度の「国際陶磁器フェスティバル美濃」。
名誉総裁は秋篠宮眞子内親王です。
©宮内庁
「国際陶磁器フェスティバル美濃」会場。次回開催は約三年半後になります
先ほど内津峠はさらっと通り過ぎてしまいましたが、実は内津峠には日本武尊と大変に関係の深い神社があります。内々(うつつ)神社と申します。
内々(うつつ)神社とは、
愛知県春日井市にある内々(うつつ)神社は、名工立川一族により造られた権現造りの社殿、夢窓国師作といわれる廻遊式林泉型の庭園が有名。昔から武将の尊崇が篤く、豊臣秀吉公の朝鮮役にも戦勝を祈願して、この社頭から軍船用の帆柱を伐り出したといわれています。また、篠木荘33ヶ村の総鎮守でもありました。神社と密接な関係にある妙見寺は、室町時代初期に天台宗密蔵院開山慈妙上人によって開創されました。
同じ夢窓国師作の庭園は、建築家 藤森照信の建築作品「モザイクタイルミュージアム」のある多治見市にもあります。
それは虎渓山永保寺と申します。
虎渓山永保寺は夢窓国師が開創され、仏徳禅師を開山とする臨済宗南禅寺派の寺院です。
国宝観音堂
さらに
国宝 開山堂
そして
開山堂内部鏡天井
さらに
国宝 千手観音図
雲に乗って立つ千手観音が描かれ、その上方には円形の中に如来像が描かれています。 中心の本面の左右に一面ずつ横向きに描かれた面相の描写、また色彩も強烈であることなど、 日本に類のない特徴から、中国の宋時代の絵画とみられています。
寺伝では、この絵を呉道子筆としていますが、筆者名はともかく、中国の絵画であることを意味することばとみてよいでしょう。
現在は東京国立博物館に保管されています。
そして極め付きは・・・
名勝庭園 面積約51,300㎡(内約8,000㎡は市指定)
観音堂を建立した夢窓国師は、石立僧としても大変すぐれた方でした。 京都の西芳寺(苔寺)をはじめ、鎌倉の瑞泉寺、京都の天竜寺、山梨県塩山市の恵林寺など夢窓国師の作による庭園が各地にありますが、この庭も国師の代表作の一つです。
自然の地形、景観を巧みに利用して築造され、中世禅宗寺院の庭園として高い価値があります。
当時虎渓山は四隣数里人無き幽境といわれていましたが、四囲の山の姿、岩石の形、水の流れを洞察して庭園を造り、寺を建立した夢窓国師の非凡な造園力には驚嘆すべきものがあります。
観音堂傍らの梵音巌、これにかかる水瀑を梵音の滝と名づけています。池は臥龍池と呼ばれ、心字池ともいわれています。
池に架かる橋は無際橋、現在ではこうした屋形のある橋は珍しく、昔は一時仮の土橋だった時代があったともいわれますが、 国師の作庭にこの種のものがあったとされ、昔からの形を伝えるものと考えられています。
石組、護岸等の細部は後世に改修されていますが、池畔のいずれからもその景観はすばらしく、観音堂、岩山、橋、池などの地割り構成の巧みさ、視界におさまる広さなど、みごとな造りの庭園です。
なお庭園の一部は通常非公開となっています。
それではここで、話を展覧会に戻したいと思います。
森美術館について
私たちは都市再開発の新しいモデルとして「六本木ヒルズ」を構想した当初からその最も重要なコンセプトを「文化都心」と位置付けました。そして、人びとが同時代の文化を体験し、検証することができる現代アートの美術館をその中心にすえ2003年10月、東京のどこからでも見える森タワーの最上層に開館いたしました。
森美術館は来館者がいつでも楽しみ、刺激を受け、そして対話が生まれる場所でありたいと、展覧会開催中は休館日なしで夜遅くまで開館しています。また、あらゆる年齢、地域、国々の人びとに開かれた美術館であることをめざしています。展覧会のみならず様々なラーニングを通じて、私たちの文化や社会における新たな問題をオープンに話しあう場所であってほしいと考え、多様な企画を実施して参りました。
そして、日本とアジアの若いアーティストにより良い作品発表の機会を提供し、活躍の場を与えることも一つの重要な役割と考えています。
開館以来森美術館は、テーマ性をもった独自の切り口で多彩な企画展を開催し、一般のお客様のみならず専門家からも高い評価をいただいて参りました。これからも都心の文化発信地として多くの皆様にアートに親しんでいただく場をつくっていきます。私たちは、森美術館が、東京、日本、アジア、そして世界の文化の大きな拠点であることを願ってやみません。
いよいよ次号は「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」についてご紹介いたします。
どうぞご期待ください!
鎹八咫烏 記
伊勢「斎王」の明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
森美術館
〒106-6108 東京都港区六本木6-10-1
六本木ヒルズ森タワー52階、53階
Tel:03-5777-8600
虎渓山 永保寺 〒507-0014 岐阜県多治見市虎渓山町1-40電話 0572-22-0351
宮内庁 〒100-8111 東京都千代田区千代田1-1 電話:03-3213-1111(代表)
多治見市役所 〒507-8703 岐阜県多治見市日ノ出町2丁目15番地 電話0572-22-1111
多治見市モザイクタイルミュージアム 〒507-0901 岐阜県多治見市笠原町2082-5
一般社団法人 愛知県観光協会
〒450-0002 名古屋市中村区名駅4-4-38愛知県産業労働センター1階TEL052-581-5788
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