日本の美「一宮花しょうぶ園」
願い待ちの池「ことまち池」
縁結び「もみじ守り」
夏に祈る「夏越大祓式」
比売神様への架け橋を渡る「森山焼きの橋」
御祭神とご由緒
御祭神
大国主命(おおくにぬしのみこと)・ 大国様(だいこくさま)
大己貴命は「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と呼ばれ、神話の中でも「因幡の白うさぎ」はよく知られており、赤裸にされたうさぎを助けられた心のやさしい神さまです.。(一般には「大国様(だいこくさま)」と呼ばれ親しまれています。) 大己貴命は「古事記」「日本書紀」をみますと他にも多くの神名が伝えられています。 豊葦原の国(日本の国)を稲穂がたくさん稔る豊かな国に造りあげ、天孫に国をお譲りした神さまとして「国作之大神(くにつつくりのおおかみ)」・「大穴牟遅神(おおなむじのかみ)」といわれています。
また、農業・山林・鉱業・縁結び・医薬の開発・禁厭の法(鳥や害虫から作物を守る方法)を授けた神さまとして「大物主神(おおものぬしのかみ)」・「宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)」・「大国玉神(おおくにたまのかみ)」とも呼ばれ、国中の悪い神さまを追い出して平和な国に治められた神さまとして「葦原醜男命(あしはらのしこおのみこと)」・「八千矛命(やちほこのみこと)」と称えられています。
このように国土開発・殖産・医療などの知識や文化を人々に授けられるなど大きな力を発揮され、国土経営・緒業繁栄・夫婦和合・縁結び・厄除けなど、御神徳の高い神さまとして崇敬されております。
由来
鎮斎せられること一千有余年
遠江國を見渡す本宮峯に
創祀は神代と伝えられ上代の事で詳らかではありませんが、延宝8年(1680)の社記によると、人皇第29代欽明天皇の御代16年(555)2月18日に本宮峯(本宮山)に御神霊が鎮斎せられました。後に、都より勅使が差遺せられ、山麓約6kmの現在地に社殿を造営し、正一位の神階を授けられました。
それ以来、年々奉幣に預り勅使が下向され、文武天皇大宝元年(701)春18日に勅使奉幣の際、特に十二段の舞楽を奉奏されました。 延喜7年(907)の延喜式では式内社に列せられ、中世には武将をはじめ朝野の崇敬が極めて篤く近世に至りました。
元亀3年(1572)の戦では、徳川家は御神霊を別所に遷し、願文と三条小鍛治宗近作の太刀を奉り戦勝を祈願した後、社殿を全て焼失しました。天平3年(1575)に勝利を得た徳川公は、御本殿の造営、拝殿・楼門を再建され、更に社領五百九十石の朱印を奉り、以降代々の徳川将軍家より、社殿の改造・修復料を寄進されました。
明治6年6月13日に国幣小社に列せられ、明治15年3月に再度の火災により御本殿以下建造物などことごとく失いましたが、明治19年に復興され現在に至っております。
平成17年には御鎮座一四五〇年祭が斎行され、「遠江國一宮さま」として崇敬され親しまれております。
また、平成十五年九月十四日には、秋篠宮文仁親王殿下同妃紀子殿下のご親拝を賜り、平成十八年十一月八日には、神宮祭主池田厚子様がご参拝、平成二十九年四月二十九日には、高円宮妃久子殿下のご親拝を賜りました。
小國神社の初見(宮内庁書陵部所蔵)
続日本後紀
周智郡や小國神社が歴史上初めて記録に見えるのは840年(承和7)。周知郡内の小國天神が従五位下を授かったことが「続日本後紀」に記されている。
神宮大宮司坊城俊良謹書
社殿と歴史
時代背景と歴史のなかで
明治15年 消失以前の小國神社楼門と社殿
明治十五年の火災後、明治十九年に再建
中古以来社領は、一宮の上の郷・下の郷、一宮以外の円田に薗田郷、森の太田郷・天宮郷の五ケ郷三百六十町を領していました。江戸時代には徳川氏より五百九十石の朱印を賜り、東西一里南北一里半の境内を領していました。(社記及び諸社寺御朱印御条目枢要摘書)
明治四年の上地後は、一部を一宮村に払い下げられたが、社殿近接地の払い下げを受けました。現境内地は三十万坪に及びます。
本殿は明治十五年の火災後、明治十九年に国費を以て再建されました。以前の三分の一の規模となりましたが、間口及び奥行三間二尺七寸・高さ四丈三尺。本殿の他末社・建造物等は、五十余数を具備しています。
当時の小國神社境内図
境内地及び社殿
遠江国一宮(とおとうみのくにいちのみや)
遠江国
境内古地図
本宮山の山麓より湧きいずる宮川のほとりに鎮座
「遠江国(とおとうみのくに)」とは、現在の静岡県西部地域にあたる平安時代中期に成立をした旧行政区分の名称です。当時の静岡県は「遠江国」「駿河国」「伊豆国」として分かれ、独立していました。
地方の長官である国司は赴任すると、まず国内に鎮座する諸神社を参拝するのが通例でした。それぞれの国において篤い崇敬を集める神社に参拝し幣帛を捧げることは、地方政治の運営上欠かせないことでした。
やがて、国内第一の地位を占めた神社を「一宮(いちのみや)」とし他の神社を二宮、三宮と称しました。
小國神社は「遠江国一宮さま」として崇敬され親しまれながら現在に至ります。
古代の森
丈余の神代杉が欝蒼として繁る約30万坪の御神域
「古代の森」と謳われる約30万坪(東京ドームの建物21個分)の御神域は、約200年前から植林が盛んに行われました。杉・檜・松の植林数は全国的にも類をみない数となり、荘厳且つ清浄な鎮守の森を今に護り伝えています。
本宮山(511メートル)に鎮座する奥宮「奥磐戸神社」
遠江国を望む本宮山
神奈備山である本宮山(511メートル)に鎮座する奥宮「奥磐戸神社」の境内から、遠州灘を遥かに望むことができます。 この地に御祭神が初めに鎮斎せられた場所にふさわしい絶景が眼下に広がります。
小國神社社殿
境内地図
小國神社境内の各種施設
丑三つ時となりましたので、本日はここまでとして、次号は小國神社境内の各種施設のご案内からといたします。
※小國神社への車と鉄道・バスでの交通アクセスは次号にて詳しくご紹介いたします。
協力
遠江国一宮 小國神社 〒437-0226 静岡県周智郡森町一宮 3956-1 TEL/0538-89-7302
鎹八咫烏 記
伊勢「斉宮」の明和町観光大使
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